修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

鰯の頭も信心から

神社や寺には、神様、仏様は本当にいるのだろうか?

と、昔の私はよくそんな事を考えたものですが
そう考えると、「神様って何?」「仏様って何?」
って所に行きつくわけで
当時の私は、更に深い疑問を抱いてしまいました。w


私がまだガキの頃、参加した事のある新興宗教団体では
「信じる者は救われる」と言われました。
言われなかった事ないんじゃないかな~
修行させて頂いた寺でも言われましたね~
ときかく信じろ!というわけです。

要するに、「神様がいる」と思い込む事が大切なんだ!
という教えを色々な所で言われましたね~w

「思い込む」という事実を
「信じる」という言葉に変換しているので
なかなか、その真実に気づけなかったわけです。


まぁ~何をどう信じようが
どう思い込もうが自由なので
何も問題はありませんが
冷静になって、よくよく考えると
「神」=「思い込み」という事実が見えてくるんです。w

だって、神の存在を誰も証明できませんからね。

いや~罰当たり!と叱られそうですが
「神=思い込み」とするとウケますね。
まぁ~使う言葉が違うだけなんですけど・・


私自身、俗にいう観音様、お不動様、龍神などなど
神々と言われている存在達の
姿を霊的に見る事が良くあるのですが
それらを神様、仏様とする歴史があるから
そう思ってしまうわけです。
即ち、これも思い込みなんですよね~


「私は、先祖だ!」「私は守護霊だ!」と告げる存在が
現れれば、そう思い込んでしまう人が沢山いるのに
リアルな世界で、「陰で貴方を支えていました。」なんて言う人が
目の前に現れたらどうでしょう?
「なにこの人!気持ちワル!そんな事、頼んでないし!」って
思ってしまう人が殆どではないでしょうか?w

守護霊様だと感謝して
赤の他人だと気持ち悪いと思ってしまう・・

この違いは多分、思い込みだから楽なんでしょうね~

例えば、財布を落として、拾ってくれた人がいれば
やっぱ、1割くらいはお礼しないといけないと思うでしょうし
ちゃんと本人に会って、お礼を言わなきゃ!と思う人もいるでしょう。
でも、落した財布のある場所を守護霊に教えてもらっても
お供え物をしてお礼を言うくらいで、終えるんですよね~

そうです!
自分都合で解釈できるので楽なんです!w
「神様は、そんな細かい事は気にしない!だって神様だから!」
で、終わらせる事ができるんですよね~

そう捉えると
神様=自分に都合の良い存在
と、する事もできますし、事実そうなのかも?って
思えてきませんか?w




仮に、自分が守護霊としている存在が
「ケッケッケ!財布を落としてざまあ見ろ!」
なんて告げれば、
「守護霊だと思っていたのに!騙していたんだな!」と
その瞬間から悪霊に変わってしまいますし
普段は悪霊扱いしている霊が、禍々しい姿で現れて
「財布は、ガソリンを入れた場所にあるぞ!」などと
教えてくれれば、
「?本当は守護霊で、今まで試練を与えてくれていたのか!?」
と、いきなり扱いが逆転してしまったりするんです。

いや~
実際にこんな人がたくさんいるんです。







「神」や「守護霊」「守護神」という存在は
自分にとってより良き存在と定義してみます。


では、自分にとってより良き存在とは?
と、よくよく考えて見たらどうでしょう?

例えば、「信じる者は救われる」なら
「救われる」ってどういう事なのか?と・・・
考えると、自分が求めているモノによって変わるはずです。

普段から快楽を求めていれば、苦悩から解放される事が
「救われる」と思うでしょうが
与えられた苦悩を自分の力で乗り越えたいと思っていれば
無条件に解放されたくないわけです。


大自然は、我々に心の成長を促す為に出来事を引き起こしていると
私は、そう思っているのですが
自己の成長の為に、人の「苦悩」が存在しているのであれば
神棚を祀り、「神様助けてください!」とお願いするだけで
苦悩から解放されてしまえば、心が成長できなくなります。

従って、自分の煩悩を満たしてくれる
その存在は、果たして「神」と言えるのだろうか??

否!「神」じゃないよね?
って事は、神社や寺に祀られている守護神、ご本尊は
「神」じゃないのか?ってなりません?

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結局は「鰯の頭も信心から」なので
自分が、神だと思ったモノが神って事であり。

やっぱ、どう考えても
「神」=「思い込み」って事です。


色々と、ツッコミたい人もいると思いますがw
この辺については以前
このブログにエントリーした事があるので
霊って何? - 修行バカの懺悔道
興味のある方は、ご覧ください。







で結局、何が言いたいかと申しますと
「楽」を求めている人が
宗教やスピリチュアル行為にハマりやすいという事です。
人であれば、楽をしたいと思うのは当然なので
別にそれは、いけないことじゃないと思ってますが
それを、知っていた方がいいと思うのです。




「貴方には守護霊が見えます!」なんて言われると
目に見えない存在に守って貰えていると思い
ちょっと安心しますよね。

でも、人生は自分の力で切り開くという事を
忘れてはいけないでしょう。
どちらかと言えば、リアルな世界を直視した方が
目前の現実は、早く改善できます。

守護神、守護霊の言葉より
身近な人の助言の方が、自分に役に立つ事の方が多いですし
目に見えない存在に守って貰うより
リアルな人に守って貰った方が、物事が早く改善するのは
誰しも知っているはずです。


なぜ?目に見えない存在に頼るのか?は
やっぱ楽だからでしょう~
本質が思い込みなので、何でも自分都合で
まかり通る世界ですしね。

見たくない現実、受け止めたくない現実が
目の前にあれば、どうしても
現実味がない世界へと流れてしまいたくなるのも理解できます。

でも、現実を変えたいのであれば
リアルな世界の方が、たくさんヒントが落ちています。
毎日の出来事は、全て自分に必要なモノですし。










で、文頭の「神様って何?」ですが
様々な宗教によって、神とする対象が違います。

日本神道では、自然を神とし
全ての自然現象が神々がしている事としています。
即ち、全ての出来事が神なのです。
悪霊も因縁霊も守護神守護霊も全部ひっくるめて「神」なのです。
素晴らしい~教えですよね!

ご神体に鏡を据え置き
全ての出来事から学び、己を見よ!
と、教えてくれているわけです。

これぞ真理ですよね!
それを実践すれば、誰でも幸せになれるという教義なんです。
私自身も、その実践で霊的苦痛から解放されました。


どうせ神々を信仰するのであれば
こんな思い込みが、いいですよね。



それに、簡単に手に入るモノで
自分に価値のあるものなんて
この世に存在してないんです。

なので、「楽」を求めている以上
永遠に「苦」がつきまとうでしょうし
実りのある人生にしたいのであれば
やっぱ、日々努力、日々精進が必要でしょう!


一言で言えば
信仰心が全くなくても
何かに向かって必死になっている人は
それだけで、幸せだって事です。