修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分自身の現実をより良く変える方法

自分自身の現実を改善する方法は
このブログに書き続けてきたつもりなんですが
自分の目の前にある現実を変えたい・・
という相談が、相変わらず後を絶たないので
文章でまとめてみる事にしました。


あくまでも私自身の価値観での
考え方に過ぎないのでご容赦下さい。








目前の現実を変える為には
自分自身が変わるしかありません。

この一言に尽きます。


なぜならば、目前の現実は自分が創り出しているからです。

そして、目前の現実を好転させる為には
利他的な心が必要不可欠です。

利己的な思いで求め続ければ、多くを失い
利他的な思いで与え続ければ、多くを手に入れる事が出来ます。

即ち、利他的な心を育み、それに基づいた言動を繰り返す事が
目前の現実を好転させるために必要なのです。

これが私たちが生活している社会のルールとは
無関係な大自然の法則なのです。

自己を振り返り
今まで、どれだけ多くの人に尽くし与えてきたか?
振り返ってみてください。

その経験が少なければ少ないほど
苦悩の量が多いでしょう。

朝が来て夜が来るように
私たちはこのルールに逆らう術を知りません。


多くの人に尽くし与えてきたのに
苦悩の現実を突きつけられているのであれば
善意の押し付けをし続けてきたのでしょう。
与えている、尽くしていると思っているのは
自分だけだという事になります。


そう言えば昔、性風俗嬢に
「私は、毎日たくさんの男性に感謝されています!」
と、言い切られた事がありますね~w

言葉は難しいですね~

「お金を貰って尽くすのは当たり前なので
お金を貰わずにやり続けて下さい。
それが与え尽くすという事なので・・
他の事でも良いですよ?」
と、言ったら、そんな事できるわけがない!と
怒ってましたね~w






まぁ~こんな言葉だけだと、「キレイ事じゃね?!」
「そんな事、関係ないし・・」で
終わってしまう人も多いのでしょうね。
なので、目前の現実を変えたい相談が後を絶たない・・
私にいくら相談しても、この答しか持ってないんですけどね~

なので、もう少し、具体的に説明してみます。





まず、自分の現実を創り出しているのは
自分自身が持つエネルギーだという事をご理解ください。

え?どういう事?と思ってしまうでしょうが
人それぞれ、自分自身の経験値に基づいたエネルギーが
蓄積され続け、肉体から放出し続けています。
目前の出来事は、常時そのエネルギーの影響をうけて
起きているという事です。


なぜ?私がそう思うのか?と言いますと
私が、そのエネルギーを読み取れるからです。
ハッキリ言って、私がそう感じているだけなのですが
長年検証し続けているので、あながち間違いではないでしょう。

過去の経験値によって
人それぞれのエネルギーは異なり
不幸な出来事が多い人は
不幸を確実に招いてしまうエネルギーを
自らの肉体から放っています。

そして、そのエネルギーは
自身の心のありかた次第で変えられます。


私は、常々そう感じています。


と、そんな話をすると
「え!マジ!怖いんですが!私は大丈夫?!」
なんて、言われるのですが
安心してください!
不幸を招くエネルギーを持っていない人は
まず、いません!
皆が皆、少なからず持ってますから~

まぁ~殆どの人が不幸を招きいれる
隙があるという事です。
その量が多ければ多いほど
辛く苦しい出来事が増え続けるという事です。

なので、日々精進ですね。





どんな人も、食事をし、それをエネルギー化して
自分自身の肉体を動かしています。
思考や感情にも、このエネルギーを使っています。
毎日毎日、自分が生まれてからず~っと
その行動を繰り返しています。

そして、そのエネルギーは
自己の思いに従って消費されます。
エネルギーの消費の仕方は
自分の心が決めているという事です。


自分がエネルギー化したモノは
全て綺麗に消費されてしまうわけでありません。

コーヒーを飲みほしたカップ
綺麗に洗わなければ、コーヒーを飲んだカップだと解るように
自分が言動で消費したエネルギーの一部は
心身に蓄積し続けているのです。
経験値は記憶しておかないと生きるのに支障がでますし
人間の体内をキレイに洗い流す事はできませんしね。


人それぞれ言動が違うので
その蓄積されたエネルギーも違います。
そして、そのエネルギーは自身の肉体から全方向に
常時、強烈に放出されています。

これが、私たちが生きている時の状態です。

(毎日食べた量)-(ウ〇コやシ〇コで出た量)
のエネルギー量は、結構な量ですよね?


