修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人間関係がうまくいかない理由

人間関係で悩んでいる方の相談が
重なったので
私の考え方を記してみたいと思います。


私自身、顧問をしている会社がいくつもあり
社内での人間関係のこじれなどにも良く対応します。
殆どの場合が、解決するのですが
解決できない場合は、当事者のどちらかが
痛い思いをするという経験が必要な時です。
つまり、事実と向き合う事を避け続けるという
選択をすれば、更なる苦悩が待っているというわけです。
どんな人も苦悩の中でしか成長できませんからね~
不徳が多いのに、その量に見合う苦悩が無い場合は
徳を積むしかないのですが、徳を積む気がなければ
更なる苦悩で、学ぶしかないのが自然の法則と言う事です。





で、人間関係がうまく行かない原因の
殆どが、「想いやり不足からくる理解不足」
だと思ってまいます。
これに尽きますね~
自分の見ている現実が全てだと
勘違いしてしたまま
自分の視野の狭さに気づけない・・

相手を周りを理解する心の欠如です。


例えば、自分にとって嫌な事をする
嫌な事を言う相手に対し
どうして、そんな事をするのか?
どうして、そんな言葉を向けるのか?
と、考えようとしない。

また、どうすればその相手は
自分が嫌だと思う事をしなくなるのか?
と、考えようとしない。

そして、自分は嫌な事をされないようにする為に
どう変わればいいのか?
と、考えようとしない。

それから、自分は相手にどうして貰えば
嫌な思いをしなかったのか?
相手になにを求めているのか?
その求めている事は自分にとって
どれだけ重要な事なのか?
と、考えようととしない。

目前の事象に対して、何一つ考えようとせず
ただただ、自分が正しく相手を「悪」として
終わらせているから人間関係がうまく行かないわけです。

冷静になって考えれば
当り前の事が出来ていないだけなんです。


例外もありますが殆どの場合
たった、これだけの事なんですよね~w

目前の現実は、自分がどう受け止めるか?次第なので
今、嫌だ!と思う相手に対して
自分が嫌だと思わなくなれば、嫌でも何でもないわけで
人間関係がこじれる事はないのです。
本来なら自分を成長させる為の
感謝すべき出来事のはずなんですが
感情に回せたままで、それに気づけない・・

ようするに
人間関係がこじれるのは
相手に何かを求めているからであり
相手に求めるのを止めれば良いわけです。
常に周りの人の幸せを願って行動していれば
人間関係がこじれる事なのないのです。
想いやりがあれば、人間関係は
うまくゆくものです。



相手の為を思ってしているのに
人間関係がおかしくなると言われた事があるのですが
実際にその方から話を伺うと
相手の為にしているのではなく
自分がその相手に認められたくてしていた為
人間関係がうまく行かなかったようで
ようは、善意の押し付けをしていたわけです。

とは言え、本人はその事に気づいていないので
相手の為にしているのにどうして嫌がられるか
理解できず、自分を嫌がる相手を「悪」としてしまう。
相手からすれば、自分が嫌な事をされ
それを受け入れなければ「悪」とする人なんて
関わり合いたくもないでしょう。







それから極まれに
ただ、居るだけで嫌われる人もいます。
何もしていないにに嫌がられるなんて不幸だ!
と、本人はそう思ってしまいますよね。
このタイプに人はよくイジメの対象になります。

その原因の一つは、強い「欲」です。
何が何でも自分の思い通りにしたい!
と常々そう思っており
自分の思い通りにする為に
あらゆる方法を考え
まわりをどんどん巻き込んでゆく人
そんな強欲な人は
全身から「強い欲のエネルギー」を
放っています。

誰しも、他人が持つエネルギーを
無意識に感じているのですが
他人が持つ「強い欲のエネルギー」は
「奪われる」と感じてしまい
どうしても無意識に拒絶しまうのです。
思考とか意識とか関係なく
身体が反応してしまいます。
ただ、居るだけで何もしていないのに
「なんか嫌だ」
「なんか感じ悪い」
「気持ち悪い」
「近寄らないで・・」
「見たくない・・」
と、そう思ってしまうわけです。





