修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

独裁国家の独裁者が、ちょっと不憫に感じるワケ

ロシアのウクライナ侵攻報道を
見ていると
NATO云々が原因だと言われていますが
個人的には、独裁国家からすれば
民主国家が邪魔なだけだと
そう感じています。

要するにロシアの敵は
民主国家であり
隣国のウクライナ民主化
なんとしても阻止したいのでしょう。

人の言動は、心の状態と連結しているので
プ氏の言葉を探ると昔から
独裁者特有の感情を感じますしね。

世界では、まだまだ独裁国家が多いのですが
ロシアへの経済制裁を行うだけで
各国が経済的に苦しむのであれば
この先、もっと色々な苦難が待っているのだろう~
と、そんな事を思う訳です。

そう思うと、独裁国家との
付き合い方を、考えた方がいいと思いますし
その為には、もっと独裁国家について
知っておいた方がいいかな?
なんて、思った次第です。

で、色々と独裁者の思考構造について
考えていると、誰にでもその要素はあり
人間とは、掲げる理想とは
ほど遠い生き物なんだなぁ~
なんて思った次第です。
で、私の妄想をば、ちょっくら
記してみたいと思います。w





まず、国を運営する為には
政治家が必要??なんですが
人は、地位や権力を持つと
それを失う事に不安を感じるのが
正常な人間の感情でしょう。

日本の政治家も
なんだかんだと選挙に勝つための
政策を進め
国民は、なんだかなぁ~
国民の為と言いながら自分の為じゃないか!
と、常々そんな事を思ってしまう。

そして、選挙が近くなると
濁ったエネルギーを全身から放った人たちが
お金目当てで政治家や
政党の足を引っ張る仕掛けをする。
ましてや、政党同士でも
立候補者を調整した八百長選挙で
国民に投票したい政治家を選ばせない。


まあ~要するに、国民そっちのけで
地位と権力の為に
足の引っ張り合いをするのが
政治というもので、これは今の社会と人間
という生き物の構造上
どうにもならないものだと
私は、そう感じています。


身も蓋もない話になりますが
個人的には、政治家として
これらの状況を逸脱する事は無理だと
そう思っています。

やっぱ、真っ当な政治をする為には
それなりの信念が必要だし
日本という国のあるべき姿を胸に抱き
それを実行しようとした時
政治家になる必要性を感じませんしね。

ある意味
政治家とは、地位と権力に溺れる場所なので
国の運営は、企業が引っ張るしかないのでしょう。

昔、有名大手企業の役員が集まる場に
参加した事があるんですが
世界中の人々の為に・・
日本という国の為に・・
企業としてすべき事は?
みたいな話しか話題になりませんでした。

具体的に企業として実行しているので
しっかりと国や世界に貢献しているように感じましたし
それをサポートするのが政治家の役目なのかな?
なんて、感じた事を記憶しています。

現に今現在活躍している大企業は
国籍を飛び越えて
世界を視野に活躍しているわけで
日本人でありながらも
日本と言う国のみで
物事を捉えていない。

インターネットが始まった頃
「この先、人も企業も無国籍化する」と
よく言われていたのですが
ロvsウ戦争を見ていると
多くの情報が行き交い
この戦争を他国の事だと
割り切れない人が増えている。

当時の大企業の役員の方々が
言っていた事を実感します。

そして、20年以上も前から
グローバル化の時代と言われながらも
他国の事など無関心で
己の生活環境のみで物事をとらえ
政治家に対して企業との癒着だ!既得権益だ!と
足を引っ張るのが、国民なんでしょう。w

まぁ~人間は利己主義者から始まるので
そんなものなんでしょうけどね。

なので政治家は
国民の生活に目を向けていないと
選挙で落選するので
政治家として本来の仕事がままならない・・
という現実と
常に向き合っているわけです。


国民が快楽のみを求める以上
大自然は、国に苦難を与える。
国が苦難を乗り越える為には
国民が納得しない政策が
必要不可欠なんですが

残念ながら政治家は
いくら国や国民の為になる
素晴らしい政策を思いついても
自分が落選するような政策は
実行しないという事です。
その結果、国は衰退してゆくわけで
実際に日本のGDP
30年前より落ちている。


