修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

経験・体験が思考を創る・・即ち、考えているだけでは何も生まれない

誰しも言動には動機があり
人は自分の意志に基づいて行動する生き物です。

しかし、その意志は過去からの言動による経験値により生み出されています。

ようするに経験や体験が思いを創造しているので
自らに起きる現実は、自分自身の意思や思いではなく
自分自身の言動が生み出している事になります。



心に響く言葉というものもありますが
その多くが響いただけで終わってしまうのは
その後に続く行動がないからでしょう。

人の思考は、過去からの経験値に基づき判断されるため
いくら心に響く、言葉や映像を見聞きしたとしても
自分自身の行動が変わらない限り、目前の現実は変わらないものです。

変わらないだけでなく、悪化して行くのも、この世の仕組みです。
大自然には、自らを成長させようとする仕組みがあり
自身を磨く行為を怠れば、必ず苦悩に直面するわけです。


今、目の前に辛く苦しい現実があるのであれば
ここ数年の自分自身を振り返り、自分の言動が変わるほどの成長を
どれだけしてきたかを確認してみるのもいいでしょう。
苦悩に直面している多くの人が、成長もなく日々を過ごしているように
感じます。

大自然の法則は、我々人類に慈愛の心を育むように
ありとあらゆる方法で、現実を突きつけているので
慈愛の精神から遠ざかれば遠ざかるほど
辛く苦しい出来事が起き続けるはずです。

どれだけ、自分が正しくても
どれだけ、自分が規律を守って過ごしていても
大自然の法則には、全く無関係なわけです。

逆に、どれだけ自分が間違っていても
どれだけ、自分が過ちを犯しても
多くに感謝し、多くに尽くし、多くをゆるして過ごすだけで
未来は、明るいものとなるはずです。
たとえ刑務所で一生を終えたとしても
幸せになれるはずです。

なぜならば、目前に起きる現実の受け止め方が
大きく変わるからです。

快楽と幸せの違いを理解する体験をする事ができれば
今までと、価値観が大きく変わり
辛く苦しい出来事でさえ、笑って乗り越える事ができるでしょう。

いつまでも辛く苦しい日々が続くのは、言動を何一つ変えないだけ
という、とってもつまらない理由だったりするのかもしれません。




言動を変えるには、決意とパワーが必要で
簡単にできるモノではないのかもしれませんし
簡単にできるモノではないと
そんな自分の妄想の中から出られないだけなのかもしれません。

現に『やってみたら簡単だった!』という
現象も多くみられるわけで、意外に簡単な事だったりもします。

どんな人も、よほどの苦悩を経験しない限り
人は流され、快楽を求めて生きてゆくように創られているので
そう思い込んでしまうものでしょう。

『しんどい事は、できればしたくない』そんな思いが
楽な道~楽な道へと一歩一歩、歩んでしまい、結局その分苦しむわけです。
自分の人生に逃げ道などないのに
ひょっとしたらあるのではないか?と錯覚してしまうわけです。


多くに満たされる現代社会では
感謝する事を忘れてしまい
更なる快楽を求めて過ごしてしまいます。
それが正常な人のありかたなのでしょう。

そして、その更なる快楽が手に入らないがために
辛く苦しい現実があると、錯覚してしまうのです。

その錯覚は時には自らの心を崩壊させ
病に伏したり、自殺に追い込んだりもするわけです。

どんな人も、幻想や妄想、思い込みの中で
生きているのでしょう。

自分は、本当に真実をみているのか?と
自問すれば、すべての人は自己の妄想の中で過ごしているわけです。

誰しも自身の経験に基づいた、自身の判断基準の中から
出ることはできず、それが妄想だと言い切っても過言ではないと
私はそう思うわけです。

私自身も
『わかっているつもりだった!』
『できているつもりだった!』
『自分は変わったと思い込んでいた・・』
『できていると思い込んでいた・・』
と、そう思う事が多々あります。
これらは、必ず自身の体験に基づいて起きているので
言動を改善してゆく行為は、とても大切な事だと思っています。

『頭では解っているつもりだったのに・・』
と、思い至る現象です。

『あぁ~全く解っていなかったんだ・・』と・・
気づいた時、自分自身の甘さを痛感し
一つ一つを改善しているのですが
愚かな私は、毎年数え切れないほど、この出来事に直面します。

まぁ~それが、人生というものなんでしょうね。

自分を顧みず、自分の周りを否定批判し
自分以外を変えようとしていたころは
ただただ、辛く苦しいだけで
どうして自分はこんなに我慢しなければならないんだ!
くらいに思っていましたが
今思えば、自分の創り出した妄想から出ようとせず
自分の行動は何一つ変わっていなかったのです。



私は、朝起きてから寝るまでの日々の言動が
自分の目前の現実を創り出しているとそう思っています。
これも、私の思い込みで妄想なのでしょうが
私の場合、毎日が楽しく幸せな日々を過ごさせていただいているので
それはそれで問題ないと思い込んでいます。

また、私の場合
何か乗り越えられない壁に直面した時は
日々の過ごし方を振り返ってみます。

朝起きてから、寝るまでの過ごし方を事細かく振り返り
何を尽くせたか?どれだけ感謝していたか?
奉仕活動はできていたか?
利己的な思いで過ごしていなかったか?
思いだけではなく、どんな行動をしていたか?
慈愛の境地にどれだけ近づけたか?
毎日、流されて過ごしていないか?
と、そんな事を振り返ってみます。

壁にぶち当たった時は、ほぼ100%
何もできていないわけです。

出来ていない事を受け止める事ができずに
ちゃんとやっている!
みなと同じだ!何も間違っていない!
と、いくらそう思っても
壁は乗り越えられないわけなので
懺悔反省し、行動を改めるようにしています。


まぁ~これが私流の懺悔道なのです。

真似をする必要はありませんが
往々にして、楽な道を選んでいる以上
辛い現実が追いかけてくるだけなので
時に懺悔道を試してみるのもいいかも?しれませんw