修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

心が病んでいる人との接し方2

いや~負のエネルギーが増し増しですね~
害虫が増えて困ります。

長野は都会より気が良いので
普段は蚊に刺されることもないのですが
20年ぶりに蚊取り線香を買いました。
こんな季節に都会には行きたくないですね~

負のエネルギーが増えると
心を病む人も増えるわけで
ちょっと手に負えないな~って数の相談があります。


以前の記事の時とは
精神を病んでいる方との接し方 - 修行バカの懺悔道
状況も変わってきているので
もう少し突っ込んで、記してみたいと思います。

これから記す内容は
私が今まで数えきれないほどの
相談を受けた経験に基づくものであり
全ての人に当てはまるものではありませんが
当てはまる事が多いケースになります。
どうか、ご容赦ください。










知り合いや家族が欝になり
どう接すれば良いのか?全く解らない・・
なんとかしてあげたいと
思って接すれば接するほど
悪化するように思えてならない・・

という相談がすごく多いです。

なぜ?上手く接する事ができないのか?は
「なんとかしてあげたい」という
この思いが、欝を患っている本人にとって
とてもウザイ場合が多いからです。

嫌がらせ、されているように
感じている人も多いでしょうね~

誰しも「もう、うんざり!」と
思っている事を他人から
何度も何度もされると
勘弁して欲しいと思いますよね。
パニックになったり発狂する人も居るでしょう。

欝を患っている人に対して
「なんとかしてあげたい」という思いは
善意の押し付けだったりする事の方が多かったりします。


本人が自分で直したいと思っていれば
相手の話を聞けると思いますが
そうでなければ、関わりたくもない相手であり
そして、そんな自分に罪悪感を感じて
更に悪化するわけです。


では、どうすれば良いのか?



多くの鬱病の方は
自分を認めて受け入れて欲しいと
そう思っています。

そして、多くの鬱病の人が
受け入れたくない態度で接してきます。


ようするに受け入れがたい態度で接してくるのに
受け入れて欲しいと思っているわけです。


なので、周りの人は、関わりたくないと思うか
逆に「なんとかしてあげたい」と思うわけですが
「なんとかしてあげたい」って、相手の気持ちを無視した
自己の価値観の押し付けですよね?

相手を理解しようともせずに
ただただ、自分の正しさを押し付けてくる人・・

鬱病の人は、このエネルギーを
敏感に感じ取り、拒絶するわけです。





まず、「鬱病は治さないといけない病気」
「社会生活で支障のない状態が良い事」
「人が苦しむのは、悪い事」
などという類の固定概念を捨てた方が良いと私は思います。


欝病になる多くの人は
社会の一般常識が原因で病んでいる人が多いので
その常識に基づいて接すると
自分はダメな人間だ!
全部自分が悪いんだ!
と、自分を追い込んで悪化してしまう事が多いです。

なので
「なんとかしてあげたい」という
貴方の常識が、相手を更に追い込んでしまうのです。

とは言え、それが自分のエゴだとしても
何とかしたいですよね?w



私の場合、こんな体質なので
鬱病の方と接見すると負のエネルギーを沢山感じ
霊が見える人であれば
「悪霊」といわれる輩にいっぱい憑かれている
ように観えるわけです。


で、この「悪霊」たちを
「神の化身」として、受け止めてみると
どう考えても、目の前の鬱病患者は
私自身を教育しようとしていると
そう思えてならないわけです。


ようするに
「目の前の鬱病患者をなんとかしたいのであれば
まずは、お前自身が成長しろ!」と
私は、そう解釈しました。


面白い事に鬱病患者と言っても
色々なパターンがあり
多くの鬱病の方と接する事で
私自身は、多くの己の至らなさに
気づかせて頂いたわけです。


我々のご先祖様の
「すべては神々がなさっている事」
という考え方は
まさに、その通りだなぁ~
なんて、思いましたね。

そして、自分が変われば相手も変わるという
大自然の法則があるので
身近に欝を患っている人がいるのなら
試してみると良いでしょう。







怪我をすると痛みを感じますよね。
その痛みは、人間にとって必要なものですよね?
怪我をしても痛みを感じない人は
怪我を放置して死ぬかもしれませんよね?

心の痛みも同じです。
心に痛みを感じるという事は
心の痛みの原因を取り除く事が必要なのです。

足に棘を刺した原因を、責めても怪我は治らないように
心に棘を刺した原因を、責めても心の傷は治らないのです。

足に刺さった棘は、取り除かないと悪化するように
心に刺さった棘も、取り除かないと悪化するわけです。



まれに、怪我で棘が刺さったまま
傷が治り痛みとともに過ごす人もいますが
心に刺さった棘も、同じように
刺さったままの治療が行われています。

薬で、心の痛みだけを取り除き
思考から心の傷の記憶を薄れさせて行くわけですが
記憶が薄れても、血肉に刻まれた経験値はなくならないので
定期的に心の傷が痛みます。最悪、自分でなぜ?苦しいのか?
なぜ?痛むのか?解らなくなります。

結果として、心の痛みと共に過ごす事になるのですが
何かのきっかけで再度、発症します。
その発症は、前回より酷くなっているので
昨日まで笑顔でいた人が、いきなり自殺したりします。

大自然は我々の心の成長を促しているので
発症するきっかけになる出来事を突きつけてくるのです。





精神病の治療が間違っているとは言いません。
私は、精神科医ではありませんし
精神科の治療がどんなものかをよく知りませんし
現代医学では、「心の傷」の存在を確認すら出来ないので
仕方のない事なのだろうと思っています。

ただ私の場合、現実として、心を病んで治療を続けて
廃人のようになってしまった方をたくさん見てきました。

心の痛みを傷を治さずに痛みだけを取り除き続け
結果として、傷がどんどん大きく広がり
薬なしでは、過ごせなくなる状態です。

薬によって感情の起伏を抑えるので
感情のない人間のようになってしまうのです。

内臓に傷があり、それを治さず
どんどん広がっている状態で
薬で痛みを取り除いていると言えば
想像できるでしょうか?