まぁ~普通に考えて
そんな政策ばかりなので
当然の結果だと思うのですが
これも、選挙で当選する為には
そうするしかないのでしょう。

これが、民主主義国家の弱点でしょうね。

この弱点を克服するためには
国民一人ひとりの心の成長が必要だと
私は、そう考えています。


他国の為に頑張っている企業は
たくさんあるのですが
世論的には
「他国にお金を払うのなら
国民にもっと良い生活を!」となり
国民にお金をバラまく事となる。
その結果、世界に貢献することが出来ず
じわじわと衰退してゆく。
そして、衰退してゆく日本を
国民は、政策が悪い!と政治家のせいにするわけです。

そもそも、政治家に期待しても
無理なんですけどね~
人間は、自らが掲げる理想ほど
美しい心を持ち合わせていないと
私は、そう思っています。
当たり前の事ですが
人間の本質は、利他的な心が芽生えるまで
他人の幸せより自分の幸せで、過ごすのです。

また、どんな社会にも色んな弱点があるから
人生の中で生き甲斐を見出すことができるのでしょう。
与えた分しか手に入らないのであれば
この先は、ひとり一人が
世界中の国に貢献すべきでしょうし
結局は利他的な心を育むことになるんでしょうね。



今の日本の政治家の皆さんは
4年後に落選し
今の地位や権力がなくなるかも?しれない!
そんな不安と共にある事を知っていれば
そうそう政治家に期待もしませんし
自分たちで、何とかしなければ!
という気持ちにもなれます。



要するに地位や権力には
不安がくっついてくるのが
大自然の法則なのです。

日本の場合は、政治家は4年に一度
国民により裁決を下される訳ですが
独裁国家の場合は、それがない。


独裁国家の独裁者は、常に裏切りに対して
不安を感じている事になります。


民主主義国の権力者は
自分を支持してくれる者
または、仲間が必要ですが
独裁国家の場合は
プ氏や金氏のように
自分を支持しない者は殺せばいい。
仲間をつくる
支持者を増やすなんて
面倒な事をする必要がないのです。
そして、自分を支持する者だけに与え
指示しない者から奪う。
独裁者を支持する者は
その恩恵にぶら下がっているだけで
美味しい思いができる事に
メリットを感じる者だけの集まりとなる。

国民の生活より
権力者が自分の権力を優先し
独裁者の周りも同じ感覚の者たちが集まるのが
独裁国家の特徴でしょう。

まぁ~地位や権力を手に入れると
同時に失う不安がついてくるので
そうなってしまうのも
大自然の法則なんでしょうね。

そして、そんな人には
同じように自分の利益しか考えない
人たちが集まってくるので
非常に扱いやすい。



社長のイエスマンしか残らない
ワンマン社長の会社のようなものですね~
私も色んな会社に出入りするんですが
幹部社員が全員、おかしいと思った事でも
「上からの指示なので・・」
と、言って素直?に業務をこなす会社は
その後、数年で消えて行きますね~
幹部社員全員が会社の発展より自分の生活を
優先しているわけでなので
そりゃ~衰退していきますよね。

昔の日本は一家庭でも
そんな構図がありましたよね。
亭主関白なんて言葉がありますが
父親が家庭での独裁者であり
絶対的存在でした。

韓国も儒教国なので
目上の人や、両親は絶対的な存在です。

そういう意味では
国に限らす、会社や組織
チームや家庭など
普段の生活のなかでも
あちこちで
地位や権力と共にある不安が
色々な問題を起こしているのでしょうね。

しかし
我々は「利他的な心を育む」事を
強要されているんで
長い目で見れば、独裁者は
身の破滅へと歩んで行くのでしょう。

その為に、「地位」と「権力」には
「不安」がセットになっている
そんな法則があるんでしょうね。


国家となると規模が大きいので
時間はかかるでしょうが
歴史と共にいずれ崩壊するんでしょう。

そう考えると
まだまだ独裁国家が世界を占めているので
これから多くの国が混乱するはずです。


大自然の法則上
われわれ人間は、人生の中で
利他的な心を育む必要があり
そういう意味では
独裁国家より民主国家の方が
発展するのも頷けます。


独裁国家と隣接する民主国家が
どんどん発展してゆけば
独裁国家の国民は自国の政府に
不満を抱くようになり
出稼ぎと称して
他国へ亡命する人も増えるでしょう。

独裁者の地位や権力を揺るがす
不安を掻き立てる存在となるわけです。

亡命する人が増えれば
独裁者から見れば裏切り行為となり
粛清や弾圧する事になる。
そして、民衆が耐えられなくなると
民衆が団結し革命を引き起こし
国が混乱に陥るという流れでしょう。

