修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

虐めを解決する方法

以前から虐めの相談は多く頂いており
「どこに行っても虐めにあってしまう」
という相談を頂いたので
虐めの仕組みと解決方法を記して置きます。

今まで2~300人くらい?(もっとかな?)
虐めの相談を受けてきましたが
過去に私が受けた虐めの相談のうちで
実際に改善したケースの考え方です。

色々なパターンがあるので
全てが当てはまるわけではありませんが
私が過去相談を頂いた9割くらいは
当てはまると思っています。

あくまでも、私の経験からくる
考え方に過ぎませんのでご容赦ください。




結論から先に言いますと
虐めは、自己改善でなくなります。
自己改善できれば、自分が放つエネルギーが
変わるので、現実も変わるという事です。


少年少女子供の虐めは
両親が自己改善すれば解決します。
どちらかと言えば、母親の影響を強く受けます。
(どちらかと言えばです)

虐めに限らず、どんな苦悩も同じなんですけどね。
なので、自分以外を「悪」としている以上
絶対に解決しないでしょう。

社会的に虐める側を「悪」としていますが
これも悪手だと思っています。
そんな事をしていれば
どんどん虐めが増えて行くでしょう。

虐めを無くす為に虐めをする側を「悪」として
どんどん虐めを増やしているという
本末転倒な社会現象~
つうやつですね。

まぁ~昔からそんな事を繰り返すのが
人間という生き物なので
それはそれで致し方ないと思ってます。




納得いかないかもしれませんが
自分が感じている苦悩と同等の苦悩を
周りにまき散らしている結果
虐めに合うのが、自然の法則です。


虐めに限らず苦悩の原因は
全て、自分の負の感情を抱き続けた結果です。

自分が生み出した負の感情が
エネルギー化し蓄積し続けて
禍を引き起こしていいます。

自分が生み出した「悪」が
因果応報、自分に降りかかっているわけです。

苦悩の中にいる方は100%
自分が生み出した「悪」が原因です。

なので、目前の出来事は全て「善」であり
虐められている現状も「善」とすれば良いのです。
必ず虐めはなくなります。



とは言え、簡単には、そう思えませんよね・・
それが人の性ですし・・

何事にも感謝していれば
どんな人も苦悩との縁はなくなるんですけどね~

まぁ~私たち日本人は
子供の頃から、正しい事、間違った事を
徹底して洗脳されてきたので
そうなってしまうのは
仕方のない事なのかもしれません。

でも、物事がスムーズに進む人も多々いるわけで
過去の教育から学んだ事を鵜呑みにせず
自己責任の上で自己判断している方々が
そんな人達なんでしょう。

ちょっと考えればわかる事で
なぜそれは「悪」なのか?
と考えれば、「自分に都合が悪いから」と
なりますからね~
これを理解しているか?
していないか?
の違いなのかも?しれません。



なので、「悪」を生み出し続ける人は
物事を自分の思い通りにしたい欲が強い人となります。

想像してください。
自分の身近にそんな人がいたらウザイですよね?

相手が常々自分の欲望を優先するという事は
自分自身の欲望を阻害する可能性の高い人となるので
誰しもが関わりたくないものです。

しかし、そのウザイ人は
自分の思い通りにしてくれない人を
「悪」認定してゆくので
たまったもんじゃありません。

そんな人の近くにいれば
自分は奴隷扱いされる事に等しいわけです。

往々にしてこのパターンが
因果応報として降りかかるのが虐めの仕組みです。



なので、そんな人は、どこに行っても
人間関係がうまくゆかないでしょう。
人間関係がうまく行かないので
嫌な出来事が増え続けるわけです。

私の学生時代、そんな人が
周りから無視されていましたね~
だって関わると自分のやりたい事が
出来なくなるんですから
関わりたくないですよね。

話しかけられて返事をした瞬間から
自分の欲望を色々と阻害されるわけですか
そりゃ~無視するでしょ。

会話する事が苦痛なので
お願いだから話しかけないでくれ!
と、神に祈る気持ちでいっぱいなわけです。

誰しも、欲深い人間と関わると
自分が振り回されるので関わりたくないのです。
いくら虐めはダメだと言われても
これはこれで仕方のない事でしょう。



だって、欲深い人からすれば
「何でも自分の思い通り」が基本なので
関わらない事すらも虐めであり
「悪」とするんです。
「悪」とされない為には
その人の欲望を満たしてあげないといけないわけです。

そんなバカな!っとなってしまいますよね。


自分の事を無視する酷い人たちだ!と
そうなった原因が自分にある事を
全く気づけない・・
というか、全てが自分視点なので
そう考える思考能力が
初めから欠落しているんです。

