修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

霊的存在から学んだ事 その3

その1
その2
の体験から、霊的存在は自分の心の成長に伴って
見え方感じ方が変わる事が解るようになりました。

どんな現実も自分次第という事でしょう~


そうなると、見えるモノ、聞こえるモノの判断をどうすれば良いのか?
という悩みを抱えるようになります。w
霊感が無くなるわけではありませんしね~


当時の私が選択した行動は、『無視』です。w
とても安易な選択で、見えるモノ語り掛けるモノを
悉く無視すればそのうちなくなるだろう~
くらいに思ったわけです。

基本的に自分本位な考え方が染み付いているので
過去に霊感を無くそうと努力してきた事などすっかり忘れ
そこそこ学んだので、無くなるはずだ!と
決め付けた選択です。w


まぁ~結果的になくならなかったのですけどね。w


で、無くならないと言う
半ば諦めに近い判断をするのが嫌だったのでw
まだまだ、この感覚から学ぶべきものがあるのだ!と
そう受け止めるようにしました。


で、私が取った行動は、基準を作る事です。
所詮は思い込みの世界でも、一つの基準を作れば
私自身の世界の中では、何か見つかるのでは?
と、そう思ったわけです。


人が嘘をつくように、霊も嘘をつくわけで
まして実態のない霊体は、思い込みやすく
騙される事も多くあります。
キラキラを輝きながらいきなり神を名乗り
言われたと通りにしたら大金が入ってくれば
普通は、それを神だと思うでしょう~

人間でも美味しい話を持ち掛けて
そこそこ稼がせてから大金を奪う詐欺師がいるように
霊的存在も同じ事があるわけです。


霊自体を霊視して、霊に憑く霊→霊に憑く霊の霊視
なんて事もしてみました。
その行為を極める為に激しく修行までしましたね~w
(↑愚かな行為でした^^;)

で、結局、見える姿、聞こえる言葉は
まず、嘘であると疑うようにしました。w



次に、自分のエネルギーを含んた状態でしか
物事を感じられない世界にいるのに
自分が毎日同じではない状態で
物事を的確に判断できるはずがない
と、そう思ったわけです。

同じものを食べても
今日はいつもより甘く感じる・・って事や
別にイヤミっぽく言われてないのに
そう聞こえたり・・
なんて事があるように
霊的存在に対して見えるモノ
聞こえるモノも同じ事があるはずだと
そう思ったわけです。



それで、滝修行で自然と一体になる感覚を基準にしました。
まぁ~それすら自分の思い込みなんですが
何もしないよりいいだろう~という判断です。
見える姿、聞こえる言葉ではなく
霊体から感じるエネルギーをそれと比較する事を繰り返して
自分の中でデータベースを積み上げて行きました。


私の場合、修行は習慣でしたし
自分を見つめる為の修行だったので
週に1~2回滝に打たれながらそんな事を繰り返しました。

霊体だけではなく、人が放つエネルギーについても
情報収集を繰り返して行きました。

霊が見せる姿や言葉ではなく
霊体そのもののエネルギーを感じ取る方法です。


人が持つ経験値に伴うエネルギーを感じる事で
どんな経験をしてきたのか?もわかりますし
そのエネルギー自体が、この先どんな現実を引き起こすのか?
という縁が解るようになります。

