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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

この世は【善】で満たされている

大自然の法則には、善も悪もないのですが
人間社会では、善悪の判断をし、秩序を保って共同生活をしているわけで
すべてが善だと言ったところで『???』と、なってしまうでしょう。

日本神道では、自然現象そのものを神として崇め奉る教義があるのですが
仮に『神』=『善』とするならば、この世の中は『善』しか存在しない事になるわけです。

昔の私は、社会そのものを、世の中そのものを否定しいたので
その意味が、全く解らなかったのですが
善行を繰り返しているうちに、善悪の判断など
所詮は自分が決め付けているに過ぎないと思うようになり
次第に、自分都合の判断で善悪が生まれるのであれば
自分次第で、世の中の見え方も変わってくるのだと知りました。


正義という魔物に囚われてしまうと
『悪』は『悪』だ!となってしまうでしょうが
どんな人間も、自らの経験値に基づいた判断をしているに過ぎないはずです。
悪とされた相手からは、正義が悪になりますしね。
人が争うのも、お互いに悪を生み出すからでしょう。


人が生み出す、エネルギーを長年たどり探っていると
自分が見えている世界が人それぞれ違うのがよく解ります。
自らの成長に必要な、現実が見えるように、私たちは創られているのだろうと
そう思ったりもします。


昔・・・
自分のまわりにウザイ人がたくさんいて
毎日イライラするような出来事ばかり起きるのは
自分自身が『う○こ』だからだ!
綺麗な蝶が集まるような美しい『花』になりなさい!

という話を聞いた事があるのですが

人が生み出すエネルギーもそんな仕組みの中にあるような気がしました。

目前にある現実が、濁って見えてしまい
社会そのものも、荒んで見えてしまうのであれば
自分自身の目が美しく素晴らしいものを見る事ができず
濁り、荒んでいる事になります。



この世の中は、誰しも乗り越える事のできる苦悩しか起きないようになっていて
自らに降りかかる苦悩を乗り越えた時、この世の中は素晴らしい!と
そう思えるようになっている・・・
乗り越えてしまえば、その苦悩とした出来事にも感謝でき
すでに、苦悩でも何でもなくなってしまうわけです。


世界情勢や国内の政治、社会のありかたに
不平不満を抱く事もあるでしょうが
日本神道では、それら不満を抱きたくなるような出来事でさえ
神々がしている事となります。

私たちが成長できるように、不満を抱きたくなるような出来事を
わざわざ起こしてくれているのだと受け止めます。

そう考えると、一般的に『悪』とされるような出来事に対して
感情的になる事もなく、出来事そのものから何を学び
どう成長すべきか?と考えるようになり
気づけば、不平不満を募らせる自分自身はいなくなっている。

そして、学ぶべきモノを学ぶ事ができた時
今まで『悪』としていた出来事や相手にさえ感謝する事になり
自分の目の中には『善』しかなくなっている。



もう一つ・・・
日本神道では、自然の恵みに日々感謝して過ごす
敬神生活という教えがあります。
(敬神生活の綱領)

今の日本の社会は、衣食住に困らない
ありがたく素晴らしい世の中なのですが
その事実に心から感謝することが出来れば
私たちが生活する現代社会に不平不満など生まれないでしょう。

逆を言えば、感謝できないから
不平不満の感情が生まれる事になり
感謝する事を学ぶ為に、不平不満が生まれるような社会が
生み出されているのかもしれません。


私が、不平不満爆弾になっている頃
この敬神生活の綱領の文面を読み
深く深く反省した事を記憶しています。


やはり、今に感謝する事ができれば
どんな人も、幸せになれるのでしょう。
そんな気がしています~