修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

滝修行と作法

暖かくなってくると心を鍛えたいと
修行について質問を頂く事が増えて来るので
「滝行」とその「作法」について記したいと思います。
あくまでも私の修行法なので
一般的なモノとかなり異なります。
その辺は、ご容赦ください。







一言で滝行と言っても
修行の目的により、色々と作法が違ったりします。
一般的な滝修行は、「禊」と言って心身を清める為のものが多く
他にも心身を鍛える為、祈願や呪術の為、などなど色々あるでしょう。


私の滝行の目的は、日々感謝を忘れる事無く
その感謝に報いる為の人生を過ごす事が出来るよう
「己を知る」「自然の理」を知る為の修行になります。
その為に、「我に戒めを!」と祈願するので
絶え間なく、嫌な出来事ばかり起きる事になります。
一般的な滝修行とは、目的が大きく異なりますし、作法も我流です。

あと・・
私の場合心が軟弱なので、流されて過ごすと
快楽を求めてしまうようで
その気持ちをリセットする意味もあります。w

まぁ~修行は習慣のようなものです。
やってないと、なんか気持ち悪いんです。


通常滝修行するような場所は
滝口にネットを張り、石や流木などが
落ちてこないようにしますが
私が修行している場所は全て、修行用に整備されていませんので
石が落ちて直撃すれば、死亡します。

崖をよじ登ったり、流れの早い川を渡ったりする場所ですし
夜中は視界が悪いので、慣れないとちょっと危険でなのです。
昔は、一般の参加者の方々もつれて行きましたが
崖から滑落する人が多数出たため
現在は、一般参加はお断りしています。

ネットで「禊修法」と検索すると
滝行をしている神社が出てくるので
出向いて参加してみるのも良いと思います。

神道の滝行は、ほとんどが禊なので
そんなに厳しい修行ではありませんしね。








私が、深夜に滝行を行うのは
太陽エネルギーが鎮まった時間帯だからです。

「陰陽交わりて万物を生ず、悉く皆、神性なり」なので
光と闇の世界を学ぶ事でしか人が成長できる術はないと思っており
普段の生活の中では、誰しもが「光」を求めて過ごしており
良い事、正しい事、愛や慈悲、という
耳障りの良い事象に向かっているのですが
片方だけを見ていても、この世の理は理解できないはずです。
「闇」を知り、「闇」を受け入れる事が人生で最も大切だと
私は、そう考えているのです。

人が「悪」とする物事すべてを
嫌い、拒絶し、否定している状態では
自らの心の成長はありえない・・と、そう思っています。

太陽エネルギーという「光」が鎮まった時間帯こそが
「存在」その物が露わになる時であり
私にとって、その「時」は、とても重要なのです。

自分自身を見つめるのにも、とても良い時間帯です。
同時に、悪霊、妖魔、妖怪などと呼ばれる存在も
活発になる時間帯です。
私にとっては、悪霊=神ですけどね。w



実際に体験するとよく解るのですが、日中行う滝修行と
深夜行う滝修行では、全く違う体感になります。
まぁ~太陽エネルギーがないので当然なんですけどね。




滝場は大きな岩盤の上に水が流れている場所で
そこに流れる水質とその場の岩の持つエネルギーによって
エネルギーは異なります。
滝場によって、エネルギーは全く違うので
体感も大きく異なります。

滝の大きさや水量で、判断は出来ません。
小さな滝で、水量がチョロチョロでも、強烈な滝場もあります。
高尾山の蛇滝なんかは、大した水量ではないのに
強烈な滝でしたね~
圏央道が開通して、ご神体にトンネル掘ったので
ダメになっちゃいましたけど。

滝場は強大な大地のエネルギーと水のエネルギーが
ぶつかり合っている場所になるので
軽い気持ちで入ると、自分の体内エネルギー循環に悪影響を及ぼし
強烈な頭痛や表現し難い体調不良を起こす事があります。
滝行で人が亡くなる事も多々あるので
初体験は先達の指導の下、軽い「禊」程度にした方が良いでしょう。

女性の場合、出産後1年くらいは、滝行はやらない方がいいと思います。
禊ていどなら大丈夫かもしれませんが
滝にエネルギーにより、体内の血の道が狂う可能性があるので
そうなると一生、体調不良が治らなくなるかもしれません。






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「作法」

①トイレを済ませてから、行着に着替えます。
下着も白ですね。着けなくても大丈夫です。
ふんどし、さらし、が好ましいです。



②その場所を使わせて頂く事に断りを入れます。

他人様のお宅にお邪魔する時に手土産をもって行くと思いますが
同じように供物を持ち、ご挨拶するのです。
滝場のある山々には、多くの生き物が暮らしていますし
また、有縁無縁の霊体が沢山います。
「滝場を使用させて頂きますのでよろしくお願い致します。」
と、断りを入れ。感謝を告げ、また多くの霊体の冥福を祈り供養をします。
祝詞や経典などを奏上します。
(供物と一緒に酒(日本酒)塩もお供えし浄め用に使います。)


