修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

正義の正体は利己的な欲求である

「正しさ」とは何か?
「正義」とは何か?
それは、いつどうやって決められ生まれたのか?

私は、ガキの頃から否定され続けて来たので
昔から、そんな事ばかり考えてきたのですが
「正しさ」など結局は、人が抱く
我欲や恐怖心の裏返しに過ぎないと
そう思ってきました。

屈折した奴だ・・
頭おかしいんじゃね?
とか言われ続けてきたのですが
年を重ねるにつれ、その思いが強くなり
今では、そう確信しています。w


私たちは、子供の頃から
「良い子」であるように両親や家族
教師や大人達からそう教育されます。

大人のいう事をよく聞く
素直な子供が「良い子」とされてきました。

私のように、なぜ?そうしないといけないのか?
どうして、どれが良い事なのか?
どうして?なんで?なぜ?なぜ?なぜ?
と、毎回聞くような子供は
素直ではない、「悪い子」とされるわけです。w

「悪い子」とされるのは嫌だし
でも、どうしてなのか?解らないまま行動するのは
とても怖い事のように思ってしまい
「なんで?」「どうして?」と聞く事は止められず
そのうち、そう聞く度に殴られるようになりました。
「ダメなものは、ダメだ!」と・・
まるで、「嫌だから嫌なの!」という子供のように・・

どっちが子供なんだ?って感じですよね~w

物心がついた頃には
大人に都合の良い子供が「良い子」なんだと
そう思うようになりました。



私たちは、大人のいう事を素直に聞く子供は
「良い子」として、褒めるでしょう。
まるでペットの犬のように可愛く感じるのです。

自分の言う事をよく聞いてくれる人は
自分を認めてくれる相手となり
自己承認欲求が満たされるわけです。

極端に言えば、子供に自主性を求めない事が
良い事とされているわけです。

そして、そんな子供は、大人になり
自主性がないと咎めるわけです。
もう数えきれないほど、そんな欝認定された方の
相談を受けてきました。
これって、酷い事ですよね~

大自然がそんな事をゆるすわけがないので
時と共に大人の言う事を聞かない子供が増えゆく。
そして、今度は「発達障害」だと病気にしてしまうわけです。

挙句の果てには、他人に迷惑をかけまくる行為を
「個性」だと、断言する人までいる・・


子供は、経験が浅いので、色々な判断力に欠ける為
自主性を与えないのは仕方のない事だとは思うのですが
なぜ?それが良いのか?なぜ?それがダメなのか?
を、説明する義務があるでしょう。
それが教育であり
「子供は大人のいう事を聞くものだ!」
「大人の言う事を聞かない子供は悪い子だ!」
とする事は、ただの命令に過ぎない・・
なぜ?大人が、そうなるのか?は
「説明するのが面倒だから・・」
「自分も解っていないから・・」
と言う感じが殆どでしょう。

子供に解るようにいちいち説明するのは
面倒だし、面倒だと感じるという事は
その事に自分にメリットを感じないからであり
心のどこかで、自分の時間を優先しているのです。

結局は、自身の我欲がそうさせているという事です。
まぁ~よく解らないまま流されて育った親も多いですけどね。



「他人に優しくする事、親切にする事が良い事」
と、子供の頃しっかりそう教育されるわけですが
残念ながら、私は性格がひねくれていたので
優しくされたり、親切にされる経験があまりありませんでした。
どちらかと言えば、殴られたり蹴られたりする事の方が多かった。
実際には多大な愛情を向けてくれたのかもしれませんが
暴力のインパクトの方が大きくて記憶にないのです。

でも、大人の言う事を聞かない自分がいけないのだと
そう思っていました。
パワハラだなんて、思った事はありませんでしたね~w

自分に暴力を振るう大人に
「他人に優しくする事、親切にする事が良い事」
だと、そう教育され続けるわけです。
もうこの時点で、みんな狂っている!と
子供ながらに、そう思いましたね~w