この自分が生み出したエネルギーの一部が蓄積され続け
自身から常時放出され、そのエネルギーに基づいて
様々な「縁」がつくられ様々な出来事を引き起こしています。
従って、目前の現実を変えたいのであれば
自分自身が創りだすエネルギー自体を変えれば良いのです。



人間の言動には、必ず動機があります。
自分自身が創り出すエネルギーは
自分自身が使い方を決めており
どう使われるか?によってエネルギーの質が変わるので
言動の動機に基づいて創り出されている事になります。



どれだけ、人当たりが良い人でも
腹の中が真っ黒であれば、真っ黒な動機に基づいて
エネルギーは創り出されており
そのエネルギーは確実に蓄積されます。
そして、その蓄積されたエネルギーが
創り出した「縁」により
目前の現実を引き起こしているのです。

真っ黒な動機で生み出したエネルギーは
真っ黒な出来事との「縁」を作るわけです。




自分自身が不満を抱く出来事は
全て人間関係の中で生まれます。

即ち、嫌な出来事は
自分が持つエネルギーによる人の「縁」がつくる
人間関係から生まれるという事です。

初対面で言葉を交わさなくても
嫌だなぁ~と感じてしまう人いますよね?
それは、その人のエネルギーを感じ取っているんです。

「エネルギー」を「匂い」で表現すると
見ただけで嫌だと感じる人は
ドブ臭い人、ウンコ臭い人って感じでしょうか?
実際に臭わなくても、そう感じてしまうのです。

虐めに合う人は、そんな人が多いですね~
居るだけで、嫌悪してしまうので
排除対象になってしまうんです。

本人が自己改善する努力すれば良いのですが
自分以外を「悪」とする事を繰り返してしまった結果
そうなってる人が多いので
簡単にエネルギー改善ができないのです。
自分自身を省みる思考がない人が多いですからね~

私にとって
「虐めは無くすべきだ!」は
「ウンコ臭いのは、我慢しろ!」
と、同じなんですよね~
理不尽だと思いません?
実際にウ〇コの臭いがしていれば
ちゃんとウ〇コ拭けよ!って思いますよね。

これは、私が持つエネルギーが
そう感じさせてしまうだけの事ですし
一般の方は、そこまで酷くは感じないでしょう。

社会では、自己の経験値から
虐めは虐めをする側が「悪」と思っている人が多いので
そのエネルギーが同調する人たちが
集まり、虐めを撲滅する組織がつくられます。

残念ながら「悪」を生み出し
自分を省みる事ができない集団に
身を置けば、組織で生み出した「悪」が我が身に
降りかかるのが大自然の法則です。

組織とは、全く関係のない所で
禍が起きたりするので
なかなか気づけないんですよね~

他人の感じ方は、自分自身が持つエネルギーに
よって変わるので、他人の印象も人それぞれです。
食べ物の好き嫌いと同じです。

こんな感じで「縁」ができ
自分自身の人間関係は創り出されているのです。



こんな書き方すると
私が頭のおかしい奴に思えてくるでしょうが
大自然には、こんな法則が存在しています。


残念ながら、目前の現実を変えたい!と
そう思って、自分以外を変えようとしている以上
結果として、不満が増える続ける現実となるでしょうね。












自分を変えると言っても難しい~
と、よく言われますが
なぜ?難しいのか?を考えると
自分自身の価値観を変えられないからでしょう。

常日頃から自分の価値観だけで
物事を判断している人は
同じ価値観でグルグルまわっている状態なのです。


「徳を積み続けるだけで人生は好転する」
と、私は言い続けているのですが
徳を積まずして、人生を好転させたいという
相談が後を絶ちません。
私の価値観など微塵も考えようとしないわけです。

ようするに自分の価値観だけで物事を捉え
自分が求める回答だけが欲しいだけで
私が、何を言っていようが関係ない状態なのです。
そうなってしまうのは、そんな価値観しか
知らないからでしょうし
自分の価値観のみで考えるのがその人の価値観なのでしょう。

自分と違った価値観を知ろうとしないので
いつまで経っても、自分を変えられないわけです。


では、どうすれば良いのか?

