修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

不平不満・否定批判は、突き詰めれば感謝になる

ストレスと溜めると心身ともに疲弊してしまう・・

自分自身の負の感情が生み出すエネルギーにより
自らの心身が蝕まれてゆくわけです。

単に不平不満や否定批判の感情を抱くだけで
一日の始まりである、朝の目覚めでさえ
身体が重く、気怠い一日の始まりになりなる。

まるで、昨日の一日をしっかり振り返らないと
今日を始めても、進めんぞ!と言わんばかりに・・w











私は、ボランティアで色々な方から相談を受けるのですが
相談者からは不平不満・否定批判の雨あられ・・です。w

逆を言えば、不平不満・否定批判がなければ
辛く苦しい現実など無くなるわけです。

とは言え、人は欲望の塊のような生き物なので
自分の思い通りにならなければ
負のエネルギーを生み出してしまうのは仕方ないでしょうね。


ただ、どんな人も不平不満の感情を抱く時は
自らの至らなさを教えて頂いている時という事を
知っておくと良いと思うわけです。





我々の目前にある現実は、自分自身成長の為にあり
慈愛の精神を学ぶ為にあるので
その真逆である負の感情は、慈愛の心を育む為に
必要不可欠な感情であると言う事です。


従って、自分自身の中に負の感情を抱く度に
自分自身を振り返ると自分の至らなさに気づく事ができて
成長できるという大自然の法則があるわけです。




多くの人は、目先の出来事に囚われてしまっています。
理解しようとする行為を怠っているわけです。
いくら優秀な才能をもっていても
他人を理解すようとする心が欠如していれば
自らの心身が朽ち果ててゆくのも自然の法則でしょう。


目先の出来事だけで判断し
不平不満・否定批判を抱く行為は
慈愛の精神に反していますからね~
仕方のない事なのでしょう。





では、どうすれば良いのか?

実は、そんなに難しい事ではないのです。w






まず、自分自身が否定批判、不平不満の感情を抱く時は
どんな時なのかを振り返ります。

何が満たされなくて、そう思ってしまうのか?
何が満たされれば、そう思わないのか?

その上で、どう行動すれば
自分は満たされるのか?を考えるわけです。






例えば、同僚が何度も同じミスをして
そのミスの穴埋めを自分自身がする羽目になる事を
何度も、何度も繰り返しているとします。

いい加減腹が立ち
『何度言えばわかるんだ!』
と、その相手に怒鳴り散らしてしまいました。
ストレス満載で気分が悪くなります。w

何度言えばわかるんだ!と怒鳴りたくなるほどなので
当然、何度同じ事を言った所で直るはずがないわけです。

ちょっと考えれば、そんな事だれでも解る事なのに
求めるが故に現実が見えなくなるわけです。

強欲が自らを盲目にしてしまうわけですが
これも人の性というやつなんでしょう~w


自分自身に何が必要なのかと問いただせば
『なぜ?ミスを繰り返すのか?』を明確にする事です。
それを改善すれば良いだけなのに
常に相手に求めているが行けに怒鳴り散らしてしまうわけです。
いやはや、滑稽極まりないと思いませんか?
まぁ~昔の私の事なんですが・・w

明確に出来ない場合は
『ミスを無くす為に、自分は何が出来るだろうか?』
と、考えて行動に移すわけです。
色々やってみると、そのうち答えに辿り着くはずです。

本当は
『ミスを無くす為に、自分は何をしてあげられるだろうか?』
と、考えるべきなのですが、そう思えるようになるまでは
それなりの経験が必要でしょう。

誰しも煩悩まみれですからねw





以前、こんな事がありました。

取引先の営業部長から
新しく就任した店長が、何度も遅刻して困ると
相談を受けた事があります。
現場スタッフから苦情がやまないと言う事らしいのです。
降格にするか?減俸にするか?
とは言え、昇格させたのは自分だし・・
と言うような内容です。


その時私は、毎日モーニングコールしてみたら?と伝えたのですが
そんな事は、もうやっているという返答でした。

ならば、毎朝自宅まで迎えに行ってみたら?と言ったら
その部長は、『ええ!そこまでやるの?』と・・w

まぁ、普通はそうですよね~w
『でも、新たなる体験は、新たなる発見があるかも?ですよ。』
と、伝えたら1週間だけやってみる事になったのです。
一週間、毎日遅刻しないような時間に迎えに行ったそうです。w


その結果、その店長は、遅刻する事はなくなりました。
それどころか、顔つきも変わり、バリバリ働くようになったようです!

