修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

家族がスピリチュアルにはまって困っています・・・

『家族がスピリチュアルにはまって困っています。
なんとかならないでしょうか?』
と、ここの所、よくそんな相談を受けます。

何がどう困るのか?は、それぞれなのですが
いやな出来事は、自らの成長のチャンスと考えるのが
私流儀なので・・

私ならまず、その現実は自分自身を成長させるシグナルだと
受け止めるようにします。
その家族を理解する事から始めるのがいいと
私はそう思います。
理解しようとなければ、自分の思いを
ただぶつけているだけですからね。

私がそうだったのですが
スピリチュアル的な事にどっぷりつかってしまう人は
五感で生きる現実社会に居場所を見つけられない人が多くいます。
すべてがそうだとは言いませんが
現実社会で受け入れられない辛い出来事があった方が
スピリチュアル的な、非現実的な世界に自分の居場所を求めてしまう
ケースが多くあるのです。
自分に起きた辛い出来事を現実世界で乗り越える事ができない為です。

辛い出来事を、先祖からの因縁のせいにしたり
星に現れる宿命のせいにしたり、目に見えない霊や先祖の悪行のせいにしたり
土地因縁や、障りのせいにしたりと
どこにもやり場の無い苦悩を吐き出す場所が
そんな世界だったりするのです。

霊視により、過去の自分に起きた出来事を
ピッタリと当てられれれば、神の言葉と思ってしまう事もあるでしょう。
その言葉に従っていれば、大丈夫だ!とそう思ってしまうわけです。

私に言わせれば、その辺にいる霊でも当てられるんですが
言霊の主を判別することなど、なかなかできないものです。
所詮は、感覚的なものなので、五感で感じるように
はっきりと判別できる何かがあるわけではないのです。
たまたま、言霊と現実世界が一致しただけで
神々の言葉と勘違いしても無理は無いわけです。
また、神社や寺など神聖な場所で聞こえれば
普通の人なら、神々の言葉だとそう信じてしまうでしょう。

五感で感じられない世界は、確かに存在しますし
霊的な存在に話しかけられたりする事も頻繁にあちこちで起きています。
どこからともなく聞こえる言葉を『神の声』と
してしまう人が多くいるもの事実です。

そもそも、何をもって『神』とするのは
自分が決める事なので、他人がどうこうする事もできません。

そんな感覚の持ち主に対して
自分が感じないからと言って、スピリチュアル的な事を否定しても
『感じない人なんだからしょうがない』で終わってしまいますし
やっと見つけた自分の居場所なので、頭ごなしに強く否定すると
逆効果となってしまうケースもあるはずです。
自分の居場所がなくなってしまい、心を壊してしまう人もいますしね。

本人にとっては、唯一自分の居場所だったりするのです。
現実社会で生きる事が、恐怖でしかない人が
スピリチュアルの世界にはまってしまうケースは多くあります。


かといって、いつまでも現実逃避できるものではなく
多くの場合、最終的には現実世界に戻ってくるのですが
どっぷりはまってしまうと、逆に心を壊してしまう事も
あると思います。

逮捕される宗教団体の教祖や幹部のように
逮捕されて始めて、神の言葉ではなかったと気づいても困りますしね。


私は昔、目に見えない世界が、現実社会を操作していると
そう思っていた時期がありました。
ケガをする人、病気になる人、余命を告げられている人には
必ず禍々しいモノが憑いていて、はっきりと見えるからです。
禍々しい土地にいる人は、必ず苦悩が多くなり
穢れたエネルギーは『悪』だと、そう思っていたのです。
悪霊が、人に禍をもたらしているから
常に祓い清める必要があるのだと、そう決め付けて
必死に修行し、祓い清める力を磨いたものです。
霊が人を操作する事は、本当に多くありますしね。

しかし、実際には、そういった輩を生み出しているのは人であり
現実社会が目に見えない世界を操作してるのだと今ではそう思っています。

『悪』は人が生み出すものであり、悪霊を『悪』として
いくら祓い清めても、悪霊を『悪』としている自分のエネルギーが
気づかない所でまた悪霊を生み出しているという
堂々巡りがあるのです。
『悪』を生み出さない心を極める必要がある・・
と、そう思うようになりました。

五感の世界で、地に足をちゃんとつけ
一歩一歩しっかりと歩んでいる人には、禍をもたらす霊など憑いていないのです。
偉業を成し遂げている方々の信仰は
あくまでも感謝を捧げる場所であり、形であり
我々凡人のようにご利益を求めたりはしていない事も知りました。

