修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

『バカと言う人の方がバカ』の意味を知る

子供の頃
『バカと言う人の方がバカ』と教えられ
自分をバカにする相手に向かって
『バカという方がバカなんだよ!や~い!や~い!』
なんて言っている姿をよく目にしたものです。

当時は『なぜ?そうなるんだ?』と
良く思ったものです。w






粛々と修行を重ね、いいおっさんになると
その意味がとてもよく解るようになりました。
今更?と思うかもしれませんがw
私なりの解釈を記してみます。











ここ最近、見栄により
自身の人生を壊し続けている人の相談を
続けて受けました。

他人から認められたい!という欲望が
ついついイイカッコをし過ぎて
後の祭り・・となるわけです。

度が過ぎると、周りを巻き込んで
絶望の淵に落ちてしまう事もあるでしょう。


私自身も驕りや慢心、見栄などで
痛い思いをした経験があるので
そんな煩悩が自分自身を見えなくする事を
良く理解しています。

なんだかんだと周りを見下し
優越感に浸ってしまうわけです。
自分の下を見続けて、安心したい自分に
全く気づけないわけです。w
優越感に浸りたい、尊敬されたいとう願望・・
恐るべし!ですね。w


そして自信と驕りを履き違えて
何でも自分都合で解釈する。w

全く馬鹿馬鹿しい行為なのですが
その事に気づけないので
痛い思いという現実を
大自然が突きつけ気付かせてくれるわけです。


流されて生きると
痛い思いをしなければ気づけない・・
全く愚かな事です。




とは言え、自分で自分を知る事は
なかなか出来ないものです。

私の場合、周りを理解しようと努力する事で
ダメダメな自分を知る事が出来ました。


きっかけは、私の敏感な体質です。

恐らく、私は周りの人が観ている世界とは
全く違う世界を見ているのだろう~
と、仮定して、この感覚がない人は
何をどう感じて物事をどう判断しているのだろうか?と
考えるようにしてみたのです。

すると、私の意見と食い違う事が多いのは
当然だ!と、知る事ができました。
見えているモノ、感じているモノが
全く違うわけですからね~

なんだか心が軽くなった経験をしました。

自分を理解してもらうより
相手を理解した方が、毎日が過ごし易くなる事を知ったのです。

そんな経験をしたので
もっともっと色んな人を深く理解しようと思いました。

人それぞれ経験値が違う為
同じ出来事でも感じ方捉え方が違う事にも気づけました。

自分を理解して貰おうなどと
いくら思った所で、経験値が違えば無理なわけです。


こんな事を繰り返していると
ムカつく相手の発言は
必ず、自己改善する為の強いメッセージだと
言う仕組みが存在していると思うようになったのです。


私の場合、否定批判、不定不満だらけだったのでw
自分がダメダメだと気づく事ができましたね~


自分を知れば知るほど
ダメな自分に気づけるんだな~
なんて、思うようになったわけです。


当然、ダメな自分をたくさん知るので
謙虚になってきます。

私の場合、若干の謙虚ですがw










私は会社を経営しているのですが
何か特別な才能があるわけではない事も知りました。

よくよく自分を振り返ると大企業に勤めるだけの
才能がないので、会社を経営しているわけです。

誰でも知っているような上場企業での
打ち合わせなんかに行くと
私なんかより頭脳明晰な方々がたくさんいます。

サラリーマンより自由になるお金があっても
借金があるので、収支計算すればマイナスです。
決算書が黒字でも、借金があれば
サラリーマンの方々より、お金がないのが真実です。

銀行から借りたお金で会社を経営し
お金があると勘違いしたまま
『社長!』なんて呼ばれて
調子こいているわけです。w


冷静に考えると
一般サラリーマン以下の存在なんですよね~w



学生時代の成績を振り返っても
平均的な所だったし
何か特別長けたものがあるわけではない・・

異質な感覚のせいで、社会的不適合者ですし・・^^;)



そうやって、自分より上を見るようにしながら
自分を振り返ると
もっと努力せにゃあかん!!と言う事がわかるわけです。w


はぁ~(〃´o`)=3
と、ため息もでるわけですw




ですが、そんな気持ちのまま居られるわけもなく
プラス思考に変換し
ダメな自分に気づけて良かった!
まだまだ、たくさんの可能性がある!