なので、結果として
集団からはどこに行っても
排除の対象となってしまいます。

まぁ~当然の結果でしょう。


自分の思い通りにならない=「悪」なので
何をしても「悪」になるら
周りからすれば、いっその事
本当の「悪」になって排除した方がましなんです。
どうせ「悪」認定されるわけですから。



往々にして虐めとは、そんなものなので
無くす事は難しいでしょう。
そもそも綺麗ごとで社会がうまく回る仕組みなど
この世界には、存在していませんしね。




本人に、なぜ?そんな事をされるのか?を
考える思考があれば良いのですが
欲深い=視野が狭い、となってしまうので
全く気づく事が出来ず
虐めをする人を「悪」とし続けて
その結果、どんどん嫌な出来事ばかりの
人生となってしまうわけです。


虐めをされている人からすれば
この文章も「悪」認定の
対象になると思います。



そもそも何でも自分の思い通りにならないこの世界で
自分の思い通りにならない出来事を
いちいち「悪」としてしまったら
自分の周りが「悪」だらけになるのは
至って自然な事です。

虐めとは、自分で創り出した
現実なんですよね~

ですが、今まで「悪」を生み出し続けて来たので
自分自身を省みる事は
自分が「悪」となってしまう!と捉えてしまい
自分を「悪」とする考え方など
到底、受け入れる事ができないわけです。

当然、大自然は自己改善をさせようと苦悩を与え続けます。
虐めに合ったり、迫害されたり、騙されたり、トラブルばかり起きてしまう・・
大きなケガをしたり、大病を患ったりもするでしょう。


その結果、霊的な存在のせいにしてしまう事もあります。
「悪霊のせいだ!」
「土地が悪い!」
「先祖の因縁だ!」
「神々の祟りだ!」
などなど・・
「悪」を生み出し続けると
負のエネルギーをその身に纏うので
悪霊と呼ばれる存在を呼び寄せてしまい
霊能者にそんな判断をされるのも仕方のない事でしょう。
霊能者の方々には、はっきりとそう見えるわけですからね。

そして、自分を「悪」としない
その判断に見入ってしまうのです。
往々にしてスピリチュアル行為にハマる人は
そんな人が多いですね。

とは言え、自己改善がないまま
霊的存在のせいにしていても
現実は好転しないので
「この霊能者はニセモノでは?」と思いはじめます。
得意の「悪」探しです。


で、たまたま私と縁があり
私が、「気にしなくても大丈夫ですよ。」と言えば
「嘘をつかれた!」「騙された!」と・・
たちまち、禍を霊的存在のせいにした霊能者が
「悪」認定されてしまうんです。
冷静になって思考のロジックをたどると
マジでおかしな事だとわかるんですが
常に「悪」を生み出していると
誰しも、そんな思考になってしまんですよね。

そもそも霊能者の方に相談するという事は
五感以外の世界で自分を苦しめている存在がいないか?
を確認してもらう行為なので
その霊能者の方が、どう見えてどう感じているかを
教えてもらっているに過ぎないのです。
手料理をご馳走して、美味しいか不味いかを
聞いているようなものなのです。

相談された霊能者は、自分に見える存在を
伝えているだけなので
何も悪い事をしているわけではないでしょう。
その霊能者の方にはそう見えているわけですしね。
判断するのは、自分自身という事です。

信じていたのに騙された!
と、言われても
相談を受けた霊能者の方からすれば
迷惑極まりないですよね。



スピリチュアル行為にはまり
自分の逃げ場所を見つけたとしても
結果として何一つ心が成長できていないので
苦悩がなくなるわけではなく
周りに理解されない自分を更に正当化してしまいます。

更に、社会という集団生活の中で
自分の価値観を他人に押し付け続けている事に
全く気づけないまま、あちこちで「悪」認定しているので
身近な人に価値観を押し続けられ「悪」認定される事になる。

それが、離婚に繋がったり、会社で虐められたり
子供が虐められたり、子供の心が病んだり
引きこもったり
色々と嫌な出来事が起きるのですが
それすらも、スピリチュアル的解決を求めてしまう。

いや~自分を省みる事が出来ないと
マジ恐ろしい事になりますよね~

私も経験者なんですけどね。w









何度もこのブログに記してきましたが
この世の中に「悪」など存在しておらず
自分たちの判断基準として善悪が存在し
我々の社会のルールとして
自分達に都合の悪いものを「悪」とし
都合の良いものを「善」と
しているに過ぎないのです。
目前の出来事という自然現象には
善悪など初めから無関係に起きています。
即ち、自分が「悪」としない判断の選択が
誰にでもできるわけです。

