修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

霊がいる家の対処方法

霊が家にいて困っている人も
多いのではないでしょうか?

『そんなの無視していればいい!』
なんて言う人もいるでしょうが
毎夜毎夜、霊に叩き起こされると
そうも言っていられないものです。

私自身、昔はそんな悩みを抱えていました。

霊能者に相談しお祓いをしてもらい
一時的には改善されても
またすぐに霊屋敷になってしまう。

土地が悪いと言われ引っ越し
大家さんの因縁だと言われ・・引っ越し
引っ越した方位が悪いと言われ引っ越し・・と
そんな事を繰り返し
最後は、私が背負う因縁のせいだと
八方塞になるようなお言葉を頂きましたね~w

先祖からの因縁=先祖から受け継いだ性格
とすれば、まぁ~その通りなのでしょうが
因縁と言われると、『私のせいではない』と
そう思ってしまい、霊的存在の追及が始まってしまう・・

私は『霊』と言う存在に対して
かなりの金額を使ってきました。
今となっては笑い話なのですが
海外旅行に何度もいける金額を使いましたね~
新車で高級車も買えたでしょう~
全くもって無駄なお金を使ったものだと
今では、そう思っています。w




私は、もう15年以上
霊の存在に悩まされる事はなく
心霊スポットで丑三つ時に瞑想できるほど成長させて頂きました。

霊的な存在に苦痛を与えられる原因は
私自身の中にあったと学んだのです。

土地や建物にもともと居る霊も
自分が原因なのか?と思うかもしれませんが
その場所に『縁』を作っているのが自分自身なのです。
従って、自分が変われば『縁』も変わるし
霊との関わり方も変わるわけです。

『霊=悪』としている以上
霊的苦痛はどんどん増えるばかりのはずです。


これは、私の場合ですが
『霊=悪』この考え方をやめる事でかなり改善しましたね。

神道には、六根清浄の大祓(勤業)という祝詞があります。
その中に
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり 
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり 
万物の霊と同体なるが故に 
為す所願いを成就せずといふことなし

という詞があります。


この祝詞には、穢れ(悪)は自らが生み出すものであり
自らの不平不満や否定批判がなければ、どんな人も穢れる事はなく
穢れなければ、全てが成就すると言ったような内容なのですが
神人合一であり、神も霊も同魂であると記しています。


夜中に叩き起こされたり
体調不良を起こされたりすれば
どうしても、霊は悪い存在と思ってしまいがちですが
私にとっての霊という存在は
『おい!お前!ちゃんとしないといかんぞ!』
というメッセージを届けている存在だったのです。

即ち、悪霊とされる存在は
『神の使者』という事になります。

まぁ~私の場合、そう捉えるようにしたのです。
さんざん色々やって何の解決にも
ならなかったので・・・


そして、霊と向き合うようにしました。
私を深夜に叩き起こした、この霊にいったい何があったのか?
自分に何ができるのか?
どんな思いなのか?などなど・・
そんな事を繰り返す事から始めたのです。

ある時、好き勝手言いたい放題で
かなりムカつく霊がいたのですが
その時、ハッっとしました。

『あっ!こいつ俺と同じだ!』

と、瞬間的にそう思ったのです。

その日の昼間、ムカつく出来事があり
好き勝手言いたい放題の自分の姿を思い出しました。

?ひょとして
自分の感情と同調しているのか?と
そう考えて、霊に色々される度に
自分を見つめるようになりました。

そして、言葉や行動にしなくても
心で思った感情だけで霊と同調している自分に気づいたのです。

即ち自分の言動や感情、思いなどがエネルギー化して
自分自身の血肉に刻まれ常に放出しており
そのエネルギーが様々な霊と同調している。
従って、いくら除霊した所で
自分が放つエネルギーが常に霊を呼び寄せていいるので
いつまで経っても霊に悩まされるわけです。

私は、霊感が極端に強い体質が原因で
霊に悩んできたわけではなかたのです。
ただ単に、現代社会で悪霊とされる存在と
同質のエネルギーを毎日放っていただけだったのです。

結論を言えば
ゆるす心の欠如
相手を理解しようとする心の欠如
感謝する心の欠如
他に尽くす心の欠如
が、私の霊的な現象の原因だったわけです。


霊と向き合う事で
自分の至らない所に沢山気づく事ができました。
そして!そのうち、この仕組みは
現実世界でも同じなのだと学びました。

嫌な相手、ムカつく相手は
至らない私自身に対してのメッセージを持って
目の前に現れていたのです。

まさしく!悪霊=神の使者であり
今では、悪霊と呼ばれる存在に心から感謝しています。

そして祝詞に記してある通りだった事を学び
祝詞を残してくださった我々日本人のご先祖様にも感謝です!




