修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

成仏するって、どういう事?

たまたま「成仏」についての質問が重なったので
私の考え方を記して置きます。
これ書くとスピ系の人や仏教系の人から
猛反発くらうんですよね~w
まぁ~あくまでも、私の考え方に過ぎませんのでご容赦を!



私は、結構長い間仏教(密教)を修行しましたが
私自身「成仏」について疑問を抱いてきました。
と言うか、仏教は個人的に納得できない教えが多いんですよね~
検証できないという意味です。

多くの僧侶に色々と質問しましたが
明確な答えを得る事は出来ず
「成仏」については、考え方しか
教えてもらえませんでした。

もんもんとしながら
修行した事を記憶しています。w



私が「成仏」について教えて頂いた内容は
「成仏」とは御仏に成るという事で
煩悩の縛りから解放された状態との事だそうです。

人は、死ぬと肉体から解放されるので
煩悩の縛りから解放される。

従って、死ねば全ての人が成仏するのですが
まれに、この世に強い未練を抱いたまま亡くなると
成仏できずに、この世を魂が彷徨う事になる。

その状態を防ぐ為に経典を唱え成仏を促すとの事です。



私は、その話を伺った時
そんな妄言を信じられるか!
と、そう思いましたね~w




で、それを確認する方法はあるのか?
じゃぁ生霊は?
とか、質問すると
あくまでも、それは仏教での考え方だそうです。

私が質問した僧侶や霊能者で
ちゃんと答えてくれた人はいませんでしたね~

一番、まともな回答は
「私には、その世界が観えるから」です。w


即ち、妄想に過ぎない?って事?
って、そう思いますよね~w

まぁ~私の観ている世界も妄想みたいなものですし。w






私の考え方は
「霊=想念」なので
幽霊は、ただの想念に過ぎないとそう思っています。
まず、ここが一般的な解釈と違う所でしょう。
多くの人が、霊=霊魂とし
霊=魂がそこに在る=成仏できていない。と
そう思っているわです。
なので、成仏しているか?否か?が気になるのでしょう。
実際に霊を見ない人の方が多いようなので
「そういうものだ」で納得できるのでしょうが
私の場合は、霊を見ない日などないので
「霊ってなに?」って気になるわけです。
まぁ~私の頭がいかれているのかもしれませんが
こればっかは、どうしようもなく
自分なりに色々と検証し続けたわけです。


検証した結果・・
幽霊を確認したから成仏できていないわけではない。
幽霊=成仏できていない魂としてしまったら
全ての人が成仏できていない事になってしまいます。
なぜならば、私の中では「霊=想念」なので・・
全ての人が死んでからも
想念は残っているという事です。
それを霊としたら、全ての人が成仏できていない事になり
幽霊=霊魂なんて判断は安直すぎると思うのです。

人間であれば、強い感情を抱けば、想念として
エネルギー化し肉体から放出されます。
そのエネルギーは第三者が読み取る事ができ
それを「霊」と呼んでいるに過ぎない。


また、「魂」は、生命エネルギーの塊に過ぎず
「魂」は本人の経験値を記憶しない。
経験値は血肉に刻まれており
魂ではなく肉体側にあるのです。
これは、「魂」自体を霊視した結果
私がそう感じているだけの事です。


「死」とは、肉体の機能が失われた状態であり
肉体の機能が失われた事により、生命エネルギーが肉体から離脱する。
また、生きている状態で生命エネルギーが
肉体から失われても人は死ぬ。

人の経験値は、魂に記憶されず、肉体に刻まれており
死後、生命エネルギーと血肉に刻まれた経験値が
完全に離脱していない状態が
俗に言う成仏できていない状態なのだろうと
私は、そう考えています。

ようするに死後、魂が肉体から離れても
魂が肉体の情報を得る事が出来る状態という事です。

確かに、経典が持つエネルギーは
その状態を解放する力はあるのですが
肉体が滅びた後、その肉体が生みだしたエネルギーは
時と共に大地が吸収するので
別に放置しておいてもいいんじゃない?と
私は、そう思っています。

