修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人を惑わすのは、己の我欲である。そして我欲は知る事で薄れて行く・・

人の苦悩は我欲が生み出し
我欲は「知る事」で薄れて行きます。

何を知れば良いのか?
と、よく聞かれるのですが
この世の理を学べば良いのです。

朝が来て夜が来て
夏が来て冬が来る
山があり川があり海がある
雨が降って、雪が降り
植物や昆虫、動物たちと
私たちは共存しており
決して自分一人だけでは生きて行けない
世界で過ごしています。


そして我々が過ごす大自然には
我々が従う事しか出来ない
大自然の法則が沢山あります。

「命」という仕組みの中で
「死」を迎える事には逆らえません。

この世には様々な仕組みがあり
その仕組みを知ろうとせず
ただ我欲を満たそうとする私たちは
様々な苦悩に直面します。

「共生」という言葉がありますが
まさしく、他があってこそ生きる事ができるので
我欲を満たす事ばかりでは
苦悩に直面するのは当たり前の事なのです。


雨が降ってムカついても
私たちはどうする事も出来ず
その事実を受け入れるしかないのと同じように
利他的な心が欠如していれば
誰だって辛く苦しい思いをする事実は
受け入れるしかないのです。


受け入れるしかない出来事を
受け入れる事が出来ないが為に
辛く苦しい思いをしてしまう・・


なぜ受け入れる事ができないか?を
よくよく考えて見ると
自分以外を知ろうとせず
ただ単に我欲を満たそうとするからです。
「知らない」という事実が
我欲を満たされない原因をうやむやにし
受け入れる事が出来ないまま
辛く苦しい思いをしてしまうのです。


ならば、受け入れる事しかできない現象を
少しでも多く知っていれば
人々の苦悩は、減って行くという事になります。

幼児期は知識が少ないが為に
自分勝手に我儘言い放題になりますが
年を重ね知識が増えると
分別を弁えるようになる。

思い通りに出来ない事に
苛立ち、泣きわめく事もなく
受け入れるしかない現実を
少しずつ学んで行くわけです。







私自身の活動は
そう言った大自然の法則を
お伝えする事なのですが
なかなか伝えるのは難しいですね~

常識で凝り固まった思考を
ほぐすには、それなりの経験が必要ですし。
でも、諦めずにコツコツと
死ぬまで続けようと思っています。w











この世の理を「知る事」・・
ようは、大自然の法則を学ぶ事なんですが
具体的にどうやって学べばいいのか?
と、よく質問を頂きます。

私の個人サイトやブログも
そんな趣旨で掲載しているので
大自然の仕組みが記してあります。

私の場合、様々なエネルギーを感じ取り
それを探求する趣味があるのでw
様々なエネルギーが引き起こす現象を
模索していくうちに、色々な事象を学びました。


とは言え、この感性を自覚していないと
なかなか出来ない事なので
どうしたものか?と悩み
色々と試してみた結果
人の言動の動機を知る事を繰り返すと
我欲が薄れる仕組みがある事に気づきました。

他人や自分の心の状態を「知る事」が
出来るのです。


このブログに、言動の動機を知るようにと
何度も記してきたのは、その為です。









人の言動には、必ず動機があります。
自分自身の言動の動機を振り返ると
色々な動機が思い浮かぶと思うのですが
突き詰めると「我欲」に行き着くでしょう。

「我欲」は人にとって必要不可欠なモノです。
我欲がないと人は虚無の世界に堕ちてしまし
自我を保てなくなるからです。

とは言え、人の苦悩は「我欲」が生み出すので
苦悩を無くす為には「我欲」を「知る」必要があります。

自分自身の我欲を知り、認め、受け入れる事で
己の我欲と上手く付き合っていくわけです。

自己の我欲を否定し拒絶してしまうと
自分と言う存在を否定してしまう事になるので
理不尽な事ばかり起きているように感じるでしょう。
まぁ~自分で自分を否定していれば
当然の現象なんですが・・