今の私は私のように霊能者に大金をつぎ込んで
何の解決にもならなかった、という相談を
たくさん受けるような立場になったのですが
たいだい同じパターンなので、参考までに記しておきます。


1位:悪をゆるせない人
悪人をとことん嫌う性格なのですが
その正しさも、あくまでも自分が基準だという事に気づけない。
他人のできない、やらない、をゆるせない。
自分の価値観でしか他人を見る事が出来ず他人の価値観を尊重できない。
従って、いつも何かにイライラしており、毎朝ダルい目覚めを繰り返している。
ようするに自分は良くて他人はいけないという判断をしている自分に
全く気付けていない人。

2位:楽な道を選択している自分を正当化している人
本心や本当の自分を隠して、自分でもそこを見ないふりをして
常に良い人、正しい人を演じている人
自分のついた嘘に感情移入し、それが真実だと思い込んでしまい
その嘘を指摘すると、逆切れして認めようとしない。
表面ばかりを繕って過ごしており、嫌な事と向き合えない。

3位:自分の不幸を、思いっきり誰か何かのせいにしている人
○○だから出来ない。○○だから仕方ない。と
出来ない、やらない、に理由付けをして、やれる方法、出来る方法を探しもしない。
○○でなければ良かった。○○してくれるって言ったのに・・と
出来ない、やらないを自分以外の責任にしてしまう人。
自分は、何も悪くない、自分は正しいと思い込み
他人を理解しようとせず、自分を省みようとしない人


霊に悩む人は、だいたいこんなパターンが多いですね。
この辺を、しっかりと受け止め自己改善に努めると
誰でも自然に霊的苦痛から解放されるはずです。

ちなみに私の場合、1~3位の全部が当てはまっていました!w

まぁ~誰しも自分本位で自分勝手なのが人間の証ですし
霊に苦しんでいるからと言って、悪人と言うわけでもなく
人よりちょっと足らないモノがあるくらいに思っていればいいでしょう。

それに、悪霊と呼ばれる、神々の使いである天使様のご指導という
特別授業を生きながらに受けられる訳ですから
まんざらな人生でもないと思います。




家に霊が沢山いて、困っているのであれば
霊を排除しようとするのではなく
まずは自らを変える事をおすすめします。
霊がたくさん居ようが
その関わりに問題がなければいいのですからね。

私のした事は、まず家に沢山いる霊の為に
毎日供養する事から始めました。
写経も数千枚しましたね~・・

はじめのうちは
『何でこんなことしなきゃならんのだ!』
と、そんな気持ちでしていたのですが
その作業は、そんな自分の気持ちと向き合う機会となり
霊の為と言いながら、自分の為にやっている事に気づかされました。
霊からすれば、ありがたい所かムカつく行為だったのです。w
そして普段の生活態度を振り返れば、誰かの為と言いながら
自分の為にしている事も沢山ありました。
自分のエゴを善意として押し付けられた相手は
かなわんだろうなぁ~何て思ったものです。

また、今住んでいる家は自分の住処であり
当たり前のように自分の許しがなければ
他の誰も住んではいけない場所としているのは正しい判断なのか?
この場所を使わせて頂いているという気持ちが必要なのでは?
そんな思いにふけることもあり
『そう言えば、死んだ婆ちゃんが
ここに住まわせて頂ける事に感謝しろって、よく言ってたっけ?』
と、何一つ感謝せず、当たり前に流されて過ごしている自分を
見つける機会にもなりました。
思えば、沢山の人がいるおかげで、自分があるのに
他人のムカつく所ばかりにしか、見ていなかったかも?と・・


表向き、家に居る霊を供養する為
本心は、普通に家で生活したいが為にしている日々の供養は
嫌々始めたにも関わらず、自分を成長させてくれたわけです。
気づけば、家に霊が居ようが居まいが気にならなくなっていました。

『供養とは、供に養う』・・うまく言ったものです。