「穢れ」は、あちこちにあるので
その「穢れ」を浄化する事が
「成仏させる事」としているのだと
そう思ってしますのです。
「穢れ」も人の想念ですしね。


なので、「成仏」という言葉自体が
曖昧な解釈の中で使われており
「霊」を自分で確認する事が出来ない人は
「そうなんだ~」と
納得するしかないわけです。


例えば、呪われたモノでも
大地の土に埋めれば、呪いは解除されます。
まぁ~呪いの強さによって
解除される期間が異なりますけどね。
少なくとも、大地にはそんな力があります。
かけ流しの温泉で癒されるのも
穢れという想念が溶かされるからで
それも大地の力によるものです。


即ち、「成仏」する、しない、なんて
全く気にする事はないという事です。


仏教徒を集める為の方便が社会に定着したのでは?
くらいに私はそう思うわけです。
葬式で僧侶にお経を読んでもらわないと
亡くなった家族が成仏できないと
そう思っている人が実際に多いですしね。

私の所にも亡くなった身内が
成仏しているか教えて欲しいという相談が
ちょくちょくあります。

いや~実に馬鹿げた考え方だと
私は、そう思いますね。






人の想念は、そこら中に存在しますし
生命エネルギーもそこら中に存在します。

そして、人の負の想念がいくつも混ざり合った
負の感情の強いエネルギーが
生命エネルギーと同化すると
妖魔、妖怪、魑魅魍魎と化しますが
これらの存在も、自然現象の一つと
思っていれば良いでしょう。

自分自身の心を成長させれば、それらの
影響を受ける事はまずありませんし
仮に影響を受けたなら、自分の心を高めるための
きっかけを与えて頂いていると
そう思っていれば良いだけなのです。
怖がる必要もないですし
自我を失った人間の方がよっぽど怖い存在でしょう。




この話をすると、いつも
「前世」について聞かれるのですが
私は、「前世」という考え方もでっち上げに過ぎない。
と、そう思っています。w

私がまだ霊障が酷い時に
前世療法を受けた事がありますが
そもそも、トランス状態で観た映像が
前世だと証明する事などできないんですよね~

何度も受けましたが
その都度、観る映像は違うんです。
どれが前世なんだよ!と思いましたね~w
実際に前世療法を色んな所で受けると
いかにいい加減かが解るでしょう。


過去世という表現の方が正しいんじゃないの?
と、思っていた時もありますが
今では、その辺にある適当な次元の想念に
繋がったに過ぎないとそう思っています。

自分自身が持つエネルギーと同調する
想念を拾って見せる映像は、
当然、自分との繋がりもあるわけで
その映像を元に自己改善できれば、病も治りますしね。

まぁ~霊に取り憑かれて、その霊の言っている事と
自分の心を当てはめて考えて
自己改善した状態と同じという事です。
それだけで、原因不明の病気も治りますしね。





「魂」については、正直よく解らないんです。
人や動物が亡くなる瞬間に
漫画のように魂が肉体から抜ける所を
何度が見た事があるのですが
今の所、皆、全て天に上がっていきました。
「天に召された」と言われているのは
たくさんの人が、この映像を見ているからなんだろうな~
なんて、思いましたね。




私は「魂=生命エネルギー」とそう思っているのですが
人によって、その生命エネルギーの質が違います。

魂は、その辺にある生命エネルギーを集めた塊に感じるのですが
何か、「核」のようなものがあるようにも感じます。

その「核」が何なのか?全く解りませんし
その「核」に経験値が記録されていれば
私の考え方は間違っている事になりますが
ただ、経験値の記録のような質のエネルギーは
全く感じないので、「生命エネルギー+核=魂」とし
人の経験値は、記憶されていない。
と、そう思っています。

そんなに何度も魂の離脱を見たわけではないのですが
ただ、その時の記憶をたどるとそう感じるんです。
霊視に距離と時間の概念はないのですか
衝撃的な記憶だったので、何度も確認しました。
(この理論、わけわからんよね?w)

まぁ~何をもって「魂」とするか?
で、解釈は色々なんでしょうが
少なくとも「成仏」した、しない、なんて
完全無視で大丈夫だと思っています。





自己の経験値と自己の生命エネルギーが
繋がっている状態の霊は確かに
一般的な霊より、対話が成り立つのですが
人と人との会話のようにはできないので
私は輪廻転生したとしても経験値は引き継がれないと
思っています。

即ち、死を以って、その人の人格は失われるわけで
人格を引き継ぐのは、子孫であり魂ではないのです。

なので、死後の世界など
妄想に過ぎず、天国も地獄も存在しないと
そう思った方が現実的でしょう。
多くの人が臨死体験をしているので
死後の世界があるように思われがちですが
あくまでも臨死は、死ではなく臨死であり
魂と肉体の記憶が物理的に繋がっている状態なのです。

