修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分の人生は、自分のモノのなのは、紛れもない真実である。

私は長い間修行をし続け
この世の理を追求しているのですが
その理由は、人生の中で「理不尽だ!」と
感じる出来事がとても多かったからです。

私にとっての「理不尽」を
無くす為には、この世の理を知る必要があると
そう思い至った事がきっかけです。

霊的苦痛もその一つですね。
どうして、こんな事が起きるのか?
と・・・
その仕組みを知らなければ
一生、霊的苦痛を抱えたまま・・
どうしても、脱したかったわけです。



相談ボランティアをしていると
辛く苦しい現実に苛まれている人たちは
皆が皆、大量の負のエネルギーを纏っている・・
お話を伺えば、皆さん自分の正当性を主張する・・
現実の理不尽さに苦悩しているのです。

仏教的に言えば
その事を認めて受け入れてあげる事が
大切だと、そう学び
カウンセリングでも同じ判断をする。

ただただ、傾聴し認めてあげる・・

確かに自己承認欲求が満たされれば
心が癒され軽くなるのですが
私自身も同じ状態に
陥った経験をしており
そんな対応では、何も解決しない事を
知っている・・
一時的な改善があっても
苦悩を悪化させる事の方が多い。


まずは、
負の感情が引き起こす苦悩の仕組みを
知る必要があると、当時はそう強く思いました。


なぜ人は負の感情を抱くのか?
なぜ負の感情が辛く苦しい現実を引き起こすのか?
この世界は、何のために存在しているのか?
欲とは何か?
愛とは?慈悲とは?
人生とは?

考えれば考えるほど
途方に暮れる・・
そんな感情でいっぱいになるのですが
それでも「知りたい!」という気持ちが強く
毎日毎日、そんな事ばかり考えてきました。
というか、現在進行形ですね。w


私の場合、人が生み出すエネルギーが
出来事を引き起こしている事は
体感として理解しており
特に心が生み出すエネルギーが
現実に強い影響を与えている。

従って「心」の在り方が
自分自身の現実に強い影響を与えている事に
着目をし紐解いていく形で
進めてきたのですが・・・

神仏を崇め
激しい修行をすればするほど
神罰など存在しないと
そう思うに至りました。

神仏など思い込みに過ぎない!
と、普通で言えば罰当たりのような
考え方なのでしょうが
そんな罰当たりな事を思いながら
行動しようが
神罰なんて起きないんですよね~

むしろ神仏の存在を信じ
崇め祀っていた時の方が
辛く苦しい出来事が多かったのです。

この時点で宗教やスピ系業界で
学んだ事を自分の中で全否定し検証してみました。

検証すればするほど
その世界が「思い込み」で成り立っている
ようにしか思えなくなり
その思い込みを払拭する作業を
繰り返してみたのです。


自然の中で一人で修行していると
現実社会で生活している自分と
自然の中にいる自分との
ギャップの大きさにも気づくようになり
その「違い」に注視するようになりました。

私たちは「思い込み」を
容易に現実と勘違いする社会で
過ごしていると思うようになったのです。



また、自然環境に囲まれた場所にいるだけで
誰しも癒されると思うのですが
それは、大自然が全てをゆるしているからです。

私は、私たちの全てを常に受け入れてくれる
そんな大自然のような
人間になりたいとそう思うようになりました。

当然、その為にはこの世の理を
もっと知る必要があるわけで
私は、その探求にどんどんはまっていくわけです。


今、目の前で起きている
どんな出来事も、認める事。
受け入れる事。
全てが善であり、大切な出来事。
この世は感謝すべき出来事しか起きていない。

そう思えるようになりたい!
その為には、出来事すべてが
私たちにとって大切な事とする。
こんな考え方は出来ないだろうか?

実際に、そう思うようになると
そう思えない自分を否定するしかなくなり
その結果、今の自分の価値観を
悉く覆す作業を始める事になりました。w


そして、驚く事に
自分自身を否定すればするほど
現実が好転していくのです。

その行為が至らぬ己の改善になり
自らの心の成長に繋がり
自らのエネルギーが変わった結果なのですが
当時は、そんな事は思いつかず
驚いたものです。

そんなこんなで
この世の理の探求の中
色々と気づかされたのですが
その中の一つで
「私たちは、常に自由だ!」という事が
今の社会を過ごす中で
とても重要だと思っています。
毎日が窮屈に感じるのは
私たちが無意識のうちに
窮屈な社会を創り上げてしまったからです。



