修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

正しさに拘るのは、愛がない証である

善悪の判断がなければ
社会の秩序は保てない・・・
確かにそうなんでしょうが
善悪に拘ると人の心は壊れて行くのもです。


精神を病む人の殆どが
善悪の呪縛に心を蝕まれているように感じています。


あれはいけない!
これもダメ!
と、ダメダメ攻撃の今の社会により
多くの人の心が崩壊しているわけですが
何でもOK!にしてしまうと
今度は、社会が崩壊してしまう。

まぁ~ゆるす心が欠如して
どこかに悪を生み出さないと
いられない人が増えているので
今の社会となったんでしょう~ね。

これも時代の流れなんでしょう~
そして、それが人の進化なのかも?しれません。








どんな人も正しい事に拘ると
無意識に悪を生み出してしまいます。
悪を生み出せば、生み出すほど
そのエネルギーに自らは蝕まれてしまい
病気や怪我、自己、などなど
辛い出来事が頻繁に起きるようになる。
自分が生み出した悪に蝕まれてしまうわけです。



とは言え、悪を放置しても
自らが迫害される事になる・・・
と、そう考えるのが普通なんですが
でも、実際は
悪とするのは、自分自身の意思であり
迫害された現実も、排除したい出来事も
自己の過去からの言動が原因だったりします。


善も悪も存在しない世界で
いくら善悪に拘ってもどうしようもないわけです。




争いのない世界が本当に良い世界なのか?
争う事で、多くを学んだ経験は誰にでもあるのでは?
自分本位で身勝手に過ごす事を体験し周りから批判され
分かち合い、助け合う事の大切さを理解できるのでは?
心に傷を負う事で強い精神が培われるのでは?

苦悩を拒絶し、快楽を満たす事を求める社会では
成長のない弱い人類を創り出してしまう事となり
ちょっとした出来事で、多くの人が心身を壊してしまうのは
仕方のない事なんでしょう。


そもそも、私たちが慈愛の精神を育むように
この世は創られているので
初めからそれを目指して入れば事足りるのですが
そんな教育ではなく
真逆の教育しか受けていない私たちは
そんな簡単な事にも気づけないわけです。






例えば、不倫をした人を責めるのも
『愛』というモノを知らないからだと
私はそう思っています。


不倫にも色々あると思うのですが
夫が不倫をして離婚となったら
妻と子供が可哀そうだと言うのが
一般的な解釈でしょう。
よく浮気はゆるせないから離婚する・・
と言う人もいますが
そんなの、ただの独占欲なんですよね~
裏切られるだけの事をしている事に
全く気づけないわけです。
煩悩を阻害され、そしてゆるせない・・
=愛がないわけです。
社会のルール上、浮気した夫が悪ですが
自然の法則上は、ゆるせない=悪なので
そんな人は何度も人に裏切られたりします。
どんな社会も自然界に存在しているので
大自然の法則には逆らえないわけです。w

そもそも本当に夫を愛していれば
夫の幸せを心から願っているので
夫が違う女性に心を奪われたなら
自らの愛情不足だったと省みるはずです。

本当に愛していれば
相手の幸せを常に心から願うものですが
愛ではなくルールを優先するので
妻と子どもが可哀そうだと思ってしまう・・
それは愛情ではなく愛欲であり
相手を求める煩悩がそうさせだけで
そこには、夫を思う気持ちなどないわけです。

自分の欲望の為に
夫の人生を犠牲にしていると思えば
誰しも嫌なはずですが
ルールを破る=悪とする思考が
その部分を見えなくしてしまうわけです。








また、正しい事に拘り過ぎて
負のエネルギーを生み出している事に
全く気づけなくなる事もあります。


私自身、色々なボランティアに参加した経験があるのですが
『自分は良い事をしている』と、そう思いたいが為に
活動をしている人も多くいます。
それでも、実際に助かり人がいれば
それで、いいとは思うのですが
普段の生活の中で、それを続けると
結構、悲惨な目にあったりするので、注意した方がいいでしょう。


誰しも自分が嫌だと思っている事を
それを正しい事そしてされると困ってしまいます。
私自身も一方的な善意を向けられるとうんざりします。w
まぁ~私の場合は、ストレートに言葉にして伝えるので問題ないのですが
他人を傷つける事に恐怖を感じる人であれば最悪な事態になります。