また、世の為人のために尽くしている人は、禍々しい所に縁は無く
方位など気にしなくても吉方に縁が生まれ
清い世界へ自然に流れるようにこの世は創られています。

突き詰めれば、結局、今を一生懸命生きるしかないと言う所に
たどり着くものなのですが、簡単にそう思えるものでもないでしょう。
何事にも経験・体験が必要なのです。




心の傷が、深ければ深いほど
スピリチュアルな世界からなかなか出られないはずです。
スピリチュアル的な行為により
快楽が満たされる事で、はまっているとしたら
少し注意した方がいいかもしれません。


例えば、借金で苦しんでいて
先祖供養をする事で、借金が減ってきた・・・・
だから、もっと先祖供養すれば、もっと早く借金が返せる!

そんな事ありえないと思うのが普通の人ですが
実際に、心が折れるほど苦しんでしまうと
なかなか気づけないものなのです。
先祖供養で借金が返せるなら
みんながみんな先祖供養に励むはずですが
スピリチュアルな世界へ現実逃避をしているので
そんな簡単な現実さえも見えなくなってしまうのです。

事実、辛い出来事の多い人には霊がいっぱい憑いていますし
それを、取り払えば良くなると思ってしまうのも無理はありません。
実際に憑いている霊を祓い清めれば
心身ともに軽くなり、清々しい気持ちになりますしね。

しかし現実は、自らの生活態度が負のエネルギーを生み出し
霊をいっぱい取り込んでしまっているので
霊に憑かれる現象自体の解決になっていないわけですが
『楽になる』という現象が
そんな事に気づけなくしているわけです。

従って、いくらそんな事を指摘しても
はまっている本人には届かないものです。



たとえ保証人で借金を背負う事になたとしても
それ相応の、不徳があるはずなのですが
そんな風に考える事などなかなかできないものです。
多くの借金をしてしまった失敗を
簡単に受け入れる事ができるわけもなく
自分の何がいけなくて、何をどう改善すれば良かったのか?
この先、何をどうしてゆけば良いのか?
という所に、気づけないので、どうにもならないわけです。

会社でイジメにあっている・・
友人だと思っていた人から酷い事をされた・・
裏切られた・・だまされた・・
など、現代社会で生きていれば
辛い出来事など沢山あるのですが
苦しみが大きければ大きいほど
その出来事が起きた原因が自分にあるなどと思えないのが
普通の人なのです。

辛い出来事の原因を自分の外に探している以上
何の解決にもならないのですが
その欲望を満たしてくれるのが
スピリチュアル的世界であったりします。


スピリチュアルな世界の扉を開ける事で
心が軽くなる事が多くあります。
やっと見つけた、自分の居場所だと
無意識にそう思ってしまう人も多くいるはずです。

自分の心が軽くなれば、その場所は『救い』であり『善』であり
本人にとっては、素晴らしい場所なわけです。
『救われた!』と、心からそう思ってしまうわけです。

戦争で空襲を受け、死ぬ思いでいる中
やっと見つけた防空壕の中にいるようなものでしょうか?
『救われた!』と思うのも無理は無いのです。
かと言って、戦争を終わらせないと何の解決にもならないように
現実世界にしっかりと足で踏みしめて
勇気を持って前進しながら
生きなければ何の解決にもならないんですけどね。


スピリチュアルな世界は楽しむ程度にしておくのが
いいと私はそう思っています。

どっぷり浸かってしまうと、肉体は現実社会にあるのに
精神はスピリチュアルな世界に置くため
そのギャップが、周りに異常を感じさせてしまう事も
あるわけです。

まぁでも、いつまでも現実逃避できるものではないので
とことんやってみれば
現実世界に引き戻されるのも自然の仕組みですけどね。





家族がスピリチュアルにはまっているからと言って
この記事を見せない方がいいと思っています。
自分と向き合えない人が多いからです。

スピリチュアルにはまっている人の多くは
自分が間違っていると指摘される言葉に耐えられない人が多いからです。
そんなつもりは全く無くても
『否定された!』と、極端に受け止めて攻撃してくる人が多いのです。