と、努力するようになるったのです。
色々と、努力してみると
毎日毎日、流されて生きてきた自分に気づけましたね~


ダメな自分に気づけて、本当に良かったです。
いや~本当に、驕りや慢心は自分をダメにしますね!





これらが、周りを見下しバカにすると言う事は
全く自分が見えていない証だ!と知った経験です。


ようするに常に己を見つめて努力している人は
自分自身の愚かさを知っているわけで
誰かをバカにする事なんて出来ないわけです。


人をバカにして得られるものは
優越感なわけですから
そんな感情に浸りたい自分を知る事ができない状態です。

それを知っている人は、人をバカにする事はしない。
というか、出来ないですね~

即ち、『バカと言う人の方がバカ』なわけです。w


まぁ~人をバカにする動機を
しっかり見れば解る事なんですけどね・・



とは言え、昔の人たちは、しっかりと
自分を見つめる事ができていたんでしょう。

いくら頭で理解していても、血肉に刻まれた経験値には逆らえない

至らない自分を見つけて改善する事を続けると
どんどんと成長している自分がよくわかります。

しかし、頭で理解していても
なかなか言動を変えられないのも人の性でしょう。


常に温和でいなければならない・・と
いくらそう思っていても
他人から嫌な言葉を向けられて
ムカっとしたり、イラっとしたり
してしまうものです。


どんな人も血の仕組みのは逆らえないんでしょうね。




過去私は、色々なカウンセリングを受けた事があります。

自分の状態を知り改善する事が目的だったのですが
解っていても出来ないものは出来ないわけです。w

ダメな自分、ダメな相手・・諸々を
全てゆるしましょう~!
などといくら言われても

そもそも世の中自体を憎んでいた私が
簡単にゆるせるわけはないのです。w

また、どんな状態が『ゆるす』事なのか?を
理解していないので、上辺だけゆるした気持ちになってしまう・・

自分は全てをゆるしているはずなのに
他人から嫌な言葉を向けられるとムカついてしまう。
そして、その度にゆるせていない自分に気づくので
自分の感情を押し殺すようになる・・



何度も繰り返し自分の本心を押し殺し
気付けば、自分の意識の中で
しっかり出来ている自分を作り上げ
何も問題はないと思い込んでしまうわけです。w

単に自分の感情を押し殺しているだけなので
何一つゆるせていないのに
感情を押し殺す=ゆるしている、と
勘違いしているわけです。

この思い込みは、自分を強烈に壊して行きましたね~w
地に足がついていない状態なんですが
どんどんフワフワと浮いていくんです。

周りの人から見て、一人だけ浮いている感じ?
他人とコミュニケーションが取れなくなっているのに
その事すらも気づけなくなるわけです。

それもそのはず・・
すでに私と言う自分が消滅しているんです。w


本心を押し殺す事により
偽装された幸せを創り出し
自分は大丈夫だと思い込むわけです。

辛く苦しい現実から目を反らす事ができれば
一時的に幸せを感じる事ができるのですが
本来の自分という存在にも蓋をしてしまうわけです。

そんな人がまともに他人とコミュニケーションが
とれるわけもないんですよね~


これは、私に限らず
スピ系の事柄にハマっている人に多いですね~








なんでこんな事になるか?と申しますと
思考でいくら意識したところで・・
頭でいくら考えた所で・・
意識のみで・・・
肉体は制御できないのだと私はそう思っています。