この先、民主化が広がれば
混乱する独裁国家が増えるんでしょうね。

とは言え、結果として独裁国家
民主化してゆくことになるのでしょう。


快楽を求めるのが人の性なので
民主国家をうらやましく思う国民が増えれば
独裁国家として成り立たなくなりますしね。

人間、誰しも快楽を求めるように
創られていますし。




とは言え、民主国家が良いのか?と
考えると、今の民主国家の状況をみれば
一言で良いとは言い切れないでしょう。

自由民主主義を掲げ
過度の自由を求めすぎ
社会のあちこちで弊害が出ているように感じます。


自由を掲げ、なんでもかんでも
やりたい放題になれば
社会の秩序も崩壊してしまう・・
そうなると、独裁者が必要になるんですよね~
自由を掲げて、やりたい放題の国民を
粛清し、弾圧する必要が出てくるわけです。

なかなかどおして難しいものですが
これも、大自然の掌の上って事なんでしょうね。

自分が何を求めているか?で善悪も正否も大きく変わる事を知っておいた方がいい!

人間社会では、秩序を保つために
善悪の判断を強いられていますが
この仕組みを無くす事はできないでしょう。
集団生活にはルールが必要ですしね。
ルールがなければ混乱を生みますし・・

ただ、この善悪の判断基準は
私たちに都合よく決められている事を
忘れないようにした方が良いと思っています。

ロシアからすれば
ウクライナ侵攻は「善」であり「正義」なのですが
民主国からすれば「悪」となるように
基本的に自分の目指す方向により
「善悪」は変わり
自分の立場が「善」となります。


私たちの社会には
多くの「善」があり
多くの「悪」があるわけですが
基本的にルールを守れば「善」であり
ルールを破れば「悪」となる。

しかし、そのルールは
人が創ったものであり
私たちに都合よくつくられているのですが
残念ながら私たちは
苦悩の中でしか成長できない法則の中で
過ごしているわけで
いくら自分たちに都合の良いルールを設けようが
新たなる苦悩が生まれるだけなのです。

コロナウイルスなんて良い例ですよね。




では、このルールに基づく
自分たちの「都合」とは?と考えると
あくまでも私たちの快楽を満たす事が
主となっているのです。

わざわざ自分たちが苦しむような
ルールを設けませんしね。


なので、ここでも
ルールを設ける動機が重要だという事です。
ルールを守る事が「善」ではなく
ルールが設けられた理由を知る必要があり
その理由が、今の社会に見合ったものか?で
「善」「悪」が逆転する事もあり
これを見誤ると、社会が崩壊してゆくんです。


例えば、日本には非核三原則なる法律があります。
これは、日本が被爆したからつくられた法律ではなく
アメリカの傘下になる為の法律だと私は認識していますが
トランプ氏が、日本の核保有を容認した以上
すでに、意味のない法律となります。
アメリカは、もう日本を守りませんよと
公言しているわけですから。

まぁ~竹島にしろ北方領土にしろ
アメリがが日本を守らないのは
今更なんですねどね。


なので、非核三原則を持ち出して
核所有の考えを排除する考え方は
すでに通用しなくなっているわけです。

ルールを守る・守らない
そこだけ見れば、核保有
ルール違反となり「悪」なんでしょうが
そこだけで考えるのは
ちょっと稚拙な思考だなぁ~
なんて思ってしまいます。


生活環境が変われば
当然ルールを変えなければ
社会の秩序は保てませんし
そんなルールに固執する前に
そのルールが出来た経緯を知るべきでしょう。

ルールとはその程度のモノなのですが
それを無意識に「善」「悪」に置き換えてしまうので
ややこしくなるわけです。


私は「核なき世界」は
子供じみた発想に感じるのです。
広島や長崎は、率先して
保有を訴えて欲しいですね~
皆が皆、核保有国になれば
世界が平和になると思いますし
核を持たないと
我々のようになる!と
そう訴えれば、説得力がありますしね。

世論的にはこんな事言うと
叱られそうですがw
現状では「核なき世界」を訴えれば訴えるほど
保有国が有利になるだけだと
そう思っていますし
ウクライナは、核を廃棄した結果
多くの国民の命を失ったのが
紛れもない事実でしょうしね。

