修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

解っているのにどうしても出来ない・・そんな自分を変える方法

長年、相談ボランティアなどをやっていると
『ダメだと解っているのにどうしても出来ないんです!』と
ちょくちょくそんな言葉を頂きます。

まぁ~人間なんてそんなモノだと思います。w


とは言え、至らぬ己を知りながら改善できず
それが原因で嫌な出来事が続いていれば
自分を変えなきゃ!と焦る気持ちも理解できます。

私もそんな一人でしたしね~


と、言う事で
私自身が自分を改善させるために
やってきた事を記してみたいと思います。




まず、自分で自分を変えられない理由の
一番は、経験不足だと思います。

誰しも自分は思考で考えて
行動に移していると思っているでしょうが
実際には、それだけではなく
血肉に刻まれた経験値の影響を
強く受けているわけです。

なので、いくら言葉や文章で
知識を得ても
実際にそれに基づいた経験がなければ
自分を変える事は出来ない。

また、どんな人も煩悩を刻まれており
無意識に自身の快楽を求めてしまう。
そして、この世は快楽だけを求めた言動に対して
苦悩というダメ出しをしてくる・・

なぜ?そんな仕組みがあるかと言えば
苦悩の中で、慈愛の心を育ませる為だと
私はそう思っています。

ゆるす心を育む為には
『ゆるす』事を知る必要があり
ゆるせない出来事が必要不可欠だと言う事です。

ようするに慈愛の心を育む為には
どうしても利己的な思考が必要不可欠なので
私たちは、快楽を求めるように創られて
生まれてくるのでしょう。

ちなみに、なぜ?慈愛の心を育む必要があるのか?は
全くわかりません。w
ですが、そのエネルギーが
世界の循環に大きな影響を与えているように感じてます。



話しが若干それましたが^^;)
自分を変えられないのは
利己的な思考が経験値の幅を狭めており
物事を見極める視野を狭めているからでしょう。


ならば、利他的な言動をし
経験値として自らの血肉に
刻み続けて行けば良いわけです。


私が、偽善で構わないので
ボランティア活動を推奨しているのは
その経験値が、自らを大きく変えて行く事を
体験したからです。

とは言え、言動の動機に基づいて
目前の現実が創られるので
苦悩から解放されたいと思いながら善行を積むのと
自分を見つめ自分を知る為に善行を積むのとでは
結果が大きく変わってきます。

1年間一日一善をしてきましたが何も変わりません・・
という人もいれば
たった3日、ゴミ拾いをしただけですが
人生観が大きく変わりました!
と言う人もいます。


この差は、善行を始めるまでの
徳の量と善行を行う動機によって
違ってくるのだとそう思っています。

先日も記しましたが
欲深く生きてしまうと
真実が全く見えなくなりますしね~

個人的には、誰かの為
何かの為にお金や労力、時間を
使い続けてみるといいと思います。

Z*Z*の社長のように
名誉欲でお金を使っても
ろくなことがないのですが
それはそれで、自分を成長させる為に
必要な事だと思えば良いでしょう。


私自身も善行の中で大きく学び
善行がなければ今の自分はいないと
そう思っています。

ボランティア活動から学んだ事 - 修行バカの懺悔道

↑興味のある方はご覧ください。




このボランティア活動は
自分を知る為にとても良い経験が出来ます。

私は、瞑想など色々な
内観の修行をかなりやってきましたが
ボランティア精神がなければ
内観などできないと思っています。



その理由は、『縁』という仕組みが
この世にはあり
自分を成長させるために必要な
出会いしかなく
誰しも人間関係の中でしか
自らの心を成長できないという
大自然の法則があるからです。


従って、自分に必要不可欠な相手しか出会わず
その人の為になる事をしようとすれば
当然その相手を知る必要があります。


まず、自分にとって何の得にもならない相手を
知る事で、自分自身の視野が広くなります。
誰しも無意識に快楽を満たされるか否か?という
損得勘定の中で行動していますしね~
自分に利のない行動をする事で視野が広くなるわけです。