もっと言えば
自分の言動が創り出した結果が
目前の現実に過ぎないのです。


例え北朝鮮から日本に核ミサイルが落とされても
北朝鮮が「悪」ではなく
被爆するまで、我々が同等の「悪」を
生み出し続けてしまったという事なんです。

自分たちが「悪」を創り出し続けた結果
負のエネルギーが増幅して
北朝鮮に核ミサイルを落されたという
苦悩を呼び寄せてしまっただけなのです。
従って、北朝鮮は「悪」ではないのです。

これが大自然の法則だと
私は、そう思っています。


こんな事を言うと
被爆された方に失礼だ!なんて言われるんですが
これも、人を傷つける言葉は「悪」として
判断しているから、そんな事を言ってしまうのです。
要するに自分は言葉で傷つけられたくないのです。
まぁ~当然の事なんですけどね。

でも、私からすれば、傷つく傷つかないは
本人がどう受け止めるかで決まりますし
どんな思いで、その言葉や文章を使っているか?が重要だと
私は、そう思っています。

まぁ~色々と不満や文句を言う人は
そこまで、深く考える思考が欠落してるんで
仕方ないんですけどね。

判断を相手に委ねていれば
価値観の違う人たちが集まる社会で
言葉も文章も使えなくなるんですけど
自分の価値観でしか
物事を判断できない人は
そう思う事が出来ないわけです。


私の場合、私自身を傷つける言葉は
私自身を成長させてくれる言葉だと思っているので
それは「善」なのです。
これが私の価値観なわけです。

根本的に求めているモノが違うんですよね~
自分の快楽を求めているか?
自己の成長を求めているか?の違いです。


なので、「被爆された方に失礼だ!」という言葉は
「お前もちゃんと快楽を求めろ!」という言葉に聞こえます。
まぁ~そんなエネルギー満載で告げる人が多いので
そう思ってしまうだけですけどね。

人それぞれ価値観は違うので
それはそれで、問題ないとも思います。


それに、過去日本が被爆した原因が明確になれば
この先の日本はどうすれば良いかも明確になりますが
原爆=悪、戦争=悪、原爆を落としたアメリカ=悪
では、何の解決にもならず
また、同じ出来事を引き起こす可能性があるわけです。

相手を「悪」とするだけでは因果関係が解らず
何も改善できていないので
日本の成長を止める考え方になるのです。
そもそも、この世は、自己改善を促す為に
苦悩が存在してますしね。


私は正直、戦争で被爆した日本は
その苦悩と同等の他国に与えていたと思っています。
それが、大自然の法則だからです。
なので、その苦悩をどうやって生み出したのか?
が、とても気になります。
また、どうすれば、そうならないように改善できるのか?を
明確にできれば、同じ過ちは繰り返さなくて済むと思っています。

大自然は、我々の心を成長させようと出来事を引き起こすので
逆に、戦争反対!戦争=悪で終わらせいる思考が
新たな苦悩を生み出す結果となりますし
また戦争を引き起こす引き金になるかもしれません。

自分が「悪」を生み出した分、苦悩を呼び寄せるのが
大自然の法則だからです。

逆に、戦争が起きる仕組みが理解できて
そこを改善する事が平和な社会を築く方法だとも思います。
言葉だけで、世界平和を唱え
戦争自体を「悪」認定していくら責めても
さらなる「悪」を呼び寄せるだけでしょう。
我々の心の成長を促す為に、もっと深く考えろ!と
大自然が戦争を引き起こすかもしれませんしね。




自分が生み出した負のエネルギーは
その分の徳を積めば解消できるので
残された人生で徳を積み続ければ、人生が好転します。

まず、徳を積み続けると、自分の中から「悪」を生み出す思考が
消えてゆくんですよね~
私の周りには、そんな人が沢山います。

徳を積むためには、相手を理解する事が必要不可欠になりますし
相手の立場で物事を考えなければならなくなるので
自分都合の「悪」を生む思考がなくなっていくんです。
「悪」は自分都合の視点でしか生み出されないという事です。


なかなか理解でないでしょうかね?
まぁ~徳を積もうとする体験がなければ
永遠に理解できない事だとも思います。

自分が「善」だと思っていた事が
人によっては「極悪」だったという
体験をしない限り、解らない事かもしれません。

過去の経験が自分の価値観を生み出していますし
徳を積むという経験がなければ
徳のない価値観でしか物事が判断できないので
解らないのも道理でしょう。


なので「徳を積め!」「ボランティアに参加しろ!」
と、言い続けているんです。w

だって実際に、それだけで苦悩から解放されますし
私は長年、相談ボランティアをしていますが
正直、それだけで全ての苦悩が解消される人を
たくさん見てきました。
私自身もその一人ですし。
苦悩解消に必要な徳の量については
自分が生み出した「悪」の量に比例しますけどね。






