修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

残念ながら、因果応報の法則には逆らえないのである

どんな人も、目先の出来事ばかりに意識を向け
なかなか自分自身の過去を省みる事ができないものです。

自分に都合の悪い出来事は
記憶から抹消しようとしてしまうのです。
それが、人と言う生き物なのでしょう。

「過去に囚われてはいけない!」
と、そんな事を言う人は多いでしょう。
確かに、過去を引きずって
未来に向けて前進できない事は
好ましくないのですが

私は「しっかり囚われれるべきだ!」
と、そう思っています。w

大自然の法則さえ知ってしまえば
過去を引きずり続ける事などなくなると
そう思っており、辛く苦しい出来事は
必ず何かを学ぶべき出来事なので
乗り越えてしまった方が
有意義な未来が待っているからです。

「そんな事、簡単にできないよ~」
と、よく言われるのですが、往々にして
辛く苦しい現実がを乗り越えられない人の多くは
目先の現実だけを受け止めているからだと思っています。

辛く苦しい出来事が起きるのは
そこから何かを学ばなければならない為なのですが
目の前にある現実は
自分の過去からの言動の結果なので
自分自身の過去からの言動や生活態度を
改めよ!という出来事なのです。

即ち、辛く苦しい現実を突きつけられたなら
自分自身の過去を省みる必要があるわけです。

それをせず、目先の出来事だけで判断するので
何一つ学べない・・・
何も学ぶ事が出来なければ
何度も何度も繰り返し
辛く苦しい出来事を突きつけてくるのが
大自然の法則です。
しかも、その苦悩はどんどん大きくなってきます。


心に大きな傷を負う出来事が起きると
なかなか立ち直れない・・
その出来事に囚われて
未来に向けて生きられない・・

周りの人は、心配した振りをして
声を掛けてくれるでしょう。w
本心は、落ち込んでいる人を見たくないという
エゴ満載な気持ちで
「過去に囚われたらダメだ!」
「そんな嫌な出来事は忘れるべきだ!」・・と
無責任極まりない言葉を向けてきます。w

そんな言葉をかけられるので
周りに迷惑をかけてはダメだとそう思い至り
辛く苦しい出来事を忘れようと努力する。
自分の記憶から抹消して、未来へ希望を繋ごうとするのです。
しかし、思考の記憶から消えても
実際は血肉からは消える事のなく記録されており
自らの肉体からエネルギーとして放出しているのです。


私はそのエネルギーを読み取る事が出来るので
記憶から消す事は、おすすめしないです。
だって、このエネルギーが更なる苦悩を引き寄せるからです。


大自然は私たちの
心を成長させようと苦悩を突きつけてくるので
忘れてしまえば、更に大きな苦悩を引き起こす
きっかけをつくる事になるでしょう~







私の所へ相談へ来る多くの人は
辛く苦しい現実を何度も繰り返す為に
何をどうしたら良いか?が解らなくなって
相談にいらっしゃいます。

私に言わせれば、苦悩から何も学べていないので
繰り返すだけなのですが
「苦悩から学べ」と言われても
訳が分からないのです。

なぜならば、自分自身の過去からの言動を
省みようとしないからです。
要するに、自分に都合の悪い事を
記憶から抹消し続けている為に
容易に自分の過去を省みる事が出来ないわけです。

同時に、利己的な思いが強い為に
極端に視野が狭くなっており
何でも自分都合でしか物事を判断できない。

常に自分は正しいという立ち位置でしか
物事を判断する事ができないわけです。

その人格は、霊的苦悩を引き起こす事も多く
更に自分を省みる事が出来なくなり
スピ系な行為にハマってしまう・・・w
いやはや、恐ろしい仕組みですよね。



苦悩の呪縛から解放される為には
まずは自分の視野を広げる必要があるので
新しい経験が必要不可欠です。

利他的な思いが視野を広げるので
その新たなる経験はボランティア活動と
いう事になります。w

まぁ~私が言い続けている事なんですが
自分の利己的な心が「ボランティアなんてしたくない!」と
強く否定し行動に移せなくするので
簡単に出来る事でもないでしょうね。
「こんな事して何になるんだ?」とか
「ボランティアしたいんですけどね~」とか
ボランティア活動をしなくていい理由を無意識に探したり
ボランティア活動をする意思はある!と自分を正当化しながら
もっと楽に苦悩から解放される方法を模索するわけです。w

人間なんてそんなものでしょうが
残念ながら、自分自身の言動や思いは、確実に記録され続けます。
結局は、徳を積んでいるか?否か?という経験値が
目前の現実を創り出しているに過ぎないのです。


