修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

児童虐待について・・・

児童虐待についてリクエストを頂いたので
私なりの考え方を記してみたいと思います。
あくまでも普通ではない視点での解釈なので
何卒ご容赦ください。^^;)




まず、大前提として・・
この世は人の負の感情が生み出すエネルギーが
人々に対して様々な苦悩を創り出している。
と、私はそう感じています。
不幸の多い人は、それなりのエネルギーを纏っているわけです。

自分の周りをよくよく見渡すと
怒ってばかりいる人
いつも不平不満、否定批判ばかり口にしている人に限って
色々な嫌な出来事が起こっているはずです。

しかし、誰しも怒ったりムカついたりするもので
その感情を無くす事は出来ないのですが
感謝する『ありがとう』という思いや
反省する『ごめんなさい』という思いが生み出すエネルギーが
人の負の感情から創り出されるエネルギーを相殺して行きます。

いっぱい怒ってムカついても
いっぱい感謝して、いっぱい反省する事ができれば
そうそう嫌な出来事は起きないものです。




我々が過ごす日本の社会は
どんどんと豊かになり
色々と便利になり続けています。

生活が豊かになればなるほど
人の感情から感謝の気持ちが薄れ続けるのが
この世の流れのようなものでしょうね。

今日の食事に困っていれば
食事できるだけで感謝できるのですが
いつでも、食べるものが手に入る時代に
食事ができる事に対して心深く感謝する事など
なかなか出来ないでしょう。


ようするに今の社会は
物質的に豊かになり続けている反面で
負の感情が生み出すエネルギーが
増え続け、辛く苦しい出来事が
同時に増え続けている・・と言う事になります。

この恵まれた社会で
感謝しようとしても、なかなか難しい~
だって、当り前のように恵まれているんですからね。

だから、大自然は強制的に
感謝させようと、辛く苦しい出来事引き起こして
バランスを保とうとするわけです。


児童虐待事件が増え続けているのも
負のエネルギーが増え続けてきる事も原因の一つでしょう。
精神病や癌、認知症などを患う人が増え続けるのも
同じような出来事の一つだと思っています。

辛く苦しい事が起きると
今までの平穏に感謝できますからね~





そんな背景がある中で質問を頂きました。

”自分自身の過去からの言動の積み重ねが
目前の現実を創っているのであれば
幼い子供が辛く苦しい思いをするのはどうしてでしょう?”

と・・
この質問はとてもよく頂くので
私なりの回答を記しておきます。



まず、幼い子供は両親の影響を強く受けており
言うなれば、幼い子供の現実は両親の現実であって
子供の自身の現実ではないと思った方が良いかもしれません。

幼い子供は目前の現実に強い影響を与えるほど
経験を積んでいませんしね。
ただ、感情の起伏はあるので
それらの影響を受ける事はあるでしょう。


だいたい12歳くらいまでは
両親の影響をモロに受けています。
両親の今までの言動の積み重ねが
我が子の現実となって現れるわけです。

子供がケガをした・・
病気になった・・
いじめられた・・
その度に、両親自身が自分を振り返り
自己改善すれば良いのです。
それが、出来れば我が子は辛い思いをしなくなるわけです。


中学生頃からそれまでの経験値が
現実に影響を与え始めます。
なので、幼い頃の教育が我が子の未来に
強い影響を与えるのかもしれません。


よく障害をもって生まれた子供はどうなんだ?
と、言われる事がありますが
過去に障害を持った子供の相談を受けてきた限りでは
本人は、自分が不幸だなどと思っていませんでした。
要するに、不幸なのは両親の方なのです。


では、虐待を受ける子供はどうなんだろうか?