私たちは、自分がどう生きようが
自由な世界に生れ落ちています。

他人に迷惑をかけようが
優しくしようが、自由です。

気に入らない人を殺そうが
身近な人を助けようが、それも自由です。

他人に親切にしなければならない。
命は尊く軽視してはならない。
大自然にそんなルールはないのです。


ただ、自分で負の感情を抱いたり
他人に負の感情を抱かせたりすると
辛く苦しい現実に苛まれる仕組みがある世界に
生まれ落ちているだけなのです。

何が正しくて、何が間違っているか・・
という考え方は
私たち人間が快楽を満たす為に
とても重要な事でありますが
私たちの心の成長を求める
大自然からすれば
私たちの善悪など
全く関係なく出来事を引き起こします。

そこに私が悩み続けた「理不尽」が
存在していました。

出来事は大自然のルールに
基づいて起きているのに
社会のルールで物事を判断していれば
「理不尽」だと感じる出来事が起きるのは
当然の事だったのです。


どれだけ自分が正しい事をしていても
その正しい言動の動機や判断基準が
我々の快楽を満たす為であれば
苦悩を引き起こす言動となるのです。

「正しい事」
それを求めて日々、人は議論し
時には争い、時にはいがみ合い
時には共感し歓喜する。

しかし、「正しい事」なんてモノは
この世に存在していないのです。


私自身、神仏を崇め祀り
「答え」を求めた事がありましたが
実に馬鹿げた事でした。w

だって、「正しい事」「答え」「正解」など
自分の中、以外の何処にもありませんからね。
もともと自由を与えられているのであれば
「正解」は常に自分の中にしかなく
自分が「正解」だと決めたモノが「正解」なのです。




私たちは、私たちの生活を過ごし易くする為に
力を合わせ、協力し合っています。
その為には、ある程度のルールが必要で
ルールを作るのは、我々人間であり
それは、大自然からすれば我々のエゴでしかない。

私に言わせれば、大自然のルールを
完全無視したルールの中で
過ごしているのが私たちです。

私たちが生まれる前から存在している
大自然の法則と言うルールを
完全無視して
自分達に都合よくルールを決めたのが
私たちの社会のルールです。

そんなルールの縛りのなかで
いくら幸せを探したところで
手に入れられるはずもないでしょう。

だって、私たちは
大自然の一部なんですからね。




我々の社会は我々の快楽を満たす為に存在し
我々のエゴで成り立っているのですが
それすらも大自然のルールでは自由です。
何の問題もないのです。

自分が身勝手な行動をし
周りの人から責め立てられるのは
私たちの社会が私たちのエゴで
成り立っているからに過ぎないのです。

私たちの善悪の判断
正しい事、間違った事とする基準も
私たちが快楽を満たされるか否かで
判断されており
大自然の仕組みにある
人の心を成長させる為ではありません。

しかし
利他的な心を育む事が出来なければ
誰しも苦悩に苛まれる大自然のルールがある。


前回のエントリーで
「不倫は良い事」
「人を殺す事が良い事」など
そう考えて見るように書きましたが
殆どの人が「???」となったでしょう。
何言ってんだこいつ?くらいに思ったと思います。

「快楽を満たす事が良い事」という
価値観で物事を判断すれば当然そうなるわけで
ある意味、そう思うのが
普通であり一般的だと思います。

しかし大自然からすれば
その価値観は我々人間のエゴとなります。

私たちの社会のルール上
「悪」とするモノは
現代で生きる人々の
心を成長させる為に
必要不可欠なものなので
我々の社会では「悪」であっても
大自然のルールでは「悪」ではありません。
人間的に言えば「善」としても問題ないでしょう。


これも実際にボランティアなどで
自分の善意を他人に向けて行動すると
解ると思います。
自分が思う「善」が
どれだけ身勝手な価値観なのかを
身をもって知る体験が必要でしょう。
その経験がないと
自分の善意がエゴの塊だという事に
納得いかないのも理解できます。


別にエゴがいけない事ではないと思いますし
どう考え、どう思うか、どんな言動をするかも
自由な世界で私たちは過ごしていると思います。


社会のルールでは
我々の快楽を満たす事が良い事であり
その価値観で成り立っている
そんな社会で過ごす私たちは
普段から無意識に多くの人に
迷惑をかけており
毎日、苦悩の種を撒き散らして
過ごさなければならない。
正しい事をしようとすればするほど
そうなってしまう社会で生きているからです。

コロナ禍の対応や
オリンピック開催の問題ひとつをとっても
皆が皆、自分で決めた「正しさ」を主張し合い
負の感情を撒き散らしている。


そんな、社会で
毎日を過ごしているのに
皆が皆、ありもしない「正解」を求め
ありもしない「正義」を掲げ
そして、ありもしない
「正義」と「正義」で
争い、いがみ合う・・・

