修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

日本の徳がもうなくなってしまったのかな?

過去から多くの方々の相談を受けてきてきましたが
物事がうまく進まない人となんでもスムーズに進む人がいて
その違いは、経験による価値観の違いの影響が大きいのだと、そう感じています。

自己の経験値のみで価値観が決まるのであれば問題ないのですが
先祖代々の経験値を受け継いでいるから、これがなかなか厄介なのです。

私たちが無意識に判断する、好き嫌い、などの価値観の多くは
先祖から受け継いだもので、その経験値に自らの経験値を上書きして
子孫に受け渡しています。

自分自身が、体験した事などなくても
どうしても譲れない思いがあったり
ちょっとした事なのに大きな恐怖を感じたり
こんな自分では、ダメだと解っていても
その『ダメ』を繰り返してしまう事もあるでしょう。


また、俗に言う『先祖からの因縁』の深い人ほど苦労は多いのですが
その分、心の成長ができて、器の大きな人になりやすく
逆に、『先祖の徳』の高い人は、苦労なく過ごす事ができるのですが
苦労するという経験がない為に、人の痛みが解らなかったり
努力を怠ったり、ちっぽけな人間のままま過ごしてしまう事が多く
ちょっとした挫折で、我が身を破滅させる事もあります。


よく会社は創業者から3代目で倒産すると言われていますが
これも、先祖から受け継いだ血の仕組みが大きく関わっているように思います。


会社を起業した創業者は、苦労を重ねた結果、器の大きな人間となり
人の痛みを知り、他に尽くす心を学び
徳をつみ続けた結果、事業に成功します。
自分ひとりでは、生きてゆけない事を理解している為
社会に必要とされる事に重きを置き、会社経営をし続けて行きます。

しかし、自分がしてきた苦労を我が子にはさせたくないと思ってしまい
どうしても、我が子を甘やかせて、育ててしまう。
創業者が積んだ徳があるので、二代目までは、経営を受け継ぐ事ができるのですが
二代目が甘やかされた経験は、二代目の子である三代目にしっかり受け継がれ
三代目は苦労した経験もなく、創業者の徳もないまま、後を継ぎ
経営能力がないまま、業務を取り仕切り
自己のプライドばかりが先走った経営をしてしまうケースが多くあります。
最終的に会社が窮地に追い込まれても
誰か、何かのせいにして倒産させてしまうのです。
2代目までは、創業者が積み続けた徳がありますが
その徳も3代目まで続かない事が多いのです。



この仕組みを、日本という国の規模で考えてみると
戦後我々のご先祖様は、自分の為だけではなく国の為に苦労を惜しまず働き
自らを犠牲にしてまで、他に尽くしたその徳は大きく
経済的に発展した日本という国家を築き上げてきたように思います。

そして現在の日本国民は、ご先祖様が積み続けた徳のおかげで
衣食住に困ることなく、たいした苦労をしなくても生きてゆけます。

従って、他人の幸せより、自己の快楽を優先して過ごしてしまうため
自国に尽くそうとする思いや、政府に協力しようとする思いより
どちらかと言えば、自国の政府を批判する思いの方が強くなってしまいます。

また、たいした苦労をする事無く過ごす事ができる社会で生きてきた経験から
ちょっとした、苦悩が大きな絶望を生み出し、自らを崩壊させてしまう。


国や他人に尽くす必要のない社会は、自己中心的な思いを増幅させる為
秩序を保つ為の厳しいルールが必要となります。
幼い頃から何が正しく、何が間違っているかを徹底的に教育し
社会に送り出す事で、治安の良い社会ができあがる。

しかし、その反動で正しい事を求めすぎ『ゆるす心』が欠落し
自己の正義が多くの悪を生み出してしまう。

ふっと気づけば、『悪』だらけの社会しか目に入らなくなってしまう。


倒産寸前の会社と同じように
思い通りに進まない現状を、誰か何かのせいにしてしまし
自らを省みる事無く、目先の現実のみを改善する事だけを繰り返し
そして、空回りをも繰り返してしまう。

最終的に身動きが取れなくなり、苦悩の呪縛から逃れられなくなってしまう。




私は、日々、多くの方々の相談を受け続けているのですが
結局、ただ徳が足らないの一言に尽きるのです。

国民一人ひとりの集まりが、自国そのものであれば
病んでいる人が、多いという結果は、自国が蝕んでいるという事であり
逆に、国民一人ひとりが徳を積む事により
自国は、自然に発展し続けるようにも思います。


また、他人の支えがあって、自分が存在できるように
他国があって、自国が存在できるので
国としては、どんどん他国に尽くさなければならないのでしょう。


我々日本人は、ご先祖様の徳を、そろそろ食い潰してしまいそうなので
今までのように、過ごす事はもう不可能になっているように感じています。
一人ひとりが徳を積み続け、蓄えるようにしなければ
昔のようないい時代は、もう訪れないのでしょう。


しかし、どんな人も、そうやって生きるだけで
幸せになれるようにも、思います。