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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

ビジネスは社会貢献であり、貢献量が収益となる。

色々な方の相談を受けていると
経営者の方から経営について相談される事が多々あります。

私は、大企業に勤めた経験もありませんし
大したお力にはなれないのですが
ただ、この世界には大自然のルールというものがあり
人間が作った人間ルールで物事は進まないので
その辺に関してだけ、少し尽力できるわけです。

犯罪を犯して法に触れる事で救われる人もいれば
法を正しく守る事で、不幸になる人もいるのがこの世であり
私に出来るのは、そんなお話くらいなものですが
何だかんだと、現在、相談役になっている企業が
現在4社ほどあります。






長年、こんな事をしていると
自然の法則に従った経営をする事で
業績が伸びると言う体験をさせて頂いています。

『損して徳を取る』
『お金は後からついてくる』
という事です。


今の日本の社会では
利益を伸ばしている会社が優良企業とされていますが
大自然からすれば、それだけでは良い企業と言えないわけなんです。
『お金は後からついてくる』ので、結果だけみれば
そう思おうかもしれませんが・・

1年間で1000万円の純利益を計上した中小企業が
震災の支援に2000万使って、1000万の赤字を出したら
それは、ダメな企業なのでしょうか?
と言う事です。

人間社会での決算書の数値だけ見れば
経営能力のない社長が運営する会社となりますが
大自然からすれば、社会に貢献している優良企業として
扱われるわけです。


そして、『お金が後からついてくる』のです。
(↑マジです!)




現実は、言動の動機によって創られているので
タナボタを期待した上での社会貢献じゃダメなんですけどね~w

ただ、すでに大自然に認められた会社の社長は
みなさん自分のお金なんて欲しいと思っていないのが
面白いんですよね~




私は、社長が『社会に貢献したい!』と
強い志を抱き、それに向けての行動する事で
売上が伸びている会社を、数社見てきたので
この法則が、間違いなく存在するとそう思っています。



とは言え、月末の資金繰りをどうしようか?と
悩んでいる社長に対して
社会貢献しろといくら言ってもピンとこないのが現実ですが・・^^;)





















我々は、人が創った社会の枠組みの中で
便利に不自由なく生活させて頂いているので
誰しも、社会に貢献しなければならないわけです。
そうしないとエネルギー的なバランスが保てないんですよね~


誰しも、多くの人たちが創った存在の恩恵を受けながら
常々過ごしているので
当然、企業と言う組織単位でも同じです。


頂くばかりで、与えないと、搾取し続ける事になり
生きる事さえままならなくなる・・
会社も同じで、経営を維持できなくなる・・


従って、お金儲けの為だけのビジネスは
初めから、成り立たない仕組みが存在していると
私は、そう思っているわけです。





窃盗や強盗でお金を稼げば、しばらく豪遊できますが
いずれは、逮捕される・・
法律に触れていなくても、搾取し続ければ
経営は維持できない・・
数年は、羽振りよく過ごせるかもしれませんが・・
いつまでも、そんな状態が続くわけもない・・

創業者が徳を積みながら築き上げた会社の後を継いでも
その徳は、4代目までは続かないので
2代目3代目が社会貢献しなければ、3代目で倒産となる。




経営がピンチになって相談にみえる方の殆どが
ビジネス=お金儲けという視点でしか
物事を捉える事が出来ず
どうやったら儲かるか?しか考えていない人が殆どです。

そして、それは当然の事であり
自分は何も間違っていないと思ってします。
正しい事をしているのに
どうしてうまく行かないのか?とさえ思ってしまうわけです。




いっその事、徳を積まない事、感謝できない事
を犯罪としてしまえば、いいのではないだろうか?
と、さえ思ってしまいます。w




昔、金儲け一筋で大金を手にした社長さんが
『金儲けは搾取なんだ!』
って、おっしゃっていました。w
そして、その方は至る所に寄付をしていたので
「そんなお金があるなら仕事をくれ~」と言ったら
『お金での奉仕は、俺の贖罪だ!お前に仕事を与えても贖罪にならん!』
と・・・そんな事を言われのを記憶しています。
『金を手に入れても幸せにはなれんなぁ~』
と、ぼやいていましたよ。

その会社とは、数年の付き合いでしたが
結果、倒産しましたね~
でも、10年くらいは超羽振りが良かったです。






お金儲けのビジネスが続けられないのは
社内の人間関係にも影響するからだと思っています。

社長が金儲けの事だけを考えていると言う事は
自分の快楽を求めて起業している事になり
当然、そこに集まる社員も
自分の快楽を求めてしまうわけです。

別に自分の快楽を求める事は
全く構いませんし
快楽無くしては人は生きて行けないでしょう。
ただ、会社の存在意義をそこに置いてしまうと
継続できなくなるのが大自然の法則なんです。