しかし、大人になって、私が狂っていると全否定してきた
この世の中や人々が正常な姿なんだと学びました。
社会の秩序を保つ為に必要な事だったのです。

社会の秩序を保つ必要があるのは
私たちが過ごしやすく生活する為であり
社会を過ごしやすくするという事は
嫌な出来事や辛く苦しい出来事を無くす事となります。

即ち、人々が、より多くの快楽を満たす為の社会が
「良い社会」という事になるのです。

「良い事」「悪い事」の判断の根本にある基準の
殆どが、人々の快楽を満たす事が出来るか?否か?で
創られているという事です。
そして、そこに「正義」が生まれます。

人々は、生まれながらに快楽を求めるように
創られて生まれてくるので
そんな社会を創ろうとするのは、当然の事でしょう。

そして、大自然の法則上、快楽を求めれば求めるほど
辛く苦しい出来事が起きるわけです。

私たちは、初めから苦悩に向かってゆく
国や社会を創り上げているわけです。

国と国との争いは絶えず
核廃絶なんて、できっこないんです。
世界平和?ありえないでしょうし
そんな世界は、あってはいけないとさえ思います。
人の心がどんどんと腐って行くからです。



私たちは、快楽を求めるが故に、辛く苦しい出来事に直面し
そして、それを乗り越える度に心を成長させているわけです。


令和になり、そろそろ今までの善悪の判断基準を
見直す必要がある時がきたのでしょう。
そうする事により、我々の心は一段階、成長できると思うのです。













私は「正義」ほど危険な思想はないと、そう思っています。

だれしも辛く苦しい現実は、起きない方が良いとそう思っているでしょう。
そこに「恐怖」を感じるように我々は、そう創られているからです。

そして「正義」は、我々の辛く苦しい現実を取り除いてくれる思想なので
無意識に、その思想に同調してしまいます。
辛く苦しい現実を生み出す存在は「悪」であり
その「悪」を排除する存在が「正義」となっているのです。





私は、子供の頃から「悪」認定され続けて来たので
この「悪」という存在にとても興味がありました。

社会の一員として、働かない浮浪者は「悪」とされていたので
まずは、そこからだ!と、そう思い浮浪者をし
そして、その次に一般人が白い眼を向けるピンサロの呼び込み・・
など、色々とやる事で多くを学びました。

その結果、「正義」とは、「無知」が生み出すものだと
そう思うように至りました。


なぜならば、嫌悪する対象や我欲を阻害する対象
または、恐怖を感じるような出来事を排除する行為が
無条件に「正義」だからです。

「悪」には、「悪」である理由があるのに
それを完全に無視しているのです。
そこにどんな理由があろうと全く関係ない・・
そこにどんな事実が潜んでいようが全く関係がない・・
それが「正義」だからです。

そして、人間はその流れに無条件に同調する生き物なのです。
誰しも心の初期状態は、そんなものなんです。



例えば、コロナ騒動も、コロナウイルスに感染しない事が「善」であり
それを執行する事が「正義」となっています。
その事にいくら疑問を抱いた所で、その流れに逆らう事はできません。
なぜならば、多くの人が、その「正義」に同調しているからであり
コロナウイルスという「恐怖」を排除する事が「正義」だからです。

コロナウイルスは、怖くない!とそう思っている人は
インフルエンザの致死率との比較や
年間の肺炎の死亡者数、感染と陽性の違いなど
数値的根拠に基づいた考え方をしていますが
コロナウイルスを、怖い!と思っている人は
その数値的根拠もなく、恐怖心の排除を優先しているのです。
そして、「命」は尊いものだ!と強調する。

誰しも「死」に対して恐怖心を抱くように生まれてくるので
「死にたくない」=「命は大切」=「正義」
と、無条件に、そう思ってしまうのです。

そして、大多数の意見に逆らう事に恐怖を感じてしまう。
社会は、人と人との関りで成り立っているので
自分一人の言動が、多くの人に迷惑をかけますし
殆どの人が自己承認欲求が働き、周りに流されてしまうわけです。
多くの人に否定批判される事が、嫌なだけでしょう。

すなわち、何事も人の快楽が優先されるのが
人間と言う生き物の構造であり、その為に
真実がお座なりにされるのが、我々の過ごす社会でしょう。


人を傷つける事は良くない事だとするのは
自分が傷つく事が嫌だから、そう思うのであり
「人を傷つける」行為にどんな意味があるのかを全く考えない。
わざわざ、自分の欲求を満たさない方向に
物事を考える必要性を感じないからです。