自分の価値観は、自己の経験から創られるので
まずは、新たなる経験をする事です。

生活習慣を変える
引っ越して環境を変える
仕事を変える
友達を変える
離婚する
結婚する
趣味を持つ
海外旅行に行く
などなど、色々あるのですが
ハッキリ言っておきますが
これらは、多少の効果はあるでしょうが
多少だと思ってください。
たったこれだけで大きく変われる人は
そうそれなりに徳のある人だけです。

なぜならば、今現時点で
自分のエネルギーは変わっていないので
苦悩が多い状態の「縁」がつくった現実になるからです。

「自分の現実を変えたい」という
利己的な動機が根っこにありますしね。


私が、ボランティアを進めるのは
この仕組みがあるからです。

利己的な動機で行動しても
ボランティアの現場には
利他的な思いが強い人が集まっているので
少なからず、その影響を受けるでしょう。
その場所に行かなくても、イメージするだけで
そう感じてしまうはずです。
それくらい人の心が創り出すエネルギーは強烈です。


多くの人がボランティアに進んで参加できないのは
そこに集まるエネルギーを無意識に拒絶してしまうからです。
どうしても参加したいと思う事が出来ず
思えたとしても、行かなくていい理由を探してしまう。
自分の思考とは別に、自己の心が嫌がるのです。
利己的な思いが創るエネルギーは
利他的な思いが創るエネルギーの正反対ですからね~
反発してしまうのも仕方のない事です。

なので、その反発を乗り越えるだけの強い意思がないと
出来ない事だとも思います。

また、その反発を乗り越える意思がなければ
どの道、何をやってもダメでしょう。
重く暗い道に、流され続けてしまいます。




想像してみて下さい。
被災地の復興ボランティアに参加したら
自分の意志のみで参加している
少年少女が沢山いたら?
小学生、中学生、高校生が
休みの日に社会の役に立ちたい!
そう思って行動しているのです。

日頃からボランティア活動をしている人からすれば
そんな状況は当たり前な事であり
普通にそんな光景を目にしていると思いますが
普段から利己的な思考のみで
過ごしている人からすれば衝撃的な光景に見えるようです。
少年少女が明るく「社会の役に立ちんです!」
と言っている姿を見れば
自分は今まで何をやってきたのだろう~
と、そう思ってしまうようですね。

今まで、そんな純粋な心をもった人に
出会う機会がなかったので
気づけないまま年を重ねてしまうのです。



この事象は、自分が持つエネルギーが創る「縁」の
影響だと、私はそう感じています。

普段から利己的な思いのみで過ごしていると
無意識に利他的なエネルギーを拒絶し遠ざけてしまうので
利他的な思いの強い人と接点がなくなってしまうのです。
利己的な思いが強すぎると
利他的な思いを持つ人を批判対象にしてしまう事もあります。
利己的な思いは自分と同じ価値観以外は
簡単に「悪」認定してしまいますしね。

ネット上やTVでは、そんな人たくさん目にしますよね。
まぁ~利他的な思いが全く理解できないので
仕方ない事なんでしょう。
自分に微塵もない心が理解できるはずがないのです。

また、自分の価値観のみでしか判断できないので
そんな人たちが沢山いる事すらも気づけない為
恥ずかしくもなく自己主張し続けてしまうのです。





とは言え、目前の現実を好転させる為には
自己のエネルギーを変える事が必要不可欠です。
自己のエネルギーは言動の動機によって創られるので
その動機を変えるような経験が絶対的に必要となります。

なので、手っ取り早く自分の価値観を変えるには
自己の欲望に反した言動を繰り返した方が良いと
私は、そう思っています。

実際に私は、それを経験して、効果があったので
確信しています。

1回や2回ではなく
やりまくってください!








それから、自分自身の動機をしっかりと
自分でキャッチできるように
思考を鍛えてください。

我々は、沢山の思い込みの中で過ごしています。
常々、自分に思い込みはないのか?
省みる必要があると思います。

私が、密教の修行をしている頃
毎日毎日、懺悔、懺悔でした。
当時は、全く意味が解りませんでしたね~

なんで懺悔させられるの?
と、そう思って懺悔していました。
(懺悔できていない事になりますが・・w)

懺悔の修行を学んで10年くらい経って
「あぁ~懺悔する必要がないという思い込みをしていたんだ!」
と、懺悔だらけの生き方をしていた事に気づかされました。

まぁ~それが人生と言うものなんでしょうが
無知とは、恐ろしい~と同時にそう思った事を記憶しています。


その事に、気づけたのは
何時間にも渡る朝夕の懺悔の勤行です。
ただひたすら経典を唱える行為は
毎日、自分自身を振り返る機会になったのです。


今考えると、別に経典を唱えなくても
自分を振り返る習慣を付ければ良いだけだと
そう思っています。
私は、激しく修行してきましたが
そんな行為は、全く必要なかったと
後々気づきしたね~w

やる事は、自分自身の日々の言動を毎日振り返るだけです。

朝起きてから寝るまでの言動を振り返ってください。
心の奥にある、その言動の動機はどんなものだったでしょうか?