同一人物に思えないほどの変わりように
私自身も驚いたのを記憶しています。


その店長さんに話を聞けば、ちょっと遅刻するくらい
大丈夫だくらいに思っていたのが、さすがに毎日上司に迎えに来られると
自分のせいで迷惑はかけられないと思ったそうです。

で、遅刻に限らず自分の甘い考えが、多くの人に迷惑をかけ続けていた事に気づき
深く反省したと言っていました。

同時に、自分の事をそこまで思ってくれている上司に感謝したそうです。
この上司を、裏切る事は絶対にしない!と心に誓ったと言っていました。



要するに、『自分が変われば現実が変わる』という奴です。
遅刻する店長を変えようとするのではなく
営業部長自身が変わった事で、現実が変わったわけです。

それと同時に『与えれば手に入る』もありましたね~
そのお店は、同業種で地域一番店になりましたから。

その営業部長が部下に与えた行為が、成績となって返ってきたわけです。
まぁ~もともと仕事の出来る店長だったようですが
なにせルーズで現場は困っていたそうです。w







どんな人も多くを求め続け
求めるが故に、多くを見失ってしまう。

ただ、求める行為にも陰陽二通りあり
我欲を満たそうとするのではなく
誰か、何かの為に強く求めれば
それは、与える行為となり、目前の出来事が悉く変わるはずです。


人間誰しも、不平不満や否定批判を抱きたくなるものですが
そんな時は、自分自身を大きく成長させてくれるチャンスと言う事になります。


なぜ?自分は不平不満を抱くのか?
何に対して不満なのか?
どうすれば不満はなくなるのか?
何をすれば、満たされるのか?
深く深く自分を見つめ
深く深く出来事を見つめ
それらの出来事を理解すようと努力し続けると
どんな人も、その出来事に感謝できるのが大自然の法則だと思います。



些細な不満も放置せずに向き合うと
きっと毎日が楽しくなるはずです。^^)






私はこの世の仕組みを深く理解すると
どんな人も、多くに感謝し、周りに尽くしたくなるのが
人の性だとそう思っています。

そう思えないのは、まだまだ理解しなければならない事が多くあり
理解が足りていないと言う事になります。

まずは、出来事から学ぶ事を癖にすれば
多くを理解する事ができ、どんな人も幸せになれると
そんな風にも思っているんです。



ではでは ^^)

社会のルールと自然界のルールの違いが苦悩を招く

我々日本の社会は、秩序を保つために
様々なルールが強いられている。

争いをなくし、平和な社会を保つために、法治国家とし社会のルールを定めます。
何が良くて、何が悪いかを決める事で、社会の秩序を保ちます。

このルールは、あくまでも我々日本人の為のモノであり
日本人以外を優先して作られたものではないわけです。

多くの日本人の経験や体験により出来上がった
価値観に基づいてのルールでしょうね~

まぁ~戦後アメリカが作ったルールとも
言われてますがw


◎争いを無くす事が良い事
◎人を傷つけない事が良い事
◎困っている人に手を差し伸べる事が良い事
◎他人に迷惑をかけない事が良い事
◎助け合う事が良い事
◎他人に優しくする事が良い事
◎ルールを守る事が良い事
◎正義が良い事

