修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

我欲が真実を見えなくする・・・

人は、誰しも様々な欲望を抱きながら過ごしている。
欲のない人など存在せず
また、欲を抱かなければ生きて行けないわけです。

様々な欲を持ち、毎日過ごしているわけですが
自分自身が抱く欲によって
人生というモノは大きく違ってくるわけです。


利己的な欲が強ければ苦悩が付きまとい
利他的な欲が強ければ、歓喜の多い人生となる。

ビジネスにおても、ただ単に儲けたい!と思って
会社を経営していれば長続く経営する事はできず
社会に貢献したい!と思って経営していれば
会社は発展し続けるモノです。

人生も同じで、利己的な欲望のみで過ごしていれば
苦悩が付きまとう人生となり
利他的な思いが強ければ、幸せな日々を過ごす事ができる。

たったこれだけの事で
自分の人生の未来は大きく違ってくるわけです。






とは言え自分の本心など気付けない・・
ただ、自分の本心を見つめるようにすれば
誰でも自分の心持ちに伴って
目前の現実が起きている事に気づけるのですが
往々にして、我欲の強い人は
自分の本心に全く気づけない・・・

なぜならば、常日毎から
自分の我欲を満たす為に
物事を自分に都合よく解釈し続けているからです。


誰しも自分に都合の悪い事実は
無意識に無視し続けるものです。
『焼肉を食べたい』と思っても
『牛を殺して、肉を捌いて、焼いて食べたい』
とは思う事はしないでしょう。
実際に、焼肉を食べるには、その過程が必要なのですが
いちいちそこを直視していると
『焼肉を美味しく食べる』という欲求が満たされない。
なので、その事実を知った上で無かった事にしているわけです。
しかし、目前の出来事は真実(その過程)に基づいて起きています。

強欲であればあるほど
これらの事が自分の中で頻繁に行われて
どんどんと真実から遠ざかった意識を
自分の中に植え付けてしまうものです。

自分を良く魅せたい!
多くの人に認められたい!
なんて欲の強い人は
その事実をたくさん隠し過ぎて
受入れる事ができないくなくなり
自分の心を壊す人もいます。




色々と真実に目を向けると
ハッとするような事が、沢山ありますし
至らない自分に気づけたりして
なかなか面白いものです。

例えば、お金に困っている人に
お金を出してあげるとします。
これは、本当に相手に尽くしている行為なのでしょうか?

困っている人を救済するのは
一般的に良い人とされますが
その行動の動機が何処にあるか?によって
その先の出来事という結果は大きく変わります。

要するに相手の事を思ってお金を出すのと
自分は良い事をしていると言う自己満足の為
もしくは、困っている人を見下して優越感に浸る為
または、見返りを求めてお金を出すのとでは
その後に自分に降りかかる出来事は全く違った結果になるはずです。

私も、お金に困っている人に
お金を貸して、数千万単位で失ってきたのですが
よくよくその時の自分の気持ちを振り返ると
驕りや慢心がいっぱいでしたね~

お金を出した相手に裏切られ
『あんなによくしてやったのに!』くらいに思ったもんです。w
初めから見返りを求めていたので
『してやったのに!』くらいの言葉がでてくるわけですし
裏切られたなんて思うわけです。


初めから相手の立場になって考えていれば
まずは、なぜ?お金に困る状態になっているのか?
また同じ事を繰り返さない為にどうしたら良いのか?
その為に、自分はどんな協力ができるのか?
と、そうやって考えて行動しなければならないのですが
我欲を優先していた私は、お金を出して終わり・・
で、結局多額のお金を無駄に失ったわけです。^^;)

要するに相手に尽くしているのではなく
我欲を満たしたに過ぎないわけです。
無くなって当然だと今ではそう思えますね。


おかげで、今では、お金に困っている人には
その原因を追究し、一緒に改善するようにしています。
困っている人が、心を成長させ現実を徐々に好転させる喜びを
一緒に共有できると言う事は、いいものだとそう思うようになりました。





他にも周りの人たちに喜んで貰いたい!と
そう思っている行為も
その動機によって、未来は大きく変わります。

よくあるのが
相手に認められたいと言う欲の強い人が
有難迷惑を振りまいているケースです。
そんな人は、自分では全く気づけないんですよね~
いつも良い事をしまくってる!くらいに思っています。w


本来、尽す行為は、見返りがないことを指すので
相手に何かを求めている以上
尽している事にならないのです。

周りの人に尽くす事は良い事なのですが
問題は、尽くす相手をしっかりと理解しているか?
善意の押し付けをしていないか?
また、尽くす相手に見返りを求めていないか?
よくよく自分を振り返る事ができなければ
モンスターボランティアなんて呼ばれてしまうかもしれません。