人を傷つける事は悪い事だ!と「正義」を振りかざす行為は
事象に対して学ぶ姿勢を放棄し、心の成長を停止させている為
大自然から、次々と苦悩を突きつけられる事になる。

皮肉なもので「正義」を執行すればするほど
苦悩が増えるわけです。

「正義」は人の性のようなものでしょう。
ただ、真実を隠し、己の快楽を求めるのに
都合の良いものだと知るべきだとも思います。


アメリカが日本に核爆弾を落したのも
正義の執行だった事を
我々日本人は忘れる事無く
「正義」に溺れない事を心に刻むべきでしょね。









大阪都知事がうがい薬のポビドンヨードについて言及し
混乱を招いたと、かなり批判されていましたがw
健康の為に「うがい」を推奨している医療機関は、とても沢山あります。

私自身、うがいの習慣があるのですが
うがいをする事で、口の中の邪気がなくなるのを体感してます。
なので、医学的に証明できなくても、コロナに効くはずです。
全ての病気の原因は、人が生み出す穢れですしね。
特にポビドンヨードの入ったうがい薬は、よく効くんです。w

私自身、実際にネット上でも売切れてしまい焦ったのは事実ですが
「うがい」が普及するのはとても良い事だと
そう感じているのです。

特に、最近どこもかしこの穢れまくってますしね~


高齢者は、うがいをする時に肺に入ると危険だとされていますが
でも、「うがい」する事は、とても良いと思うんです。


で、「混乱を招いた」と批判する人たちは
何が気に入らないのか?を考えて見たりするのですがw

価格が高騰するのが困るから?
それって、安く買いたいとう欲求が満たされなくなるから?

欲しい時に手に入らないと困るから?
それって、不便が嫌だから?

医療機関など業務に必要なうがい薬が手に入りにくくなるから?
うがいを推奨しているけど、自分達が困るのは嫌って事?


結局は、人々の健康より
自分の「欲」が優先しているって事ですよね?
違いますかね??w


即ち、我々の社会では、「人の命」の尊厳だのと言いながら
結局は、自分の「欲」が優先される社会なんです。

これって、恐らくどうにもならないんだと思っています。
だって、人が持つ性からすれば、ごくごく自然な事なんですよね。



人が負の感情を抱く時は
必ず、自分の欲求が満たされない時なので
社会に蔓延する多くの否定批判の根源となる欲求を
確認して行くと、我々の社会の本質が理解できると思います。

アベノマスクしかり
GO-TOキャンペーンしかり
コロナ対策しかり
よくよく観察していると、人間の本質がよく解ります。w



また、それが理解できると
ストレスが無くなって行き、嫌な出来事も減って行くでしょう。

私たちは、自分都合の妄想の中で毎日を過ごし
真実から目を逸らしていることに気付く事ができれば
自分自身は、この先、どう生きて行けば良いのか
理解できるようになると思っています。

だって、社会の中にある現実がよく見えるので
「正義」などという幻想に惑わされなくなるからです。

ただ、多くの人に批判されるでしょうけどね。w

人々の快楽が最優先される社会で
それに準じて、過ごすのを止めれば
多くの人に批判されるのは、当然の事なのです。

また、その幻想に気付いてしまうと
もう元には戻れない事をご理解下さい。w

認められたくない人達に
いくら認められても、満たされないからです。









敢えて言いましょう~
私も含め、人間なんて自分勝手で傲慢で
自分都合の正義を振りかざす生き物であり
それが、人の正常な姿なのです!

そう思えば、身勝手な人を
ゆるす事が出来るでしょう。
人に害する人さえも
ゆるす事ができるでしょう。

人間とは、そんな生き物なのだと
知っているのと、知らないのでは
人生が雲泥のさになるんです。

自分は正しい人間だという
妄想の世界から脱出する事ができます。

そう思う事が出来れば
自分がこの先、何をすれば良いのか?
どう過ぎせば良いのか?も明確になるでしょう。

そして、幸せに一歩近づくと思います。