それが解ったからと言って何になるの?
なんて、そんな事を思っていたりもしたのですが
ある程度、情報が集まると
ある、一つの法則に気づいたのです。


自分自身が成長する事に伴い
自分の目前に現れる存在も同時に移り変わるのです。


自分が生み出すエネルギーが変わる事で
当然、物事の見え方や感じ方も変わるのですが
それに伴い、目前に現れる存在自体も変わります。

目前に現れる存在だけが変わるのではなく
起きる出来事も変わります。

今まで出来なかった事が出来るようになったり
今まで結果が出なかった事で
同じ事をして結果が出たりもします。


解りやすく?言えば
自分自身の未来を創る『縁』が変わるのです。


昔からブログにくどくど
『自分が変われば現実が変わる』と記してきたのは
この法則を学んだからです。


至らぬ己を探していると
肉体的精神的痛みや苦痛などで
霊的存在が常々教えてくれている事がわかります。


誰しも、そんな世界に存在しているのですが
たまたま霊感が強いと見えてしまう・・
ただ、それだけの事なんでしょうね~

霊が見えたから・・
守護神、守護霊が見えたから
その言葉が聞こえたから・・と言って
それが、何か特別な事ではない事が解ります。

また、その世界に囚われていると
目前の現実がどんどん悪化している事に
気付けなくなる事も理解できます。









どんな人も強いエネルギーを放ちながら存在しています。
言葉を交わさなくても自分は周りに影響を与えているわけです。

何もしていないのに他人から責められらりするのは
他人から責められるようなエネルギーを放っているからであり
自分の過去からの言動に起因していいます。

他人に迷惑などかけた事がないのに・・
どうして、こんな嫌な事が起きるのか?
目に見えない何かが原因なのでは?
と、思ってしまう人も沢山いるでしょう。

確かに目に見えない存在が影響しているわけですが
悪霊や因縁のせいではなく
自分の過去の言動が創り上げたエネルギーが原因なわけです。


ただ居るだけで、拒絶されてしまう人は
そんなエネルギーを放っているわけです。
まぁ~自分の身体にウ〇コでもつけていると思って頂ければいいでしょう。

ウ〇コ臭い人には、近寄ってほしくないですからね~
いくらイジメは良くないと言われても
寄るな!触るな!近寄るな!と、言いたくなってしまうわけです。


なので、目前の現実を好転させる為には
自分自身が変わるしかない・・
自分の過去は変えられないので
過去の不徳を、徳で相殺しなければ
自らの生み出すエネルギーは変わらない
自分が放つエネルギーが変わらなければ
現実はかわらないわけです。



自分が常に正しいという位置づけにいる以上
成長などないわけで、常に至らぬ己を探し続ける
必要があるというように思いました。

自分が常に正しいと言う事は
嫌な出来事は、全て相手が悪いわけであり
様々な価値観が混ざり合っている現代社会で
そんな判断が、まかり通るわけもないですしね~

まぁ~そんな事も解らず
幼稚な思考のまま、自己主張し続けた自分を振り返り
愚かな自分に笑えて来ましたね~www
同時に、そんな自分勝手な人たちが
可愛く感じたりもしました。

そして、至らない自分に気づけると
ゆるす出来事が増える事を学びました。

その先の人生は、至らぬ己探しとなります。
気付けば、己がしでかした過ちの多さに
絶望を感じたりしました・・^^;)


で、このブログのタイトルのように
自らの人生は、懺悔で終えるしかない!
そうしなければ、自らの不徳が子々孫々と受け継がれてしまう・・
そうしなければ、私が存在しているだけで多くに迷惑をかけてしまう・・
そう思い、嫌だと思いながらも徳を積む方向に向かったのですが
結果として、徳を積む人生でしか
幸せになれない事も学びました。

なかなか、言葉や文章では伝わらない事ですが
常に求めていると、自分に都合の良い世界しか
理解しようとしなくなるので、なんだかんだと生きにくく感じたりする。

簡単に言えば、他人の為に、多くを学ぼうとすれば
多くを理解する事に繋がり、多くを知る事で
今過ごしている世界が、膨大な広さだと感じる事が出来る。
膨大に広い世界で過ごしている事を知ると
可能性が無限にある事を学ぶ事知る事につながるわけです。


また、自分の存在は常に周りに影響を与えている事に気づけないから
自分本位になってしまう。
誰にも迷惑をかけない人など存在していないのに
自分一人で何でもできると勘違いしてしまう・・
なので、自分自身が今あるのは、周りの存在のおかげだと言う事に
気付く必要があります。
『貴方には関係ない!』などと言いたくなる時もありますが
自分が生み出すエネルギーがどれだけ周りに影響を与えているかを知ると
関係のない人など存在していない事も理解できます。



霊的存在から学ばせて頂いた事はまだまだたくさんあります。

〇愛も慈悲も知らないのが人であり
それを学ぶのが人生である

〇感謝できるとそれだけで幸せになれる
深く感謝する為には、己の未熟さを知る必要がある

〇他人の幸せを心から祈り願えるだけで幸せになれる
その為には、多くを深く理解する必要がある

〇与えなければ、何一つ手に入らない

〇徳を積み続けるだけで
隠された自分の才能が芽生えてくる

〇言葉だけで価値観は変わらない
どうしても体験経験が必要である

などなど・・


書き出したらきりがないほど
色々と学ばせて頂きました。

ひとそれぞれ、いろんな現実があり
どんな現実からも色々と学べるはずです。
問題は、目前の現実をどう受け止めて
どう判断するか?なのでしょう~ね~


また、気が向いたらこの続きを記したいと思います。



ではでは・・




霊的存在から学んだ事 その1 - 修行バカの懺悔道
霊的存在から学んだ事、その2 - 修行バカの懺悔道
霊的存在から学んだ事 その3 - 修行バカの懺悔道
霊的存在から学んだ事 その4 - 修行バカの懺悔道
霊的存在から学んだ事 その5 - 修行バカの懺悔道