こうなると、対話が出来ないので
なんとも致し方がなくなるのですが
実際に、その状態になってから
相談に来る方がとても多いのです。

まぁ~私のような訳の分らない人間に相談するより
精神科医→カウンセリング→霊能者
って順番になりますよね。

で、結果一向に改善せず
どうにもならなくなって
私のような輩に相談に来るわけですが
薬で思考を殺した廃人状態では、対話ができないわけです。

ただ、心の叫びは聞こえてくるんですよね~
「助けて~!」って・・
いい年こいた、おっさんが
自分の無力さに泣けてくるわけです。

これ解りますかね?
目の前で、助けを求めている人がいるのに
何もできない心苦しさってやつ?

ここ最近、そんな歯痒い思いを繰り返しているので
こんな記事を書いているわけですが

鬱病の早い段階なら、ちょっとした事がきっかけ
で治る場合が多くあります。

まず、自分の心の傷は、自分自身でしかつける事が出来ないので
自分自身でしか、その傷は治せない事を理解してください。
そして、周りに出来る事は、そのきっかけを与える事しか出来ません。

きっかけを与えるにも、相手がどんな状態なのか?
を把握する必要があります。
自分の価値観で判断するのではなく
相手の価値観を知る事が重要でしょう。

なぜ心に傷を負ったのか?
その原因は、自分の中の何が原因なのか?
目前の現実の受け止め方をどう改善すれば良いのか?

心に傷を負うという事は、心の成長が必要不可欠であり
心の成長でしか、心の傷は治りません。

従って、現実の受けとめ方をどう改善し
どう言動に移すかが解らなければ、治る事はないでしょう。

貴方の前で「もう大丈夫!」と笑顔で応えている人は
ひょっとしたら心で悲鳴をあげているかもしれないのです。


接する側が注意するのは、善悪の判断に囚われない事です。

鬱病は、病気で悪い事
◎心が傷つく事は悪い事
◎心を傷つける事は悪い事
◎人のいう事を聞かない人は悪い事
◎人の嫌がる事をする人は悪い人

◎社会復帰する事が良い事
◎病気が治る事が良い事
◎人に優しくする事が良い事
◎人に親切にする事が良い事
◎人のいう事を素直に聞く人が良い人

など・・
これらの一般常識に苛まれて心を壊している場合がとても多いのです。
大自然には、「善」も「悪」もない為
善悪の判断に囚われて心を壊す事は、至って自然な事でしょう。
これだけ豊かになった社会で、我々が示す「善」で人を縛る事は
「人間をやめろ!」と言っている事に等しいのです。


鬱病になるケースで、先祖からの経験値による
「血」が影響している場合も多くあります。
この場合は、対話だけでは、どうしようもありません。

なぜならば、思考とは別な所で感情が動かされるからです。
この場合は、新たなる経験により
過去からの経験値を上書きする必要があるので
かなりの時間を要します。

同じ動作を繰り返すと意識せずとも身体が記憶しますよね?
それと、同じ事を、血に逆らった経験でする必要があるのです。

「血の仕組み」については
また、改めてエントリーしますね。





鬱病の完治」は社会復帰出来る事や
普通に過ごせる事ではありません。

考えてみれば、解ると思うのですが
社会の一員として、普通に過ごしながら
欝を患っている人は、沢山いるのです。
何の解決にもなっていませんよね?

私の言う「鬱病の完治」は、自分で自分の心に刺した棘を
自分自身で抜き取る事であり
そして、その傷のおかげで心が成長し
その結果、心が傷ついた出来事に感謝した状態です。

私は、数多くの精神を患っている方々と接してきましたが
鬱病」という経験が、自分を大きく成長させる
きっかけになった人たちを沢山みてきました。

鬱病などの精神の病気を乗り越えると
素晴らしい未来がまっている事が多いという事です。

私自身もその一人ですし、そんな人を
たくさん見てしまうと
薬漬けの廃人になる前に
どうしても、なんとかしたいと
私の「欲」が騒ぎ出すわけです。




令和になり新しい時代が始まり
社会の常識に囚われ、自分の心を壊す人が増えるでしょう。

正しいと主張する人、間違っていると主張する人の中で
何が正しくて何が間違っているかが解らなくなり
どちらを選択しても、必ずどちらかに責められる・・・
結果として、自分を責めるしか出来なくなり
心を壊してゆくわけです。

今の若者は、昔の人より我欲が少ない為
物事を深く洞察する事が出来ます。
ボランティア活動に参加している沢山の若者を見ていると
昭和生まれの人より、利他的な思いが強い人が多いでしょう。

そんな利他的な思いを、利己的な思想で潰してゆく社会など
やっぱ、あかんですよね。

我々の社会の当たり前や常識がおかしいと
気付いていてる人もかなりの数いると思うのですが
利己的な思想で正しい、間違いの選択を迫る社会が
ある以上、この先も多くの若者が心に苦痛を感じて行くでしょう。

世界の未来を担う若者たちを追い詰めている社会を
なんとか、したいものですね。