修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

全ての現実を受け入れる「素晴らしい日本の文化」

私は長い間、霊障に苦しんできましたが
その霊障から救ってくれたのは日本の文化でした。
激しく修行をしてきましたが
修行など全く関係なく
結局は毎日の生活態度に問題あったわけです。w

いや~長年、アホな事してきましたね~w


日本の文化と言っても
現代社会では忘れられつつある事なので
なかなかピンと来ないと思うのですが
2000年続いた神道の教義そのものが
日本人の文化であり日本人の心であり大和魂なのだと
私は、そう確信しています。

我々は何だかんだと新年には
神社に初詣にいっちゃいますからね~
日本人に生まれた時点で
日本神道の氏子なわけです。
日本人は無宗教民族だなんて言われていますが
自然現象そのものが神なので
別に他宗教のように
深く崇め祀る必要がないだけだと
そう思っています。
と言うか、一部の宗教が
神を崇め祀らない=無宗教とか
言っているだけじゃないの?と
思っちゃいます。
だって、日本神道では神を崇めろなんて
教義はありませんしね。
一部の神社では皇室を崇めろなんて
いう所もありますが
神社が皇室や天皇陛下を崇め祀れ!と
言うようになったから日本は敗戦したのでは?
とか、思ってしまいます。w

本来、神社とは感謝の思いを届ける場所に過ぎないんです。
それ自体が日本の文化でしょう。

とは言え、忘れられつつあるのが
日本の文化なんですよね~
どんな人も血肉に刻まれた経験値には
なかなか逆らえないようなので
利己主義、個人主義の経験値に
上書きされてしまわないよう
今のうちにもう少し復活させたいと
そう思っています。



ご先祖様から受け継いだ
大切な日本の心を我々の世代で
失いたくありませんし
ネットで世界中と繋がる事が出来る
世の中になってきたので
私たち日本人の文化が
きっと世界中に良い影響を与える
事が出来ると思うのです。

何せ日本の文化は
人類共通の大自然の法則ですからね~w











私の人生を大きく変えた日本の心は
「全ての現実を受け入れる」
という考え方です。

日本神道では、自然を神とし
全ての出来事は神々がしている事とします。

ラストサムライの映画に
夫を殺した男の面倒をみる妻のシーンがあったように
夫が殺された事も神々がした事であり
受け入れなければならないわけです。


納得が出来ない事のように思うでしょうが
今の私が同じ立場だったら
その現実を受け入れる自信があります。
だって、マジで
自分自身が引き起こしているという
大自然の法則がありますからね~

目前に起きる全ての出来事は
自らの心を成長させる為に
起きている出来事なので
辛く苦しい現実は
今でも言葉で使われているように
「不徳の致す所」なんです。

徳があれば夫が殺されて
辛く苦しい現実を突きつけられないのです。

まぁ~同じ現実でも
徳があると辛い苦しいと思わなくなる
ってのもありますけどね。





この教えを知ってから
私は、目前に嫌な出来事が起きる度に
この現実から何を学ぶ必要があるのか?
と、そう考えるようになりました。

まぁ~最初は霊に取り憑かれる度に
そう考えたわけです。
で、解ったのが負の感情を抱く度に
霊に取り憑かれていた事実!

体質とかじゃなかったのです!
私の屈折した性格が原因だったのです!w

とは言え、負の感情を無くす事なんて
できませんでした。

はて?どうすれば良いのか?
と、考えるわけです。

すると、お金を落したり
車をぶつけたり
怪我をしたり
と、その度に
これも神々がしている事?
じゃ~何を学べばいいの?
と、色々と至らない自分を探すようになりました。

すると、目前に起きる出来事と自分の感情との
辻褄が合っている事に気づいたのです!
要するに、負の感情を抱くと
霊に取り憑かれるだけではなく
嫌な出来事が起きるわけです。

この事実を知った時
おお~!何と言う事だ!
なんて感動したのを記憶しています。

でも、負の感情なんて無くせない事に気づき
同時に毅然としましたけどね~w

しかし、負の感情を無くさない限り
嫌な出来事が多発するので
どうしても減らさないといけないと
そう思いました。

私は、どんな時に負の感情を抱くのか?
と、己を見つめる作業を繰り返したわけです。

そして、またしても気づきました!
毎日の出来事は、そのヒントだらけなんだと!

