修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

「虐め」が起きる仕組み、「虐め」を改善する方法

相変わらず虐めや人間関係についての相談が多く
もうかなりの人数の相談を受けてきました。
環境を変えても同じ事が繰り返されるので
先祖からの因縁や霊的に何かあるのでは?と
そう思ってしまう人もいらっしゃいます。



人間関係で悩んでいる人には共通している所は
物事を見る視野が、極端に狭く
そして、善悪の判断に囚われてしまっているという所だと
私は、そう感じています。






まず、他人から傷つくような言葉を向けられたり
嫌がらせをされたりするという事は
自分自身も同じような事を無意識に他人にしているという事です。

「現実は鏡」「因果応報」最近では「ブーメラン」
という言葉があるように、自分の行いは我が身に降りかかる・・
そんな大自然の法則がある世界で我々は過ごしているからです。

従って、人間関係をスムーズにする為には
その行為をやめるだけで良いのです。

至極、簡単な事なのですが
人現関係が拗れる人は、どうしても因果応報などと思えないのです。
「私は何も悪くない!」
「私は正しい!」
「そんな事ありえない!」
と、そんな思考が働いてしまうのです。



まぁ~難しく考えずに
相手に一緒にいたい、また会いたいと
そう思わせる人間になっていれば
虐めに合う事はないんですけどね~





「因果応報」という考え方を
受け入れられない理由の一つとして
善悪に囚われてしか物事を判断できない思考になっている場合があります。
要するに、目前の現実から学び、自己改善するのではなく
自分を常に「正しい」として物事を判断する癖がついているのです。
この呪縛にハマって人間関係が悉く壊れる人がとても多くいます。

自分を否定される事を極端に嫌う人にも多いです。
逆を言えば、他人に認められたい欲求が極端に強い人ですね。
自分と価値観が違う人のその「違い」を
自分を「否定」したと受け止めてしまうのです。

結果として、自分と同じ価値観の人しか人間関係を築けないのですが
残念ながら、全ての人が価値観が違うのが、この世の仕組みです。
従って、孤立してしまう結果となり
集団からは、排除されるようになってしまう。
まぁ~仕方のない事でしょう。


「認められたい」という欲求が強すぎると
他人の価値観を否定批判する事が増えてしまい
自分の価値観のみでしか物事を判断できなくなります。
要するに、自分の価値観を相手に強要してしまうのです。

従って、極端に視野が狭くなってしまいます。
出来事に対して、自分を正しいとする判断基準で
常々ジャッジしてしまい、その出来事が起るに至った過程を
まったく考える事が出来なくなってしまうのです。


例えば、職場の皆に差し入れのケーキを買ってきたら
そのケーキを同僚に踏み潰されたとします。
これだけを聞けば「なんて酷い事をするんだ!」と
誰しもそう思ってしまうでしょうし
嫌がらせをされた!とそう受け止めるでしょう。

しかし、目前の現実は
過去からの自分自身の言動が引き起こしているので
そこに至るまでの、自分の言動が
ケーキを踏み潰されるという現実を創り出しているわけです。

ですが、常に自分を「正しい」とする思考は
「ケーキを踏み潰された」という出来事だけを切り取って
その人を「悪」として判断してしまうのです。


私が、この話を聞いた時は
貰ったケーキを目の前で踏み潰すなんて
この人(相談者)は、他人に嫌な事をし続けてきたんだろうな~
と、そう思いました。
普通一般の人は、よほどの事がない限り、そんな事しないので
その「よほど」の事をしてきたという事になるわけです。

でも、虐めに合うような人は、そんな考え方を全くしないのです。
だって、常に自分を「正しい」としていますからね~

まぁ~中には人格が壊れている人もいるのですが
仮にケーキを踏み潰した人がそんな人だったとしても
そんな人と「縁」があるという事は、自分も同等だという事ですしね。


そうなってしまうのは
自分自身の強い自己顕示欲が原因だったりします。
他人に「認められたい」という欲求が強いという事です。
強烈な利己的意識は、無意識に自分を正当化する理由を探してしまい
物事を判断する視野を狭めてしまいます。
自分の過ちを打ち消す思考が
常時働いてしまう状態で過ごしてしまうのです。