などなど・・これらは当たり前の良い事とされています。

何が良くて何が悪いのか?を明確にしなければ
集団生活を営む上で支障がでてしまいますしね~

この善悪の判断は、あくまでも国益を基準にしたものが多いですね。



我が国は国益を重視した政策のもと営まれています。
国益とは?国民ひとりひとりが今以上の
豊かな生活を過ごす為の利益とするのが一般的でしょう。


言い換えれば、国民ひとり一人が、今まで以上に
贅沢な暮らしをする事を重視して国は運営されています。w

もっと言えば、国民の快楽を重視した政策です。w

更にもっと言えば、国民に贅沢な暮らしをさせない政治家は
ダメな政治家であり、選挙で当選する事はないでしょう。w


まぁ~贅沢する事は別にいけない事ではないですけどね~






で、自然界のルールとは?
朝が来て夜がきて
雨が降って、四季がきて・・
生を受け、死が訪れる・・
といった感じの、我々が逆らえないルールです。

我々人間社会のルールは、自然界の中にあり
自然界のルールが優先されて
様々な出来事が起きていると言う事です。


多くの聖職者が慈愛の大切さを訴えているように
人が生きる目的は、慈愛の精神を育む事だと私はそう思っています。

というか、様々な出来事は
我々に慈愛の精神を学ばせようとしているとしか思えない。

慈愛の精神に反した言動に対して、必ず禍が起き
[それ、ちょっと違うんじゃない?]と教えてくれますしね~



また、我々は、大自然に煩悩を植え付けられ生まれてきます。
常々自分本位に考えながら快楽を求めて生きるように創られています。

利己主義に生きる事で多くを失い
利他主義を学ばされているわけです。


快楽を求める事でもがき苦しみ、慈愛の心を育んでゆくのが
人生というもののだと、私はそう感じています。

要するに、苦悩の中で慈愛の心が作られてゆくのが
大自然の法則と言う事になります。






大自然の視点で考えてみると・・・

◎争いを無くす事が良い事
→ゆるす心を学ぶ為にゆるせない出来事が起きるので争いは必要

◎人を傷つけない事が良い事
→誰しも無意識に人を気づ付けており
他人に傷つけられることで、自己改善できるので必要

◎困っている人に手を差し伸べる事が良い事
→苦悩は本人の成長の為にあり
安易な手助けは、更なる苦悩を生み出す原因となる。

◎他人に迷惑をかけない事が良い事
→人は一人で生きる事ができず
存在するだけで、周りに迷惑をかける生き物である。

◎助け合う事が良い事
→助ける合う事で成長が止まり禍が起きる事がある。

◎他人に優しくする事が良い事
→安易な優しさは、依存心を生み出し成長を止めるので
本人に禍が起きる。

◎ルールを守る事が良い事
→ルールに囚われると視野が狭くなり成長できなくなる。

◎正義が良い事
→正義があるから悪が生まれ、ゆるす心が育たなくなる。


こんな感じで、我々の社会のルールに従って
いくら良い事をしたとしても
苦悩を伴う出来事で、慈愛の心を育むよう
考えさせられる事になるわけです。


国益が物質的な豊かさをさすのであれば
それは、煩悩を満たす為の行為となるので
国全体に苦悩が押し寄せるわけです。

とは言え、我が国では、トヨタ自動車など
世界の利益を追求している企業がたくさんあるので
なんとか持っているのかも?しれません。



我々の社会は、争いがなく平和で安定した社会を目指して
そんなルールを設けていますが
大自然のルールは慈愛の精神を育む為の心の成長を
促すように創られているので
物質的な豊かさを追求するより
心の豊かさを追求した方が平和で安定した社会を
早く築く事が出来るのではないだろうか?

