修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人生を豊かにする方法

誰しも先祖からの経験値を受け継ぎ
人格が創られて行くのですが
自分自身の性格は生活態度に現れます。

何気ない自己の言動が
自己の経験値として血肉に刻まれ
それがエネルギー化して
目前の現実を引き起こしている。

自分自身の人生は
自分自身の言動の繰り返しが
創り上げている事になります。


従って、自分自身を省みる事は
人生において、とても重要です。

また、毎日の生活態度を改める事で
意外な発見があり
ちょっとした気付きにより
人生が好転する事もあるのです。




具体的にどうすれば良いのか?
という事になるのですが
私自身が実践している事を
記してみたいと思います。








①身の回りを清潔にし整理整頓をする。

目前の現実を悪化させるのは
「穢れ」「邪気」が原因なので
こまめに清掃する事で
出来る限り穢れを無くします。

掃除が苦手な人もいるでしょうが
部屋が汚いという事は
穢れが多いという事に繋がり
目前の現実に悪影響を与えるのです。

なので、清潔にする事は
人生においてとても重要な事なのです。


まめに掃除をすれば良い事が増えるのではなく
清潔にしないとアンラッキーな事が増えるのです。

何年か前に不要なモノを捨てるという
似非断捨離が流行りましたが
これは不要なものを捨てる事で
穢れが減るので、実際にアンラッキーが減ると思います。

普段から嫌な事が多い人は
良い事が増えたと勘違いするでしょうね。
穢れが減ると、思考も前向きになるので
色々な場面でプラスに思考が働くでしょう。







〇玄関やトイレ、風呂、鬼門、裏鬼門の方位は
綺麗にしておく。

毎日使うトイレは
毎日汚物が排出する場所で
穢れが非常に溜まりやすい場所です。

トイレが汚いと穢れが溜まりまくるので
トイレに入る度に
多くの穢れを身に纏う事になり
当然、目前の現実にも影響を与えます。

なのでトイレは
特に清潔にする必要があります。

風呂場も、穢れを落す場所なので
同じようにキレイにしましょう。


玄関は人が出入りする場所で
外から気を取り込む入り口になります。
穢れを生み出すのは、人なので
人の住まう場所には穢れが溜まる為
外から清い気を取り込む必要があるわけです。
玄関が汚れていると
清い気を取り込む事ができなくなるわけです。




〇手をまめに洗う
両手は、人体の中で
一番よく使用する場所です。

手が汚れていると
あちこち汚してしまい
あちこちに穢れを置いてる事になるので
まめに手を洗いましょう~

ちなみに私は
口が悪いので、まめにうがいもします。w



〇足の裏もキレイに!
足の裏が汚れていると
体内のエネルギー循環が悪くなります。
足の裏は、呼吸していると思ってください。
私は、メンズ用のスクラブ入り洗顔石鹸(350円)で
毎日、足の裏をゴシゴシ洗っています。w










②感謝する習慣をつくる

誰しも心深く感謝する事が出来れば
幸せになります。
逆を言えば、感謝できないと
幸せになれないという事です。
嫌な出来事がいっぱいの人生になるでしょう。

とは言え、私たちは、簡単に感謝できないように
創られて生まれてくるので
感謝する事を普段から意識する必要があります。

私は、神棚へ毎日感謝の詞を唱える事から
1日が始まります。
毎日、毎日繰り返す事で
感謝する経験値が血肉に刻まれ
感謝する事が当たり前になるでしょう。

とは言え、上辺だけの感謝を
血肉に刻んでも意味がないので
まずは感謝できる事を探してみて下さい。
心深く感謝する事が大切なのです。

感謝する事が思いつかない人は
普段から我欲を満たす事しか
考えていないからです。



例えば、スーパーで売ってるキュウリは
今の時期、一本50円くらいなのですが
農家の方が、卸す価格を半分の25円としましょう。
10000本作っても25万円にしかなりません。
3~4ヵ月かけて育てているはずです。
肥料や農薬も必要ですし
農耕機器の投資も必要でしょう。

