修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

ボランティア活動で不徳を積んでしまう事もある

長年カウンセリングのボランティアをしていると
・感謝しているのに嫌な事ばかり起きる・・
・社会貢献しているのに辛い事ばかり起きる・・
・ボランティア活動をし続けているのに・・
と、ちょくちょくそんな相談を頂きます。


という訳で、今回は
ボランティア活動が不徳になる仕組みを
記してみたいと思います。

これを書くと、せっかくボランティア活動を
しようとしている方の足止めになるような気がして
放置していたんですが・・

私個人としては、不徳になっても
やるべきだと思っています。
なぜならば、人は生きているだけで
不徳を積み続けていますからね~

何もしないより
やってみた方が自己の成長に
大きく貢献すると思っています。







まず、私の考え方なのですが
大前提として、言動の動機が生み出すエネルギーが
目前の現実を創り出している。
また、我欲が苦悩を生み出す仕組みがあると
そう感じています。


従って、ボランティア活動も
それをする動機によって、目前に起きる
出来事が異ってきます。

私が、ボランティア活動を始める時の
心構えとして、偽善を自覚するように
言っているのはその為です。

利他的な心など簡単に生まれるモノではないので
それを自覚していないと
自己顕示欲や自己承認欲求に溺れてしまうからです。
「良い事をしている自分」
「自分は良い人間」という思考に酔ってしまうのです。
ついでに
「どうだ!私って凄いだろ!」
とか
自分の周りを見下す事ができ
勘違いマウント人生を歩んでしまう人もいますね。w

すでにボランティア活動をしている方で
感じている方も多いと思いますが
実は、ボランィア活動をしている方々の多くが
そんな感じなのです。

多くのNPO法人
善意を利用してお金儲けをしていますし
自己の価値観内だけの正義を
周りに押し付けまくってしまう。

私は、それがいけない事だとは思いませんし
何もしないより、よっぽど良いと思っています。

実際にNPO法人の代表の方々から
「いったい自分は何をしているんだ?」
と、いう相談を幾度となく受けた事があります。

自分の「善意」に基づいて行動する事により
多くの人苦しめているのでは?と
自分の「善意」による「不徳」を学ぶ
良い切っ掛けになるのです。

自分の価値観による「善」が崩壊する事で
その後の人生は大きく変わりますからね。

私は、皆さんに、そんな体験をして欲しいと
思っているので
どんな動機であろうと
ボランティア活動をお勧めしているのです。




ボランティア活動をする動機にも
色々あるのですが一番多いのは
「良い事をしている自分でいたい」
という動機です。
要するに他人から良い人に見られたい
または、周りの人より
自分は良い人間だと、そう思いたい。
そんな自己顕示欲や自己承認欲求によるものです。

自分を正当化する為に
ボランティア活動をする人もいますね。

この欲求が強ければ強いほど
不徳を積んでしまいます。



例えば、貧困層救済活動をしている場合
その動機が、「良い人で居たい」というモノであれば
自分が良い人で居る事が目的となり
貧困で困っている人を助ける事しかしなくなります。

それでイイじゃないか?と
思われるかもしれませんが
なぜ貧困に陥っているか?が一番の問題であり
そこを改善しなければ、なんの解決にもならないのですが
「良い人で居たい」という自分の欲求が
一番大切な所に目を向けさせなくしてしまうのです。

結果として、政府や行政に不満をぶつける事になる。
「こんなに困っている人が沢山いるのに
行政はいったい何をやっているんだ!」
と、声高々に迷惑行為を繰り返す集団となってしまい
不徳を積み続けてしまうのです。

そもそも社会を良くしようとしているのに
社会の一部である政府や行政を批難するだけの集団になる。
政府や行政を改善しようとする所まで
思考が働かなくなってしまうのです。

なぜならば、目的が「社会貢献」ではなく
「自分が良い人で居る」事だからです。

ボランティア活動をしている方々の
政府や行政に対しての批難や不満は
往々にして、そんな感じです。


知人から教えてもらった話ですが
自宅を失い路上生活をしている方に
NPO法人の方々が仕事と部屋を斡旋したら
斡旋した部屋で首を吊って自殺してしまった事件があったそうです。