自分を正しくする世界しか見えていない状態に陥っているわけです。


自分を正しくする世界しか見えていない人に対して
いくら改善を促したところで
逆に「悪」認定されてしまいます。w


「もっと相手の立場になって考えた方がいい!」
と、アドバイスすると
「私は、誰よりも相手の立場を考えている!」
という返答が返ってくるわけです。w

虐めに合うような人は、真剣にそう思っているんですよね~
まぁ~自分の思い込み世界で
過ごしているので仕方ないんですけどね。



以前から利己的な世界が視野を狭くすると言ってきましたが
この「視野が狭い」というのが、かなりの曲者なんです。

虐めに合うような人は、100%自分が正しいと信じて疑わないのですが
これも、自分の視野が狭い為にそう思ってしまうのです。
我々の社会で虐めは「悪」ですしね。


例えば、自分が認識している視野の指数を
「自己認識視野指数」とでもしましょうか。

仮に、100の視野をMAXとして、90以上の視野を「視野が広い」とします。
実際に視野指数が100あるわけですが
視野が狭い人の視野指数MAXは、初めから10なんです。
なので、自分の視野が10あれば、自分の視野は広いとそう思ってしまうのです。

だから、他人と正常なコミュニケーションが取れないのですが
本人からすると、「もっと広い視野で物事を判断しろ!」と言われれば
「自分は視野MAX10あるのに視野が狭いと虐められる!」と、そう思ってしまうわけです。


人間関係がうまく行かない人は100%他人の価値観を
認めて受け入れる事が出来ないのですが
これも同じで
他人の価値観を理解するという指数をMAX100とすると
虐めを受ける人のMAXは10なので
10の指数がある自分は、他人の価値観を常々受け入れていると
そう判断してしまうわけです。



もうこうなると何を言っても無意味なんですよね~
一般の人からすれば、「ウザイ人」となってしまうわけです。
そんな人は、往々にして自分の狭い視野での判断基準で、物事を押し付けてきますからね~
他人から「認められたい」という欲求が
他人を「認めさせたい」という言動を繰り返してしまうわけです。

自分を常に「正しい」と思い込んでの判断が、自分の視野を狭くしているので
どう関わっても、自分の価値観を押し付けてくるわけです。
そして、自分の思い通りにならない相手は全て「悪」としてしまうわけですから
誰しもが「関わりたくない」と、そう思ってしまうのです。

自分が関わりたくない相手が、関わってこようとすると
それを拒絶するのは、正常な人の行動です。
それで終われば良いのですが
関わりたくないと思っている相手に対し
自分を「認めさせたい」という欲求が働き
その行為を「悪」として攻撃してくるのです。
もうそうなれば、排除するしかなくなりますよね。
その「排除」という行動が「虐め」とされているわけです。

でも、排除対象とされている側は、視野が極端に狭いので
どうして、そんな事をされるのか?全く分からないまま
虐めをする側を「悪」認定し続けるわけです。
これが社会的に「ハラスメント」とか「虐め」と判断されるので
人間関係がいろんな所で、拗れまくるわけです。




虐めに合う人達は、自分が創り出した「思い込み世界の呪縛」から
出ない限り、そこから逃れられないと思います。
これが、私が感じている虐めに合う人たちの共通している所です。


いくら他人に相談した所で、自分を正しくする判断を
無意識にしてしまうので、なかなか改善できないと感じてします。

この呪縛から解放される為には
自分の価値観を変える必要があるわけです。
価値観を変える為にには、言動を変えなければなりません。

くどい!と言われそうですがw
ボランティア活動に参加し続けると良いでしょうね。

自分の煩悩に逆らう言動は
とても沢山の気づきを与えてくれますしね。



虐めの相談を受ける人に
「他人の喜ぶ事をしましょう~」と言って
定期的に誰か何かの為にした行動を
振り返る作業をした事が何度もあるのですが

虐めに合う人にとっては
普段から誰しもが普通にしている事が
「相手の喜ぶ為にしている特別な事」だったりします。w
これも、複数の人で行いましたが
全員そういう判断をしていましたね~

なので、「自分が良い事」と思っている事が
周りに人からすると、そうでないという事を知る必要があり
そんな体験をする事をお勧めしたいです。

個人的には、人の関わりのあるボランティア活動がおススメですかね。
自主的な、ゴミ拾いや清掃でも良いのですが
自己満足で終わってしまうので
価値観が変わるような出来事と遭遇するまで時間がかかります。


自分の価値観を変える事は
かなり大変な事に思えるでしょうが
自分の至らない所を探して改善し続けるだけなのです。

誰しも不完全で未熟なので
楽しい人生が過ごせるわけですしね。

逆に、自分は常に正しいと思い込むと
自分の心の成長を自分自身でストップさせてしまうので
つまらない毎日を過ごす事になるのは道理でしょう。




繰り返しますが
思い込み世界の呪縛から逃れる為には
自分の視野を広げる必要があり
視野を広げる為には、利他的な思いで行動する事が必要不可欠です。
思っているだけでは、何もしていないと同じですし
利他的な思いでの経験・体験が視野を広げるますしね。

「自己認識視野指数UP!」です。w











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