修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

多くの人が、正しさという闇に心を殺されている

私は、普段から人が持つエネルギーを感じ取り
「人間」と「自然」との関りを観察し続け
その結果を自分に当てはめたりして
日々楽しく過ごさせて頂いています。


こんな人間なので昔から狂人扱いされてきました。
そして、スピ系の方々からは、魔物扱いされてきました。w

なんでかな?とか、昔は良く思ったものですが
同じ世界で過ごしているのに、感じているモノが
根本的に違うんだと、気づくまで結構かかりましたね~

そんな事を言うと「どう感じてるの?」とか
聞かれる事も多いのですが
実際に、話しても理解されない事の方が多かったので
あまり口にしてきませんでしたが
社会が混沌としているので、少しは伝わるかな~と
ちょっと期待し、記してみる事にします。

まぁ~わけのわからん内容に
感じるかもしれませんがご容赦下さい。w











我々の社会的常識、正論、正義は
私たちの「心の闇」が創り出していると
私はそう感じています。


そして、この「心の闇」は
真実から目を背ける事で生みだされます。

即ち、私たちの社会的常識や正論、正義は
本心を隠した嘘や偽りで、成り立っているという事です。

コロナ騒動で
「命があれば経済は復活させる事ができる!自粛しましょう!」
こんな主張をする人が結構います。
それは我々の社会では正論なのでしょう。
死を恐れる我々は、「命」が重要なのは誰しもが抱く感情でしょう。

しかし、翻訳すると
「私は、コロナで死にたくないので皆さん従ってください!」
っていうエネルギー満載なんです。w

なので
「私は死にたくないので、みなさん協力してください!
その代わりに、私が皆さんに出来る事は何でもします!」
と、自分に正直にそう言うべきなんです。

でも、「正論」という常識により
「私が皆さんの為に出来る事をする」
という言葉を、省く事が出来るわけです。




今、現金の手持ちが1万円しかなく
毎日、日払い給与でギリギリの生活を送り
同時に子供を養っていかなければならない。

私は、そんな方と接する機会が多いので
間違ってもそんな言葉は出てこないのです。
それは、同じように「命」が大切だと思っているからです。

経済と命が直結している人も沢山しますし
食べるモノがなくなれば、命に関わる事ですが
自粛しない人を、自分勝手で心が汚い人のように扱う事で
人の意識を操作しようとするのです。

まぁ~「悪」は滅びればいい!という思考であり
自分に都合の悪いものは「悪」としてしまう
人の性のようなものでしょうかね。

とは言え、結果として人の命を奪う行為を要請しているのですが
利己的な心は、局単に自分の視野を狭くしてしまうので
それはそれで仕方のない事でしょう。

こんな事が頻繁に起きる原因は
殆どの人が自分に都合の悪いものを
見ないふりしており、無意識に罪悪感を抱いているからです。
この罪悪感が「良い事をしなければならない」という意思を生み出します。
無意識に醜い自分の心を「良い事」で隠そうとするわけです。


正論を他人に強要する人は
自分の醜い心が膨れ上がっている人に多いですね。

どんなに素晴らしい言葉を並べても
どんなに素晴らしい行動をしても
自分の心から出るエネルギーは隠せないですし
そのエネルギーが自分の目前に現実を創り出しています。

従って「正しさ」に拘ると
「正論」が自分の「心の闇」を増幅させ
憎しみの感情を生み出し、自滅する事もある。





著名人の不倫騒動でも
正論という「闇」が働き人を抹殺します。
不倫された側を皆が皆、庇い
不倫した双方を一斉攻撃する。
あたかもそれが正しいかのように・・

しかし、大自然にはそんなルールはないのです。
妻が夫を心から愛しているのであれば
不倫した夫を当然ゆるすでしょう。
だって、愛する相手を無条件にゆるし受け入れるのが
本当の愛情ですからね。
常に「相手の為に・・」という思考が働く人なら
不倫させるほど、不満を抱かせてしまったと
自分自身を省みる思考が先に働くものです。