なので、自己の言動の動機を知ろうとする努力が
必要になります。
自分自身を知るためには、他人を知る必要があるのが
大自然の法則なので、他人の言動の動機も
知ろうとする努力が必要です。

言動は人の本心を露わにするので
言動の動機を探るだけで
「人」という生き物の本性がわかります。

その本性を知る事で
本当の自分を知る事が出来ます。
本当の自分を知る事が出来ると
目前に起きる現実と自分自身の心の状態との
辻褄が合っている事に気付けます。


言葉や文章などでは解らない
一面がたくさん見えてくるのです。

また自他の比較が
自分自身を深く理解させてくれるでしょう。


この世では、理不尽な出来事など
何一つ起きておらず
大自然の循環は完璧だと知る事が出来ますし
この先の自分の人生を
どう過ごせば良いかも?明確になります。



「人間」という生き物を知る事は
自分の人生において、かけがえのない知識だと
私はそう思っています。


なぜならば、私たちは「人間」だからです。












この先コロナ変異株の蔓延により
多くの人の命が奪われるでしょう。
緊急事態宣言が発令され
都内のラッシュ時の人混みは相変わらずな為
小池都知事はテレワークを更に強く訴えていました。
GWになっても、政治家の「お願い」という命令を
聞かないお店も多々あり、そんな報道がなされています。


当社の取引先でTV会議を行っている会社も
かなり増えてきました。
打ち合わせも「ZOOMで出来ます?」
なんて、言葉もかなり耳にするようになりました。


しかし、相変わらず都知事は報道で
企業に強くテレワークを訴えていながら
通常通り、記者会見を行っていますね。w
政府の委員会などの会合も相変わらず行っていました。
ZOOMを使って会見もできるでしょうし
国会ですらネット上で行えるはずです。


これは、人間関係の中で頻繁に起きている
「自分は良くて、他人はダメ」現象だと思っています。w

自分は面倒な事をしたくないのですが
自分の欲求を阻害されたくない。
なので、自分以外を変えようとする。
これは、人間の本質でしょう。


小池都知事
コロナ蔓延を抑止したいという欲求があり
都民や国民に「お願い」という命令をし変わってもらいたい。
そこには自分は含まれていないのです。
あくまでもマウント状態の命令ですし
誰しも自分の快楽は満たしたいですしね。w

都知事に限らず
誰しも頻繁にこんな事をしているのですが
普段から己を省みる癖をつけないと
なかなか気づけない事なんです。


行政はただ命令するだけで
ふざけるな!怒!
と、都民や国民はそう思ってしまうのですが
これは同じように自分を省みる事ができないから
ムカつくわけです。
逆に自分自身をよく知っていれば
自分も同じなので、そうそうムカつかないでしょう。


利他的な思考がなければ
簡単に気づけない事ですし
無意識に同じ事をしまくってますしね~
無意識にしているので
自分でも注意していないと繰り返す・・

自分で同じ事をしているのに
その事で、他人を批難する事などできないのです。


政治家は、国民の為に仕事をして欲しい
即ち、利他的な心で仕事をして欲しいと
多くの国民がそう思っているでしょうし
それが政治家として当たり前だと
そう思っているでしょう。

しかし、全ての人が我欲まみれで
この世に生れ落ち
経験の中で、利他的な思いが育まれて行きます。
そして、その経験は辛く苦しいもので
無くてはなりません。


これだけ豊かで恵まれた時代では
大自然の法則上、利他的な心は生まれにくい
社会になっています。
なので、どうあがいても無理なものを
政治家に求めているから
その通りにしない政治家の言動に
ムカつき腹が立つわけです。w


そして、政治家はそれが仕事だと言い切り
自分では何もしない・・
国民の税金で食べているんだから
そうするのは当たり前だ!くらいに思う
政治家も沢山税金納めてますし
文句があるなら自分が政治家になればいいのに
何もせずに、不平不満をぶちまける。