組織と言っても
それぞれが、自分の快楽を求めていれば
社員一人一人が、それぞれのベクトルで動き出すので
最後は、崩壊するわけです。


ようするに社長は山に上りたいのに
海に行きたい人や、温泉に行きたい人が
集まっていれば、いくら議論した所で
社員の不満は絶え間なく続くと言う事です。




なので、どんな会社も企業理念を掲げるのですが
実際に理念に忠実に経営している会社は少ないですね~
ただただ、利益追求している会社が殆どで
理念はただ掲げているだけ・・

まぁ~食べて行かなければ
会社が存続できないですしね~

皮肉なことに、与えなければ手に入らないのが
自然の法則なので、ただ求めているだけでは
土に帰ってやり直すしかなくなってしまいます。








もう一つ・・
誰か何かの為に本気で尽くそうとすると
経営のアイディアが次々浮かんでくるし
世界がよく見えるようになります。

あと、自分の脳が進化するんです。
今まで自分で気付けなかった才能が芽生えたりします。


逆を言えば、自己の快楽を求める生き方は
とても狭い世界で生きる事になるわけです。
経営のアイディアも浮かばないし
誰かが考えたアイディアを真似をするしかない・・
尚且つ、自分の本来もつ才能も活かせなくなります。

経営が行き詰ると
社員のせいにしたり
取引先のせいにしたり
運が悪かったと思うだけで
至らない自分に全く気づけない社長になり
至らぬ己に気づけないので、挙句の果てに
先祖の因縁のせいにしたり
スピリチュアルな世界に頼ったりするわけです。w

まぁ~狭い世界しか見えていないので
仕方ない事なんですねどね~


仮に、360度の世界にいるとすれば
自己の快楽を求めた生き方は
2~3度の角度でしか見えていないでしょうね。

恐ろしいのは、本人にとっては
それが、全ての世界だと思い込んでしまう所です。

私のように霊感が強いと
目に見えない世界=広い世界と
勘違いしてしまいますし・・w


求める生き方は
『損得勘定』の世界でしか見ようとしないので
狭い世界しか見えないのは、当たり前なんですが
これも、『損して徳を積む』経験がなければ
この世界が広く素晴らしい事に
一生気づけないとも思います。




まぁ~ほかにも
『縁』の法則や
『エネルギーのバランス』の法則
などなど・・
自然の法則は経営に直結しているわけですが
書き出すときりがないので、この辺にしておきます。^^)









最近、労働時間が社会問題になり
報道なんかで、プレミアムフライデーなんかを
取り上げていますが
ゆとり教育が、そのまま
ゆとり経営に移り変わって行くように見えます。w
おそらくゆとり教育と同じ結果が導きだされるでしょうね~


皆さんも経験があると思いますが
自己の成長がなければ、何度も同じ痛みが繰り返されるのが
この世の仕組みなんです。

私個人の見解としては
快楽を幸せと勘違いして、社会が回っている以上
これらの問題は、永遠に解決できないでしょうね~



まぁ~人は、もがき苦しみながら
本当の幸せを手にするので
それはそれで、いいのでしょう~けど・・

いい加減、国をあげて
世界に貢献したいものです・・^^)

そもそも簡単に手に入るモノで自分に価値のあるモノなど存在していないのである。

人の価値観は、その人の経験値で異なるモノなのですが
多くの人が、自分の価値観を他人にもそのまま向けて
良い・悪い、正しい・間違い・・などと争ったりするものです。

その争いの中で多くを学ぶのも自然の法則なんでしょうね。



私は、長年相談ボランティアをしているのですが
心が病んできいる人の多くは
欲しいモノが手に入らなくて苦しんでいます。

人それぞれ手に入れたいものが違うわけですが
往々にして心を壊す原因は、他人に求めて手に入らないケースが多いです。

他人から否定されたり、拒否されたりする事で
心に傷を負ってしまうのですが
すなわち『認められたい』『優しくされたい』という事を求めています。

他人から認められたいのであれば
多くの人を認めればいいわけで
他人から優しくされたいのであれば
多くの人に優しくすればいいだけなのですが
善悪の判断に囚われてしまうと
他人を認め優しくする事より
正しくある事を優先してしまい
こんな簡単な事に気づけないものです。

