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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

怒りの感情を抑える方法

どんな人も、怒りや憎しみの感情を抱くように
創られているのが人間と言う生き物でしょう。

しかし、その感情が生み出すエネルギーは
確実に自らの心身を蝕み、不幸な人生へと押し流して行きます。
どうしても、怒りの多い人には
理不尽な嫌な出来事が増えてしまうのが
大自然の法則だと私はそう思っています。


よく過ちは正さなければならない!
否定や批判をしなければ、進化発展はない!
などと耳にしますが
そこに怒りの感情があるか?ないか?で
その先の未来は大きく変わると思っています。
その正しさが、自分に都合の良いだけのものでは
いけないのでしょう~

怒りをあらわにして
否定批判ばかりする政治家が
朽ちて行く姿を見れば一目瞭然なのですが
なかなか自分の感情はコントロールできないものです。



自らの怒りの感情を抑えようと
無理にコントロールすれば、ストレスが溜り過ぎて
心身共に壊れてしまう。
自分自身の怒りの感情をなくす為には
何故自分は怒っているのか?
どうなったら怒らなかったのか?
を、知り理解する事が必要なのでしょう。


私は昔、よく自分が気に入らないと思う所を
ひとつひとつ箇条書きにして書き出してみました。

その書き出した内容の中に
必ず、自分と同じ一面があるので
そこを見つけ出して改善する事を
繰り返して行くのです。

例えば、車の運転中、信号無視をして
突っ込んでくる車と衝突しそうになり
その相手にクラクションを鳴らされて怒鳴られたとします。

信号無視をして突っ込んできたのは
相手の方なので、自分は何も悪くない。
あたかも自分が悪いかの如く
一方的に怒鳴られれば、誰だって気分が悪い。
怒りの感情が込み上げて腹が立つ!
こんな出来事があったとします。

自分が相手の何にムカついたかを書き出すと・・・

①信号無視をしている事に気づいていない
(自分が正しいと思い込んでいる。)
②状況を把握しないまま、相手が悪いと決めつけている
(目先の事だけを見て相手が悪いと決めつけている。)
③感情をあらわにして態度にだす。
(相手を思いやる前に自分を主張する。)

と、こんな感じでしょうか?

で、自分に当てはめて
①常に自分は正しいと思い込んでいないか?
自分は冷静に物事を判断できていると言い切れるか?
②何でも決め付けずに、まずは相手を理解しようとしているか?
(目先で起きる出来事に対して
何が原因で起きているかを考えているか?)
③自分の価値観や感情を相手に押し付けていないか?
(常日頃から相手の価値観や気持ちを汲み取るようにしているか?)

と、考えて
自分自身の常日頃の生活態度を振り返ってみます。

まぁ~だいたいムカつく相手と自分は同じなので
そこを改善するように努力するわけです。

また、徳の高い人はそんな出来事が起きても
『?自分は信号を見間違えたか?気をつけなけれは・・』
『事故にならなくて良かった。』
『あの人、事故を起こさなければいいけど・・』
など、自分を振り返るか、もしくは相手を心配するものです。

この違いが、自身の未来の大きな差となるのでしょうね。



私の場合は、怒りの感情が込み上げてくる度に
自らを振り返り、反省して改善する・・
これを繰り返す事で、かなり丸くなりました。
その繰り返しにより
自分都合でしか物事を見る事が出来ていなかった事を知り
そして、とても狭い世界で過ごしていた事を学びました。
そして怒りが込み上げて来るような
ゆるせない出来事は、自分がゆるす事を
学ぶために起きているのだと知りました。

自分自身を知れば知るほど、ゆるす事が増え続け
ゆるせない出来事があるという事は
自分で自分が見えていない証だと思うようになりました。


とは言え、自分の思考とは別に感情が込み上げてくるのも
人というものでしょう。

我々は、先祖の経験値が刻み込まれた血を
受け継いで生まれてくるので
ちょっとした事で、怒りをあらわにする経験や
深い憎しみを刻み込まれた血を受け継いでいれば
無意識に体が反応して怒ってしまうはずです。
自分の意志では、怒りたくなくても
肉体が勝手に反応してしまうのです。
怒り狂った後に、反省する・・
『また、やってしまった・・』と・・

自らの血に刻み込まれた経験値は
新たなる自分自身の経験値で上書きしなければ
いつまで経っても、その血に振り回されてしまうでしょう。

よく性格は変えられないと言いますが
私は、そんな事はないと思っています。

自分が嫌だと感じる事に進んで向かって行けば
自らの血に逆らった経験を繰り返す事になり
過去からの経験値は、上書きされ
血に振り回される事はなくなってゆく。
即ち、自分の性格は変えられるという事です。


怒りの感情にはメッセージ性があり
そのメッセージをキャッチできるように努力する事で
自らの至らない部分が見つけられます。
注意深く自分を観察すると
怒りの感情ですら、楽しめるアイテムになると
今ではそう思っています。


また、常日頃から怒ってばかりいると
その経験値は、自らの血肉に刻まれて行き
怒りのエネルギーを蓄積し続けてしまいます。

自分が、とてもリラックスしている状態でも
怒りのエネルギーを放っている状態になってしまうので
何処にいても、何をしていても
感じの悪い人になってしまうのです。
誰だって拒否拒絶したくなる相手に、心を開くのは難しいものなので
自分を理解してくれる人がいなくなって行きます。
即ち自らのエネルギーが、嫌な出来事を
引き起こし続けてしまうのです。

『縁』がつくる人間関係にも影響します。
往々にして、怒りの感情の多い人には
他人を理解しようとしない人
自分の価値観を押し付けてくる人
自分の思い通りにならないと気が済まない人
他人を察することの出来ない人
そんな人ばかりが、自分の周りに居る事になります。