その積み重ねが今の現実を創り出しているだけなのです。

と、こんな事を言うと
「自分は間違っていない!」
「一生懸命やってきた!」
「人様に迷惑をかけた事はない!」
「自分は正しく生きてきた!」
「私は頑張ってきたんだ!」
などなど、そんな事をよく言われるのですが
それらの動機がどこにあるのか?という事なのです。

一生懸命やってきたのなら
何のために一生懸命やってきたのか?

世の中の為、他人の為に一生懸命やってきた人と
自己の快楽を満たす為に一生懸命やってきた人では
目前現実は、全く違うものになります。

同じ一生懸命でも動機が違うので
生み出されるエネルギーが全く違うからです。


家族も振り返らず、自分のその行動が周りに
どんな影響をあたえるのか?も考えず
ただ、ただ一生懸命やってきた人は
家族や周りの人たちから疎まれるのは当然です。
そして、家族に迫害されてしまったあと口にするのは
「家族の為に必死になってきたのに!」
くらいの事を口にするんです。
本当に家族の為にと思う心があれば
家族の事を理解しようとするはずですが
自分主体でしか物事を捉えられないので
ここでも、自己主張してしまう。

逆に、社会の為、家族の為、他人の為に
一生懸命にやってきた人は
多くの人から感謝され信頼されるでしょう。
良い縁ができるので
自分の足を引っ張る人などいなく
自分に協力してくれる人達が
常に自分の周りにいます。


自分では、利他的な思いで一生懸命やっているつもりでも
結果が、伴わない場合は
自分の本心を無意識に隠しているのだと思います。


目前の現実は、自分の心の状態を
証明している結果なのです。

即ち、自分の目の前には
自分自身を成長させる為の
ヒントだらけなんです!


とは言え・・
これが、なかなか難しいんですよね~~


例えば、「感謝」という思いですが
殆どの人が、「感謝している」と
軽口を言います。w
「ありがとう」を言葉にしてればOK
くらいに思っている人も多いでしょうね。

まぁ~自己の経験値に基づいて
「感謝」の定義が違いますし
それはそれで、悪い事だとは思っていません。
自分が苦労するだけなので、問題ありませんし
苦労して揉まれるのが人生ですからね。
苦労は人にとって必要不可欠な事ですし。


「感謝」ひとつとっても
その思いの深さによって
目前の現実は、全く違うものになります。

誰かに助けてもらって、感謝すれば
その人の為に何かしたいと思いますよね。

妻がしてくれる日々の家事に感謝していれば
妻を労いたいと思うでしょう。

毎日、不自由なく生活できることに感謝していれば
社会に貢献したいと思うでしょう。


そして思っているだけで、何もしない人と
実際に行動に移す人では
感謝の思いの深さが違い
自ら創り出すエネルギーも違い
もくぜんの現実も全く違うものになり
その未来は大きく異なります。


当たり前の事なんですが
利己的な思いが強いとそう思えないのです。
利己的な思いが強いと感謝できないのです。
しかも、本人はしっかり
感謝しているつもりでいます。


社会に貢献したい!と心からそう思って
行動している人の中には、大きく分けて
名誉欲に溺れている人と
心から感謝している人の二通りの人います。

動機が、「名誉欲」と「感謝」では
正反対なので、結果も全く違ったものになります。

しかし、利己的な生き方をしている人は
自分自身を省みる事ができないので
物事がうまく進まなくなると
「社会の為にこんなに一生懸命やってきたのに!」
と、そう思ってしまうでしょう。
初めから自分が認められる事が目的なので
自分を認めない社会に不満を抱いてしまうのです。


逆に、社会に感謝しての行動であれば
物事がうまく進まなかった時
社会に不満など抱く事などありません。
貢献する対象に不満を抱けるわけがないのです。
なので
「どうすれば、社会に貢献できるのか?」
と、更に深くそう考えるでしょう。
行動の動機が社会に貢献する事ならば
社会に貢献したいだけなので
そう思うのは当然の事です。

前者と後者では、動機が違うので
目前の現実の捉え方が全く違うものになります。



何が、言いたいかと申しますと
自分が抱く「不平不満の感情」が
自分自身を知るヒントになっているという事です。


なので、怒り、嫌悪、否定批判、不平不満など
負の感情を抱く度に
自分自身を振り返ると
自分自身の言動の動機が明確になって行きます。

そして、冷静になって
目前の現実と自身の過去からの言動との繋がりを考えると
完璧に辻褄が合っている事に気づけるはずです。

そもそも、利他的な思いが強い人は
ほとんど負の感情を抱く事がないのです。
なぜならば、負の感情は利己的な心が生み出すものだからです。


すなわち、人間にとって負の感情は
自身の心を成長させるために必要不可欠なものなのです。





で、恒例になってきましたが
最後にまとめてみます。


大前提として
目前の現実を好転させる為には
利他的な思いが必要不可欠です。

その事を前提として・・



自分自身の現実を変える為には
①自分自身を変える事です。
自分を変える事無く目前の現実を変える事はできません。
環境を変えようが、嫌な出来事を排除しようが
また同じような現実が繰り返されます。

