修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

解っちゃいるけど、どうしても出来ない・・・その原因

感謝しないといけないけど
なかなか出来ない・・

他人を思いやらないといけないけど
なかなか出来ない・・

怒っちゃいけないと解っていても
すぐにキレてしまう・・

徳を積まなきゃいけないけど
どうしても出来ない・・

解っちゃいるけど、どうしても出来ない事って
誰にでもあると思うのです。



どうしても出来ない事を
出来るようになる為には
それをする事で快楽を満たすか
もしくは、堪えられない苦悩に直面すると
出来るようになったりします。

する事で得る対価や
しない事で失う代償があれば
出来るのですが、それがないと
なかなか出来ないのも人の性なんでしょう。


とは言え、人間は欲まみれな生き物なので
やりたくない事、出来ない事に
なかなか向き合えないものです。

ダメだと解っていても
何度もダメダメを繰り返し
そして、取り返しが付かない事態になって
後悔するわけです。
あぁ~ちゃんとやっていれば良かった・・と。

後悔するほどの苦悩を味わうと
ちゃんと出来るので
初めからちゃんとしていれば良いモノの
苦悩が伴わないと出来ないのが
人の性というものでしょう。


そうです!
出来ないのではなく
やりたくないのです!w

やりたいと思えない、とも言います。


やりたくない事、をするのは
なかなか難しい事です。
なぜならば、人の言動には動機が必要だからです。

やりたくない事をやらないままで居る為に
なんだかんだと出来ない言い訳を探してしまうんです。






私が、激しく修行をして居た頃
本職の方々に
『よくそこまで修行できるなぁ~』
なんて、よく言われたのですが
私の場合、やらないと苦しかったから出来たわけです。
『苦悩の解消』という対価があったんですよね~

この『苦悩の解消』という対価がなければ
絶対に修行なんかしていなかったと断言できます。w

だって、辛いの嫌ですし。



私は『感謝』できない自分にかなり悩みました。
感謝できない自分に羞恥していましたし
感謝できない事が自分の中にある苦悩の
原因の一つだとおもってましたしね。

でも周りを見ても、皆が皆、上辺だけの感謝しかしておらず
心から感謝などしていないから
別に自分が感謝できなくてもよくね?
と、何度も思いましたね~w

だって、感謝の心なんて、どうやっても抱けない・・
感謝したくないんっじゃなくて、出来ないんだ!と
そう思いました。w

でも、訳の分らない苦悩の原因が『感謝できない』事だと
そう思っていたので、なんとか感謝できるようになろうと
色々と頑張ってみました。

毎日、神棚に向かい感謝の祝詞を唱えるのですが
心ここにあらずで、ただ奏上する事もあり
そんな時は、いかん!いかん!と
心を込めて読み直したりもしました。

何年も繰り替えし
こんな事をして何の意味があるんだ?と
そんな事ばかり考えましたが
今では、以前の自分より、感謝できるようになったと
そう思えるようになりました。

感謝する練習を繰り返す事によって
その経験値が血肉に刻まれていったのです。








嫌な出来事は、自分自身が抱く
負の感情が原因で引き起こすわけですが
感謝の心が、その負の感情のエネルギーを浄化します。
また、負の感情は、感謝できない心が生み出すので
感謝する事で同時に負の感情を抱く事が減って行きます。
結果として、目前の出来事も移り変わって行くのです。


解っちゃいるけど、どうしても出来ない原因は
先祖代々から受け継がれた経験値によるものもあるでしょう。
要するに自分の性格ですね。

自分の性格は、自分自身の価値観に基づくものであり
血のつながる先祖を含めた過去からの
経験値の積み重ねにより創られています。

従って、解っちゃいるけど出来ない原因は
自分自身の性格にあるわけです。
思考とは全く別な所で、肉体が反応してしまうのです。
なので、いくら思考で考えても
身体が言う事を聞いてくれないので出来ないのです。

自分の性格なんてなかなか変えられないですよね~
でも、自分の価値観は、経験値に基づいているので
経験を変える事により、自分の性格を変える事が出来ます。
(全く感謝できなかった私のように・・)


誰しも自分のしたい事をしながら生きていますし
それが、俗に言う『自由』というやつです。
私たちの社会では、法によりルールはあるものの
その中では、ある程度自由に過ごせます。