私自身、893な父親に常々暴力を振るわれていました。
ボコボコに殴られ蹴られ、畳が血で汚れるからという理由で
殴る蹴るを止める・・・
そんな事を繰り返しているうちに
素っ裸にされ庭に引きずり出され
真冬にホースで水をかけられながら木刀で叩かれる・・
血を洗い流す為に、ホースで水をかけられるわけです。
また、殴ると自分の手が痛いから木刀を使う・・
そう言った理由からです。

今の時代なら、100%刑務所行きの犯罪行為ですが
昔は、教育的指導で通用しましたから
動けなくなるほど、ボコボコにされていました。w

父親に殴られる時は
足音がうるさい。声が気に障る・・
また、私は父親の言う事を聞かなかった時や
父親に言い訳したり反抗した時でした。

ただ、親の言う事は絶対でしたし
悪いのは自分だといつも思っていましたね~
暴力を振るう父親は、怖かったですし
痛いのはとても、嫌だったのですが
怨んでも憎んでもいませんでした。

子供なので善悪の判断も出来ませんし
常に両親の言う事が正しいわけです。
親に捨てられる方が恐怖でしたし
例え父親に自分が殴り殺されてもです。
『ごめんなさい!ゆるしてください!』
そんな気持ちでいっぱいなのです。

暴力をふるう父でしたが
親なので優しい一面もあるのです。
子供の頃のそんな記憶は、一生ものなんですよね~


中学生頃から、色々と
自分で考える事が出来るようになるので
私の場合は、殴られる前に家出しました。w
学校にも行かず、不登校児だったのですが
昼間フラフラしていると
警察に補導され捕まるので
結局ボコボコにされるんですけどね~
そう言えば、当時は警官の目の前で殴られても
あの頃は、犯罪じゃなかったですね。


こんな家庭を第三者の目で見れば
家庭環境が悪いから
息子がグレたんだと思うでしょうが
私自身は、自分の性格に問題があると自覚していました。
まぁ~こんな体質なので、社会の枠に
どうしてもハマらなかったのもありますけどね。

そんな風に思っていたので
自分の事を親のせいにされる事が
とても気に入らなかった・・w
私の素行が悪い事で親を責める教師には
教育放棄だと思ってましたし
私をかばって親を責める
教師や警察にも殴りかかっていましたね~
親のせいにされるのが、なぜか?とっても嫌だったんです。
すぐに殴りかかる所は、同じ血が流れてるからでしょう。^^;)


先日ニュースで小4児虐待事件の
児童相談所の会見を見ましたが
児童相談書の方が酷く責めらる質問ばかりで
とても気の毒に思いました。^^;)



自分の幼少時代に置き換えて考えてみると
まず、児童相談書の言う事を聞く時点でアウトなんです。
父親は絶対的君主ですから
児童相談書に保護される=親を裏切った子供
なので、私にとって、児童相談書に
保護される事はとても恐ろしい事です。
自分が警察に逮捕された方がましです。
保護された後で、言われるがまま自宅に帰されたら
どうして、そんな奴の言う事を聞くんだ!と
ボコボコ確定なので
保護された状態=恐怖でいっぱい、だったでしょう。
戻ったら殺されるかも?と思ったでしょうね。
私なら、恐らく保護されても逃げ出して自宅に帰り
父親に褒めてくれ!くらいに言ったでしょう。
そうしないとマジで殺されかねませんからね。

なかなか理解できないかもしれませんが
幼少時代の私にとって両親は、生きる糧なんです。
衣食住を与えてくれる存在なので
絶対に裏切れないわけです。
児童相談書に保護される事を受け入れれば
『家族』という国を裏切った裏切者なので
死刑確定なんです。
解りやすく言えば
北朝鮮の国民が、日本に亡命し
一度、受け入れてから
北朝鮮に戻されるようなものです。

まぁ~私の場合ですけど。




酷い暴力を振るう親を持つ子供の気持ちは
色々なのかもしれません。
みんながみんな、私と同じだとは思っていませんが
父方と母方のどちらの血を多く受け継いでいるか?でも
受け止め方は違うでしょう。

私には、兄がいますが
兄は理不尽な父の命令を素直に聞いて
殴られる事は、あまりありませんした。
兄だから弟に見本を見せないといけないと
教育されていたのもあるでしょうが
そもそも私とは性格が全く違うのです。

ただ、父の言う事を聞いていた兄は
父を嫌っていましたね。
父が亡くなって、ホッとしてる感じがしました。

逆に、いつもボコボコにされていた
私は、父を嫌いだと思う事はありませんでした。
キレると暴れる迷惑な父親というだけです。
兄が父を嫌っていたので少年時代から
両親の面倒を見るのは自分だと思ってましたしね。

児童虐待という問題は、血族の経験値が大きく左右されるので
簡単に解決できる問題ではないでしょうが
ハッキリ言えるのは、幼少の頃、虐待を受ける子供は
暴力を振るう親を憎んだりする判断力がないと言う事です。

『親の暴力から子供を保護する事が良い事』
と言う安易な気持ちで
暴力を振るう親から子供を保護する行為は
今回の事件のように、子供の死に繋がると
私は、そう思っています。

まぁ~自分に当てはめての考え方に過ぎませんが。







では、虐待する親側は、どうなんだろうか?