まず、相手の為になる事をするには
相手を理解する必要があるので
理解しないまま尽くす行為は、
自分本位なエゴを押し付けている事になります。


私は、別にそれでもいいとは思うのです。
色々と行動を起こさないと
相手を理解することなどできませんしね~
ただ、自分のエゴでしているという自覚は必要でしょう。

自覚がないと
自分は、こんなにも他人に尽くしてきたのに
どうしてこんなに嫌な事ばかり起きるのだろう?
という結果になります。


自分は尽くしているとそう思っている行為が
実際は自分のエゴを押し付けているので
その先に明るい出来事が起きるはずもないのです。




この事は、夫婦間でもたくさん学べます。

妻は、夫の健康のために
玄米を毎日食べさせようとするのですが
夫は、白米大好き人間で
玄米など食べたくないわけです。
毎日毎日玄米を食べされられて
夫は、ストレスが溜まり夫婦仲が悪くなってしまった・・
妻は『あなたの健康を思っての事なのに!』と
口にはするものの、よくよく振り返ると
夫の健康の為ではなく、自分の健康のために
夫を巻き込んでいたのです。


夫は、妻の誕生日に
高価な服をプレゼントしました。
とは言え、妻はこんな服着たいと思わないのです。
ありがとう!と言葉で伝えても
一度も袖を通しません。
夫は、妻のためにと奮発したのに!
と、その事が不満なのですが
よくよく考えると、自分が妻にその服を着て欲しかった思いを
妻の誕生日を利用して、押し付けたわけです。


まぁ~よくあるすれ違いなのですが
自分の本心に気づけないと
こんなすれ違いが原因で
夫婦仲がめっちゃ悪くなります。W




普段から欲深く過ごしていると
我欲を満たす為にあれこれ理由付けを探してしまいます。
また、あれこれ理由をつけて自分が正しいとする方法を
常日頃から探しているので
知らない内に善意を利用する事に長けてしまいます。

そして、その事実に気づけないので
人間関係もままならない・・
ようるすに自分視点という
一方通行でしか物事を解釈する事が
できなくなるわけです。
そして、自分に都合の悪い事は
理解できない!解らない!
と、判断して終わらせるのです。w

『〇〇さんが、こう言うんだけど理解できないんですよね~』
『そうする事が良い事だというのが解らないんです。』
自分の我欲を満たす為に邪魔になる判断を
全て、理解できない・解らないで済ませていれば
常に自分は正しい状態でいられるのは当然ですよね。w


そして、そんな事を言う人に限って
やたら自意識過剰なんです。w
都合の悪い事は解らないですませているのにです。w
まぁ~解っているけど解ろうとせず
解らない事にできるほど図太いから
自意識過剰なんですけどね~
外見は謙虚に見えて弱弱しかったりもします。w

でも本人は
自分を正当化する能力に長けている為
真実が見えないままになっている・・
そして、その事さえもわからない・・・
要するに、自分の本心を隠し過ぎて
自分自身で自分の本心を認識できなくなっているわけです。


仮想の正しい自分を意識しすぎて
その仮想の人物になりきっているに過ぎないのですが
周りの人は本人の真実の人格で接するので
そのすれ違いに気づけなくなるわけです。
ウザイ事をしているから
ウザイと思われているのですが
自分はこんなにも相手の事を思っているのに
酷い事をされた!と認識してしまうのです。


自分の本心も認識できず
相手を理解する事もしない・・
当然、自分の人生が空中分解していきます。


いや~欲とは怖いですね~



最近、相談でこのパターンの人からの多かったので
我欲が、自分を壊して行く仕組みについて記してみました。



個人的には、我欲があって
人は苦悩し葛藤し成長できるので
我欲を満たそうとする行為は大切だと思うのですが
ほどほどにしないと、辛く苦しい人生となってしまいます。

そうならない為にも
自分自身の本心を常日頃から見つめる癖を
つけたほうがいいでしょうね。

私自身も内観をかなりやりました。
人生観が変わるほどに~
誰しも言動には動機があるので
その動機を見つめるようにするだけで
目前の現実と自分自身の心が
同調している事に気づけるでしょう。


そこを見ないから
理不尽だ!不幸だ!と思うわけです。


そもそも怒りの感情は
我欲が満たされない時に生まれるものなので
ムカつく、イラッとする、腹が立つ事が
多い人は、欲まみれだと言う事です。w






京セラの稲森氏が
経営には、私心のない判断が必要だと
説いていますが
私は、人生も同じだと思っています。


物事を損得でしか図れない人は
快楽で満たされても
幸せを掴む事はできないでしょう~ね~