③軽く準備運動をし、心身を清めます。
浄めの祝詞真言を唱え、清め用の酒塩で心身を浄めます。
(身禊大祓、六根清浄大祓など・・)
神道では、「鳥船」を行いますが
ラジオ体操でも大丈夫です。




④滝場を浄めます。
浄めの祝詞真言を唱え、浄め用の酒塩で浄めます。
大祓詞、般若心経典など・・)




⑤滝場の前に立ち、大自然に感謝を捧げ礼を尽くす。
大自然の恩恵あっての衣食住に感謝
自分の「生」に感謝
自分以外の存在や多くの人々あって初めて今の自分がある事に感謝
自分の「今」に感謝
ご先祖様が創り上げた社会で、不自由なく生活させて頂ける事に感謝
この場所で滝行できる事に感謝





⑥滝場の呼吸と自分の呼吸を合わせます。
九字を切り、滝場のエネルギーを乱した直後
水を軽くかぶり、呼吸を整えます。
滝場の場合、水の流れ(水量)にリズムがあるので
解りやすいと思います。




⑦入滝
滝に入りやすくするために刀印(イエイ!と大声を出し)で
滝を切り、入滝します。




⑧禊の詞
まずは、滝の中で心身を浄めます。
「祓え給へ、清め給へ、六根清浄」3~7回(奇数)唱えます。





⑨~~~~
その後は、ご自由に~~~
長時間入ると、身体の感覚が麻痺して
出れなくなる場合がありますのでご注意を。
通常は、先達や道彦の支持に従います。



⑩出滝
刀印(イエイ!と大声を出し)で、滝の出口をつくり出滝します。




⑪感謝
滝に向かい一礼(感謝)




⑫鎮魂

人であれば呼吸するだけで穢れます。
また、誰しも何らかの霊体が憑いています。
その穢れや霊体を滝が落としてくれているので
自分から離れた穢れなど諸々の鎮魂をします。
鎮魂の祝詞、経典、真言などを唱えます。
(十種祓詞 、ひふみ祝詞、般若心経、大祓詞などを唱える)




⑬着替え
着替えが終わったら、滝場などに感謝の意を伝えて帰ります。


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作法のポイントは、やはり心持ちですかね~
滝行に向かう時から、帰宅するまでが滝行なんです。
道中も修行中という事です。

心持ちはやはり「感謝」と「礼節」を忘れてはなりません。
滝という大自然の恵みに感謝し
滝場を使わせて頂ける事に感謝する事。
土、空気、水など当たり前に「在る」ものを
当たり前と思わず、「恵み」である事を理解し
自分一人では、生きる事ができない世界で過ごしている事を忘れず
全ての存在に「礼」を尽くす事。
悪霊と呼ばれる存在ですら意味があり、存在しているので
「感謝」の対象であるのは変わりません。

全ての存在が、大自然の調和の一部であり
自分もその内の一つに過ぎないという事です。
「和を以て貴しとなす」という事で
調和の中で、日々を過ごすのが「大和魂」なのでしょう。

この気持ちがないと、怪我をしたり
具合が悪くなったりしますので
ご注意ください。


あと、滝場の呼吸とリズムが合わないと、呼吸困難に陥るので
慣れないうちは、腹から思いっきり声を出しましょう。
喉が潰れるほどの大声を出して下さい。
翌日声が出ないと思います。
(翌日声が出なくなるほど大声をだせ!という事です。w)


また、思いっきり声を出すと、自分自身のエネルギーが外に放出されます。
通常は、一旦体外に出たエネルギーは、体内に戻ってくるのですが
滝場で放出されたエネルギーは、滝に流されて行きます。
自分に不要なエネルギーが、無くなるのです。





・・と、こんな感じで大声を出します。w














こんな事を長年していると
色々と、苦難ばかり繰り返されるのですが
一つ一つの苦難を乗り越える度に、感動と共に自分自信が成長している事に気づけます。
私自身、辛く苦しい出来事がなければ、どんな人も成長できないのが
大自然の法則だと確信しております。


通常人は、辛く苦しい出来事がない人生を送りたいと思ってしまい
「平和」な世の中を求めますが、そもそもそんな世の中などありえない世界で
我々は過ごしているのだと思っています。

なぜならば、人生とは自身の心を成長させる事であり、自分自身の心を成長させる為には
争いや辛く苦しい現実が必要不可欠だからです。

人は、苦悩から逃れる事は出来ず、「楽」を選択しても結局苦悩に直面するので
初めから「苦」を選択した方が、早く成長できるという事です。
苦悩が多く続く人は、目前の現実を誰か何かのせいにしているだけに過ぎないのです。


言動には、必ず自身の動機があるので、滝修行する前に
その行動の動機を今一度確認してみるのも良いと思います。
その動機によって、滝修行の結果が大きく異なるからです。

目前に起きる出来事は、全て自身の過去から過ごした
生活態度の積み重ねの結果であり滝行の成果も同じです。
滝に打たれると言う行為は
大自然のエネルギーを多大にその身に受ける行為なので
自分自身の心の状態が、大自然の意思に大きく反していれば
辛く苦しくなりますし、死に至る事もあるでしょう。