何が言いたいのかと申しますと
因果応報という大自然の法則は
何人も逆らえない、人生で最も重要な法則だという事です。

与えなければ手に入れられない・・という
大自然の法則があり
大自然に多くを与えて頂いている私たちは
利己的な心で過ごしていれば
奪われつづけるという事なんです。

そして、この因果応報という法則は、善悪など無関係に
私たちに働きかけています。


いくら自分が正しくても
負の感情を自分に向けられれば
自身の心身は蝕まれて行く・・
そして、それを緩和するのは
感謝のエネルギーだという事です。

そして、私たちは、その事実になかなか気づけない。
なぜならば、我々の過ごす社会は
善悪の判断の下で成り立っているからです。


昔の人が、徳を積めと言ったのは
この法則をよく知っていたのでしょうね。
徳を積まなければ、何人も
嫌な出来事が起き続ける世界で
私たちは過ごしているのです。

とは言え、徳を積めと言われても
どうすれば良いのかなかなか解らないので
私は、くどく、しつこくw
ボランティア活動をお勧めしているわけです。




誰しも自分は不徳を積み続けているなどと
そう思っている人はいないでしょう。
それは、自分に都合の悪い事は見ないようにし
そして考えないように過ごしているからです。


例えば警察官という仕事は
正義の味方と認識されています。
社会の秩序を保つ為には
必要不可欠な仕事でしょう。

しかし、この世には善も悪もないわけです。
捕えた犯罪者に逆恨みされれば
自分に向けられた負の感情は
確実に自分自身を蝕んで行き
そして、家族、血族にも悪影響を与えます。

交通違反の取り締まりで
違反切符を切られて感謝する人はいるだろうか?
多くの人が不快に感じるでしょう。
従って、違反切符を切れば切る程
そのエネルギーを受ける事になります。
即ち、不徳が積まれ続けるのです。


それらの不徳を解消する為には
多くの人に感謝されなければならないのですが
税金に苦しんでいる人が増えれば増えるほど
公務員は不徳を積ん出来る事になるでしょう。
そもそも公務員は、国民の為に働いているわけですからね。



銀行で働く人も不徳を積み続けています。
半沢直樹というドラマが高視聴率と聞きましたが
私は、昔から銀行は社会悪だと思っています。w

住宅ローンの半額弱が利息だって知ってました?
しかも、借りた人が返済できなくなると
待ったなしで、自宅は差し押さえされ競売にかけられます。
しかも、返済されなくても税金で穴埋めされるので
銀行は痛くも痒くもありません。


何のリスクもなく膨大な税金を貪るのが
日本の銀行なのです。
なので、国の保証が付くお金は
返済能力がない相手でも貸しまくる。
貸したもん勝ちなら
サラ金闇金と何ら変わらないですよね~
サラ金闇金は、リスクがある分
まだ、ましなのかもしれません。

ネットバンクが普及してきたので
補助金助成金、公庫などの扱いは
公務員の仕事にすればいいと思うんですよね。
そうすれば、住宅ローンの返済額は大幅に下がり
景気も良くなるでしょうしね。





話がそれましたが・・銀行で働く人は
住宅ローンに苦しむ人が増えれば増えるほど
その負の感情をその身に受け続けますし
税金で多くの利益を得ているので
税金に苦しむ人が増えれば増えるほど
その念を受け続け
不徳を積み続ける仕事という事になります。


と、こんな感じで
自分が不徳を積んでいるなんて事は
なかなか気づけないものなのです。

気付けないのは利己的な思いが
自分の視野を狭くしているせいなので
利他的な思いでの行動をする事をおすすめします。
この事実に気づく事が出来ますし
徳を積む事になるので不徳を中和できますしね。



「因果応報」この言葉は
悪事を働いた人に向けて使われていますが
残念ながら「悪」などこの世に存在しておらず
徳があるか、否か、という事に対して常時発動しています。

死刑を執行した法務大臣
法律に従い正しい事をしたのでしょうが
残念ながら、因果応報の仕組みが働きます。
自分だけではなく家族、血族にも影響があるでしょう。


従って、社会のルールに沿って
過ごしているだけでは、嫌な出来事が増える続けるだけ
なのが、大自然の法則だという事です。



負の感情を抱けば、苦悩を与えられ
感謝していれば、幸せになれるという事です。



残念ながら「因果応報」という法則が
常に作動している世界で私たちは過ごしているので
どれだけ正しく過ごしていようが
徳がなければ、人生に行き詰るんです。

なので、人生では徳を積み続ける事が必須でしょうね。