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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

感謝する思いが奉仕したいという心を産み出している

どんな人も、煩悩を植え付けられた状態で
オギャ~と生まれてくるのが人間という生き物だと
私はそう思っています。

誰しも、我がままで自分勝手な人格を背負って
生まれてくるわけです。

従って、自分勝手で我がままで
好き放題生きる事は、自然現象という事になり
何も間違った生き方というわけでもない。

ただ、そうやって生きて行くうちに
多くの経験を経て、多くを学び、他を思いやり
他に尽くす心を育んでゆくものなのでしょう。

誰しもが、そうやって生きているのが
我々が過ごす世界だと、そう思います。



私は長い間、感謝できない自分を情けなく思い
何事にも心から感謝できるような人になりたいとそう思い
一生懸命に修行を重ねてきました。

なぜ?自分は感謝できないのだろう?
なぜ?自分の感謝は上辺だけなのだろう?
心から感謝していれば、感謝を行動に移せるはずだ・・
なぜ?自分はそうできないのだろう?
そんな事に悩みふける毎日を過ごした事を記憶しています。


『世の為、人の為に尽くせ!』・・
そんなモノは所詮、きれい事に過ぎない!
自分の事もままならないのに
他人に尽くせるわけもないだろう!
そんな事出来るはずがない!・・と、そう思っていたのは
自分が多くに支えられて今を生きている事に
気づけず、”ありがとう”と感謝する
思いが欠如していなかったからでした。


『夢をもて!目標に向かえ!』・・
はぁ?バカじゃないの?
明日の飯が最優先だろ!
飯も食えないのに何が夢だ!
・・と、そう思っていたのは
大きな夢を達成した人の恩恵で
今の自分がある事に気づけなかったからでした。


『他人を思いやり、全てをゆるしなさい!』
なんでもゆるせば相手は、つけあがるだろ!
そんなの絶対におかしい!
と、そう思っていたのは
相手の立場になって、物事を捉える事ができず
何でも自分の思い通りにしたいという自分に
気づけなかったからでした。


私が、キレイ事だと思っていた事は
全て私自身の心の欠落が
そう思わせていたのだと知りました。


また・・
心深く感謝する事が出来れば
どんな人も幸せになれるのだと知りました。
他人の幸せを心から願えるだけで
どんな人も幸せになれるのだと知りました。






誰しも、自分一人では生きて行けない事を知るだけで
自然に感謝する心が芽生えてくるものです。
心から感謝する事が出来れば、無意識に奉仕活動をしたくなる・・
心から感謝していれば、どんな人も社会に貢献したくなるのが
人間と言う生き物なのでしょう。


逆に、他人に尽くしたいと思えないという事は
他人の支えがあって初めて自分が生きて行けると思っておらず
感謝する心がないという事になります。

感謝が行動に表せないのであれば
やはり、感謝などしておらず
感謝していると思い込んでいるだけに過ぎない。


そうなんです・・・
私の場合、他人の幸せや不幸など、かまってられないほど
自分の幸せ最優先だったので、何でも損得勘定で考えて行動していたから
感謝できなかったのです。

私は、自分が幸せにならなくては、他人を幸せに出来ないと
そう思い込んでいましたが、実際には全く逆で
他人の幸せを願えないから自分は幸せになれなかったわけです。




日本神道には
誰しも生きる意味を知る事で、奉仕の心が芽生えるという
という教えがありました。

毎日神棚に向かって唱える神棚拝詞という祝詞の最後の文面には
『世の為人の為に尽くさしめ給へと恐み恐みも白す。』
という言葉があります。

やはり、人生これが全てなんでしょうね。
世の為人の為になんか、尽くしたいと思えないから
偽善だろうが、そこに向かって行く事で
人生でかけがえのないものを手に入れる事ができる。
そんな行動をしなければ、いつまで経っても
生きる喜びを知らないまま、朽ち果ててしまう。


我々日本人のご先祖様は、生きる意味を知る事で
感謝する心が芽生え、どんな人も幸せになれる事を
知っていたのでしょうね。