まぁ~それも
人生の中で必要な事なのは
よく理解していますが
その社会の仕組みに
飲み込まれてしまう人たちを
ちょと難儀に思ってしまうんです。


私としては
怒りや憎しみの感情と
対になる感謝の感情の二つのエネルギーで
人生が大きく左右されるのが
よくわかるので

マイナンバーカードに
負の感情はマイナスポイント
他人から感謝されると
プラスポイントを計上し
表記すれば
自己の目前の現実と
辻褄が合うのになぁ~
なんて思うわけです。w


私は、それらの感情のエネルギーを
感じ取る事ができるので
物理的に計測できると思うんですけどね。

医科学者の方で
興味がある方がいれば
喜んで協力しますよ!w






で、この先も
どんどん人間関係が拗れる
出来事が多発すると思うので
心を壊す人たちも増えて行くでしょう。

ちょっとした一言で
他人に責められ、誹謗され中傷され
自分の心が傷ついてしまう人も増えて行くでしょう。


私は、知って欲しいのです。
社会のルールは
人々の快楽を満たす為に創られているので
必ず、この状態に陥ってしまう
仕組みが存在している事を・・


ちょっと考えてみると解る事なのですが
他人を傷つける言葉を使った人は
「悪」認定され
著名人なら戦犯扱いされて社会から袋叩きw
これも快楽を満たす事が良い事とする
社会なので、こうなってしまうのです。

自分と他人は価値観が違い
他人から同じ言葉を受けても
傷つく人も居れば、喜ぶ人もいる。
喜んで貰おうとして向けた言葉で
他人を傷つけてしまう事もあるでしょう。

なので、コミュ症と
呼ばれる人たちが増えて行き
他人と関わりを持つ事に恐怖を感じる人が増える。
即ち、引きこもる人が増えて行くわけです。

そして、コミュ症も引きこもりも
ダメ人間認定される。

何が正しく、何が良い事でしょうか?w


私には、世界中の国々が
絶対に手に入れられないモノを
求め続けて、疲弊しているように見えるのです。

快楽を求めるのは人の性なので
これはこれで仕方ない事なのですが
ちょっと強欲すぎますよね。

10年以上前に
民主主義の限界を訴えていた方がいましたが
とうの昔に限界を迎えた社会構造のまま
快楽を求め続けているのです。



私たちは本来、自由に生きるよう
創られて生まれてくるので
行き過ぎた言動の抑制は
精神を崩壊させてしまいます。

快楽を手に入れる
「良い事」の強要を
拡散し続けているので
どんどん人の心が壊れて行く・・

そして、自分の精神が崩壊している事に
気付かないまま、国が運営されて行く・・
ので、社会もおかしな方向に進んでゆく。
K国が良い例なんですが
日本もK国と同じ道を歩んでいる事に
気付いた方がいいのになぁ~
なんて憂いてしまいます。


この先・・
社会の目を気にして
他人の目を気にして
過ごさないといけない社会のように
感じる事が、どんどん増えて行くと思いますが
自分の人生は、紛れもなく自分自身のモノだと
言う事を、絶対に忘れてはいけないと
私は、そう思っています。

確かに、社会的不適合者扱いされると
辛く苦しく感じるでしょうが
今の社会に無理矢理適合しようとしても
辛く苦しく感じるはずです。

私は、長年社会的不適合者扱いされていますが
今は、幸せなんですよね~
周りからは「なんだコイツ!」扱い
されまくっていますが
そんなのは、慣れます!w

どうしても慣れる事が出来なかったのは
自分に嘘をつきながら過ごす事でした。
私でも、周りの目を気にして周りにちゃんと
合わせて過ごした事だってあるんです!
でも、慣れる前に爆発してましたね。w

まぁ~皆さんは、皆さんの価値観があるので
強要はしませんが
自分の人生は、誰のモノでもなく
自分自身の人生なので
自分の思うように過ごしてみましょう。

大切なのは、自分は自分であり
他人は他人の価値観があるという事を
認めてしまう事です。
そうすれば、己を蝕む
負の感情を抱く事もありませんからね。

周りから誹謗中傷攻撃されるかもしれませんが
そんなの気にする事はないでしょう。
だって、ただただ快楽を満たしたいだけの人ですし。
そこに、従っている以上
絶対に幸せになれませんからね~

自分の人生を自分で歩めない人の
仲間入りする必要はないと思います。

自分を口撃する人たちに対して
ムキになる必要もありませんし
優しく見守ってあげましょう~。


自分の人生を歩みにくい
社会になってきましたが
その中で、自分を確立するのも
意外に楽しいモノだと思います。

ぬるゲーがつまらないように
人生も思い通りに進む
とつまらない生涯を送る事になってしまうので
今くらいのゴタゴタがあった方が
楽しめると思うんですけどね。

私の人生は、無理ゲーレベルで始まっているので
今くらいがちょうど良いのかも?しれません。w