・・と、思ってしまいます。

しかし、実際には煩悩をガッツリ植え付けられているのが人であり
社会がそんな方向に向かない仕組みも存在しています。


修験道の言葉に[陰陽交わりて、万物を生ず]という
言葉があるように、痛みを伴わないと慈愛の心も生まれないのでしょう。

と言う事は、今のままの社会の仕組みで
何ら問題はないんでしょう~ね~




ただ、私の所に相談に見える方々の中で
この社会のルールに囚われ過ぎて苦悩から
抜け出せない方も多くいらっしゃいます。

『求めるから苦しむ』という呪縛から抜け出せないわけです。
与える事を体験していないので
与える喜びさえも理解できず
求める事の何が悪いんだ!くらいに思ってします。
人は求めなければ生きられませんからね~


慈愛の精神を育てさせようとする、この世界では
どうしても与えなければ手に入らない仕組みがあり
過去から今まで、ただ求めるだけで何も与えていなければ
どうしても、奪われ続け苦しい人生となってしまいます。

ひたすら求め続けるのが人の性ではありますが
どうせ求めるなら我欲を満たすのではなく
社会に世の中に貢献する事を求めれば
求めると同時に与える事になるはずです。




また、社会のルールに従っているだけで
幸せになれると勘違いしている人が多くいますが
我々に都合よく作られたルールを
いくら正しく守ったところで
幸せになる事はないでしょう。

そこには、我欲を満たす仕組みしかありませんからね~


なので、生きる目的を持つ事をお薦めします。


相談にみえる方は結構しんどい日々を過ごしているのですが
どうやったらもっと楽しく生きられるか?
という事を全く考えていないわけです。

生きる目的もなく、ただひたすら社会のルールに従って
流されて生きると、どんな人も
ただただ快楽を満たそうとするのが人の性です。

お釈迦様がおっしゃったように
苦悩の原因は煩悩にあるので
ただ快楽を求め続ければ、誰でも辛く苦しい人生となるわけです。

なので、何か生きる目的を見つけ、その方向に進むだけで
苦悩を遠ざけてくれるはずです。


とは言え、生きる目的と言われても・・
???と、なってしまうくらい
豊かな社会になってしまいましたよね~


ならば、残りの人生をもっともっと楽しむには?
どうしたらいいのか?と、しっかり向き合い
生きると言う行為をただただ我欲を満たし
快楽を満たすだけの為にするのを止めて
ワクワクするような生き方をすればいいと思います。

なかなか自分で見つけ出す事ができないのであれば
そんな理念を掲げて、真面目に取り組んでいる会社に
勤めてみるのもいいかもしれません。


いずれにせよ、流されて生きると
どんな人も、しんどい人生になるのが
大自然の法則だと私はそう思っています。




出来る出来ないは別として
ひたすら目的に向かって生きるだけで
目前に起きる出来事は大きく変わるはずです。

人の心が生み出すエネルギーは
それほどまでに、強力なものだと思っています。





ではでは~~

騙される事で、学ぶべき事

オレオレ詐欺など
色んな詐欺行為が後を絶たないのですが
この詐欺行為をいくら根絶しようとしても
後を絶たないわけです。

事象を変えようといくら努力しても
自らが変わらない限り
何度も繰り返されるのが自然の法則なので
一人一人の意識が変わらない限り
悪意のある詐欺行為は、なくならないのでしょうね~





他人に騙されて辛い思いをする人が後を絶たないのですが
他人に騙される事で、学ぶべき事があるから騙されると思っています。



こんな事を言うと
その人の気持ちが解らないのか!
傷ついて辛い思いをしている人になんて事をいうのか!
と、お叱りを受けそうなのですが
いくら同情した所で何の解決にもならないと思うので
あえて、記させて頂きます。

かく言う、私も結構な額をだまし取られた経験がありますからね~^^;)


まぁ~毎度ながら私の持論なのでご容赦を!・・w







まず誰しも、なかなか自分を見つめる事ができない理由として
人間社会のルールを守っている事が、正しく生きる事、としてしまう
大きな勘違いがあるからだと思っています。

何度もこのブログに記している事ですが
人間社会のルールは我々人間にとって都合の良いルールであり
自然現象のルールとは、全く無関係に働きかけています。

人が生きると言う行為も、自然界のルール上にある事を
忘れてはならないわけです。


要するに、自分の目前に起きる出来事は
人間都合の人間ルールとは、全く無関係に起こっていると言う事です。



これを踏まえた上で詐欺にあって騙されたという事を考えると
詐欺行為の被害者は、社会のルール上被害者なので
『悪』ではないわけです。あくまでも被害者ですからね~

そこで皆、考えるわけです。
どうして自分がこんなひどい目にあわないといけないのか!
何一つ悪い事などしてこなかったのに!
誰一人として迷惑などかけてこなかったのに!
と、そう思うわけです。