と、まぁ~
何が正しくて、何が間違っているのか?
何が「善」で何が「悪」かは
結局の所、自分が何を求めているか?に
左右される訳です。

私の場合、人々の心の成長を求めているので
社会一般の世論とは、全く異なるので
考え方も異なっているという事です。


私は長い間、修行の中で
「正解」を求めていました。
強度の霊障による苦悩は
自分の中の何かが、きっと間違っているからだ!
と、そう思っていたからです。
「正解」を見つけ出し
その方向に進むべきだ!と
そして、その「正解」を教えて欲しい!と
切に願っていましたね~

自分の思考の中に、善悪の判断が
沁みついていたので「正しい事」を探していたのす。
そんな思いで修行していた当時は
どんどん霊障が悪化していきました。


結局、一人で山で修行するようになり
善も悪もなく
正解など、どこにもない事を知り
全ては自分次第なんだという事を学んだ事で
徐々に苦悩から解放されて行ったんですけどね。

初めのころは、血肉に染み付いた
「善悪」の判断から
なかなか脱する事は出来ませんでしたね~


例えば、人の苦悩は利己的な我欲が
原因なので、苦悩を排除するのではなく
利己的な我欲を無くせばいいんだ!とか・・
そう思ってしまう訳です。
思考の中で「苦悩」=「悪」としているんですよね~

やっぱ、辛く苦しい人生なんて嫌ですよね?
なので、苦悩は排除対象としてしまうのです。
まぁ~これは人間の構造上仕方ない事なのですが
では「苦悩」は何のために存在しているの?
と、考えると、私自身が「苦悩」の中で大きく成長できたので
別に「苦悩」は「悪」じゃないじゃん???
と、なるわけです。
しかし、人の「苦悩」を推奨する事などすれば
狂人扱いされる社会で生活しているので
そんな事はできないと考える。
思考のどこかで善悪や正否の判断をしている
状態だと、こんな感じで思考が混乱していくんです。

で、正解を求めるのを止めると
心を成長させる為には、「苦悩」は必要不可欠であり
快楽を満たす為には、「苦悩」は排除しなければならない。
と、なるわけです。
色々な事に辻褄が合ってくるんですよね~

私の場合は、心の成長を求めているので
快楽を求めている人とは、価値観が大きく異なるわけです。
「善」も「悪」も「正しい」も「間違い」も
全く違う判断となるでしょう。

例えば、私の未来は、あと20年くらいの人生でしょうが
1兆円もらう条件が、心の成長を止める事であり
その条件をのんで死ぬまで豪遊するか?
逆に、刑務所の中で死ぬまで生活する代わりに
己の心を成長させる事を許され
そのどちらかの人生しか選べないとしたら
私は、間違いなく刑務所人生を選ぶと思います。
それくらい自分の心を成長させたいんです。
刑務所には、心を成長させる為の素材がいっぱいありますしね~

この話を知人にすると
はぁ?頭おかしいんじゃね?
と、言われますね~w
まぁ~自分の人生で求めているモノが
一般的なものと異なっているだけなんです。
生きる目的が人それぞれで
その為、価値観も人それぞれで
私たちは、そんな人が集まった社会で
過ごしているわけです。

そりゃ~ネット上や国会でも
あ~だ!こ~だ!言い合いますよね。


会社の場合は、企業理念なるものがあり
会社の存在意義を明確にします。
会社の進む方向を明確にし
業務の判断基準を明確にするためです。
社長が自分の快楽を満たす為に会社をつくると
社員それぞれが己の快楽を求めるので
会社の進む方向が定まらなくなり
人間関係もぎくしゃくしてしまいます。

知床遊覧船の運営会社も
理念を明確にし、その理念通りに会社を運営していたら
こんな悲惨な事故は起きなかったと
そう思っています。

要するに、進む方向が明確になっていないと
業務に対して正否の判断が
人それぞれ異なってしまうので
しっかりとした運営が出来なくなってしまうのです。

例えば、「お客様に喜んで頂く事」という
経営指針があれば
クレーマーのお客様への対応も異なります。
クレーマー=喜んでいない
という判断になり、業務の何に問題があったのか?考えるでしょうし
また、同じクレームが入らないように業務改善もするでしょう。
クレーマー客に対しても、そんな対応をする事なるのですが
理念も営業指針もなく「お金儲けの為の業務」となっていると
クレーマーのお客様は、会社にとって
害悪でいかないので、排除するような対応となります。
ここに企業間の大きな差がでます。


