修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

「どうしてそんなことをするのだろう?」「どうしたらいいのだろう?」と考える癖をつけると穏やかな日々を過ごせるようになる。

人間とは、なかなか欲深い生き物で
その欲が、目前の現実を
色々と自己都合な解釈をします。

誰しもがそんな生き物であり
それが人の性なのでしょう。


人が抱く「自分の思い通りにしたい」
という欲望は
思い通りにならない出来事に対して
不快な感情を生み出します。


誰しも思い通りにしたい事が違うので
人が集まれば、それぞれの思いがぶつかり合い
必ず不快な感情が生み出されます。

わかり合える人と人・・
そんな人同士は、極一部なのに
全ての人と解りあえるという
欲望を抱く
即ち、全ての人を自分の思い通りにしたい
と、そう思ってしまうのです。
その結果、人と人とが争いいがみ合う・・

皆が皆、自分の思い通りになる人ばかりの
世の中で過ごしたいわけです。w


私に言わせれば
人々が過ごしやすくするための常識でさえ
欲の塊のようなものだと
そう感じています。


ボランティア活動を続けていると
自分が善意だと思っていた心が
エゴである事に気付けます。

私は、この体験を多くの人にして欲しいと
常々そう思っています。
なぜならば、たったそれに気付くだけで
毎日が過ごしやすくなるからです。



人間にとって我欲は
なくてはならないものであり
私たちは、そんな仕組みの世界に
生れ落ちているのだと
そう思う事が出来れば
自分が抱く負の感情が
どんどんと薄れて行くでしょう。


そして、バカバカしい事で
ムカついていた自分に笑えます。w







世の中には
至る所で不快に感じる出来事が
起きているのですが
あくまでも不快な感情を生み出しているのは
自分自身だと気づくべきだと
そう思っています。

また、その不快な出来事を生み出している
原因は、全て「我欲」だという事も
知っておくと良いでしょう。


不快な出来事に対して
・どうしてそんな事が起きるのか?
・何が原因なのか?
・どんな動機からの言動なのか?
そう考えると
人の「我欲」に行きつきます。

そして人の我欲は無くせないので
どうにもならない事が多いのです。

その為に社会ではルールを設け
人の我欲を抑制するわけです。


しかしながら
そんなルールも我欲にまみれており
ルールを守らない人を「悪」認定してしまう。
なぜならば、そんな人がいるだけで
自分の我欲が満たされないからです。w

人の我欲が引き起こす
トラブルを抑制する為に
ルールを設け
更に我欲を増幅してしまう・・
何処まで行っても
自己を省みる事が出来ない以上
苦しむのが大自然の法則なのでしょう。


こんな奴はダメだ!
こうするべきだ!
これは間違っている!

正義を振りかざす人は
我欲まみれだという事です。w

そして、自らの我欲を満たす為に
そんな正義に同調する。

我々の社会では
全ての出来事の判断基準が
自分自身の我欲が満たされるか?否か?に
なってしまっている為です。


利他的な思いが欠如していると
そうなってしまうのは当然であり
人はみな、利己的な心に支配された状態で
生まれてくるので
我々の過ごす社会から
不平不満や否定批判が絶えないのです。
また、そんな報道が繰り返されるのも
致し方ないでしょうね。

マスコミが不安を煽るのも
人の性がそうさせているのだと
私はそう考えます。




以前の私は
マスコミの報道に対して
もっと、ちゃんと報道しろよ!
なんて、思っていました。

しかし、報道の収益形態を考えると
スポンサーの不利になる報道は
絶対に出来ないでしょう。

商売ですしね。

世の中の為にといくら理念を掲げても
現状のビジネスモデルを変えないかぎり
その理念は遂行できない・・



全ての国民が大企業として認識している
歴史のある報道各社の収益形態を
簡単に変える事など出来ないでしょう。

すでに自社の流れが出来上がっている状態で
いきなり社会貢献に舵取りすれば
多くの社員が路頭に迷う・・

社会貢献しようと決意して
多くの社員を犠牲にする事になるわけです。

自分が社長なら
そんな事は出来ませんし
さっさと退社するでしょうかね?