しかし我々の社会では、そうならない。
不倫した夫やその相手を責め
あたかも自分が被害者のように振舞う人もいる。
不倫した夫を人ではなくモノのように扱うわけです。
そこには、愛情はなく「独占欲」とう
「心の闇」があるだけなんですが、なかなかその事実に気づけない。
気づけないのは、「心の闇」が真実を隠すからです。

私からすれば・・
「独占欲」を「愛」として表現し押し付けられれば
そりゃ~不倫したくもなるわな・・って感じです。w

即ち一夫一妻制は、人の独占欲を満たす為の法律という事です。
まぁ~基本、法律は人の快楽を満たす為に創られてるので
仕方ない事なんですけどね。
そして、その法律は正しい事として無条件に多くの人に認識される。
本当に愛し合っていれば、お互いに不倫なんてしないんですけどね。

まぁ~愛し合う事は、人生のテーマなんで
簡単には出来る事ではありませんが
そこに至る為に人は不倫するんでしょうね。

私も「愛」というものはよく解りません。w








正論や常識、正しさと言うものは一方的な見解なので
自分に都合の悪いものを隠す性質があり
同時に「悪」を生み出し、自らを蝕みます。
「正しい事」に拘ると、どんどん自分が闇に堕ちるのです。


例えば、「安倍政権を批判するな!批判は良くない!」という発言は
「批判は良くない」という正論に囚われ
自分が安倍政権を批判している人を「批判」している事に
全く気づいていない状態と言えます。
「批判は間違っている!」と
「批判」を「批判」するという笑える状態です。

この仕組みにハマってしまうのも
「心の闇」が原因なんです。

正しい事、良い事に拘ればこだわるほど
「心の闇」が増えてゆくのです。

「悪」を排除しようとしてるのですが
「悪」は自分が生み出すモノなので
自分が生み出した「悪」×自分で「悪」認定して
「悪」を増幅させてしまうのです。
まぁ~これも仕組みが解ると笑えますよね。


正しい事は自分の中だけで消化すれば良い事であり
誰かに、周りに、強要する事ではないので
「正しさ」に拘れば拘る程、自分が苦しくなる。

誰かに正論をぶつけたり、正しさを強要する事は
自分がそれを相手に求めている、ただの「欲」なのです。

かなり、質の悪い「欲」なんですよね~
多くの人を傷つけ、多くの人の心を無意識に壊してしまい
時には人の命まで奪ってしまう。
そして、多くの人がその事実に気づけない。

「他人を大切に思う事」は、人として当たり前の事であり
そんな心がない人は、我々の社会では人間失格扱いされます。
とは言え、この言葉の本来の意味を深く考えず
「他人を大切に思う事」=「他人を傷つけない事」=「自分は傷つけられたくない」
という思いで使用されています。
心の奥で、自分を傷つける可能性のある言動は「悪」として
相手に強要しているんです。
素晴らしい言葉のはずが・・・
実際には、ただの「欲」でしかない言葉として使われているのです。

私は昔から、こんなエネルギーを感じていたので
「大人は嘘ばかりつく!」なんて思っていました。
しかし、気付けば同じ思いを抱く大人になっていまいした。w

私が、正論や正義、当たり前や常識を「キレイ事」と揶揄するのは
正論を他人に強要する人から真逆のエネルギーを感じるからです。






私が、ボランティア活動を皆さんにおすすめするのは
この「心の闇」から解放されるのも理由の一つです。
実際にボランティア活動を続けてみるとわかるのですが
「ボランティア活動」=「良い事」と思っていると
その思いを全否定される体験ができるのです。
自分が救われてゆくのが解るからです。