自分がしてほしくない事をされると誰しも嫌ですよね。
そのされて嫌な事を、良かれと思ってしている相手には
なかなか嫌だと言えないものです。
相手を傷つけてしまいますからね~

とは言え、その旨を伝えずに我慢していると
何度も同じ事を繰り返される事になり
うざくてうざくて仕方なくなり
ストレスが溜り続けてしまいます。
もう限界だ!となった時、爆発するでしょう。

爆発された側は、???何の事だか全くわかりません。
なんでこんなにひどい事を言われるのか?されるのか?
全くわからないので、相手の事を酷い人間だと思ってしまう・・
だって、本人からすれば何も悪い事をしていないし
逆に良い事をしていると思っているわけですからね~
酷く傷つき心を壊してしまう人もいるでしょう。


なぜ?こんな事が起きるのかと申しますと
自分の善意を押し付けているからです。

要するに、相手を全く理解しようとせず
愛情だと決めつけた、強烈なエゴをぶつけているわけです。
善意を受け取る側の気持ちを考えなければ
それは、ただのエゴとなり、身勝手な行動と言えるでしょう。

身勝手な行動を取り続ければ
苦悩に直面するのが自然の法則です。

しかし、良い事、正しい事という思考が
その事実を打ち消して見えなくしまうのです。

相手を傷つけまいとする側も
傷つけたくないというエゴがあるので苦しくなるのですが
壊れた側も、その事に気づけない・・・
だって、人を傷つける事は悪い事だから・・・
これも、一方通行な善意が生み出すエゴに他ならないわけです。

ハッキリ言って、嫌がらせをされるより質が悪いんです。
なので、平気で嫌がらせをする人たちより
正しさの呪縛にハマった人の方が
心を壊す確率が高いですね~








大自然の法則は、私たちに慈愛の精神を
学ばせようとするので

求めている相手に裏切られる・・・
とは⇒相手の幸せを願う心など微塵もない

一度、手に入れたものが失われて辛い・・
とは⇒与えようとする心の欠如

という解釈をし、何度も似たような出来事を引き起こします。



ようするに常に愛を学ばせて頂いているのですが
愛を知らないから傷ついてしまう・・・・

ただ、私たちの心は傷つく事で強くなります。
鉄は熱いうちに打てば、強靭な鋼になり
木も枝を掃えば、よく育つ
人は、鉄でも木でもないと言われそうですが
苦悩と言う痛みがなければ
人の心は幼いままだと私はそう思っています。

どんな人も多くの苦悩を乗り越えてでしか
強く生きる事は出来ない事を
本当は誰でも解っているのに
無意識に苦悩を排除しようとしてしまうわけです。

しかし、残念ながら目前の苦悩をただ排除すれば
また、新たな苦悩が出現するのが自然の法則です。
なぜならば、苦悩無くして我々は成長できないからです。







大自然は常々
私たちに慈愛の心を育ませる出来事を
引き起こしているので
慈愛が足らない人は、どうしても
騙されたり、裏切られたり、傷つけられたり
する事が多いはずです。

正しさに拘れば拘るほど
真実が見えなくなってしまうので
ゆるす心が足らない事や
善悪など存在しない事を教える為
理不尽な辛い出来事が増えるわけです。




私は、通り魔に愛娘が殺されても
通り魔をゆるす事が出来ます。
え!そんな!とか言われますがw

自分の言動が目前の現実を引き起こしているのを
よく知っているからです。

誰でも、この仕組みの多くを体験してしまえば
私と同じ事を思うと思います。


目前にある辛い出来事は
自分自身の過去からの言動が原因で起きる
即ち自分が変われば未来の現実が変わると言う事です。


従って、嫌な出来事、辛い出来事は
自分自身に慈愛の心が足らない証だと理解し
良い事、正しい事など捨てておき、そこに目を向けた方が
物事がスムーズに進むと私はそう思っております。

要するに、どれだけ周りを想う事ができるか?
即ち、どれだけ周りを理解する事ができるか?
に尽きるんでしょう~ね。
正しさに拘ると、真実が見えなくなるので要注意です。



簡単にできる事じゃないですけど
簡単に出来ないから人生を楽しむ事ができるのかも?しれません。^^)