自分と同じタイプの人ばかりが身近にいるので
自分の価値観を相手に押し付けようとする自分自身と
自分と違う価値観を押し付ける相手が身近にいる事になる。
なので、ムカつくし腹が立つ事が増えるのは当然なのですが
そんな仕組みを気づけないまま
周りに自分の正当性を訴えようとしてしまう。

そんな訴えを聞く方は、自分側の解釈という
片方からの視点でしか聞かないので納得する。
しかしながら、対する両方の視点で物事を判断する人との
縁がないので、なんだかんだと自分の正当性が受け入れられ
いつまで経っても、その呪縛から出られない。


怒りや憎しみの呪縛の中で過ごしていれば
誰だって、ゆるせない事ばかりの毎日となり
気に入らない事ばかりが起き続け
常日頃から無意識に否定批判してしまい
生きにくい世界だけを見る事になり
いつも不満ばかりで過ごす事になる。
いつしか、清々しく朝の目覚めを迎える
事が出来ない体になってしまう。



私は、自らが創り出したこの呪縛から解放されるには
並大抵の努力では、難しいと思っています。

なぜならば、すでに怒りや憎しみのエネルギーが
自らの血肉に刻まれ、放出し続けているからです。

どういう事かと申しますと
自分の放つエネルギーが縁を生み出すので
常日頃から感謝し、他人を思いやり、他人に尽くしている人と
何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人では
出会う人、起きる出来事が根本的に違うのです。


例えば、道端に落ちている財布を見つけて
交番に届けたとします。

徳の高い人が交番に届けた場合は、落とし主から感謝され
謝礼がもらえたりするのですが
不徳の多い人が交番に届けた場合は
落とし主からお金が足らないと疑われたり
盗んだ犯人扱いされたりするわけです。

不徳の多い人からすれば『ふざけるな!』と
思ってしまう出来事なのですが
大自然の法則からすれば、当然の出来事なのです。

タバコに火をつける行為に例えるなら
買ったばかりのタバコに火をつけるのと
水浸しの煙草に火をつけるくらい違うわけです。
どうやっても火が付かないのは当然なのです。

なぜならば、自らの肉体から、そんな出来事を引き起こす
エネルギーを放出し続けているからです。


従って、この怒りの感情を無くすには
目前に起きるどんな出来事も、自らの不徳が生み出した結果だと
受け止める必要があるのです。

正に『私の不徳の致す所です。』と言う事なのです。
昔の人は、この仕組みをよく理解していたのでしょうね~


また、いくら頭で解っていても、血肉に刻まれた経験値が
とっさに反応して、ブチ切れてしまう事もあるかもしれません。
そして、そのブチ切れした経験値は、しっかりと
自らの血肉に刻まれ続けるわけです。

それでも、諦めずに自己改善をし続けるしかないでしょう。
不徳が多ければ、とても長く辛い道のりになるはずです。
逆を言えば、辛くて苦しい道のりが続いているのであれば
それだけ、不徳が多いという事になります。

その辛さは、無意識に自分が他人に振りまいてきたモノだと
知る必要があるのですが、なかなかそうは思えないでしょう~
だって、自分は常に正しいと思っているのだから・・
しかし、自分が放ったモノだから
自分に返ってきているだけに過ぎないのです。


この呪縛から逃れるためには、怒りや憎しみとは
真逆のエネルギーが必要になります。
感謝する、される。
尽くす、尽くされる。
愛する、愛される。
といったエネルギーを自分が生み出すか
他人から向けてもらうか・・です。

私は、自分で自分を見つめ感じ取りながら
エネルギー改善に努めました。
その為に一日一善という善行を繰り返しましたし
長年色々とボランティア活動をしています。
ハッキリ言って、偽善行為です。
もちろん多くの方々の幸せを願っていますが
活動の本質は、私自身の為にしている事なのです。
しかしながら、偽善でも感謝されるものです。
偽善行為に心から感謝されると心が痛いですけどね。

で、自分を見つめる行為と善行やボランティアとを合わせて
かれこれ15年以上経ちますが
やっと最近、目前の現実の流れが変わってきた事を実感しています。

ちょっと何かに気づいたくらいでは
自分の過去からの経験値は消えないわけで
どうしても、不徳は徳で返さなければならいのが
大自然の法則だと、私はそう思っております。

借金をして破産申告すれば
借金が無かった事になるのが日本の法律ですが
これは、あくまでも人間ルールの上での事で
自然の法則上では、借金はなくなっていないのです。
借金をしたまま放置していれば
不徳となって、自分の人生の足枷になるのが
大自然の仕組みでしょう。


私の場合、生きながらにして不徳を積み続けていた事を知ったので
その不徳を返さねば、とそう思い
徳を積み続けられる人間になろう!と努力しておりますが
いつしか、自分の不徳は一生かかっても返せない?と思うようになりました。
まぁ~死ぬまで懺悔して生きて行こう!とそう心に決めたのです。

自らが快楽を求めるのであれば
たくさんの不徳を積んでしまえば、簡単には手に入らないでしょう。
しかし、幸せを掴みたいのであれば
徳・不徳は関係なく手に入れる事ができると知りました。

他人から見て、とても辛そうな人生でも
自分が、今幸せだと思う事ができれば幸せですし
目前の現実に心から感謝できれば、誰でもすぐに幸せになれるはずです。
また、他人の幸せを心から願う事ができるだけで
幸せになれるのが、この世の仕組みだと私はそう思っています。

これだけ豊かな社会があれば
なかなか理解できない事なのかもしれませんが
我々が過ごす、この世の中は初めから
壮大で素晴らしいものなのだと、私はそう感じています。