要するに「正論」自体が「悪」を生み出し続けているわけです。
「正しい事」「良い事」に拘ってしまうと
この状態が自分自身の心に闇を創り出し、自分だけではなく
自分の周りも闇に葬り去るわけです。
どちらかと言えば、「心の闇」が正義正論に拘る心を
創り出しているようにも感じます。

世界平和の活動をしている殆どの人が
心に深い傷を負い、人と人の争いを憎んでいますしね~


そうなってしまう理由は、
全ての人間が
エゴの塊のような心を持っているからです。
俗に言う「美しい心」を「正しい」とした時点で
自分で自分の中にあるエゴの塊を否定する事になるからです。

「美しい心」も「醜い心」も両方持っているのが人間なので
「善」「良い事」これらに拘ると、自分の醜い心を否定する事になり
自分自身を否定する状態に陥ります。

そして、正論を他人に向けて拡散させる行為は
「心の闇」を増幅させてしまう事となり
多くの人の心を壊してしまうわけです。

精神病や認知症、癌や自殺者をも生み出します。

「良い事」「正しい事」「正論」に違和感を感じた事はありませんか?
それは、人間であれば当然の感覚だと思います。

なので
「美しい心」を抱けるよう「努力」する事が大切であり
誰しもが、自分本位に生きている事が「真の人間の姿」である。

と、そう思っていた方が、毎日が過ごしやすくなると思います。

逆に「良い事」「正論」に拘ると
自分や他人を愛せない人間になってしまうでしょうね。

また、「美しい心」だけで過ごせるようになったのならば
人間じゃなくなってるでしょう。w







私たちは、普段から「肉」を食しています。
鶏、豚、牛を食べる為に育て毎日殺して食べているのです。
私は、この事実は忘れてはいけない事であり
直視すべき事だとそう思っています。
なぜならば、自分に都合の悪い真実から目を背ける事は
自分の「心の闇」を大きくする事になるからです。

私は、身体が拒絶するので肉は好んで食べませんが
毎日、鶏、豚、牛が食べる為に飼育され
食べる為に殺され、捌かれる姿を想像し
そして、その事実に感謝を捧げるようにしています。

そうする事で、私たちが
普段から自分に都合の悪い事柄を見ないようにして
過ごしている事がよく解るようになります。
また、同時にどんな人も毎日罪を背負っている事を
心に刻む事が出来るので「ゆるす心」を育む事が出来ます。

私たちは、私たちのエゴで成り立っている社会で
毎日を過ごしているという事に気づく事ができるでしょう。
そして、正論や正義、正しい事に惑わされなくなります。

私たちは自分以外を常に犠牲にしなければ
生きて行く事ができない世界で過ごしている事も
よく理解できると思います。
我々のエゴで成り立っているのが我々の社会なのです。

そんな社会で過ごす事でしか
慈愛の精神を育む事はできないんでしょうね。

従って、正論など幻想にすぎず
正しい答えをいくら探し求めても
この世界のどこにも存在していないのです。

何度も記してきましたが
「善」など、所詮は自分に都合の良いものであり
どれだけ、私たちの社会で正しく生きようとしても
初めから、それが出来ない存在として生まれているのが
人間という生き物なのです。

もう一度、言います・・
私たちは、どうあがいても自分勝手で
利己的に生きるように創られて生まれているのです。

「正しい事」「正しい世界」
そんなものをいくら求めても、創り出す事など
初めから不可能な世界で生きているのです。


人間とは、エゴの塊のような生き物だという事を理解できれば
自分の心に、多くを受け入れる器が出来ます。
そして多くをゆるせるようになります。
「憎しみ」が自分自身を破滅に導くのは
自分で自分を否定しているからでしょうね。

「正しい事」「良い事」に囚われるほど
馬鹿馬鹿しい生き方はありません。
毎日毎日、自分で自分を否定しまくり
その事に全く気づけないわけですからね~
しかも、周りに正論をぶちまければ
盛大に多くの人を巻き込んでしまう・・
「悪」を憎んで、誰しもが持つ「心の闇」という
「悪」を増幅させ多くの人を闇に葬ってしまうのです。