どんな人も脳から受ける信号で肉体は制御されていますが
脳自体も肉体から経験値の信号を受けているんです。

誰でも意識とは別に肉体が記憶している諸々を
体験した事があると思います。

朝起きて、目が覚めていないまま
トイレに行って、歯を磨き
顔を洗って初めて、思考が動き出す・・
反復された動作は、血肉に刻まれており
思考が正常に作動していなくても
肉体の記憶が、ちゃんと身体を動かしてくれるわけです。

ひどい火傷をした経験があれば
炎を見るだけで頭で考える前に拒絶してしまう。


無意識に人を傷つける言動をし続けた人は
いくら言葉や行動に気を付けていても
同じ事を繰り返してしまうわけです。


何度言っても解ってくれない!
と、いくら相手を責めた所で
言葉のみで理解できる事など限られているわけです。
肉体が言語を理解してくれませんからね~



ようするに、いくら自分を知り自己改善しようとしても
実際の言動が伴わなければ自分の全てを改善する事は不可能なんです。


いくら至らない自分に気づいた所で何も行動していなければ
時間と共に、血肉の経験値に支配されたまま
何も変わらない・・
そのうち、その気付きさえ忘れてしまうでしょう。



肉体の経験値は血により子々孫々と受け継がれてゆきます。
両親や両親の先祖から受け継がれた経験値も含まれるので
自己改善は、ちょっとした気づきだけで
簡単にできるモノではありません。





ならば、どうしたら良いのか?
と言う事になりますが
新たなる言動により経験値を上書きすれば良いわけです。

自己を苦しめる血肉の記憶は
必ず慈愛の精神に反した動機での言動の記憶です。

従って、慈愛の精神に基づいた言動を繰り返し
その経験値を血肉に刻み続ければいいわけです。

これが、『徳を積む』という事になります。


今、目前の現実が辛く苦しいものであるなら
それは、慈愛の精神に反した言動を繰り返した結果なので
その経験値は、すでに自らの血肉に刻まれているでしょう。
改善するには、なかなか大変な事だと思います。








私自身も、どうしても心から感謝できない自分に
うんざりした事があります。
感謝できないので、常に不平不満を口にして
自分の思うようにならない現実を否定批判していました。

事業に成功している人や
毎日豊かに過ごしている人を見ると
100%多くに感謝しながら過ごしているので
自分も感謝できるようになりたい!
と、常々そう思っていました。

当たり前の事なのですが
心から多くに感謝している人は不平不満がないのです。
常々自分を省みる事を繰り返し
変えるべきは自分自身と言う事を良く理解しているわけです。


しかし、私の場合
言葉や態度で感謝を示す事はいくらでも出来るのですが
心深く感謝しているか?と問えば・・
100%感謝していないと言い切れるわけです。

なぜならば、ちょっと気に入らない事があれば
ムカついていたからです。w

頭では感謝できても言動が伴わないのです。
私の感謝は、全て上辺だけのものだったのです。


感謝できるようになりたい!という思いから
疑似感謝を繰り返すようにしました。w

まずは、当たり前に感謝する事から始めたのです。

蛇口をひねれば、水が出る・・
水道工事に関わる方々へ感謝

夜、部屋の電気をつけると明るくなる・・
電気工事に関わる方々へ感謝

日本神道は感謝に始まると言ってもいいくらいなので
この辺は非常に助かりました。
日本と言う国が発展し続けたのは
皆が皆、常に感謝してきたからなのだと
私はそう思っています。

毎日唱える祝詞は、感謝を捧げるものばかりですしね~

毎日、神棚に向かい
不自由なく生活できる事に感謝を捧げる・・

食前、食後の感謝・・

『食前感謝』
たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ
『食後感謝』
朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人

こんな歌まであります。^^)