企業理念があれば、それを指針とした
判断が出来るので、人それぞれの正否の判断がなくなりますし
業務が明確化されて行きます。

概ね、理念のない会社や
理念を掲げているだけの会社は
長く継続できませんし、大企業にはなれません。


今の日本の社会は
日本と言う国の進む方向が明確でなく
国民の快楽を満たす為だけに運営されているので
このままでは、間違いなく衰退してゆくでしょうね。

国会を見ても分かるように
政治家の意見がまとまらないのも
見ている方向がバラバラですしね。
それぞれの「善」がぶつかり合うので
当然の結果なんですが
私には、夏休みに
海に行くか?山に行くか?を
揉めているような討論に見えてしまうんです。

日本は戦後を乗り越え
生きるのに精一杯の国ではなくなったので
そろそろ、日本の位置づけを明確にして欲しい所です。
途上国の発展に努め
世界を豊かにするという目的を掲げるとか?
そんな目標を掲げれば
間違いなく、日本は素晴らし~国に発展すると
思うんですけどね~


自分の人生も何か目標をもって過ごすと良いでしょう。
それがないと、ストレスを溜めまくる日々を
過ごす事になります。
その理由は、自分と他人の違いも分からず
「善悪」や「正否」の判断が
定まらないからです。

他人の価値観を知って行くと、自己の価値観が見えてくる・・

他人の価値観を理解しようとしても
よく解らない・・
何かいい方法は?ありませんか?と
質問を頂きました。

確かにかなり難しい事でしょうね。
そもそも、理解などできませんしね。
価値観は、その人の経験体験に基づいて
創られてゆくので
経験値が違えば、価値観も異なるし
自分が経験していない事は
やっぱ理解できないでしょう。
なので、あくまでも自分の想像で良いのだと
私は、そう思っています。
大切なのは、他人の価値観を受け入れる努力・・
知ろうとする努力であり
なんでもかんでも拒絶しない事であり
拒絶するのであれば、それなりの理解が必要だと
そう思っています。

個人的には、自他ともに
言動の動機を探っているうちに
何となく、わかるようになるような気もします。


私は、電車や飛行機などでの移動時には
時間つぶしにジャンル問わず
色々な雑誌や本を読むのですが
筆跡している方々の
生きながらに求めているモノによって
意見が全く異なっていると感じています。



多くの人は、国の方向性と同じで
「豊かな生活」という快楽を求めていますが
人によっては生きながらに目指すものがあり
「豊かな生活」を求めていない人とは
当然、考え方が異なります。
生きる目的がある人は
流されて自己の快楽を求める生き方をしませんしね。


昔の私は心が腐っていたので
人間の本質は、醜い心に支配されていると
そう思っていました。
善意のない自分を自覚しそれを肯定する為です。
なので、「人の善意」を否定する考え方が
私の中の根底にあり
その上で、私の思考が働いていました。
まぁ~私の中に善意が存在していないので
「善意」が理解できず
他人の「善意」を見聞きするだけで
自分が否定されたとそう感じていたのでしょう。

当然、自分の中に「善意」がある人は
昔の私のように感じないので
出来事に対して感じ方が全く異なるのです。


ウクライナ千羽鶴を送る事に
ネット上で話題になっていましたが
これも、過酷な生活を強いられ
生活必需品が欲しくて欲しくて仕方ない時に
千羽鶴を送られても迷惑だ!
と、そう思う人と
そう思わない人がいるだけの事でしょう。

昔の私も間違いなく
ウザイ!キモイ!迷惑だ!と、そう思ったでしょうが
今の私なら、気持ちを受け取る事はできるようになりましたし
純粋に心が温まると思うのです。
また、修行してきたので
千羽鶴の効力も知っていますしね。

要するに、何を求めて生きているか?
によって、価値観の本質が大きく異なるわけです。


日本の戦後教育では
強固な社会を創るために
画一的な価値観しか認めない教育かされていました。
その為なのか?常識とか当たり前とかで括られた
一つの価値観で物事を捉える人が
とても多いように感じています。