心に深い傷を持つという事は
それだけ負のエネルギーを生み出していると言う事になり
不平不満、否定批判の多い方のはずです。
他人を無意識に傷つけている出来事が多くあるはずなのですが
自分都合でしか物事を見れないので、その部分に気づけないでいる
人がとても多いのです。

自分の真の姿は、他人を理解しようとして始めて見えてくるものですが
間違いや過ちは『悪』・・としてしまう恐怖心から
自分は正しいと常に自分自身に言い聞かせてしまい
他人を理解しようとする心が欠如してしまうのです。
他人を理解しようとする行為は
自分の過ちを見つけてしまう行為にもなりかねないので
他人を自分の色に染め上げる事が、みんなが幸せになれるのだと
そう信じている人が、とても多い世界だと
私はそう感じています。
なので、あの人はああだ!こうだ!と
他人の事がやたら気になる人が多いのです。

中には自分の苦悩の原因を、自分以外に置いておかないと
恐怖心に押しつぶされてしまう人もいるので
やさしく受け止めてあげるのが、いいと思います。


また、自らの過ちを受け入れられない為
現実世界で苦悩する事が多く、日々の生活の中で
居場所を失っており
寂しいくせに、一人でいる事に安堵する事が多くなります。

しかも、自己防衛意識が強いので
ちょっとした自分に対しての意見に敏感になり
内容を深く認識しないまま
激しく、その相手を攻撃してしまいます。
自分を正当化し、それを強引に納得しようとし
真実を見極めようとせず拒絶してしまいます。
原因は、そこに恐怖があるからです。

その為、他人とぶつかる事が多くあります。

霊能者どおしが、よくいがみ合うのは
そもそも、霊力とは負の想念が生み出した力だからだと
私はそう思っています。

多くの霊能者は、自分は神に選ばれた存在だとそう思いたいのです。
その思いを正当化させる言葉が『お役目』というわけのわからん言葉です。
神に選ばれ、世の為人の為に尽くすという、お役目を担っているから
霊力を授かったのだと・・そう解釈するわけです。

冷静になって考えれば、この世にオギャ~と生まれた時点で
すべての人が、世の為、人の為に尽くすという役目を担っているのですが
五感で感じる現代社会を拒絶しているので
そんな事すら気づけなくなってしまうのです。
だれがどう考えても、皆がみんな世の為、人の為に尽くさなければならない
世界で生きているはずなのですが、五感の世界を見えなくしてしまうのも
スピリチュアルな世界の恐ろしい所かもしれません。


そして、神に選ばれた自分が過ちなど犯すわけもなく
常に正しい事をしていると、そう思い込む事で
過去に得た深い心の傷にふたをする事ができます。
自分は神に選ばれ使命を果たす為に
辛く苦しい現実を突きつけられたのだ!とする事で
自己の過ちをも正当化してしまうのです。
そして、虚栄心で満たされ快楽を手にする事もできるので
その世界から、なかなか出れなくなるわけです。
『先生!先生!』と呼ばれるようになり
多くの人が、自分の周りに集まり
畏敬の念で、接してくれば
『私は神に選ばれた存在だ!』と
そう思い込むのは無理も無い話しなのです。

その背景は、『ごめんなさい』と謝罪する行為を拒絶する心であったり
また、自己の過ちに対する恐怖心からくるのだと
私はそう感じています。


家族がスピリチュアルにはまって困っているのであれば
文頭に記したように
まずは、その家族を深く理解する努力からはじめてみるのはいかがでしょう。
きっと、心に傷を受けているはずです。
理解しようとする行為は、自分を理解して貰えるきっかけになるので
深く理解する事ができれば、自分が困っているという思いも伝わるはずです。

また、家族でありながら、その苦悩に気づけなかた
または、その苦悩を知りながら何もできなかった事に
『ごめんなさい』という思いで接してみるのもいいかもしれません。

『ごめんなさい』という心のエネルギーは
多くの負のエネルギーを浄化する力があります。

あとは、五感で生きる現代社会で自分自身が幸せをつかみ
お手本を見せ付けるものいいでしょう~
スピリチュアル的な事を無視していても
毎日がこんなに楽しい事を見せていれば、そのうち気づくかもしれません。
自分の周りにいる人たちの幸せを願い
尽くしながら生きてゆくだけで、誰でも幸せになれるものですしね。



まぁ~すべての人が、ここに記した事に当てはまるとは言いませんが
私が経験した中での、一つの考え方だと思って頂ければ結構です。
ようするに今の私の持論です。w