私の場合、感謝できていない自分を良く知っていたので
毎日毎日、結構しんどかったですね~
感謝しているふりをするわけですから・・w



ただ、この疑似感謝を毎日毎日何年も続ける事で
少しずつ感謝できるようになってきたのです。
どうしても出来なかった事が、出来るようになってきたわけです。

感謝しようと努力する経験値が
血肉に刻まれ続けたのだと、私はそう思っています。



まだまだ、全然足りていないとは思うものの
昔に比べれば、雲泥の差の感謝を捧げる事が出来るようになりました。


心から感謝できるだけで、どんな人も幸せになれると
今では、そう思うようになりましたしね。








どんな現実が目の前にあろうが
今幸せだと思う事が出来れば幸せなのですが
なかなかそうは思えないのが人なんでしょう。


辛く苦しいと思う感情は
多くの快楽を求めているから生まれるもので
それを止めれば、どんな苦悩からも解放される。


苦悩をなくしたいのであれば感謝すればいい~


今目の前にある出来事ひとつ一つに
深く感謝できれば、快楽を求める思い以上に
多くに貢献したいと思えるようになる。
気付けば快楽を求める事を止めてしまい
目の前にあった苦悩さえも同時になくなっているでしょう。





この感覚を手に入れる為には
煩悩に逆らった経験を繰り返すしかないので
なかなか、大変な事なんですが
どの道、快楽を求めて生きて行っても
同じようにしんどい思いをするんですよね~w


そう考えると、どう生きても
人生はしんどいわけなんです。w

どうせ生きるなら、楽しく苦しんだ方がいいですよね?w



という訳で
私は、日々『我に戒めを!』と
祈願するようになってしまったわけです。w

暦や星占いは、本当に信じていいのだろうか??

暦や星による占術などは
昔から日本に根付いています。
新年には、今年はどんな年になるのか?
吉凶を占ったりします。
神社によっては、それそれ占術は違ったりしますが
一般的なのは、気学でしょう。

私は、宇宙に行った事がないので
宇宙の事は全く解らないのですが
私たちは常に、地球以外の星の影響を受けながら
過ごしている事くらいは理解できます。

太陽や月がなければ、生きる事さえ出来ないでしょう。


とは言え、色々な星に行ってみないと
解らない事ばかりだな~なんて思っています。w


夜な夜な空を見上げながら、農道をジョギングしたりしているのですが
(時にコケたりしています。w)
星によって、エネルギーが違うのがよく分かります。

おお!と、思ったりしたのですが
よくよく考えれば、太陽と月でも、全く違うので
当たり前か~・・・と・・
新たなる発見をした!と糠喜びしたのを記憶しています。



昔、四柱推命や九星占星術などをかじった事があるのですが
正直な所、なんか良くわからないな~なんて思っています。w
ここ数年は、紫微斗数占いをしている方に
色々教わったりしているのですが
生年月日と時間から、どういう理屈でこの計算になるのか?
という部分が、全くわかりません。

方程式を当てはめて、こうなるんだ!と決めつければ
いくらでも、占い師になれるのですが
私としては、なぜ?そんな計算になるのが?を知りたいわけで
それが解らない以上、私は納得できないのです。w

恐らく星に持たせる意味は、統計でそうなっているとして
生まれた時に、空にある星から時間軸で
配置の移り変わりを計算しているのでしょうが
もう少し深く知りたいわけです。


その占い師の方に言わせれば
それを理解して占い師をしている人なんていないでしょう?
だそうです。

EXCELが、どういう仕組みで動いているかなんて
関係ないと言うのと同じだと言うのですが
私としては、EXCELと星占いは違うだろ!
という、価値観の違いが生じるわけです。w



私が、どうしてそこに拘るか?と言いますと
全ての占いの吉凶の基準が
快楽を満たす事が出来るか?否か?という点に絞られているからです。

自然の法則上、快楽を求めれば求めるほど
苦悩と直面するので、私にとってそんな吉凶など意味がなく
知りたいのは、星の配置が人に影響を及ぼすのか?なんですよね~


ただ、星のエネルギーと同質のもを人体から感じますし
そのエネルギーも人それぞれ違うのも感じるので
占星術なるものも、まんざらではないとそう思っています。

なので、自然の仕組みを知りたい病の私としては
その仕組みを知りたい!という強い欲求が込み上げてくるわけです。w


最近は、星読み師ではなく、天文学者から学んだ方がいいのでは?
とか、そんな事を思ったりしています。w
















まだ、肝心要の所が全く解らないのですが
心臓がどんな仕組みで動いている事が全く解らないまま
人類医学は発展し続けている!と言われているので
ここは、無視して気づいた点を記しておきます。
(ただの私の妄想に過ぎませんが・・w)