そもそも、その正しさでさえ自分自身の価値観であり
一方通行なモノなんですけどね~


人の煩悩とは、この素晴らしい世界では
必要不可欠なものなんですが
どんな人も、この煩悩によって、もがき苦しむように創られています。


誰しも苦労などしたくないものですし
楽をして、お金が欲しいし
いい家に住みたい・・
美味しいモノを食べたい・・
いい服を着たい・・
いい車に乗りたい・・
贅沢をいたい・・
周りに認められたいし
優しくされたいと願い
それを手にする事が幸せであり
無意識にそこに向かって生きてしまうわけです。


しかしながら
楽をして手に入れたものほど
自分に価値がないのです。

パチンコや競馬で儲けたお金が
湯水のごとく消えて行くのは、自分に価値がないお金だからだと
そう思うわけです。

一日、楽しみながら稼いだ10万円と
日当1万円の土木作業で稼いだ10万円では
自分にとっての価値は全く違うでしょう。

同じ10万円なのに、自分にとっての価値が違うのは
簡単に手に入ったか?苦労して手に入れたか?の違いのはずです。


ようするに、自分自身に価値のあるモノは
最初から簡単には手に入らないのですが
面白い事に、人は楽をしたがるわけです。

苦労せず、何でも手に入るようになった
今の日本社会では、自分に価値のあるモノを
手に入れる事が難しくなっているのかも?しれません。


便利になり、苦労しなくても生きて行ける環境があるので
更なる『楽』を求めてしまう人が増え続け
自分に価値のあるモノどころか
自分自身さえも見失ってしまうわけです。


自分に価値のあるモノがなくなってしまえば
生きる意味さえ、解らなくなるはずです。



精神が病んでいる人の多くは
自分が生きる意味を見失っているのですが
残念ながら『楽をする』という呪縛から逃れられないでいます。

楽をしている以上、自分に価値のあるモノなど
見つかる訳もないのですが、どうしても苦労するのは嫌なようです。w


逆を言えば、『楽をする』事を選択しているので
精神が病んでしまうのかも?しれません。

自分に価値のあるモノを見つけるだけで
人は幸せになれるので苦労すればいいんです。

苦労が嫌だと、無意意識に煩悩が反応しますが
苦労こそが幸せなのが、この世の仕組みののようです。w






農家の方々からすれば
農作物はとても価値のあるモノでしょう。
しかし、スーパーで野菜を購入する方々にとっては
そこまでの思い入れはないわけです。
農作業に関わった事がなければ当然ですよね~


スーパーで並ぶ野菜に自分自身の価値を吹き込む為には
自分で野菜を作ってみれば言いわけです!^^)

私自身、畑を始めた事でスーパーに並ぶ野菜たちが
かわいく見えるようになりました!(←マジです!)
野菜を育てる苦労を体験させて頂いたので
私の中での野菜に対する価値観がアップしたわけです。

たったこれだけの事で、幸せな気持ちになるんですよね~
私の場合、農家の方々の苦労がそれなりに解るようになったので
形のイイ綺麗な野菜がたくさん並んでいるのを見ているだけで
『苦労して作ったんだろうな~ありがたいなぁ~』
なんて思えるようになったわけです。

感謝できるだけで誰でも幸せになれるのですが
『楽をする』生き方を選択している以上
どんどん幸せは、遠くなっていくんでしょう~ね~・・・


ようするに『幸せ』と『苦労』は同義語なんでしょう~(^^)

どんな現実も自己を成長させるためのモノであり、感謝すべき出来事である

神道的に言えば『全ては神々がしている事であり
目前の現実を否定批判する事は、神を冒涜する行為である。』
となるわけですが
なかなかそう思う事など出来ないでしょうね。

とは言え、100%そんな仕組みの中で
我々は過ごしているようにも感じています。

私の場合、実際に自己を成長させるための出来事ばかりだ
と実感した瞬間から未来が大きく変わったという体験をしているので
日本神道とは、凄いなぁ~と思うと同時に
全ての日本人は、日本神道の氏子である事が誇らしくも思えるわけです。

ホント日本人に産まれて良かったと思いますし
我々日本人の先祖に感謝です。
そして、この教えを途絶えさせてはいけないと思いますし
先祖から受け取った我々の社会を
今以上に素晴らしい社会にして子孫に繋げなければとも思ったりもします。
長年、先祖供養をしてきた私としては
経典を読み上げる先祖に祈る行為より
社会に貢献する事の方が先祖供養になると思いますし
先祖に感謝するという事は、子孫に多くを残す行為のように
思えてならないわけです。

