修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自らに降りかかる禍と先祖からの因縁の仕組み

自らの言動は、血肉に刻まれ子々孫々と受け継がれてゆく、自分の子供が何も教えていないのに自分に似ていたり、また、自分自身も両親に似ていたりするのを見れば血が受け継がれて行くという話にも頷けるものです。それが、俗に言う先祖からの因縁と呼ばれる仕組みなのだろうと、私は、そう感じています。


自分の先祖に悪行をした人がいれば、その経験値は血に刻まれ、『業』として子孫にも受け継がれて行くでしょう。子孫だけではなく、血族全員に影響をあたえるのも、この『血』という仕組みのはずです。従って、生まれながらに、その先祖の経験を影響を受けた人生となるのも、否めない事実だと思います。



以前、免疫学の医学博士の先生に『病気は、遺伝しない』という話を伺った事があります。身内が、同じ病気になるのは性格が遺伝する為で、好き嫌いや価値観、感情の起伏、生活態度や食生活が同じになり同じ病気になるそうです。


そう考えると、悪い事をした先祖がいる事で、自らに禍が降りかかるのであれば、悪事そのものではなく、悪事を犯すに至った先祖の経験がつくり上げた性格に注目すべきであり、自分自身も同じ性格を受け継いでいるから辛く苦しい現実を突きつけられているのかもしれません。従って、まずは自分自身の性格を省みる必要があると考えてみるのも良いような気もするのです。



どんな人も、自分は常に間違っていると思っていては生活に支障が出るため、自分は、常に正しいと思っているものです。自分は正しいと思っているが故に、自らに降りかかる禍は無意識に誰か、何かのせいにしてしまいがちになります。

嫌な出来事が起きると、それを真正面から受け止める事ができないのが人間という生き物なのかもしれません。


自分の人生で辛い出来事が多いのは、先祖からの因縁のせい・・・そんな事を霊能者に言われれば、正しい自分のままでいられるので救われた気持ちになる事もあるでしょう。『嫌な事が続くのは、自分が悪いのでなく先祖なんだ!』と、そう思っていれば、気持ちは楽になるものです。そして、先祖供養をすれば救われると言われればせっせと先祖供養してしまうのも人の性なのかもしれません。


しかし、その行為は、自分を省みる事を怠る原因にもなり、自己の成長がなければ、我が身に禍が降りかかるという大自然の法則がある為、どんどんと、嫌な出来事ばかり起こるようになる事もあるでしょう。

辛く苦しい出来事が、起こる度に先祖のせいにしていれば、悪行を行った先祖を一人ひとり供養する事になり、気づけば凄い人数になってしまうはずです。

空海いわく、どんな人も、200人以上の先祖の影響を受けていると言いますから、そりゃ~中には悪い事をする人もいるでしょう。人間であれば、だれでも過ちの中で学び成長するものですからね。


仮に辛く苦しい出来事が起きたとして、それを先祖からの因縁という、非現実的なもののせいにして、先祖供養に勤めるか?
正面から堂々と辛く苦しい現実と向き合い努力して乗り越えるのとでは、どちらが自分にとって素晴らしい未来が待っているか?

また、自分自身の輝かしい未来を一生懸命に努力を積み重ねて手にするのと、先祖供養を必死にして手にするのと、どちらが自分にとって有意義な人生なのか?

そんな事は、冷静になって考えれば誰でもわかる事です。


もし、辛く苦しい出来事が多い為に、毎日毎日、因縁消滅の先祖供養に励んでいるのであれば、冷静になって考えればだれでも分かる事が、わからない自分自身に問題があり、それこそが辛く苦しい現実を引き起こしている原因なのかもしれません。



私は、どんな辛く苦しい出来事でも、必ず乗り越える道があり、その現実をしっかりと受け止める事ができれば自分自身の未来は素晴らしく輝かしいものになるとそう思っています。

また、それが大自然の法則だとも思います。