たかだか「知らない」という事で
ほんとうにバカバカしいムダな労力を
使ってしまうのです。

得てして、負の感情と共に在る
その労力が苦悩として自らに重くのしかかる・・



この世には、我欲が真実を見えなくする
という大自然の法則があるのですが
この欲が「知る」という行為を妨げます。

「知る事」で快楽が満たされるのか?
「知らない」ままで、満たされた方が楽じゃないか?
と、無意識にそう思ってしまうのです。

スピ系の方々が「潜在意識」とか「無意識」とか
そんな言葉を使って、思考とは別の部分の
アプローチで、苦悩から解放をさせようとしたりしますが
自分で意識できない潜在意識は過去からの経験値であり
自己の性格でもあるのですが
自己の苦悩の原因は、あくまでも「我欲」であり「不徳」なので
いくら無意識の世界を探っても「我欲」に
たどり着くだけだと、私はそう思っています。

なので、我々の潜在意識の中に
無数の我欲が常に潜んでおり
自分自身の言動に強烈に影響を与えていると
そう思た方が良いでしょう。

と言うか、私はそう思っていますし
自分の無意識=我欲との闘いを
長い間してきましたね~w


嫌な事は、無意識に避けるし逃げるしw
自分の思い通りにしたいが為に
身勝手な行動を無意識にするわするわ・・
自分を正当化する為に
限りなく湧き出る言い訳・・w

ちょっと油断するだけで
自分自身の無意識に肉体を操られてしまうのです。

そこに注意していれば気づけるのですが
普段の生活の中では全く気付けない・・
なので、その闘いをする前の私は
無意識に自己を正当化しまくっていたわけです。w

そして、愚かにも
その事実に待ったく気づいていない・・


私は、この経験から
全ての人が同じなんだろうな~と
そう確信しました。

ただ、我欲の強さと無意識の言動の強さが比例しているので
我欲が強ければ強いほど、やりまくっているのですが
全く自分では気づけないでしょう。

あと、頭の回転早い人も自己を省みる事が
出来ない人が多いです。
自分を正当化する言い訳が、沢山思いつきますからね~
医者や政治家、官僚など上級国民扱いされている方々は
往々にして心が幼稚な人が多いのはその為です。
池袋事故の飯塚氏の発言なんかが良い例ですね。
恐らく飯塚氏は、本心から車のトラブルがあったと
そう思っているでしょう。
自分都合の言い訳を繰り返すと
真実を記憶から抹消してしまうんですよね。


飯塚氏の報道を見る度に
私も自分都合の言い訳をしていないか?
省みるようにしています。w




私は、精神を壊す人や虐めに合う人も
我欲が強すぎるのだと、そう思っています。

「コップ半分の水」の話は有名ですが
我欲が強い人は、「もう半分しかない!」と
どうしても、そう思ってしまうのです。
この思考による言動を、頻繁に繰り返すわけです。
要するに常時、心に余裕がないのです。


また、海に行きたい人と山に行きたい人の
意見が分かれ、自分が海に行きたい場合は
なんとか、海に行けるようアレコレ思考した
言動をします。

「海に行きたい!」という我欲が
「山に行きたい」人の価値観を拒絶します。
我欲が強すぎる人は、当然
頻繁にこんな事を繰り返すので
その言動を無意識に繰り返しています。

即ち、その経験値は血肉に刻まれるので
無意識に他人の価値観を拒絶する
体質になっているわけです。

当然、周りから負の感情のエネルギーを
貰いまくってしまうので
霊感が強くなるのですが
この強欲さがおかしな方向に自分を解釈します。

無意識に他人の価値観を拒絶する体質を
「霊感体質」として
あくまでも、物事が空回りするのは
体質のせいにし自分を正当化してしまうのです。w


我欲が極端に強い強欲な人は
周りに迷惑をかけまくっているのに
その事実に気付けなくなります。

求めているのが
自分自身の我欲を満たす事なので
その事に対して執着し
他人の価値観を尊重する心は皆無です。


幼児が自分の思い通りにならないと
泣きわめくのと同じ状態で
自分の思い通りにならない事に対して
我慢が出来ないのです。


ネットへ誹謗中傷の書き込みをした
経験のある方は、要注意ですね。w


よく心理学者がネットでの誹謗中傷は
ストレス発散なんて言いますが
そんな生易しいモノではなく
かなり根が深い行動だと私はそう感じています。


K国の反日活動と同じ状態でしょう。
よく報道やネットでK国の異常さを伝えていますが
我欲が強く我を省みる事ができないと、誰でもこうなります。
自分の思い通りにならないと相手を責め続け言う事を聞かせる。
長年、日本は面倒なので、謝罪し経済支援をし
付かず離れずで来たわけです。
人道支援」というキレイ事を掲げて
本心では、ただ単に面倒だったんでしょう。