自分が「悪」を生み出している時は
ムカついてるし腹が立っているときですが
人間、腹の立つこともあるでしょうし
ムカつく時もあります。

そんな時、自分が正しくて
相手が悪いから腹が立つと
そう思ってしまいがちですが
自分自身を省みる事ができると
自分の思い通りにならないから
ムカつき腹が立っている事に気づけます。

もっと言えば、理解不足でしょうね。
相手を理解していると自分はそう思っていても
実際は、自分を正当化する為の解釈しかしていない。
更に、自分に都合の悪い部分は、見ようとしないので
偏った解釈をし、理解していると思い込んでいるわけです。
私に言わせれば、殆ど妄想の領域です。


まぁ~人間は基本的に自己を正当化したいので
自分以外を「悪」としてしまう本質があるのですが
その思想は、小学生から心が成長していない状態だと
私はそう思っています。


で、物事がスムーズに進む人は
この事を理解しているので
どんな嫌な事があっても「善」として受け止め
自己改善に努めています。

この差は、人生において非常に大きいです。
私自身も、そんな思考になってから
人生が180度かわりました。

自分が正しく、相手を「悪」としてしまえば
自己を改善する必要はありません。
即ち心が成長できないままだという事です。

逆に、この世には「善」しかないと理解していれば
嫌な出来事から学ぶように努め
自己改善するしかなくなります。
それを怠れば、嫌な事が繰り返されますからね~

その理由は、大自然が我々の心を成長させようと
出来事を引き起こしているからだと
私はそう思っています。


我々が、小学生の頃に学んだ
正しい事、間違った事、この判断しかしていないと
自分の心は、小学生レベルのままです。

逆に、全てを「善」として受け止めている人は
嫌な出来事がある度に、自己の心を成長させています。

普通の人は、出来事から学び
自己を成長させているんですが
小学生レベルの心のままだと
善悪に囚われ、「悪」を生み出し続けてしまうわけです。

一流大学を卒業している国会議員の方々でも
そんな人、沢山いますよね~
いくら勉学が優秀でも、心が幼稚であれば
悲惨な人生が待ち受けています。


考えて見るとわかると思うのですが
集団で何かのプロジェクトを進めようとしている時に
小学生が混ざっていると困りますよね?

私が顧問をしている会社でもよくあるのですが
「嫌なものは嫌だ!」
「やりたくないからやりたくないんだ!」
なんて人が結構います。
要するに自分の思い通りにしたいだけなんですが
初めから会話にならないので
普通の人はマジで面倒だと思ってしまいます。

あの手、この手で言い訳を聞かされても
自分の子供のようにしっかり本心が伝わってくるので
マジで疲れてしまうものです。

でも、本人は自分の心が小学生レベルだと
思っていないので、自分の思い通りにさせない人を
「悪」としてしまうわけです。

そんな人は社内で最悪の評価をされるわけですが
本人にとっては、悪い評価をした上司や会社まで
「悪」としてしまいます。

こんな事を繰り返していると
自分の周りは「悪」だらけになりますし
自分生み出した「悪」のエネルギーが血肉にしみ込み
常にそんなエネルギーが放出され続けます。
嫌な事、辛い事、苦しい事ばかりが起きるので
どんどん、「悪」が増幅し
その内、存在するだけで嫌悪されるようになってしまいます。

誰にでも、話をした事がなくても
「なんとなく嫌な人」って感じる人いますよね。
自分がそんな人になっている事に気づけないのです。

ただ、居るだけで嫌われる存在なんて
マジで辛いですよね~

辛く苦しいのは理解できますが
往々にして、そんな方は
自分以外を「悪」する答えを求めているので
なんともならない事が多いのです。

まぁ~それはそれで仕方のない事なのですが
目前の現実を好転させたいのであれば
「悪」を生み出さないでいる必要があると思います。




以前ブログに記しました
不幸な人と幸せな人の違い - 修行バカの懺悔道
にあるように
物事がスムーズに進む人は
「悪」を生み出す思考がありません。

要するに、全てが「善」なのです。

理解できない人も多いと思いますが
理解できない=徳がない、と思ってください。

恐らくですが、全てを「善」とする事で
自己が成長でき、自己成長に伴って
現実が移り変わる体験を
何度も繰り返している人が
そんな思考になるのだと思います。
無意識にそれが解っている人もいるでしょうね。


そんな思考になると
感謝する事が増えてきます。
毎日、感謝だらけになるんですよね~

これはこれで、とても幸せな事なんです。

朝起きて、ベランダで深呼吸すると
とても清々しい気持ちになり
「ありがたい!」と思えます。
これって、とてつもなく幸せな事ですよね。

よ~く考えて見てください。
大金を手にしないと幸せを実感できない人と
朝、ベランダで深呼吸するだけで幸せを実感できる人と
どっちが幸せでしょうか?