自分が嫌だと思う事をある程度は
避けけ過ごせるんですよね~
即ち、生まれ持った性格を改善する機会が
あまりない社会と言えます。

自分がしたくない事と
向き合わなくても大丈夫ですしね。

『引きこもり』する人が増え続けているのもいい例です。
引きこもってちゃいけない!と解っていても
引きこもってしまうのです。
それが、許される社会があります。

引きこもっている状態では、新たな経験がないので
引きこもりを脱する為の経験がほとんどない為
どんどん悪化して行くでしょう~ね。

引きこもりの方に、いくら諭しても無理でしょう。
『引きこもる』という経験を繰り返し
その経験値を血肉に刻み続けているので
頭で引きこもってはダメだと思っても
身体が言う事を聞いてくれないはずです。

引きこもりを改善する為には
引きこもらない経験を繰り返す必要があるのです。








私は、『新たな経験の繰り返しで
目前の現実が改善される』という検証を
長年にわたり繰り返してきました。

苦悩は、自己の負の感情が生み出すので
負の感情を減らす事に的を絞ったものを
特に色々やりました。
『感謝する』事で苦悩は軽減される体験をしたので
これも試してみましたが
なかなか難しく結果が得られませんでした。
『感謝する』これは人生のなかで
とても重要な位置づけなので
簡単にはできないんでしょうかね?


なので視点を変えて試した所、かなりいい感じの
結果が得られたので紹介します。
(何度もこのブログに記してきた事ですけどね。)

①他人に負の感情を抱く時は
その相手を理解せず、自分の価値観を
相手に押し付けている状態です。
自分の思い通りにならない事にムカついているわけです。
まずは、この状態を知っておくことです。

②負の感情を抱く相手を理解しようとしているか?考える。
完全に他人を理解する事はできないんですが
なぜ?そんな事をするのか?そんな事を言うのか?
自分が嫌だと感じる事をする動機を明確にする事です。
自分の思い込みで大丈夫です。

③その上で、自分はどうすれば良いか?
何ができるか?を、考えるのです。
自分や相手の心の成長の為にどうすれば良いのか?を
考えて行動するのです。
その相手に対しての自分の言動は
自分の為か?相手の為か?考えるのです。

④自分が負の感情を抱く事は、簡単に直らないと
言う事も知っておく必要があります。
なかなか自分の感情をコントロールできない事に
苛立ち、諦めてしまう人も多いのです。

新たなる経験値を血肉に上書きしなければ
思考とは別に肉体が反応してしまうので
何度も何度も繰り返す必要がある事を
知っていた方が気長に構えられますしね。



ムカついた瞬間に、上記項目を繰り返すと
その経験値が、自分の人生を大きく好転させるのです。

だいだい、③の時点で、怒りの感情が消えてますしね。


例えば、チームで行動している時に
1人が我儘言い放題で、一向に目的に進めないとします。

その我儘放題の人に対して
『なに勝手な事言っとるんじゃ!怒』と
思った瞬間に、①いかんいかん・・と
②どうしてそんな和を乱す事を
言うのか?するのか?
その動機を探るわけです。

他人の事などよく解らないのは当然なので
ある程度の仮説で良いでしょう。

そして、③その動機を踏まえた上で
どうすれば良いのか?行動に移すわけです。


私の場合は、まず、どうしてそんな事言うのか?と
質問しますね~その方が早いので・・
なぜ?そう思うのか?と直接聞きます。
往々にして、その動機が
利己的な欲を満たす我儘だと
言い訳しまくり、大人しくなります。w

自己顕示欲が極端に強い人は
質問に対して答えにならない
答えで返してくるので
そんな場合は嘘をついていると
思った方が良いでしょう。
で、その動機を想像し指摘してみます。
怒りだしたら、その動機で当たりです。w

どうしても、その我儘を通したいと
食ってかかってくる場合は
私の厚生プログラムを実行してもらいます。w

小西VS鈴木バトルの小西氏のように
訳の分からない事を言い続けるのであれば
厚生プログラムを強要しますね~w




実際に、これをいろんな人に
やって貰っているのですが
いい感じの報告をたくさん頂いています。

・嫌な相手が、自分の鏡に見えてくる。
・自分の視野が広くなった。
・家族に優しくなったと言われた。
・家族が自分に優しくなった気がする。
・寝起きが辛くなくなった。
・嫌な出来事が減った気がする。

などなど・・です。



何だかんだと
新たなる経験が
新たなる価値観を生み
新たなる創造をするわけですね。


解っちゃいるけど、どうしても出来ない・・
これを放置すると
子々孫々と受け継がれて行くので
新たなる経験で、改善する事をお勧めします。