これが社会のルールに沿った一般的な考え方でしょうね。



しかしながら、自然界のルールでは『悪』など存在していないわけで
人が『悪』とする辛い出来事は、自己の成長の為に起きています。

なので詐欺行為の加害者を『悪』として、何一つ学びがない以上
嫌な出来事が起き続けるのが大自然の法則です。


自分を騙した相手を憎しみ続けると
物事がどんどん空回りするはずです。



『因果応報』『自業自得』『現実は鏡』という言葉があります。
これは、前民進党党首が流行らせた『ブーメラン現象』をさすのですが
この言葉は、自然現象にちなんで生まれた言葉でしょう。

騙された現実から自分を振り返れば、答えは見つかるはずですが
物事の判断基準を被害者という立場で
尚且つ社会のルール上で考えてしまうので、見当もつかないわけです。







では、騙されるという出来事を自然界のルールで考えてみましょう!


詐欺行為は、人を騙す行為となるのですが
騙された本人は、人を騙した事はないと思うはずです。

そう自分を判断する範囲を社会のルールから外してみるとどうでしょう?


自分の気持ちに嘘をついて他人を接していいないか?
自分を他人に良く見せようと見栄をはって過ごしていないか?
ご近所や世間体を気にして体裁を整える事ばかりしていないか?
どんな人にもイイ顔をして、本音を隠して過ごしてはいないか?

などなど・・

これらは、人間社会で生きる上で
当たり前のように、誰しもが行っている行為に思えますが
残念ながら、周りを騙している行為となるので
人に騙されたり、利用されたりする出来事が起きます。





では、他の視点で・・・





詐欺行為をする人は、他人にお構いなく自分の利益を優先します。


物事を損得勘定だけで判断し過ごしていないか?
他人の利益、周りの利益を考える心が欠如していないか?


詐欺行為をする人は、他人の立場など考えません。


他人を大切に思いながら過ごしているか?

家族を大切にしながら過ごしているか?
大切に思う事が出来る友人がいるか?



などなど・・

現代社会では、これらの事をしなくても
犯罪でもなく悪い事でもないので、なかなか気づけませんが
大自然のルール上では、鉄拳をくらう事になってしまうわけです。




これは、私が騙され結構な金額を失った事で学んだ事です。^^;)


いや~気づくまで、何度も騙されましたね~
最初は数万円単位→数十万→数百万→数千万・・と
アホな私は、何度も繰り返してしまったわけです。
軽く立派な一軒家が建てられるくらいいっちゃいました・・
沢山の人に迷惑をかけましたし恨まれ憎まれましたね~^^;)






詐欺にあう方々の相談を受けていると
往々にして私と同じように、これらが当てはまる事が多いです。

自分では、ちゃんと出来ている!と思ってしまう人も多くいますが
物事を自分主体でしか見る事が出来ない為、客観的に自分を見られなかったり
すでに自分の心が憎しみに支配されてしまっている方もいます。

客観的に自分を見る事は、なかなか難しいですからね~



とは言え、全ての人がこれに当てはまるわけではないと思うので
自分が詐欺師になったと思って
自分に当てはまる部分を考えてみるのも良いかもしれません。








私の場合、ちょっと気づくまで時間がかかり
何度も騙される体験を繰り返してしまいましたが・・^^;)
今では、騙された経験に深く感謝しています。
この体験により、自分の価値観が大きく変わりましたし
なにより、人として生きる上で、とても大切な事を教えて頂きました。

やはり、『悪』こそが『神』でしょ!w

いずれにせよ、憎しみは自らを崩壊させてしまうので
この出来事により、多く学び、感謝できるよう祈っております。