修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

「徳を積む」の定義

「徳を積む」の定義についてですが
概ね多くの人に感謝される行為をする事で
問題いないのですが、「概ね」なんです。
実際に行動してみると解ると思いますが
色々な葛藤が生まれるんですよね~

で、徳の定義について
コメントを頂いたので、少しばかり説明しておきます。

かなり、ややこしい話なので
説明を省いてしまいましたが
やっぱ疑問に思いますよね~

でも、私が理解している内容は
かなり複雑な内容なのでご容赦ください。w








まず、大自然は私たちの心を成長させる為に
出来事を引き起こしています。


利己的な心から利他的な心へ向けて
成長を促すように出来事が起きています。

なので、自分自身の心のエネルギーと
目前の出来事は切っても切れない関係という事です。

どんな出来事も、この事実を基準に考える必要があります。





自分自身の心が成長していくと
当然、自らの心のエネルギーも変化して行きます。
同時に目前の出来事も変化して行きます。


よく引き寄せの法則と言いますが
確かにそんなエネルギーの法則があるのですが
ある程度、心が成長すると
この引き寄せの法則は、全く機能しなくなります。
心を成長させる為に、その法則は必要なくなるからです。

要するに心の成長度合いや
自分自身の持つエネルギーの質によって
自分自身の心のエネルギーが変わり
そのエネルギーが影響を与える存在
また、影響を受ける存在が変わるという事です。




従って、何をもって「徳」とするか?の定義も
心のエネルギーに伴い、変わってくるわけです。

心が生み出すエネルギーの段階により
エネルギーが影響を与え、また影響を受ける
対象が変わってしまうのです。


なので、心の状態によって
他人に感謝される事で徳を積める人もいれば
他人に感謝される事で不徳を積む事になる人もいます。

自己の心の成長度合いによって
その言動の動機と共に結果が異なってくるわけです。

解りやすく言えば
最初は偽善行為で善行をはじめるしかないのですが
長期間に渡り偽善行為の善行続け心の成長がなければ
同じ行為でも、結果が異なるという事です。


これは、「徳」に限らず
すべての出来事が、心の成長度合いや
その人が持つエネルギーの質とリンクしています。





もう一度、話を戻しますが
大自然は、人の心を成長させようと
出来事を引き起こしています。

私たちは、無意識に善悪を選定してしまいますが
そもそも、善悪は自分が生み出しているに過ぎません。

「良い事をしなければならない」と
通常はそう思ってしまいますが
果たして「良い事」とは、どんな事でしょう?

多くの人に喜んで頂く事を「良い事」だと
そう思うのが、一般的な考え方です。

更に、もう一度、言いますが
大自然は、人の心を成長させようと
出来事を引き起こしています。
そこに「良い事」「悪い事」など関係ないのです。

人の心は、多くの苦悩によって
成長するように、この世は創られています。
心が成長する事を良い事とするならば
苦悩の多い世の中が「良い事」となってしまいます。

しかしながら、利他的な心を育ませようとしているので
他人の喜ぶ事を率先して行動して行く事が良い事でしょう。
では、人々の苦悩がなく、喜びに満ち溢れた毎日を
過ごす世界は本当に良い世界なのでしょうか?
そんな世の中では、人々は心が成長できなくなるので
大自然は我々に鉄槌を下すでしょうね。w
今の社会を見回せば解るように
社会が豊かになり、個人主義が蔓延し
コロナで鉄槌を下されたわけです。
おそらく、第二弾もあるでしょうね。



何が言いたいかと申しますと
自分の心の成長度合いと、目前の現実によって
判断は常時異なるという事です。
大切なのが、自己の心の成長であり
自分が何を思って行動しているか?という事です。

通常、人は「正解」を自分の外に求めてしまいますが
どんな「答え」も常に自分の中に存在しています。

自分の答えは、自分の中にしか存在できないのです。
これが、なかなか楽しい法則なんですよね~
予想できない結果が導き出されると
ちょっとワクワクします。w



コメントにあったように
どんな定義も自分で判断するしかないのですが
「正しい」も自分がそう決めた事が「正しい」わけですし
「間違い」も自分がそう判断したものが「間違い」なのです。
「甘い」と感じるものも人それぞれですし
「寒い」「暑い」「痛い」・・も人それぞれでしょう。
もっと言えば、誰しも自己のエネルギー含んだ
世界しか観えないので、自分で創造した世界から死ぬまで出られないのです。




結論を言いますと
「徳を積む」という事は
自らが利他的な想いで行動する事だと私はそう思っています。

一概に「良い事」すればいいわけでもなく
あくまでも、自分自身の心のありかた重要だという事です。

他人に対して優しく接する事が
相手にとっての行動であれば「徳」になり
自分にとっての行動であれば「不徳」になるでしょう。

他人を傷つける行為も
相手にとっての行動であれば「徳」になり
自分にとっての行動であれば「不徳」になるでしょう。

とは言え、これも自分自身心が
どれだけ成長しているか?によるんですよね~
人それぞれいろんなエネルギーを持っているので
その辺は、私も研究中なのですが
心の成長度合によって、エネルギーによる影響が全く違いますしね。

また、自分のエネルギーは自分以外のエネルギーと交わり
現実を引き起こすので、環境によっても大きく変わります。
令和になり、著しく社会のエネルギーが変わってきているので
多くの人が「悪行」と解釈している行為で
「徳を積む」結果になる事もあるでしょうね。



通常、多くの人に感謝され、そのエネルギーを受け取る事で
人生は、好転するのですが
心が成長すればするほど、さして影響を受けなくなります。

なぜならば、あくまでも自分自身の心の成長の為に
目前の現実があるので
自分の人生のステージの段階が変わり
自分のエネルギーが現実に与える影響も同時に変わるからです。
「感謝」にも色々あるという事を身をもって体験し
そして、その中で自分が何をすべきか?と、なるわけです。

自分の行為により、涙を流しながら感謝され
そして、それがきっかけで最悪の人生が始まってしまう人もいるのです。
現実社会を生きる事ができなくなった新興宗教にハマる人に多いですね。




かなり、ややこしい説明になってしまいましたが
「徳を積む」この行為により
自らの心が、どんどん成長する仕組みが
この世に存在しているという事です。

なので「徳を積む」行為が
人生でとても重要だと思っているのですが
とりあえず利他的な想いで行動すれば
徳を積んだ事になるでしょう。
しかし、利他的な心など
誰しも初めは持ち合わせていないので
偽善行為から始めるしかないでしょうね。


「陽徳・陰徳」について質問を頂く事もありますが
この考え方は、「徳を積む」=「善行する」という
考え方が根底にあります。
別にそれで問題はないのですが
私の考え方は、その時の行為の動機が
自分の心のどこにあるか?が大切だと思っています。