悪く言えば「和」という聞こえの良い言葉を使い
周りと同調するように圧力をかけているのです。

ネットやTVなどのやり取りを見ていても
自分と異なる意見に対して
怒りを向ける人が多いのも
周りと違う=悪とし
自分と異なる価値観を
拒絶してしまうからでしょう。
私たちは、そうするように教育されてきましたしね。

まぁ~その和に入れなかった私は
当時気が狂いましたが
今まさに精神を病んでいる方々も
同じ状態のように感じています。

昔は、今のように精神を病む人が
少なかったのですが
それは、生きるための選択肢が
少なかったからでしょう。
社会の同調圧力も凄まじかったですし
違う事は悪い事でしたしね。

現代社会は、昔より豊かになり
多様化が進み、生きる選択肢も増えてきているわけで
目の前に生きる道が沢山あるのに
自由に選択しようとすると
社会からの同調圧力が襲ってくる。

学校に行かない”ゆたぽん”も
社会からの圧力が凄まじいですよね~
学校に行って虐めにあったり
精神を病んでしまうより
よっぽどましだと思うのですが
社会からすれば「和」を乱す行為になってしまうのです。

これだけ多様化が進んでいるのに
その社会の中で暮らす人々が
その流れについて行けないのです。
自分たちで多様化を進めておきながら
多様化を認めない心が働いてしまう・・・

我が子が就職もせずに
YouTuberを目指したい!
と言って、それを認めて応援する親は
どれくらいいるんでしょう?

やはり、血肉に刻まれた
経験値は恐るべし!ですよね~






で、他人の価値観を知る方法ですが
私は、結構がんばって努力しました・・
と、自負しています。w

私の場合は、自分の感覚が普通じゃない事を
頭で理解していても、心が理解していませんでした。
自分の思考では、自分が「普通じゃない」事を知っているのですが
自己の我欲が、物事を自分に都合よく解釈するんです。
周りの人と感覚が違うのであれば
当然、周りの人たちの感覚を知る必要があるのですが
そんな事は全くせず
自分を理解してくれない社会にブチ切れしていました。w

要するに俺様思考で
自分は何の努力もせず、周りが自分に合わせるべきだ!と
そう思っていたわけですが
当時の私は、他人の価値観など完全無視で
なおかつ、自己の言動の動機を考える事をしなかったので
そんな言動を繰り返している自分に気づけなかったのです。

でも、我欲に逆らったボランティアという
行動をするようになり
新たなる経験をし、新たなる発見があり
自分の中に新たなる価値観が生まれました。

要するに、自分の視野が広くなったのです。
そのおかげで、ダメダメな自分に気づき
他人を理解しようと頑張るようになったのです。

結局、他人の価値観など理解など出来ない!と
思うようになったのですが
自分以外の価値観を知る努力もせず
拒絶や否定するのではなく
知る努力をして行く事で
心がどんどん軽くなりましたね~


私の場合、人は同じ言動でも
その動機が様々だという事は
幼いころから肌で感じてきたので
私の中では常識として捉えていたのですが
この感覚が解らない人は
考える癖をつけると良いと思います。



例えば、コロナワクチンを打つ人は
動機が様々なはずです。
会社から強制的に打たされる人
周りの人に迷惑をかけたくないから打つ人
感染の不安を解消したくて打つ人
打たないと周りに迷惑がかかる恐れがあるから・・
家族の為に打つ人・・などなど
その動機は色々あり
それぞれの人が
その動機に基づいた考え方をします。
打たない人も同じでしょう。


マスクをする行動についても
人それぞれでしょう。
感染の不安を解消するためにする人
周りから嫌な目で見られたくないからする人
周りの人への感染を防ぎたいからする人
マスクをしない人を見ると不安に思う人がいるからする人
買い物など行動が制限されるから仕方なくする人
その動機も様々です。

鼻マスクで問題になった市会議員の方が
票が3分の1に減り落選しましたね。
「理解してもらえなくて残念です。」
と言っていましたが
自分の価値観を理解して欲しくて
議会に反発していたという事になります。
「鼻マスクはNG」という考え方を
理解した上で、反発していたら
発言の内容も変わっていたでしょうし
少しでもマスクをしないと
不安に思う人の事を考えて訴えれば
選挙の結果も違ったものになったかもしれません。





これら様々な言動の動機を自分自身にも当てはめ
自分はどのグループなのか?を
知って行くと、賛同する意見を言う人と
そうでない人との価値観がなんとなくわかり
社会の動きは、人々の心の動きの影響を
強く受けている事がよく解ると思います。