これを話すと
頭のおかしい奴あつかいされるのですがw
ちょっと頭が痛い
ちょっとお腹が痛い
躓いて痛い
手をぶつけて痛い
など、ちょっとした嫌な出来事さえ
己を成長させようとするシグナルだったんです!

試してみるとわかると思いますが
足をぶつけた瞬間、自分が何を思ったか?
振り返ってみて下さい。
必ず良からぬことを考えているんです。w

手を怪我する時は
身近な人に感謝していない時で
足を怪我する時は
立ち止まって自分を省みる時だったりします。

そんなちょっとした嫌な事でさえ
己を成長させるヒントなのですが
このヒントを無視してしまう為に
大怪我をしたり大病を患ったりするわけです。

凄い仕組みですよね。
私は、日本が先進国でいられるのは
我々のご先祖様が、この仕組みを知っていたからだと
そう思っているんです。

なぜ?そう思うのかは
心を成長させればさせるほど
物事が上手く進むからです。

だって、嫌な出来事がどんどんなくなるんで
当然、物事がスムーズに進みますよね。

嫌な出来事が起きる度に
自らを省みる事を繰り返して行けば
物事がどんどんスムーズに進む。

嫌な出来事が起きる度に
誰か何かのせいにしていれば
いつまで経っても嫌な事が繰り返される。
即ち、物事がスムーズに進まなくなるわけです。

そりゃ~そんな人ばかりいたら
社会も発展しませんよね。

なので、我々のご先祖様たちは
日本の心に忠実に過ごしていたわけです。



「全ての現実を受け入れる」
この教えの凄い所は、もっとあります。

私は、自分の負の感情を減らしたかったわけですが
目前の出来事から学ぼうとしていると
そのヒントが、ポンポン目の前に現れるのです。
出来事としてその答えが起きるわけです。

あぁ~修行なんかしなくても
この考え方だけで、苦悩から解放されて行くじゃん!
と、そう思いましたね~w



で、実際に私の所に相談に来る人に対しても
この考え方で、相談者の学ぶべき課題を探すようにしました。

そして、その課題がクリアになる事で
苦悩から解放される人を何人も見てきました。


その時点で私の頭おかしい奴扱いの発想が
確信に変わったわけです!w


このブログに紹介しているような
この世の仕組みを沢山学んだのも
どんな出来事が起きても
その現実を受け入れる努力を繰り返したからなんです。


私は、「全ての出来事は神々がしている事」とする
考え方が、日本人として忘れてはならない大切な文化だと
そう思っています。


残念な事に否定批判を繰り返す神職の方や宮司もいますが
我々日本人の象徴である天皇陛下の言葉から
否定批判を耳にした事のある人はいるでしょうか?

多くの神職さんは、どんな出来事が起きようと
「すべては、大神様がなさっている事ですから・・」と
そうおっしゃいます。


私も早くからこの教えを学んでいれば
長い間、霊障に苦しむ事はなかったでしょうね。




教育勅語の教材使用が問題になっていますが
私は、教育勅語の教材使用は賛成ですね~

教育勅語は当たり前の事が記されていますが
この当たり前の事が中々できない・・

なかなか出来ないのは
その意味を理解していないからでしょう。

どうしてこれらが大切な事なのか?を
理解しようとすると
世の中の構造を理解できるようになります。

世の中の構造が理解できると
利己的な言動が減り、利他的な言動が増える。

利他的な言動が増える事で、幸せになれる。

という訳です。


今の時代、正しい事の押し付けで
心を壊す少年少女が増えているので
この教育勅語を当たり前の事、として教育すると
色々と問題が起きるかもしれません。

全ての教師が教育勅語を実践できていないと
いけなくなるので教師の方々は大変でしょうけど
個人的には、この教育勅語の意味を
上辺だけの言語として捉えるのではなく
深く深く学ぶべきだと、そう思っています。


いや~私は、日本人に生まれてマジで良かったです。