そして、自分の視野が広くなれば
当然、今まで以上に自分を知る事が出来る訳です。

私の場合、自分の視野が狭いまま
いくら激しく内観の修行をした所で
何の成長もない事を教えられましたね~

なので、『相手を理解する』
と言う行為を繰り返して行けば
誰しも自分の至らない所に気づく事が出来る
と言う事になります。


これは、体験しなければ気づけない事だとも思います。
誰しも煩悩に忠実に過ごしている為
自分に何のメリットもない事をしようとしない。
即ち、本当の自分を知らないまま過ごす事になり
嫌な出来事、辛い出来事が起きる仕組みが理解できず
誰か何かのせいにしてしまう・・・
そして、そこに怒りや憎しみの感情が生まれ
そのエネルギーが更に自分自身を蝕んで行く。

なので、私はボランティア!ボランティア!
と何度も言い続けているのです。w




自分の視野が狭く、ちっぽけな世界で生きている・・
と、そんな事を言われても
自分の視野が広がった経験がなければ
理解できないのも当然でしょう。


いくら内観の瞑想を繰り返した所で
大自然との一体感を経験しなければ
得るものは少ないのですが
大自然との一体感を経験する為には
今私たちが過ごす、この世界が
本当に素晴らしいものなのだと言う事を
理解しなければ、できない経験だとも思います。



例えば、前回行った飲食店の椅子の色を覚えていますか?
スタッフはどんな衣服を着ていたか覚えていますか?
レジ周りに何が置いてあったか?覚えていますか?
殆どの人が記憶にないと思います。
記憶にあるのは、美味しかった、不味かった
スタッフの対応が良かった悪かった・・
など、自分にとって利があるか?否か?の
事柄だけでしょう。


しかし、知人に飲食店の経営者がいて
その人の為に何かできる事はないか?と
常々考えていれば、自分が入った飲食店を
観察して、多くの情報を得ようとします。

多くの人の役に立ちたいと思えば思うほど
自分が得ようとする情報は多くなり
自分の視野が広がるわけです。

その人の事を知らなければ
何一つ与える事なんてできませんからね。

そして、この過程で、たくさんの至らない自分に気づけるのです。

実際に行動して、誰かの役に立つ経験をする解るのですが
毎日が楽しくなり、健康になります。
また、自分の隠れた才能が芽生える事もあります。
要するに、今まで出来なかった事が出来るようになるのです。


この行動を阻害する思考は『我欲』です。
強欲であればあるほど、出来ない事だと思います。
強欲であればあるほど、自分都合で物事を解釈するので
善行をやらなくていい理由を探しまくるでしょう。w
強欲であればあるほど、視野が狭くなっている事にも
なかなか気づけませんしね。

そもそも、自分を成長・改善させる為には
まず、自分を知る必要が必要不可欠なのですが
自分を知る為に存在する他人に興味がなければ
いつまで経っても、心が幼稚ななのは仕方ないのです。



なんかよく分からんな~
なんて、思ってしまうでしょうが
これも、経験しないと解らないんですよね~^^;)
特に快楽を求めている以上
なかなか経験できない事ですし・・
しかも、多くの人は快楽=幸せなんで・・
まぁ~だからこそ、苦悩に直面するのですが
なかなか難しい所です。





自分を成長改善させるためには

①煩悩に逆らった経験を繰り返す事
②世の為人の為に尽くす事

この二つが、必要不可欠だと思います。

感情や思考は、自身の経験値が創り出しているので
あらたな経験体験をしなければ、何も変わらない。
また、自身の煩悩が真の自分の姿を隠しているので
煩悩に従って過ごしている以上、自分を成長させられない。

しかし、①②の行為がこの二つの問題を
解決してくれるわけです。

そして、自分の徳の量によって
現実が移り変わるスピードが変わります。
ただ、自分の至らなさに気づけば
それだけで、自己のエネルギーが変わるので
多少なりとも現実がかわると思います。


また、どんな人も、煩悩を植え付けられて生まれてくるので
始めは、偽善でしか善行を行えないはずです。
偽善を自負した行為を繰り返す事で
はじめて、善行が出来るようになり徳が積めます。
間違っても自分が良い事をしていると己惚れない事です。
自分がしている事は偽善であり、善意の押し付けだと理解しましょう。
それでも、感謝してくれる人はいるので
それを繰り返していると、感謝のエネルギーが
自分自身を変えてくれます。


自分の価値観がかわり、目前の現実が変わってきたと
実感できるまでになる為には
他人に感謝される経験を何度も繰り返す必要があるのです。



すなわち!どうしても自分を改善できない人は
ただ単に自分に『徳』がないからなのです。w

私もまだまだ乗り越えられない血がいっぱいあるので
人の事は言えないんですけどね~w