心から感謝できるだけで幸せを感じますし
また、感謝する思いは他に尽くす行為として行動を促すモノのようです。

とは言え、生まれながらに『求める』思考が支配している我々人間は
感謝する事さえままならず、求めるが故の否定批判を繰り返してしまう・・
そして、辛く苦しい現実を突きつけられ
そこから多くを学ぶのでしょう~ね。



誰しも体験していると思うのですが
『嫌な出来事が何度も繰り返される』のも
目前の現実を否定批判し、拒絶する為だと思っています。

全ての出来事は自己を成長させるために起きており
嫌な出来事は、自己成長の為のシグナルなので
その現実をいくら否定しても、成長できなければ
何度も繰り返されるのは当然なわけです。
それらは自らを成長させるための大自然の法則ですからね~

何度も記してきた事ですが
誰しも自らの経験値をエネルギーとして血肉に刻み
常に放っているわけです。
そして、そのエネルギーが自らの現実を引き起こしている。

従って経験値を変えなければエネルギーも変わらず
現実は変わらないので
平々凡々とした現実に満足し、流されて生きていれば
必ず、嫌な出来事に直面するわけです。
なぜならば、私たちは自らの成長を促す世界でしか
生きられないからです。


人が生み出すエネルギーも色々あり
よく言われているのが『類は類を呼ぶ』
同調するエネルギーなのですが
嫌な相手は、必ず自分と同じ一面があるように
自分が常時はなっているエネルギーが同類を引き寄せます。

従って加害者と被害者という分け方は、人間ルール上の事であり
自然界的解釈では、同類なわけです。
同類を引き寄せるので、嫌な相手を否定批判する行為は
自分を批判する行為と同等となり
更に嫌な出来事が起きてしまうわけです。

それが全てとは言いませんが
被害者が加害者を憎しみに蝕まれるのは
過去の言動による経験値の改善がない為でしょう~
誰しも自分の価値観の中で過ごしているので
なかなか現実を受け入れるのは大変ですが
しかしながら、そんな自然の法則がよく見えます。

この同調という仕組みを利用したのが
引き寄せの法則』や『オホポノポノ』でしょうね。
とは言え、人が放っているエネルギーは
同調するものだけではないので
これだけでは、なんともならん事の方が多いでしょう。
そもそも、幸せ=快楽と思っていれば
そのエネルギーが影響しますしね~

自分が放つエネルギーには、他にも
自分が乗り越えるべき課題の縁を作るエネルギーと
自らを成長させるためのきっかけをつくるエネルギー
それと、天命、宿命のようなものなのかなぁ~?
生まれながらにして、持っている自分で変えられない
エネルギーがあるように感じています。
あとは、自然界が持つ法則のエネルギー・・
とりあえず、出来事に影響を与える法則が違うエネルギーで
人が持つものは、大きくわけて4種類は確認できるのですが
もっと他にもあるのかもしれません。
人が持たないモノも含めるとどれくらいあるんだろ?
それらのエネルギーが関わり合って
目前の現実を生み出しているのがよくわかります。


自然界は、常に自らの成長を促しているので
人間ルールなど通用しないわけで
逆に自然界のルールに従って、現実を捉えた方が
我々は過ごしやすくなるような気がします。

常に自分自身を成長させてゆけば良いだけなんですよね~
自分は常に正しいと言う位置づけをしていると
全く成長できないので、嫌な出来事が多く起きる・・
なので、常に謙虚でいる事が重要であり
その謙虚さが、自らを成長させてくれる。

先祖代々続く謙虚を美徳とした日本の文化も、
自然の法則がよく分かっていたからなんでしょう~ね。



また、人は成長と共に価値観が移り変わる生き物なので
新たなる経験をし、新たなる価値観を創造するだけで
どんな人も幸せになれると、そう思っています。


自分の価値観を変えると言うか成長させる為には
今の価値観では、ありえない体験を強引にするのが手っ取り早いと思います。
なので私は、何かボランティアをしろ!と言い続けているわけですがw
生まれながらにして求め続けてしまう我々が
煩悩に逆らって、与え続ける行為をする事で
その経験値は、自らの血肉に刻まれ、目前の出来事が変わってきます。

まぁ~誰しも偽善で始める行為なので
ながく続ける事が大切なんですが、ちょっとしたきっかけで
大きく未来を変える事ができたりします。

『そんな事はありえない!』と思ってしまうでしょうが
それも、そんな価値観の中にいるからでしょう。
やはり、体験無くしては価値観は変わらないので
モノは試しに、損得勘定を止めて、損徳勘定にしてみると
いいと思うわけです。^^)