なので、ご先祖様が成仏していないからといって
先祖供養で費用を貰う霊能者など
詐欺師に等しいですね~w





私自身、霊障が酷い頃
多くの霊能者をはしごして
色々言われましたね~

〇〇と名乗る先祖が
成仏できておらず貴方に禍をもたらしているので
私が供養してあげましょう~・・

貴方の前世は僧侶だったようなので
霊的現象が絶えないのでしょう。
今世もしっかり修行しなさい・・

貴方の先祖が、龍神の祟りを引き起こしています。
龍神に認められるよう精進しなさい・・

などなど・・
始めのうちは、何も話していないのに
亡くなった祖母の名前を言われたり
祖母の言い回しで話されたりして
凄い!なんて思ったりしましたが
実際に自分で同じ事が出来るのに気づくと
そのカラクリがよく解りました。

人の記憶はエネルギー化しているので
読取る事ができれば、どおって事ないんですよね~
コツさえつかめば、誰にでも出来るでしょう。

自分が強く念じるモノを
霊能者がどう受け止めるか?
色々な霊能者の方で何度も検証したので
恐らく間違いないでしょうね。

霊能力など所詮はその程度のモノなんです。
人が纏っているエネルギーを読み取っているだけで
その読取り方に、色々な方法があるだけです。


私は、人が妖精と呼ぶ存在も
妖魔と呼ぶ存在も同じであり
神と呼ぶ存在も悪魔と呼ぶ存在も同じだと
そう思っています。

違いは、善悪の判断と同じように
自分にとって都合が良いか悪いかだけなのです。
まぁ~好きな人は、妖精で
嫌いな人は妖魔としているようなものです。w

ならば、死後の魂がエネルギーとして
この世に彷徨ったとして
何が問題なのでしょう?

彷徨った結果、人々が「神」と呼ぶ存在に
なれるかもしれませんしね。w




輪廻転生については
人の魂が、それぞれ違うエネルギーを
持っているようですし
魂の核のようなものも人それぞれ違うので
あながち間違いではないのかも?
くらいに思っています。

私の解釈は、「核を持った生命エネルギー」が
「魂」であり、その核自体が「命の元」?とか思っています。
なので、植物や虫、動物、命のあるものすべてに
転生する可能性があるという事です。

そこに、前世の経験値など全く必要はなく
逆にそんな記憶があったら邪魔で仕方ないでしょう。
大樹から人間に生まれ変わって
おしっこの仕方が解らないと困りますよね?
なので魂や命が宿る側に必要な情報があれば、問題ないわけです。
即ち、魂に記憶はなく、肉体を生み出す過程で
先祖から引き継いでいるに過ぎない。


私に言わせれば、「魂」に人格があるという説が
妄想に拍車をかけているように思います。
誰が言い出したのか?と考えると
仏教による洗脳なのでは?と
そう思ってしまいます。

まぁ~人の負の想念が
人に禍をもたらすのは事実なので
そこに悪意はないのでしょうが
苦悩=悪とする考え方には
どうも私は賛同できないようです。



まぁ~それが自然現象だと
受け止めれば良いのでしょうが
スピ系にハマりまくって
自我を失う人を目の当たりにすると
なんとか、ならんものか?と
そう思ってしまいます。

私の考え方は
仏教の教義を根本から否定している内容なので
許容できない人の方が多いでしょうね。

ただ、仏教を長年修行してみて
私が行き着いた所が、そこなんです。

自分なりに検証してみて
納得できない教義が多いんです。
SFやアニメの世界の話のように
思えてならなかったわけです。
まぁ~私も家族、血族との縁を切り捨て
出家したわけではないので
仏教において未熟なせいもあるのでしょうが
もう人生の過去より未来の方が短い年齢なので
自分を信じて進みたいとそう思っています。



昔の私は、神道より仏教の方が好きだったんです。
神社には、人の欲が渦巻いていたので嫌でしたし
仏教は人の煩悩を諸悪の根源とする教えだったので
惹かれたのでしょう。
必死に修行しましたよ。w

ただ、人の欲はなくては、ならないモノであり
それすらも受け入れる器を作る事が人生であると
神道で学んでからは、仏教の教えで疑問に思っていた事が
全て解決していったのです。