このケースも「住まいがあり仕事をしている事が良い事」
という自分達の価値観の押し付けが引き起こした事であり
なぜ?自宅を失い、職を失ったのか?を全く考えず
「支援する事が良い事」としてしまったからです。
それに気付けなかったのは
「良い人で居たい」という自分の我欲のせいでしょう。


このようにボランティア活動をする
動機によって、不徳を積み続けてしまう事もあります。

それでも、その活動により
深く感謝してくれる方々も沢山いるので
なかなか自分では気づけなかったりもします。


被災地へボランティアに行った事のある方なら
解るかと思いますが、どんな動機だろうと
山のように積み上げられた瓦礫を
片付けてくれれば、被災者の方々は感謝してくれるのです。
「ボランティアの方々がいなかったら
いったいどうなっていたんだろう?本当にありがとう!」
と、皆さん口をそろえてそんな事を言ってくれます。

それはそれで、「徳」を積んだ事になるので
何もしないよりは、良いと思っています。


じゃあ、どうすればいいの?
って話になるのですが
あくまでも大自然は己の心の成長の為に
出来事を引き起こすだけなので
良いも悪いもないと思って頂ければ幸いです。
どの道、利他的な心を初めから
持ち合わせている人なんていないので
やっぱ、偽善を自負することでしょうね。
そうすれば、己の我欲に溺れなくなりますし。






私は、ボランティア活動をしても
辛く苦しい出来事が起き続ける
仕組みを知って頂きたいと思っています。

人である以上、苦悩からは逃れられませんし
それを知っているだけで
活動の心構えが大きく変わりますからね。



例えば、自分自身の成長の為に
ボランティア活動をする場合
自己成長欲求のエネルギーを生み出し放出しています。

実は、自己の心の成長を望む欲求は
我欲とは、全く違うエネルギーが生み出されているのです。
「知識欲」みたいなものでしょうか?
そのエネルギーが、自己成長させる為の「縁」を創り出します。

ボランティア団体に参加したら
行政や政府から助成金を引きだす活動ばかりで
納得がいかない・・なんて相談も多く頂くのですが
それはそれで「人の善意」を深く考えるきっかけになるし
自分自身を成長させる為の出来事と言えます。


そもそも「苦悩」とは「我欲」が生み出すものなので
「成長欲求」は「我欲」ではない為
大きな「苦悩」を生み出す事に繋がらないのです。


所が「自分は良い人で居たい」
「良い事をして周りに認められたい」と言う
自己承認欲求の場合は、「我欲」となり
そのエネルギーは、周りの人に不快感を与えたり
「我欲」で行動している人との縁をつくります。
当然、自分優先思考の人たちの縁になるので
拗れやすい人現関係をつくり続ける事になります。
ムカつく事、嫌な事、腹の立つ事ばかり起きるでしょう。

まぁ~人間、我欲の塊のようなものなので
ボランティア活動をする人たちの
8割がそんな人たちだと
思っておいた方が良いかもしれません。
活動の中で、色々と学べると思うので
それはそれで、いいのだと私はそう思っています。

とは言え我欲に溺れ
「私たちは良い事をしているんだ!オラオラ!」集団の
仲間入りは、したいと思いませんけどね。

最近ではモンスターボランティアなんて
言葉もありますし・・
でも、モンスターボランティアになって
周りに迷惑をかけている事に気付けば
人生観が大きく変わると思うんですよね~



長年ボランティア活動をしていても
目前の現実は、苦悩ばかりだという方は
その我欲が強い為だと思った方が良いでしょう。

「強欲」は、悉く現実を見えなくしますしね。
なぜならば、自分に都合の良い現実しか
見聞きできない思考になっているからです。


家庭環境のせいにしたり
金銭的問題のせいにしたり
持病のせいにしたり・・と
最近では多種多様の精神病が生まれたので
どんどんそんな人が増えていますよね。

自分都合で物事を解釈していると
事実が全く見えなくなるのですが
もともと狭い世界で過ごしているので
全く気付けないわけです。

私自身も長い間、うまく行かない現実を
なんでも自分の体質のせいにしていました。
まぁ~よく気絶したり
高熱で魘されたりしましたしね。w
体調が悪ければ仕事なんてまともに出来ないのは
当たり前だろ!お前も同じ立場になってみろ!
くらいに思っていました。w
多くの人に迷惑をかけ
迷惑をかけたくない!とも思いましたし
自暴自棄に陥ったりもしましたね。

