修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

諸行無常の教え

私は、一日一善をしているだけで
どんな人も幸せになれるとそう思っています。

しかし、なかなか皆さんそれが出来ないわけです。
誰しも、楽をして幸せになりたいですからね~w

辛く苦しい現実を突きつけられている人こそ必要なのですが
そんな人に限って、それが出来ない・・

その理由は、辛く苦しい現実を突きつけられているという事は
自分の事ばかりで生きてきた結果なので
本質的に自分の事しか考えないという思いが強いわけです。

ようするに、辛く苦しい現実のある人に限って
誰かのため、何かの為などと思えないわけです。


今年の初めに・・一人だから出来ないのでは?
皆でやればいいのか?
と、そう思い立ち、色々と試したのですが結局ダメでした。
私のボランテイア活動が増えただけという結果・・w
まぁ~それはそれで、勉強になったので構わないのですが
問題は、解決していないわけです。
でも、問題解決に向かう事は楽しいかも?♪





私自身、とてもしんどい現実を突きつけられた
経験をしてきたのですが
どうやって乗り越えたか?と振り返ると
やはり、善行に尽きるのです。
徳を積み続ければ、どんな人も現実は好転します。

しかし先日、その他に何かないのか?と聞かれました。

私自身、激しく修行をしてきたので
それも、役に立ったのかも?しれません。
よくよく思い返せば、信州の大自然に
多くを学ばせて頂いたのは確かです。


そう言えば、毎日のように山で一人修行している頃
生きる上で大切な事を学んだ記憶があります。


密教を修行していた頃
諸行無常』という言葉を学びました。
この世は、常に変化している・・という事なのです。
当時の私は、その意味を全く理解していませんでしたが
日々山で修行している頃、なんとなく
その意味が解ってきたように感じた事があります。


昨日修行させて頂いた行場と
今日いる行場は、同じ場所なのですが
この世は諸行無常であれば、全く同じではないわけです。

よくよく観察すると、まわりにある草花も若干成長し
滝場の水の温度も違う・・

先日まで、雪があったのに
雨が降って全て溶けてしまい全くない・・

昨日と、今日では、私は一日歳をとっているわけですし
自分自身も変わっている。

同じ場所にいる同じ私ですが、常に変化しているのが
我々の住む、この世界なのです。

『だから何?』と、そう思うのは普通の反応ですよね。


でも、いつも同じと思っているのと
いつも変化している思っているのでは
自分が見ている世界が大きく違ってくのです。


毎日、行っている場所でも
『昨日の草花どれくらい成長したかな?』
と、ささやかな楽しみが生まれますし
色々な変化を観察するようになります。

そんな事を繰り返しているうちに
ハッと気づかされた、という体験をしました。

自己の快楽ばかりを求めて生活していた自分は
自分の快楽に繋がる出来事しか興味を示していなかったのです。
ようするに、自分に何らかのメリットが
あるものだけの世界の中でしか生きていなかったわけです。

小さな世界でしか生きていないので
何をどうすればいいのか?も見えてこないし
どうして自分はこんなにもしんどいんだ!と
自暴自棄になる・・・

ようするに『この世』という世界を
全く知らなかったからなのです。

この『観察する』という行為が
自分の創り上げたちっぽけな世界の殻を破り
自分の存在する世界を広げてくれました。

まさに、この世は、諸行無常だったのです!

例えば、自分に嫌な態度を取る人がいるとします。
そんな人に対しては、『あの人は嫌な人!』と
決めつけて終わっていました。
でも、この世は諸行無常なわけですから
その時は、嫌いでも時と共に嫌いじゃなくなるかもしれないのです。
現に、幾度となく、そんな体験をしてきました。

『あの人は私の話を聞かない人!』
そう思っていた相手も、私自身がその人に
自分の価値観を押し付けていたので
私の話だけを聞かなかっただけでした。
まずは、私が話を聞かなければならなかったのです。


以前、行った事のあるラーメン屋は、不味かった・・・
だからもう行かない!と、そう思っていたラーメン屋でも
自分が食べた塩ラーメンが不味かっただけで
みそラーメンは美味しいかもしれない・・
1年が過ぎて、味が変わったかもしれない・・
たまたま食べた時の自分の体調が悪かったかもしれない・・
色々と妄想するようになり
『決めつけない』という思考が生まれてきました。


普段の生活の中でも、『決めつけない』という思考が生まれるだけで
生きている世界がぐ~んと広がる事を学んだのです。

嫌いな人、気に入らない人に対しても
自分は何が気に入らないのか?
どこが気に入らないのか?と考えるようになったおかげで
自分の感情や本心に気づくようになりました。

その結果、至らない自分を知り
改善する為に努力するようになりました。


色々と観察する行為は
多くを理解する事となり、多くを知れば
この先、自分がどうすればいいのか?が見えてくるわけです。

また、相手を理解しようとする行為が
自分の至らない部分を気づかせてくれる事も知りました。


私は、ただ無知だっただけ・・
という事を学ばせて頂いたのです。


私の場合、この世は本当に素晴らしい!と
そう思えるようになるきっかけが
諸行無常』という教えだったと記憶しています。