こんな事言うと、仏教協会から
クレームが入りそうですがw
でも、衰退し続ける現代仏教を見ていると
もう仏教は必要ないほど人は進化したのか?
とか、思ってしまいます。
離檀したいという相談も絶えませんし
葬式についての相談も多いんです。
現代仏教から葬式や墓をなくしたら
もう、だれも寺なんかいかなくなるんじゃないの?
とか、思うんですよね~

また、仏教より新興宗教の方が人が集まる原因は
法華経にあるように感じています。
法華経は、己の望みを叶える為に唱えれば
効果がありすぎるのです。
呪術に似た経典なので
その反動があると私はそう思っています。

我欲が満たされれば、どっぷり浸かって
しまうのも致し方ないとは思うのですが
己を磨く事を怠った状態を
大自然は、放置しないでしょう。
そんな状態を本当に、お釈迦様は望んだのだろうか?
と、さえ思います。

新興宗教法華経を常用経典にする
宗派が多いのは、我欲を満たす事が出来るからだと
私は、そう思っています。
呪術と同じ仕組みなので
そんな信仰にハマっている人から
妖魔・妖怪・魑魅魍魎的な存在をよく見ます。
個人的に、かなり興味深いです。w

実際に信仰で苦悩が解放されれば
その教義を鵜呑みにしてしまうのも理解できます。
オウム真理教然りです。



日本では、葬式仏教という揶揄した言葉があるほど
人の死と仏教の結びつきは強く
僧侶の言葉をそのまま受け止めている人が多いのですが
私の場合、性格が屈折しているので
その言葉をそのまま受け止める事が出来ず
ガッツリ修行してし検証しました。w

その結果、ただの妄想に過ぎない!
もしくは、仏教を広める為の方便に過ぎない!
と感じる教義がいくつもあり
「成仏」もそのうちの一つです。
「悪行を重ねれば地獄に落ちる」とか・・
もう、アニメの世界ですよね。w
一度も死んだことのない人に言われても
説得力がない事を理解して欲しいと
そう思っていました・・


とは言え、仏教の修行で
たくさん学ばせて頂いたのも事実です。
数々の苦行で、自分の煩悩と向き合う事ができたのも事実です。
また、内観という修行では、
心が幼稚なままでは、内観すら出来ない事も知りました。
密教呪術がきっかけで、この世の理に近づけましたしね。

皮肉なもので、密教呪術を学んだ結果
亡くなった方が、成仏しているか?いないか?は
全く気にする必要がないとそう思うようになりました。

そう考えると仏教自体が
今の現代社会に合わなくなってきたのかな?
なんて、思ったりもします。

とは言え、亡くなった人を弔う心は大切だと思います。
まぁ~別に仏教で弔わなくてもいいんですがw





今一度よくよく考えて見て下さい。
成仏って何でしょうか?
成仏できない事は本当に悪い事でしょうか?
地獄って何でしょうか?
天国って何でしょうか?
そんな場所をどうやって確認するのでしょうか?

前世が今世に影響を与えている?
仮にそうだとしても、今世の素晴らしさを
知る事の方が大切ではないでしょうか?

今、辛く苦しい現実があるとしても
その感情は自分が生み出しているだけであり
物事の捉え方を変えるだけで解放されるはずです。
その捉え方を目前の現実から学ぶ方がよくありません?
実際にその為の現実ですしね。







なんだかんだと能書きを記しましたが
これは、あくまでも私の考え方に過ぎません。
私自身の感覚と辻褄が合う考え方という事です。

皆、それぞれ自分の感覚を信じて過ごしているはずなので
私の考え方に賛同する必要はないと思います。

仏道を邁進するのも良いでしょうし
極めれば、お釈迦様の境地にたどり着けるかもしれません。
私には、できなかっただけの事です。


ただ、思うのは
すでに新しい時代が始まっているので
周りの常識に囚われず、自分自身の感覚を信じて
毎日を過ごした方が
楽しい人生になるような気がしています。

当たり前のように使われている
「成仏」という考え方も
当たり前で終わらせるのではなく
どう言った事なのか?
自分なりに考えて見るのも良いでしょう。


私は、もう長い間「当たり前」や「常識」を
悉く全否定して、人生を満喫しております!w

おそらく令和になって、それが許される時代が
始まったのでしょうね。
私の言う事を、頭ごなしに否定する人が
減ってきたんですよね~

それはそれで、ちょっと拍子抜けするんですが・・w