自分自身を変える為には
②価値観を変える必要があります。
自分自身の言動は、自己の価値観に基づいているので
価値観を変えなければ、自己の言動は変わりません。

自己の価値観を変える為には
③新たなる経験・新たなる体験が必要です。
自分自身の価値観は、自分自身の過去からの
経験に基づいて創られています。
従って、今までした事のない経験がなければ
自分の価値観は変わらないでしょう。
人間とは、利他的な行動による喜びを体験しない以上
どうしても利己的に生きてしまうのが人なんでしょうね。


新たなる経験・体験をする為には
④自己の欲望に逆らった強い意志が必要です。
自分自身が変わっていない状態で
新たなる経験・体験をしようとしても
現時点での自己の生み出した
エネルギーが創る「縁」が変わっていないので
無意識に自分の今の価値観に準じた行動をしてしまいます。
なので、なかなか価値観が変わるほどの出来事が起きません。


自己の欲望に逆らった意志で行動する為には
⑤自分自身を省みる必要があります。
どんな人も、過ちだらけで日々を送っているのですが
その過ちに気づく事で、強い意志を抱く事が出来ます。
早い話「こんな事してちゃいられない!」と思う事ができなければ
なかなか、煩悩に逆らった行動をする事ができないものです。


自分自身を省みる為には
⑥自分自身の日々の言動の動機を直視する必要があります。
どんな人も、多くの思い込みで物事を判断していますが
目の前に生きる出来事が、その思い込みを正してくれます。
特に、自分自身が負の感情を抱く出来事は
自分の本心と直結しているので、自己を省みる絶好の機会です。
自分自身が負の感情を抱く度に省みる事を続けていると
過去からの自己の言動の繰り返しと、目前の現実との繋がりが解るようになり
自分自身が目前の現実を創り出している事を実感できると思います。






これだけ書くと、自分が変われば簡単に現実が好転すると
そう思ってしまうのでしょうが
自己改善により「快楽の量」が増える人と、そうでない人がいます。
その違いの原因は、自分が過去から積み上げた「不徳の量」です。
不徳が多ければ多いほど、快楽は満たされにくいでしょう。

「幸せの量」で言えば、不徳の量は関係ありません。
今すぐ「幸せだ!」と思う事が出来れば
どんな環境にいようと幸せになれますからね。




まぁ~自分自身を変えなければならない!と
強くそう思う事ができなければ
自分自身を変える事など出来ないと思います。

自分を変えようとせず
目前の現実のみを変えようとするから
どんどんと嫌な出来事が増えて行くのですが
それでも、自分を変えようとしないのは
自分自身が原因で嫌な出来事が起きていると
そう思う事ができないからだと思います。


そして、自分自身に徳がない事で
嫌な出来事が起きているのですが
徳がない事が原因とも思えない・・


従って、やるべき事をしないまま
どうしたら良いのか?を考えてしまう。
絶対的に必要不可欠な部分を除外して
答えを探しまくっているので
いつまで経っても、答えが見つからない・・


その間も当然、徳を積む事などしないので
どんどん嫌な出来事が増え続けて行く・・



これも、利己的に生きている人の特徴です。
利己的に過ごしてしまうと
とても狭い価値観の中で生きる事となり
この価値観から抜け出せなくなってしまうのです。



とは言え、大自然は私たちを見放すことなく
どんどんと苦悩を与えてくれます。
仮に、自殺をして今世を捨てても
しっかり、来世で同じ苦しみを経験させてくれます!
自分の言動と向き合える事ができるまで
何度も何度もチャレンジさせてくれるんです!
素晴らしい!
そして優しい!

結果として、何度も嫌な出来事が繰り返され
日に日にそれが増え続けると
苦しくて、辛くてしかたなくなるので
とりあえず何でもやってみよう!と
そう思えるようになるです。


そして、努力は必ず報われるのが大自然の法則です。



いや~我々は、利他的な思いで必死になって
一生懸命、毎日を過ごせば
誰だって幸せになれる世界で過ごしているのに
色々と面倒くさい奴が大過ぎですよね!

まぁ~私も同類でなんですけどね~w