読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分をよく見せたいと思う虚栄心が大切な真実を打ち消してゆく・・

生きるってややこしいなぁ~

プライドは時に必要な時もあるのですが
邪魔になる事の方が多いようにも感じます。

人間謙虚でいた方がしっかりと真実が見える・・
プライドや虚栄心が事実を歪めて記憶する事も多い・・
そんな気がしています。


例えば、目の前の相手に暴言を吐いて
その相手が怒り、殴られて怪我をしたとします。

暴力は犯罪なので、何をどう足掻いても
殴った本人が『悪』となります。

そして、殴られた本人は
『あぁ~ひどい目にあった・・なんだあいつは!』
と・・・そうなるでしょう。

自分の吐いた暴言は・・すでになくなっており
暴言を吐いた事実は、殴られたという事実に上塗りされて
自分の心に深く刻まれ記憶されてしまう。

殴られてまで、自分の暴言に反省するという
謙虚な心を抱く人など・・なかなかいないでしょうし
謙虚な人は、暴言など吐かないわけです。


また、車の運転中に自分の前方不注意で
横っ腹に車に突っ込まれる事故をしたとします。
ちゃんと前を見ていれば、そんな事故は起こさないはずなのに
たまたま、よそ見をしていて事故を起こしてしまった。
突っ込んだ相手は、何よそ見してるんだ!と怒る!
しかし、横っ腹に突っ込まれた事故なので
突っ込んだ方が悪いという事故処理になる。

そして
『あぁ~ひどい目にあった・・車ぶつけられちゃったよ・・』
と、そうなるでしょう。

自分の不注意という記憶は、車に突っ込まれたという事実で
打ち消され、自分の心に深く刻まれ記憶される。

周りの人たちは『災難だったね~』と慰めてくれて
そんな事の繰り返しが、自分のよそ見という不注意の事実を
完全に消してくれるのです。


こんな記憶の仕方を繰り返していれば
自分の人生は、嫌な出来事ばかりだと思ってしまう。
『どうしてこんなに嫌なことばかり起きるんだ!』
と、次第にそう思うようになるわけです。

自分が暴言を吐かなければ殴られる事はなかったし
自分がよそ見をしなければ、車に突っ込まれる事もなかったのに
そんな事実の記憶は自分自身が、すでに抹消しているので
自分を省みる事などできるわけもないのです。




この呪縛に囚われる人の多くは
他人に認められたいという願望が強かったり
ナルシストだったり
虚栄心が強かったりする人のように感じます。
正しさに執着して、ゆるす事の出来ない人も
自分自身の過ちをゆるせないので
このような事を繰り返してしまうでしょう。

常に自分は正しく、他人から良い人として
見られていないといけないので
自分自身の過ちは、あってはならない事で
記憶から抹消してしまうのです。
上書きする記憶は、事実の事が多いので
嘘ではないという自信が、真実の抹消に拍車をかけます。
ホントたち悪いですよね。

また、しっかりと自分の過ちとして認めざるを得ない
出来事に免疫がない為、そんな現実を突きつけられると
心を壊してしまう事もあるでしょうし
逆に、自分の偽りを真実に変えるた為に極端な行動に出る人もいます。

凶悪犯の犯人の動機が、そんな所にあったりもするでしょう。


かく言う、私自身もそんな呪縛にはまった一人で
そんな呪縛の中にいた頃は、体調も悪く、狂ってましたね~
極度の霊的障害に苦しんでもいました。
また、この霊的障害が自分を正当化するのにとても都合がいいんです!w
見えない人には・・わからない・・
感じない人には・・わからない・・と
こんな理由を容易くつくれましたからね~
また、嘘ではなく真実なので、理解できない人を悪人にする事で
自分自身を正当化する絶好の材料でした。
現実社会では、そんなモノ通用しないのに・・
霊障のおかげでどれだけの人に迷惑をかけてきたかなんて
考えようともしませんでしたね~
自分に憑依する霊体が、あくまでも『悪』であり
憑依される自分自身は、何も悪くないと
はじめからそう決めつけてしまうのです。

実際は、憑依される側に問題があるんですけどね~w

そんな物事の判断をしているので
自分の周りには常に悪人がたくさんいました。
そりゃ~そうなりますよ!
嫌な出来事からは、何かと理由をつけて常に逃げて
何一つ感謝する事もなく、何かに貢献するわけでもなく
何の努力もしないまま、自分自身を正当化しないと
いけないわけですから!

自分の周りには常に悪人が必要不可欠なのです。
暴言を吐いて、殴られれば
理不尽に殴った相手を悪として
暴言を吐いた自分の悪があってはならないのです。
だって、自分は正しくないといけないわけですからね~

いや~ほんと愚かでした~w


私の場合は、一日一善という善行で気付けたから
良かったんですが
多くの人が、その呪縛で苦しんでいる事でしょう。

一日一善なんて、だれしもやりたくないですからね~
だって、苦しいのは自分で、助けられるのは自分ですから
誰かの為になんて、思えるわけがないのです。
その善行でさえ、偽善でしかないから・・
体調が悪いから・・
そんな事して何になるの?・・とか
色々な理由をつけてやらない人が殆どでしょう。

何もしなければ現実が悪化して行くのが
この世のしくみですから
そんな人は、必死になって
もっと楽して良くなる方法を探すんです。
何かあるはずだ!・・と
殆どの場合、スピリチュアル的な出来事に
はまって行きますけどね~


真実を見ようとしないから
どうしたらいいのか解らないのは当たり前で
真実を見ないから自分は常に正しくて
正しい人が、苦しむのはおかしい!
きっと何か目に見えない原因があるんだ!
くらいに思ってしまうのです。

ようするに物事が旨くゆかない原因を
自分以外に探すわけです。


本当の原因は真実をしっかり受け止めていない
所にあるのですが
自分に都合の悪い記憶すら、抹消しているので
自分ひとりで気付く事は、なかなかできない。

自分の記憶の中では
自分の周に悪人だらけですからね~


第三者が教えてくれれば気づけるかもしれませんが
そんな人は、みんな孤独なんです。
自分と分かち合える親友などいませんし
いるとしたら傷を舐め合う同類でしょう。


今の所、この呪縛から抜け出す方法を私は
善行やボランティアくらいしか知りません。

やってみると解るのですが
誰かの為に何かをしようとする事で
自分の考え方が一方的だったと気付けるのです。
自分の善意を受け入れてもらうには
相手を理解しないといけませんし
相手を理解した時に、相手の価値観を共有できます。
相手の価値観を共有した時に
自分がとても狭い世界で生きていた事に気づけますし
至らない自分にも気づけるのです。

そうすれば、自分がどうすればいいのか
ちゃんと理解でき、行動に移せるものです。


ちなみに私の場合、一日一善を3年くらい続けて
やっと少し気付けたくらいでした。w

2~3ヶ月やってみたけど
何も変わらない・・っていう人が結構いるのですが
初めのうちは、偽善心満々なので
何も見えないんですよね~

世の中そんなに甘くないのです。w


やる気のある人はやってみてください。
先祖供養なんかより、よっぽど効果があると
私はそう思っています。