私の父は、私にしたように
絶対君主の父親に育てられ
反発すれば、同じように暴力を振るわれて育ったと
母から聞きました。
私と違い父は祖父を憎んでいると言ってうたようですが
父が亡くなった後、自分の骨を祖父の墓に入れてくれと
私の枕元に立ってお願いされました。
父は、実家から絶縁状態でしたからね~
・・まぁ~メチャクチャな人だったのでw
結局、父は何だかんだと強がっていても
寂しかったんだなぁ~と思いましたね。



父も私も先祖代々の経験値が
血に刻まれて受け継がれてきたのでしょう。

私は、私の代で終わらせようと必死だったので
同じ事は繰り返しませんでしたが
血族の誰かが、繰り返しているかも?しれません。


私も父の血が濃いので
少年時代は、暴力事件ばかり起こしていました。
自分の視界を遮っただけで
その相手に殴りかかっていましたね~^^;)
理屈じゃないんです。
いけない事だと解っていても
勝手に身体が動くんです。
いくら我慢しても血がフツフツと沸騰する感じで
我を忘れて爆発してしまうのです。
キレるツボは、色々でしたけどね~

まぁ~徳がないだけなのですが
そんな事だれも教えてくれないので
ただのキチガイでしたね~^^;)






文頭に記したように
今の時代、負のエネルギーが充満している時代なので
現代社会は、自分の負の感情に拍車がかかりやすい時代でしょうね。
ストレスが溜りやすいので、わがまま放題の我が子に対し
無意識に暴力を振るってしまう人も増え続けると思っています。


私の知人で、我が子に暴力を振るってしまう人に
『大丈夫だよ』って言ってあげたいと、そんな事を言っている人がいます。
その方は、15年務めた大企業を辞めて
保育士の資格をとり、現在、市の保育園で働いています。
『子供を育てる親の力になりたい!』
という動機だそうです。

それまでの過程の話しをお伺いすると
産後は、産休扱いで仕事を休み
会社に復帰後は、子供がいるので夕方5時で帰宅する・・
仕事も中途半端、家事も中途半端、育児も中途半端で
そんな自分が情けなくストレスがピークに達し
気付けは我が子に手を挙げるようになってしまったと
そんな事をおっしゃっていました。

仕事を辞めようとしても
夫に家を建てる頭金が出来るまで我慢してくれと頼まれ
我慢し続けたそうです。
結局、我慢し続け、気が狂いそうになり
離婚して、現在は保母さんをしています。
今でも、小さな我が子といつも一緒に入れなかった事が
トラウマになっているそうです。

その方がおっしゃるには
『子供はいつも親を許してくれる』だそうです。
言う事を聞かない我が子に酷い事を言い、手をあげて
酷く自己嫌悪に陥り、次の日『ごめんね』と謝ると
必ず『いいよ!』とゆるしてくれる・・
社会では犯罪でも、子供は必ず許してくれる・・と。

だから、我が子に暴力を振るって
何度でもやり直せるから『大丈夫だよ』と
言ってあげたいんだそうです。




話しがちょっと反れてしまいましたが
児童虐待に限らず、社会で起き続けている
様々な辛く苦しい出来事を無くすには
『悪』を生み出す事を減らす必要があると感じています。
多くを『ゆるし』そのゆるしを糧にして行く事ができれば
自らの心は成長し、目前の現実も移り変わるはずです。

だって、ゆるす事を学ぶ為にゆるせない出来事が起きますしね。

度々起きる児童虐待の事件も
物事を深く考え、ゆるす事を学ぶ為に起きており
物事の判断を善悪で終わらせないように!というメッセージなのかも?しれませんね。


辛いにユースを見聞きするだけで
自分も悲しくなりますし
なかなか難しい事ですけどね。^^;)