極まれなケースでもうひとつ
極端なナルシストな人も同じように
居るだけで、嫌われますし
イジメの対象になったりします。
これは、他人から認められたい!
褒められたい!尊敬されたい!という欲望が
極端に強く、驕りや慢心の塊になっているからで
この場合も相手に求める欲が強いので
奪われると無意識に感じてしまうからです。

避けられるだけなた良いのですが
不快さが増し続ける事で排除の対象とし
イジメという行為にエスカレートするわけです。











極まれなケースはさておき
一般的な人間関係がおかしくなる
パターンを記してみたいと思います。


〇自分を省みる事ができない。
常に自分が正しいという位置付けで物事を
判断してしまうので「悪」を生み出し続けてしまい
その「悪」が自分に返ってきてしまう。
自分が生み出した「悪」はエネルギー化し
自分自身に刻み込まれますし
そんなエネルギーを放った人と
仲良くしたくないもの仕方ないでしょう。
自分を省みる事ができないと言う事は
自己の心の成長をストップさせている状態なので
心を成長させようと嫌な出来事ばかり起きてしまうのが
大自然の法則です。
去年の自分と比べて、何か成長できたか?振り返り
何も成長できていなければ
嫌な出来事が起きるのは当然の事なのです。
目前のどんな出来事も自分自身の成長の為に
起きていますからね~






自分都合でしか、出来事を判断できない。
人それぞれ価値観が違う人が関わり合うのが
人間社会での人間関係というモノなので
自分の価値観でしか物事を判断できない人が
人間関係がうまく行くはずもないでしょう。
自分が心地よいと感じる人は
自分の価値観を認めてくれる人であり
自分の価値観を押し付ける人は
誰でも、嫌だと感じるものです。
自分の考え方を回りに主張し続ける行為は
周りの人を不快にし続ける行為となるわけです。
自分の考え方を主張したいのであれば
まずは、相手の考えを認めてからするべきでしょう。
自分と違う価値観を認めて受け入れる事ができなければ
誰でも人間関係はぎくしゃくします。





欲深い強欲
自分の欲望を満たす為に周りを巻き込む人は
誰でも、ウザイし面倒だし嫌でしょう。
関わり合いたくないと思うのは当然です。
そんな人は、自分の事ばかりですし
周りに気を遣う事など全くしないので
一緒にいる人たちは、気を使い続ける事になり
ただただ、疲れる相手となってしまうわけです。
我慢しながら付き合うのは
しんどいですからね~出来れば避けたい所です。







善悪でしか物事を判断できない
善悪でしか物事を判断できない人は
常時「悪」を生み出しています。
自分の価値観に沿わない人を「悪」とする為
極端に視野が狭く、極端に少ない情報の中で
物事を判断している為
人間関係がおかしくなった原因に
全く気づけない状態に陥ります。
自分は常に正しいと思うって事は
自分の価値観しか認めていないだけなのですが
その事にすら気づけないからです。
そんな人と一緒にいる時は
同じようにその人の価値観に
合わせていなければならないので面倒ですよね。







ゆるす心の欠場
ゆるす心が欠如している人は
たった一つの過ちに苦しむ事になります。
他人にも自分にも厳しい人は
ただ単に、ゆるす心が欠如しているだけなので
そんな人と関わり合いたくないと思うのは当然でしょう。
また、ゆるせない出来事は
ゆるす心を学ぶ為に起きるので
そんな人の周りには、ゆるせない人だらけになるはずです。
理不尽な嫌な出来事なかり起きるでしょう。
本当は理不尽でもなんでもないんですが
自分が正義なので、その事すら気づけません。
即ち、一緒にいれば、人の悪口ばかり
聞かされる事になるのです。
そんな人との関係も疲れますよね。