とは言え、利他的な思いで経営しなければ
この先の時代は生き残れないはずなので
報道機関がどんどん衰退していく流れは
止められないでしょう。

You-Tubeのように
スポンサーを気にせず収益を生み出す
仕組みは、現代の報道各社の在り方を
全否定しているようにも感じます。



そんな事を色々と考えていると
マスコミの報道に対して
いちいちムカつく事もなくなってきます。


とは言え、私も我欲を満たしたいのでw
どうすれば良いのかなぁ~?
なんて事は、常々考えます。

何か良い方法はないものか?と
考える行為は
クイズの回答を考えるようで
なかなか楽しいモノなのです。

YouTubeに対抗する
サイトを立ち上げてみるとか・・
Googleに対抗するサーチエンジン
立ち上げてみるとか・・
ネットの世界で2番線時はなかなか
成功しないという時代も
終わりつつあるように感じているんですけどね~

ニコ動だって
国内では、そこそこのツールに
なっていますしね。

世界のトヨタと言われていますが
自動車を初めて作ったのは
日本人じゃないわけですし・・

こうやってアレコレ考えていると
ただ単にムカついているよりは
有意義な日々を過ごせるという事です。








コロナ変異株が蔓延して
色々と報道が騒がしくなっている中で
小池都知事が「気のゆるみ」という言葉を
頻繁に使い、ムカついている人たちが
多くいるようです。w


確かにあたかも国民が悪いような
言い回しは、責任転嫁しているように
感じますよね。
まして我欲が強く、正義感いっぱいの人ならば
聞き捨てならない言葉に感じてしまうでしょう。w


私としては小池都知事に限らず
政治家に限らず、多くの人が当たり障りのない
言い回しで無意識に常々責任転嫁をしていると
そう思っているので
「おお~!もっと盛り上げろ!」
って思ってしまいます。w


小池知事を批判すればするほど
自分に災いが降りかかるので
自分の至らなさに気付けますからね~w

無意識に責任転嫁している自分に気付く事は
人生にとって、大きな気づきだと思いますし。

痛い思いをしないと心は成長できないので
この課題については
どんどん、悪態をついて欲しいものです。



コロナ対策も
詳しい情報が手元にあるわけではないので
少ない情報の中で勝手に妄想するんです。
自分が政治家ならどうするかなぁ~?
なんて、考えると
どうにもならんなぁ~という結論に至ります。w


もうこれだけ豊かになっている日本で
自給自足なんて無理ですしね。
交通網を閉ざさなければ
コロナの蔓延は止められないでしょう。
交通網をシャットアウトすると
同時に経済の循環も止まり
国民が生活できなくなる。

医療崩壊を起こさない為に
感染者を隔離できる場所を作った所で
医療従事者がいきなり増えるわけでもない。


かといって、何もしなければ
国民から叩かれまくる。
当然、コロナの蔓延は抑えられないので
何かした所で国民から叩かれまくる。

コロナ蔓延は確定事項なので
初めから国民の欲望は満たされない事も
確定事項なのです。
即ち、国民が政府を叩きまくる事も
コロナ感染が始まった時点で
確定事項だという事です。w

利己的頭脳の国民だらけの社会なので
叩かれる事からは
どうやっても逃げられないなら
覚悟するしかないでしょう~ね。w


私も、限られた情報の中で色々考えてみましたが
少しでも、蔓延するスピードを
遅らせる方法くらいしか思いつきませんでした。
出来る限り蔓延のスピードを遅らせて
ワクチン待ちといった所でしょう。

そう考えると現在のコロナ対策は
妥当な所ではないでしょうか?
なんとなくそんな気がします。
飲食店は、ちょっと可哀そうですけどね。
禁酒命令とか、マジでやめてあげて欲しいけど
医療崩壊が起き始めているのなら
致し方ないのかも?とも、思います。
でも、コロナの影響をモロに受けている業種は
無くなっても国民の生活に、あまり支障が
出ない業種なんですよね~
社会貢献度が低い業種という事です。
食べ物が無くなると人は死にますが
お酒が無くなっても死にませんからね~
1次産業を蔑ろにした過ぎたツケかも?
とか思ってしまいます。


かなり多くの飲食店関係者が犠牲になった上で
コロナ蔓延のスピードがどれくらい
抑えられたのか?が気になる所ですが
ワクチン摂取が広がらない限り
結果としてコロナは蔓延するはずです。
あとは、ワクチンの効果が出る事や
副作用がない事を願うばかりです。