私が、常々幸せは自分の中にあると言うのは
そう言った事なんです。

恥ずかしい話ですが・・
昔の私は、高級車に乗って
優越感に浸っていた頃もありました。
どうだ!俺ってこんなに稼いでいるんだぞ~
を、アピールをしているわけです。
凄い人だと思われたいわけです。
まぁ~人それぞれなんでしょうけど・・

今では、高級車をくれる人がいても
恥ずかしくて乗れないですけどね。

だって
高級車に乗って優越感に浸りたいアピールしまくってる
わけですからね~

私が尊敬している大会社の社長さんたちが
皆が皆、高級車に乗っていない理由が
自分が幸せになって、よく理解できました。


生きる為の指針が、皆さん「公」なので
高級車に乗る理由がないのです。
実際に高級車を乗り回していた社長さんたちは
皆さん、10年くらいで消えましたしね。
9割以上の会社が、起業して10年でなくなるって話も
事実なんでしょう。


消えてなくなる会社と
そうでない会社の違いは
求めているモノが「公」であるか「私」であるかの
違いだと私はそう思っています。
公共の利益を求めている会社と
自社の利益だけを求めている会社の違いです。

Softbank株の急落も(報道が事実であれば)
多額の税金を合法的に納めない手法を取った
すぐ後に起きました。
個人的には、そうなるのが自然原理だと思っています。

与えた分しか手に入らないのがこの世の理なので
「公」より「私」を優先してしまった結果でしょう。


人生も全く同じ仕組みの中にあります。
どれだけ周りに尽くしてきたか?
即ち徳の量によって、人生が左右されるわけです。

「与える事」「尽くす事」が優先の人生の人は
利己的に求める事が極端に少なくなります。

求める事が少なくなるので
ムカつく事も腹の立つことも極端に少なくなります。
「公」に尽くす思いが強く、自分が求めているモノが
利他的な物事だという事です。

そんな思考の人は「悪」を生み出す必要がなくなります。
「悪」を生みだす本質は、自分の思い通りにしたい私欲なので
他人の幸せを求める利他的な思いでは
「悪」を生み出す事ができないのです。

従って、出来事すべてが「善」という判断になるわけです。
自分を成長させるために、出来事が起きる事を理解し
そこに感謝しているから「善」なのです。





ダラダラと書いてしまったので
まとめてみます。

【虐めを解消するためにしなければならない事】

①「悪」を生み出す事をやめる
自分の生み出した「悪」の分、嫌な出来事が起きる

②他人を深く理解する
理解不足が「悪」を生み出す原因であり
物事を深く理解できれば、全てが「善」だと気づかされる。

③自分自身を省みる習慣をつける
どんな苦悩も自己改善が必要な時に起きるので
自己改善できれば、苦悩はなくなる

④徳を積む
自己を蝕む「悪」を生み出した負のエネルギーは
徳を積む事で、相殺できる。
自己が放つエネルギーが現実を引き起こすので
目前の現実も同時に変わる

⑥心を成長させる
大自然は、我々の心を成長させようと苦悩を創り出しているので
常々、慈愛の心を育む事で、目前の現実は好転して行く

⑦どんな出来事も「善」として受け止める
「悪」とは自分に都合の悪いものに過ぎない事を理解し
嫌な出来事は、自己改善の必要性を教えてくれている時であり
「善」として受け止めなければ、嫌な出来事に拍車がかかる


と、いった感じです。

なかなか理解できない事だと思いますが
これを実践する事で、虐めが改善された人がたくさんいます。

まぁ~私からすれば、自分のエネルギーが変われば
現実が変わるのは当たり前の事なんですが
自己改善で、現実が好転する事を体験できれば
自分を省みる事が癖になり
その先の人生も大きく変わりますし
実際に、嘘のように変わったという人も沢山います。





あくまでも、私の経験からくる考え方に過ぎませんが
やってみる価値はあると思ってます。




















「虐め」が起きる仕組み、「虐め」を改善する方法 - 修行バカの懺悔道