『思い込み、その1』

昔の私は、暦や占星術などを全く信用していませんでした
なぜかと申しますと、全く当たらないと感じていたからです。
吉凶の年回りなど、全然あてにならないほど
毎日が大殺界で天中殺の日々を送っていたわけです。w

ただ、24歳の厄年の時、逮捕(不起訴)されたりしたので
ひょっとしたら厄年ってあるのか?
くらいには思っていました。



で、こんな体質なので、占い師という方々との縁も多く
色々な方に占ってもらったりしましたが
昔は納得できるような結果を提示される事はありませんでした。



が、しかし!
徳を積み続けると、自分の視野がとても狭い事に気づき始め
気付けば、暦などに記されている内容が
なんとなく当てはまる?と感じるようになったのです。

ようするに、必死に徳を積み続けた結果
やっと普通の人に近づいてきたと言う事です。w



以上の出来事から、不徳を積み続け大量の負のエネルギーを放ち続けると
占星術でみる星の影響を上回った、最悪の現実を突きつけられる。
と思うようになりました。

なので、日々の生活態度が最もと重要と言う事でしょうね。











『思い込み、その2』

何年か前に、同じ人を紫微斗数で占った結果と
私が霊視した結果を比べてみて、検証するという事をしてみた事があります。

私が霊視するのは、先祖からの影響である血に刻まれた経験値が作る未来なのですが
数人観た結果、全部星に出ているわけです!
紫微斗数は、生年月日と生まれた場所生まれた時間で
過去や未来を調べるのですが
なんだこれは!と驚いたのを記憶しています。

父親、母親の血と星の繋がりは強いと言う事が解ったのですが
逆を言えば、父親、母親の血族の経験値により
生まれる子供の日時が算出されると言う事になります。

どう考えても父母の血に刻まれた経験値と結びつく星が空にある時に
母のお腹からオギャ~と生まれると言う事になるのです。

また、人の人格が星と影響しあっていると言う事は
地球の南半球と北半球の住人では、人格が異なると言う事になります。

面白いですね~!
誰か紫微斗数の計算式を私に教えてくれませんかね~?
空には、星が無数にあり占術で使っていない星の影響もあるはずなので
その辺も調べてみたいんですよね~

とは言え、命盤の法則をエネルギー的に調べる事は出来ても
残念な事に、どうしてそうなるのか?が全くわかりません。

私が『この升とこの升が、共鳴してるのを感じるよ?』と告げれば
占術師は『あぁ~そうやって読むように学んだよ』と・・
私『なんでそうなるの?』
占術師『わからん、そう学んだの』・・
というやり取りで終わってしまうんです・^^;)




ひょっとしたら少子化社会も
現代社会による経験値に問題があるのかもしれませんし
不妊症の方が増え続けているのも
日々の言動の改善で、解決するかも?しれません。


まぁ~そんな事を考えるのは私くらいでしょうが・・^^;)













『思い込み、その3』

占星術は、一人ひとりの生年月日から
星の影響を受ける形を算出しているとそう思っています。

宇宙にある自分に影響のある星の位置を算出して
自分がいつどんな影響を受けやすいのか?
という計算が占星術なんでしょう。


日々いろんなエネルギーをたどっている私は
なるほどなぁ~なんて思うわけです。


地球は自転しているので、常に気が流れています。
月の影響も受けて、重力も変動しています。


私たちが生み出した負の想念がつくり出すエネルギーは
大地が吸収しています。

日本神道の大祓いの祝詞に記してあるように
人が生み出す穢れは、大自然が常に浄化しています。


太陽の影響を強く受けて四季があり
月の影響を強く受けて、満ち引きがある。

太陽や月以外の星の影響も当然受けているわけです。


仮に生まれた時に空にある
数々の星のエネルギーをその身に宿しているとすれば
時と共に地球から見た星の配置が変わる度に
その影響を受けるのも当然と言えば当然なんでしょう~ね。



私たち日本人になじみの深い占術は
四柱推命九星気学でしょうか?