じゃぁどうすれば良いのか?
どう過ごせば良いのか?って事になるのですが・・


私たちは生まれた時から幸せなので
その事に気づくべきでしょうね。
それに気づく事ができれば、正しさなど必要なくなります。

私たちは、もうすでに幸せな世界に生れ落ちています。
それに気付かせようと、大自然は色々な出来事を
私たちの目前に起こしているのでしょう。


自分の不幸は、自分が不幸だと思った時から始まるだけなので
そう思わない心を創る為に、出来事から学び
自分の心を磨き続けるのが人生なのでしょうね。






特に今は、コロナ渦が広がっているので
「正しい事」「正論」を悉く無視するのもいいでしょうね。w
こんな時は、「正論」に巻き込まれると
ロクな事がないですからね。

「正しい事」は無視!無視です!w

人間は、醜い心を持った生き物なのです。
それは、全ての人に共通した人の真の姿です!
「正論」を周りに強要する人は
自分の醜い心を隠しながら
自分の思い通りにしたいだけなのです。
どうだ!私は素晴らしいだろ!と
言いたいだけだと思っておきましょう。w

本当の「正しい事」を知っている人は
他人に強要したりしませんからね~

なので、もっともっと自分勝手に生きるべきです!
争ったっていいじゃない!それが人間の証です!
自分勝手でいいでしょう!
誰しも自分勝手に生きる事しかできないんです。
それが正論に殺される多くの人を
救う事に繋がったりしますしね。


そして善悪に囚われない事です。
正解を自分の外に探さない事です。
自分以外があって自分が生きられる事も
忘れてはいけません。

自分の置かれた現状の中で、周りを見ながら
自分勝手に生きればいいでしょう!

自分の命が優先なので
食べるモノがなくて死にそうなら盗みもOKです!

自然界から奪いまくっているのが人類ですからね~
略奪を正当化しているのが人類の歴史でしょ?
常に奪わなければ生きて行けないのが人間ですしね。

自然界からなら奪ってよい!としているのは
至って自分勝手なルールだと思いません?
土地の売買なんて、私からすれば
頭がいかれてる行為としか思えませんしね。w

でも、盗みで命が繋がったら
ちゃんとゴメンナサイをして罪は償いましょう。
そして恩返しもしましょう。
盗んだ相手に、感謝しましょう。


私たち人間は
どれだけ利他的な思いを抱いても
利他的な思いですらエゴでしかないのです。

どこまで行っても、我々はエゴの世界から
出る事はできないのが、この世の理なんでしょうね。


社会のルールに従って「正しく」生きる事を強要されれば
どんな人間も壊れてしまうのが
大自然の法則だと私はそう感じています。

そんな事、初めから出来ないように
創られて生まれてくるのが人間なのです。

これも、自分の中にある「幸せ」を見つける為の
大自然の法則なんでしょうね。





我々の社会は、我々の「快楽」を満たす為に創られています。
そんな社会の中で「正しさ」なんてあるわけがないんです。

人間の「快楽」は、何かを犠牲にして生まれるモノなので
そこで、「正しさ」を強要すれば
どこかで犠牲が生まれるのは至極当然の結果です。

それぞれの「正論」をぶつけ合うやり取りは
私には「誰を犠牲にするか?」の
やり取りにしか見えないんですよね~w

初めから存在しないモノを強要し合うから
社会が混沌とするのは、当たり前だと思いません?


なので、「正しさ」なんて無視した方が得策でしょう。w
この先、コロナウィルスを「悪」とした者が
大自然から不適合者認定を受けるでしょうね。
コロナ=神の御使い、くらいに思っておいた方がいいでしょう。w

なので、コロナを避け過ぎて
「正しさ」に殺されないように注意しましょうね。