同じ言動に対して人それぞれ動機が違い
その動機に基づいた考え方になる。
従って、意見が分かれるのは当然の事です。

人それぞれ価値観が異なれば
意見が分かれるのは当然なので
自分と異なる意見は
他人の価値観を知るチャンスなのですが
残念ながら自己の承認欲求などの我欲が
そのチャンスを逃すのです。

様々な価値観を知ると
普段から物事を自分都合で
解釈している事にも気づけます。

例えば、千羽鶴の件でも
「善意の押し付けだ!」と
そう思っていれば
善意の押し付け=価値観の押し付けであり
千羽鶴を送るな!」という
価値観を押付けているわけで
全く同じ事をしている事に気づけます。

神道的に言えば「現実は鏡」というやつで
自分の思い通りにしたい!という欲求が
この事実を見えなくするんですよね~

私は、自分と異なる価値観を否定批判する事は
何も問題がないとそう思っています。
誰しも何事も自分の思い通りにしたいですからね。

ただ「否定批判」という言動に対しても
なぜ否定批判するのか?という
その動機を知る事が重要だと思っています。

言動の動機がエネルギー化して
自己の未来に強い影響を与えますしね。

快楽を満たすための自己主張で
否定批判するのか?
社会の発展の為に否定批判するのか?で
その先の未来は大きく変わります。

当然、社会の発展の為に
否定批判するのであれば
自分と異なる価値観を
とことん知る必要があります。
それをしないで社会の為!と言っているのであれば
自分都合の解釈をしているに過ぎません。

ただ単に自分自身の思う
理想の社会にしようとしているだけならば
それは、利己的な欲を満たそうとしているに過ぎない。
なぜならば、社会とは価値観の異なる者たちが
集団で生活する場だからです。
一部の人だけが満たされる社会を
つくりたいと言っているようなものですしね。




激論と言われる感情論の応酬を
注意深く観察すると
その動機が実に下らない事だと
そんな事をよく思ったりします。

自己の感情が先走り
相手の価値観を知ろうとしないから
感情に振り回されているだけだからです。
即ち、己の我欲に事実を見る目を
塞がれいる状態になっており
もはや議論ではなくなっている・・
実に不毛な事なのですが
昔の私もよく感情が抑えられなかったですね~
まぁ~徳がないと我欲が制御できなくなり
そうなる事が多くなります。w


こんな感じで
色々な人の言動の動機を知って行くと
人の言動の動機と我欲の結びつきが
良く分かるようになり
また、その人の価値観も
なんとなくわかってきますし
自分と異なる考え方は
自分と求めているモノが違うからです。

我欲にも利己的な我欲と
利他的な我欲があるのですが
大きくこの二つに分けて
物事を捉えて行くと
人の苦悩は利己的な我欲が
生み出している事に気づけると思います。

とは言え、利他的な欲求を知らないと
利己的な欲求の中だけで
物事を判断する事になり
どうしてこんなに嫌な事が続くのか?もわからず
ムカつく出来事ばかり起きていると、そう感じるようになり
いつまで経っても嫌な出来事ばかりの中で
過ごす事になります。




まず、生きる目的もない人は
己の我欲を満たす為だけに生きてしまいます。
人間の構造がそうなってますしね。
で、生きる目的がある人は
その目的が己の我欲を満たす為だけのモノなのか?否か?
を知る必要があると思っています。
どんな目的も己の我欲を満たすものなのですが
それが、利己的な欲求なのか?利他的な欲求なのか?で
未来が大きく変わるからです。

自分でもよく解らないと思いますが
利他的な欲求だと思っていても
自分自身の様々な言動の動機を振り返ると
利己的な欲求だったりするので
それを知る為にも
自他ともに言動の動機を見つめる事を繰り返し
色々な人の価値観を知る事が大切だと思います。

TVなどの報道やネットの情報
また、書籍や雑誌の記事などを見て
発言者、筆跡者は、人生の中で何を求めているのか?
を知って行き、賛同できる意見と
そうでない意見の違いを、そこに当てはめると
自分が何を求めているか?もよくわかり
理不尽だと感じる出来事もなくなり
概ね、自分を改めなければ!と焦るんです。w

まぁ~私がそうだっただけで
皆さんは、当て嵌まらないかもしれませんが
少なくとも、社会の仕組みに
気づくきっかけになると思います。