国民に自粛をお願いするのも
致し方ないでしょう。
自粛した所で蔓延するんですが
蔓延スピードを遅らせる事が出来ますしね。

オリンピックに関しては
既得権益の巣窟が露呈しているので
陰謀論に飲まれそうになりますがw
ワクチンが間に合う事を想定してたんでしょうかね?
何年もかけて計画される
オリンピック事業に関して
不確定要素の多いコロナ対策を念頭に
簡単に中止宣言できない事も理解できます。

個人的には、飲食店に自粛営業させるなら
オリンピックも自粛しないと
国民が差別されているような気持になるのも
致し方ないのかなぁ~と思っています。



コロナウイルスの蔓延は確定事項と考えると
政府の対応を批判するのも可哀そうですよね~
不確定要素の強いワクチンについて公言出来ませんし
でも、ワクチン待ちの対策しか出来ないような
気もするんです。



政治家も大変だなぁ~なんて思うのですが
やはり、これも我欲のなせる業でしょう。w

多くの政治家の方々は「より良き国へ!」を旗印に
立候補していますが
これって現状に不満があるって事ですよね?
って事は、我欲を満たしたいわけです。w

なので、致し方ないでしょう。
そんな人たちで国を運営するのが
我々の社会ですし
国民も今より我欲を満たしたいと
そう思っていますしね。
私だって我欲を満たしたいです。
だいぶ枯れてきましたが・・w

極稀に後付けではなく
心から「皆様のお役に立ちたい!」と
そう思っている方もいるのですが
これは、利他的な思いがある言葉ですよね。

でも、そんな方は落選するんです。
だって、投票する人は
自分の我欲を満たしてくれる人に
一票入れますし。w







私は、不平不満が多い社会が
正常な社会だとそう思っています。

誰しもが心豊かに過ごせる社会など
あってはならないとも思っています。w

ただ、不平不満の感情は
自分自身が生み出すモノなので
自分の中でその感情を減らしてゆく事は
いくらでも出来ますし
その努力をする事は
とても楽しい事だと思っています。


逆に不平不満が全くない社会は
気持ち悪いと思いますし辟易します。
そんな社会で毎日を過ごす事を想像すると
ちょっと堪えられないかなぁ~w


そう考えると
私たちは、もうすでに
幸せいっぱいな状態であり
それに気付けないが為に
不幸な道へと向かっているように感じます。


多くの人が具体的な生きる目標を持たず
ただただ、我欲が満たされ続ける社会を
求めながら過ごしているわけですが
初めからそんな社会ありえないんです。

あり得ない社会に向かって過ごしているので
自分の思い通りにならないのは当然で
その「当然の出来事」に対してムカついているわけです。

この事実を知ると、なんだか笑えてくるんですが
そうなるように仕組まれた世界で
私たちは生きているんでしょう。






私が、こんな考え方をするようになった
切っ掛けは
不平不満の感情を抱く度に
「どうしたら良いのだろう?」
と、考えるようになったからです。

私も人間なので
不平不満の感情は沢山抱くのですが
その度に、どうしたらこの感情が無くなるのか?
と、そう考えました。

理由は、その感情のエネルギーが
自らを蝕んでいる事を知ったからです。


で、結局、自分の我欲が
負の感情を生み出している事を知り
己の我欲を無くそうと試みました。

己の我欲を無くす為には
自分自身の我欲を知る必要があり
負の感情を抱く度に
自分の我欲を見つめるのです。

それを繰り返すと
かなり下らん我欲に
自分が振り回されている事を知りました。

また、どんな人も
己の我欲が真実を隠蔽し
自己都合の妄想を真実として
解釈している事も知りました。

自分を正当化する為に
都合よく解釈できる現実のみを受け止め
更に「悪」を創り出してしまうのです。
自分に都合の悪い出来事が起きる度に
ついつい「戦犯」探しをしてしまう事もあるでしょう。

なぜその出来事が起きたのか?
どうすれば、同じ出来事が起きなくなるのか?
その為に、自分は何が出来るのか?
と、そう考え、行動する事で
自分自身は成長できますし
目前にある不快な出来事も改善できるのです。