嘘、誤魔化し、偽りが多い
自分を正当化する為に嘘や偽りばかり
言う人とは、話すのも面倒です。
事実ではない話は、何も生み出さないまま
ただただ時間が浪費されるだけですしね。
そんな事を繰り返していると
そんなエネルギーがにじみ出ているので
はじめから自分の話を聞いてくれる人などいなくなります。
だれも自分の話をちゃんと聞いてくれないと思うなら
自分の本心と向き合いちゃんと相手に伝えているかを
振り返ってみるといいでしょう。






ずるい、正直じゃない
何事にもずるく立ち回り、楽を選択し続けると
他人に利用されたり騙されたりする事が増えるでしょう。
また、肝心な事を相手に伝えず
嘘は言っていないと逃げ道をつくるような
話し方を繰り返していると詐欺にあったりもします。
図々しく他人を利用して過ごしていても
同じような出来事が起きます。
因果応報・・人が逆らえない自然の法則です。






誰か何かの為にと、行動する経験が極端に少ない。
誰かの為、何かの為と行動できないと言う事は
自分本位な視野しか持たないまま過ごしている事になります。
当然、自分の事しか考える事ができない
人となど、関わりなど持ちたくないものです。
誰しも自分を理解して欲しいと思うモノなので
他人を理解しようとしない人は
自分を振り回す対象に過ぎないのです。







感謝する事ができない。
心から感謝できれば、感謝の対象に報いようとするので
無意識に、誰か何かの為に尽くす行為をしています。
その行為が自分の視野を広げ
また、相手を理解する心を育み
自分の至らなさを見つけるきっかけとなります。
逆に感謝できないと言う事は
視野が狭く、相手を理解せず
自分を省みる事をしない人なので
他人からすれば、関わると面倒な人となるので
人間関係もうまく行かないでしょう。







「めんなさい)と言えない。
誰しも、自分の過ちを認められない人と
関わりを持ちたくないのは当然の事でしょう。
自分の過ちを認めず、言い訳ばかりする人には
うんざりするものです。
しかし、往々にして自分がそうだとは気づけないものです。
自分が「ごめんなさい」とどれけ口にしているか?を
振り返ってみるとよいでしょう。
誰しも「ごめんなさい」の数だけ成長するものなのです。







損得勘定で判断した行動しかできない
常々、自分にメリットがあるか?否か?で
物事を判断し、行動している人は
自分にメリットのあるものしか興味を示さず
理解しようとしないので、視野が極端に狭くなります。
人間関係も自分にメリットがあるか否かでしか
関わりを持とうとしないので
そんな人と人間関係を築きたいとは思わないでしょう。
相手にとって自分が道具だと思われるづける訳ですし。











と・・こんな所でしょうか?
色々なケースがあると思うのですが
とりあえず、思いつくまま記してみました。

これらの考え方を受け入れる事で
実際に改善した方々が多々いらっしゃるので
あながち間違いという事ではないと思っています。

とは言え、殆どの方が
「そんな、はずはない!」
または、「そんな事わかっている!」
と、思ってしまうんですよね~
そもそも人間関係がこじれる人は
自分の価値観しか認めないので仕方ないんですけどw
でも、目前の現実が自己の言動の結果なので
自己改善しなければ現実は変わらないんですけどね。






自己改善するにはどうすればいいのか?は
誰かの為、何かの為になる事を
週一くらいで繰り返すといいと思います。
それが出来ないと言うう事は
自分の事しか考えていない証だと
自分を戒めると言いでしょう。w

繰り返して行くうちに
目の前の世界の見え方が大きく変わるのを
自覚できますしね。


自分が良かれと思ってした事に嫌がられたり
迷惑がられたりする事で
自分と違う価値観を理解できますし
他人の視点で物事を見る事ができるようになるので
自分の視野がどんどん広がります。
実際に感謝される事が出来れば
徳を積む事になりますしね。

あと、それを継続すれば
その経験値が血肉に刻まれて
先祖代々背負っている負のモノも改善できます!


良い事づくしなんです!w




人間関係で悩んでいるのであれば
一度、お試しください~