読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人は、知らず知らずに不徳を積み続けている・・

『徳』とは?『不徳』とは?とよく聞かれます。
WEB上には、色々な方の色々な解釈が書かれていますが
概ね、そんな解釈で問題ないでしょう。

『徳』とは、他人から感謝され尊敬させるような行為であり
慈愛に満ち溢れた行為で
『不徳』とは、その逆だと私はそう思っているのですが
すべての存在は、陰陽の交わりがある為
なかなか自分自身の不徳には気づけないものです。


例えば、ルールを守らない人がいて
その事に腹を立て、その人を激しく批難し、叱り付けたとします。
一般的には、誰かが叱り付けなければ
またルールを破ることになりなけないのでそれは、正義でしょう。

しかし、私からすれば、自分に都合のいい部分だけしか
見ていない解釈だと、そう思ってしまいます。

大自然の法則には
人間のルールなど通用しないので
正義など、所詮は自分都合なのです。



ルールを守るように叱りつけた行為亜は
徳を積んだ事になるのか?
不徳を積んだ事になるのか?

ルールを破られた事で、被害をうけた人からは
感謝されるので、その部分では徳を積んだ事になります。

相手を理解しようとせず、自分の感情をぶつけた事に関しては
不徳を積んだ事になります。

また、叱られた相手が、いけない事をしたと理解していれば
徳を積んだ事になり、叱られたことに対して不快に感じていれば
不徳を積んだ事にまります。

トータル的にどうなんだ?
と、思ってしまいがちですが
この世の仕組みは、自己の成長の為にあるので
相手を理解しようとせず、自分の感情を相手にぶつけた行為の
不徳が一番大きく、自己の未来に悪影響を及ぼすはずです。

どれだけ自分が正しくても、その手のエネルギーは
相手に不快感を与えるからです。

勉強しようと思っていた時に
『勉強しなさい!』と叱られて、やる気が失せる仕組みも
それと同じです。負の想念は、負の想念を生み出してしまうものです。
(徳の高い相手は、相殺してくれますけどね・・)


昔の私は、間違いは正さなければ秩序は乱れるばかりなので
否定や批判は、とても大切な事だとそう思っていました。
しかし、それは所詮、自分都合のルールであり
相手を理解する心が欠如しているだけだったと、そう思うようになったのです。


では、ルールを破り、皆に迷惑をかける人がいたらどうするのか?
と、なるわけですが
まず、なぜ?ルールを破るのか?を深く理解する努力をする。
そして、ルールを守ってもらう為に自分に何ができるか?を考え
それを、言動に移す。

自分が変われば、現実が変わると言うこの世の仕組みがあるので
まずは、自分自身を変える事を最優先するのです。

これで、徳を積んだ事になるかは解りませんが
少なくとも、不徳を積む行為は避けられるはずです。


不徳のエネルギーは、自分の未来へ向けて悉く邪魔をするものです。
どれだけ、すばらしい発明をしたとしても
あと一歩で、邪魔をされたり、理不尽に、その発明を盗まれたり
徳がないだけで、成就できないものなのです。

日本にある『不徳の致す所です』という言葉は
この仕組みをよく理解していたから生まれた言葉でしょうね。


本当にそんな仕組みがあるのか?疑問に思う方も多いでしょうが
もし、そう思うのであれば、政治家の発言をよく観察する事をおすすめします。

過去からの政治家の発言を振り返れば、この仕組みは明確です。
現在、与党や首相を、猛烈に否定批判した政治家が
この先どうなるか?を、よく見届けてください。
どれだけ素晴らしい政策を考案したとしても
不徳が多ければ成就しないものなのです。

そして、どれだけ自分が正しくとも、大自然からすれば
否定批判は、不徳でしかないのです。



ただ、不徳のエネルギーは、徳を積む事で相殺されます。
あらゆる負のエネルギーを浄化してくれるので
良き縁を生み出し、強運をも生み出します。
従って、大きな不徳を生み出したとしても
それにも増して徳を積めばいいだけなのです。

ただ、徳を積むのは難しく簡単なものではありません。
試行錯誤しながら、自分で悟り得るものであり
その過程に大きな意味があるようにも感じます。

自分がしてもらって嬉しい事を他人にしてあげればいいという
単純な行為で徳を積めるものではないのです。
善意の押し付けになってしまえば、その行為は不徳に過ぎませんからね。

徳を積むためには、どうしても、相手を理解する所から
はじめなければならないと、私はそう思っています。
そして、理解する為には、多くの失敗も必要で
何度も何度も、偽善を繰り返す事をしなければ何も気づけないような気もします。

どこまで深く理解できるか?が、大切な事であり
深く理解する事ができれば、たった、それだけの事で
幸せになれるものだと、私はそう感じています。