しかし、人は皆、自己の我欲が
満たされない事はしたくないんです。w
自分以外を「悪」とすれば
面倒な事を考えなくていいし
しなくて済むので、いつまで経っても
ただただ、不平不満や否定批判をしまくるだけ・・
結果として、不快な出来事が
どんどん大きくなり繰り返される。


要するに現実をしっかり直視しせず
ただただ我欲を満たそうとするから
嫌な出来事が繰り返されているのです。

事実と我欲が噛み合っていない為に
苦悩が生まれているだけだと知れば
あとは、真実を直視する癖をつければ
苦悩は減り続けるのでは?ないだろうか?
と、私はそう思うようになりました。

そして
「負の感情を抱く」=「ただの無知」
と、思うようになり
「知る努力」を繰り返してきました。

我欲いっぱいな私自身は
とても良い教材となりました。w
また、我々の社会は、不平不満で満載な場所なので
至る所に教材があって助かりましたね~


で、日々起きる色々な嫌な出来事に対して
それが起きるロジックを考えるのです。
初めのうちは情報が少なすぎて
ただの妄想になりますが
妄想と言う「仮定」を立てて
検証を繰り返すのです。


不快に感じる相手に対し
どうして自分は不快に感じるのか?
自分にある、どんな我欲が満たされないから
不快に感じるのか?

また、相手はなぜ?
そんな事をするのか?言うのか?
言動には必ず動機があり
不快に感じる相手も何かを満たしたいのです。
それをする動機は何なのか?
その相手は、何を満たされたいのか?


それらの仮説を立ててみるのです。

まぁ~思いつく動機は
だいたい下らないものですし
実際にバカバカしい動機なんです。w

自分の心が幼稚な為に
不快に感じる事にも気づけます。

そして、その出来事に対して
自分はどう行動するべきなのか?
考え行動する・・

行動して得られた結果が
1つの情報になります。

望む結果が得られなかったとしても
それは価値ある情報だと思います。
失敗を繰り返す事でしか
どんな人も心は成長しませんしね。



何度も繰り返す事で
その体験で得る情報が
どんどんと増えて行き
生きる上での糧となります。


要するに「知る事」が増えるのです。
即ち「知る事」が増える事により
「負の感情」が減り
「苦悩が減る」事に繋がります。


やっていくと気づけるのですが
同じ行動でも利己的な思いでするのか?
利他的な思いでするのか?で
結果が大きく異なります。

例えば、嫌な相手を無視する行為も
自分が面倒だから無視するのと
相手に何かを気付いてもらいたいから
無視するのでは、結果は大きく異なります。

相手に酷い言葉を向けるのも
自分の怒りの感情をぶつけるのと
相手の為に叱るのでは
全く違う未来になるという事です。


やり続ける事で
目前の現実がどんどん移り変わでしょう。

結果として、穏やかな日々を過ごせるようになる。
原理を知ってしまえば
不快になる事が、減ってくるんです。


逆を言えば
不平不満や否定批判の感情を
抱き続けるという事は
「知る事」を怠っている事となり
苦悩に圧し潰される人生になるでしょう。


まぁ~ただの我欲が
不快感を生み出しているだけなので
自分が何を求めて不快に感じているかを
知ってしまえば自分の心が幼稚だという事に
気付けるので、改めようとしますしね。

その事実を受け入れられない人も多いのですが
その原因も我欲なのです。
自己顕示欲や自己承認欲求が強いが為に
自分を省みる事が出来ない。
なぜならば、自分を省みる事で
自己の欲求が満たされなくなるので
どうしても出来ないのです。

結果として事実から目を背けて生きる事になり
悲惨な人生になってしまいます。

「自己責任」「自業自得」なんて
言葉がありますが
残念ながら自分の言動は
必ず他人を巻き込んでいる事を
知った方が良いでしょう。

自分の悪態は必ず
他人に悪影響を与えているので
自分自身が他人から攻撃される事になる
それが己の心を成長させようとする
大自然の法則なのです。

今のコロナ禍も
そんな仕組みが引き起こしているのだと
私は、そう思っています。



戒めるべきは己であり
懺悔道は、なかなか楽しいんですけどね~w