生まれた場所によって星までの距離がちがうので
日本色の強い、九星気学の方が個人的に私は好きです。

中国と日本では、地球上の場所が違うので
星の影響もかなり違うと思うわけです。
風水などの方位も同じでしょうね。

中国と日本では、気の流れが全く違うので
中国の風水や占術をそのまま日本に持ってきても
全てが当てはまるわけではないとそう思っています。


なので、日本古来からある気学の方が
私はしっくりきます。^^)















『思い込み、その4』


天中殺や大殺界、厄年は、自分が纏う負のエネルギーの影響を受けやすい時であり
また、煩悩に溺れやすい時なんだとそう思っています。

要するに、徳もなく不徳を積み続けていると
天中殺や大殺界、厄年には、最悪の出来事が起きやすく
不徳もなく徳を積み続けていれば、何ら気にする事もないわけです。

私自身の厄年を振り返ると
前厄は、それまでの不徳の量を知る出来事が起き
本厄に、それを振り返り反省し
後厄に、自己改善して新たなる道に進む為の準備をする。
と、そんな感じの年回りのような気がします。

負のエネルギーの影響を受けやすい時なので
煩悩に溺れやすい年回りでもあると思います。

新しい事にやたらチャレンジしたくなったりします。
また、根拠もなくやれば必ず成功すると思い込みやすくなるので
大きな買い物をしたり、新たなビジネスを始めたくなったりします。
他人の忠告など、全く聞けなくなるんですよね~


そうやって聞くと、厄年は自分にとって良い時じゃないと思うでしょうが
私としては、自分の不徳の量を知る絶好の機会だと思っています。

今まで生きてきた、自分の生き様の結果を知る方法など
なかなかないので、厄年はしっかり構えて、自分を知る事をおすすめします。


天中殺や大殺界は、中国から来ているものなので
地球上にある日本と中国では、星からの距離が違う為
私自身は、あまり気にかけていません。



日本古来からある九星気学による暦の方が
日本人には当てはまるんでは?ないでしょうか?
星の影響だけではなく、大地の呼吸も踏まえてているようですしね。

紫微斗数は台湾の占術ですが
生まれた場所や時間から、台湾からの誤差を計算しているようなので
なかなかどおして、侮れないような気もしています。


ちなみに私が昔お世話になった椿大神社の暦は
東北の震災や原発事故が記されていました。
九星気学の暦です。
電話して注文すれば郵送して頂けます。^^)







私の占星術に対しての思い込みは、まだまだあるのですがw
とりあえず、はこれくらいにしておきます。



私が、占星術から学んだ事は
私たちは、一方的に星の影響を受けているだけではなく
自分自身の生活態度により、影響を受ける星が変わってくる点と
地球と言う星の影響をそれぞれの星も受けているという点。

また、不徳を積み続ける事で占星術が当てはまらなくなる経験をしたので
徳を積み続けても、同じ結果になるのでは?と思っています。
従って、我々は、自分の力で未来を創り出す力を持っていると言う事になります。

また、人それぞれの個性が世の中のバランスを保っているので
自分の価値観と言う一方通行で物事を判断するのではなく
他人を理解し、他人の価値観を認め受け入れる事が
自分の未来を発展させる為に、重要な要素のような気がしています。





まぁ~占星術に関しては、まだまだ解らない事だらけなので
ただの私の思い込みなんですけどね~