まぁ~K国はK国民で作った国ではないでしょうし
金融破綻まで経験してるので
国を運営できるだけの国民性を
根付かせる指導を条件に支援すれば良かったのでしょうが
「救い」という行為に溺れた結果が、今なのでしょう。

私が、仏教の「救い」を嫌うのは
自分を省みる事が出来なくなる原因になりかねないからです。
なのでスピ的行為も私の中では同じ扱いなんですよね。

私はK国人の友人が沢山いますが
自国を憂いていない人はいませんからね~
ここまで来ると、日本に帰化する人も出てきています。
このまま、再度国が破綻するとどうなるんでしょうか?


我欲に溺れた人も悲惨な人生になって行くので
恐らくは、同じ道を辿るんでしょうね。



という訳で、我欲が強すぎると
自分では、何も気づけないまま人生が崩壊して行くので
ままならない現実が目の前にあるのであれば
現在のK国とやっている事が同じだと
そう思た方が良いでしょう。

同じ一面を探して
自己改善すれば良いだけなのですが
言うのは簡単でも、実行するのは難しいでしょうね~

だって、我欲が強いという事は
自分の快楽を満たしたいわけですしね。

まずは、我欲が満たされない出来事を
悉く無意識に拒絶している自分に気づく事から
始めないとどうにもならないかも?しれません。


昔、滝修行の一般参加をしていた頃の事ですが
よく滝修行に参加したいと言われ
あまりにも負のエネルギーが多い人は
100%怪我をするのでお断りしていました。
実際に、崖から滑落するんです。
でも、そんな人に限って我欲が強いので
怪我をしたら山に放置して貰っていいから!
と、強引に押し押しで来ます。w

普通で考えれば
山で怪我をした人を放置できるわけがないし
そんな人を担いで山を降りる事が
どれだけ大変な事なのか?
すぐに解る事なのですが
欲が強すぎて全く想像できないわけです。

スピ系にハマる人はそんな人が多いので
実際に、そんな人が結構いるんです。


強欲すぎる人は
癌になり死を宣告されても
深く血肉に刻まれた経験値が
自分がどれだけ身勝手に過ごしてきたか?を
気付かせてくれない人も多いんですよね。




なので、自分自身の我欲を「知る」努力をしましょう~♪

私がボランティア活動をお勧めするのは
自分の中に利他的な心があるか?
1つのバロメーターになるからです。

我欲が強いとボランティア活動なんか出来ませんし
不平不満や否定批判を繰り返す生き方になってしまいます。





余談ですが、私の知人で
前回のコロナの緊急事態宣言の時に
「自分がしている仕事が社会に不要だったんだ・・と
奈落に堕とされて痛感したよ~」なんて言っていた
飲食店を数店舗経営している社長さんがいるんですが
今は、飲食店を廃業して電気工事の資格を取り
建物の修繕の仕事を始めたそうです。

その気になれば何でもできるね!
お客さんの要望に応えるには色々な資格が必要だから
40半ばで勉強ばっかりだよ~と言いながら
楽しそうに仕事をしています。
コロナ様様だ!と、言っていましたね。

その社長さんは、被災地にすすんで
ボランティアへ行くような人ですし
人とのつながりを大切にする人で
相変わらず私に仕事を振ってくれるんですが
利他的な思いが強いんだと思います。


コロナ禍で不平不満の報道ばかりですが
我欲が出来事の真意を見えなくする
大自然の法則を再確認したような出来事でした。