でも、その思考は
「自分を認めて欲しい」という
強い欲求が生み出したものであり
あくまでも自己中思考だったのです。

私の場合、この感覚のない人達の事を
深く理解しようとした事がきっかけで
苦悩から解放されたと思っています。

ボランティアで接する方々に
私の事情など、関係ありませんしね。








また、介護など福祉に従事している場合
社会に貢献したくて福祉の仕事をしていても
同じように不徳を積み続けてしまう事があります。
給与という代償を貰っているので
なかなか徳を積めませんし
「良い事をしている自分」に酔ってしまうと
悉く嫌な出来事に苛まれるでしょう。

福祉関連の仕事をしている方々の
相談もとても多いんですよね~

以前、県の健康福祉部にいた方が
精神を病んでいる方々の支援をして
結果として、精神病患者を量産している事に気づき
県職を辞めて一時期うちの会社を手伝っていましたが

福祉会社に勤めている=社会に貢献している
福祉事業に携わっている=社会に貢献している
とは、限らないのです。

これも「良い事をしている自分で居たい」
という「我欲」が、問題そのものを
見えなくしてしまうケースで
そんな事がとても多くあります。

また、その「我欲」が
支援者救済に繋がらない行政の仕組みを
批難する感情を生み出したりします。

ようするに「良い事をしている自分で居たい」
が行動の目的になってしるので
物事の本質を見極めようとしなくなるのです。

そもそも活動の動機が「我欲」なので
自分の思い通りにならないと
ムカつきますしね~w

まぁ~始めから
苦しんでいる方々の為の
活動ではないので、仕方ないんですけどね。


福祉施設を利用する方々にとって
いったい何が問題で何が必要なのか?と考えると
往々にして、当事者でなく家族の側に問題があったりしますし
結果として、ただのビジネスとして福祉事業が
存在する場合も多々あります。

また、仕事で社会に貢献することは
社会人として当たり前の事なのですが
「良い事をしている自分で居たい」という欲求が
当たり前の事を「良い事」に
置き換えてしまう場合も多くあります。


まぁ~これも人の性が引き起こす事なので
いけない事だとは思いませんし
それを批難するなら社会構造から
変える必要がありますが
人は、我欲に染まって生まれてくるので
そんな社会は、ありえないと思っています。

「批難する」事により
「利他的な心」が芽生える仕組みでしょうかね?

そう考えると「我欲」も
なかなか良い仕事をしている事になります。w





私は、ボランティアで関わっている会社が
何社もあるんですが
ビジネス=社会貢献だと言い続けています。

社会に貢献した分が収益に繋がりますからね。

で、一生懸命社会に役立てるよう頑張っていても
なかなか収益に繋がらない事もあります。

私に言わせれば自己満足社会貢献の領域から
出られないだけなんですが
なかなか気づけないモノなんです。


それに気付く為には
「今、この会社がなくなったら
どれだけの人が困るだろう?」
と、考えて見ると良いと思っています。

お店を経営している人であれば
「このお店が、なくなったら
どれだけの人が困るだろう?」

自分個人でもいいです。
「私が会社を辞めたら
どれだけの人が困るだろう?」

自分では沢山の人が困ると
そう思っていても
実際には、その想像以下なんです。

また、困る人がいなければ
何一つ貢献できていない事になります。



結局、苦悩の中で
自分では、やっている「つもり」
できている「つもり」に
気付かされるんですよね~



偉そうな事を記しましたが
私自身、「我欲の罠」にハマりまくってきたんですよね。w

なので、皆さんも「我欲の罠」にハマり
私と同じ経験をして、心を進化させてみましょう!w