この労力と投資に見合わない収入の仕事を
続けている農家の方々がいるおかげで
私たちの食卓に野菜が並びます。
しかも、手ごろな価格で・・

感謝しないといけませんよね~

食卓に並ぶ肉だって同じです。
牛や豚、鶏を育てて殺し捌いている
人達がいるから手ごろな価格で
購入し食べる事が出来ます。

そんな仕事をしている方々や
牛や豚、鶏にも感謝すべきですよね。

日々の食事は
合掌し「いただきます!」と
深く感謝しましょう。



このように私たちは
感謝する事に埋もれながら
普段から生活しているわけですが
我欲を満たす事だけを考えて過ごしていると
その事実に気づく事ができないのです。


なので、感謝する事を
一つひとつ振り返る必要があります。
箇条書きで、書き出してみるのも良いでしょうね。

感謝するようになると
その感謝に報いたくなります。
普段の何気ない生活は
多くの人の尽力があってこそだと
気付ければ、自分自身も
社会に貢献しなければ!と
そう思うようになるでしょう。


社会に貢献しようと、そう思っていると
政治家や官僚公務員へ不満を抱かなくなります。

だって、政治家や官僚公務員の方々も
自分が尽くす対象になりますしね。

SNS上で、自分に対して
嫌がらせしてくるような人が居たとしても
その人たちも尽くす対象になるので
そうそうムカつく事はありません。

当然、負の感情が減るので
同時に嫌な出来事も減ってくるのです。








③自分の負の感情に注視する


人の苦悩は、何処まで行っても
己の我欲が原因です。

人は我欲が満たされないと
負の感情を抱き
その負の感情のエネルギーが
己を蝕んで行く。

これが大自然の法則です。

なので、人生を豊かにする為には
そうさせない原因に注目し
改善する必要があるわけです。


自分の我欲に注目しても
「あぁ~俺って我欲まみれじゃん」
で、終わってしまうのですが
不快感は繰り返したくないと思うので
その不快感、負の感情に注目します。



「どうして不快なのか?」
「何に対して不快なのか?」
「どうなっていれば不快にならないのか?」
と、毎回考える癖をつけるわけです。



例えば、名古屋市長がメダルを噛んで
批判ラッシュとなっているようですが
おそらく一時期、メダルを噛むポーズを
マスコミがメダリストに要求していたので
その流れに沿って、サービス精神で
してしまった行為でしょうね。

で、その行為が
不適切!あるまじき行為!
と叩かれる結果となった。


なぜ?不適切なのか?
なぜ?あるまじき行為なのか?
そう思った人も少なくないでしょう。

大切なメダルに傷がついたらどうするんだ?
とか、言う人もいますね。


おそらく、おっさんの唾液が
不潔なので、あるまじき行為?ってなるのか?
それとも名古屋市長が嫌いだから不潔?となるのか?
で、そんな事、報道できないので
なぜ?不適切なのか?
という報道がないのか?と思って見たり・・

キムタクや石原さとみ、辺りが
同じ行為をしたら、ここまで批判されただろうか?
逆に、ご褒美になったりして。w


私は、不快に感じなかったので
その辺は、価値観次第なんでしょうが
仮に「おっさんの唾液が不潔だから不快」としたら
そうなると、メダルを噛んだ行為に
問題がない事になります。

実際、何をどう感じるか?は
人それぞれなのでしょうが
こんな感じで
自分が実際に何に対して
不快に感じているのか?って
わかりにくいモノなんです。


以前も記したことがありますが
例えば、車を運転中
横から飛び出す車にハッとして
ムカついたとします。
「事故ったらどうするんだ!」
「危ないじゃないか!」
「交通ルールを守れ!」
と、憤りを感じるわけですが
これは、ビックリした事に対して
ムカついているだけなのです。
スムーズに運転したかっただけなのです。

交通ルールを守らない人なんて
どこにでもいますし
その人たちが、自分に影響のない所で
交通ルールを守らなくても
そんなに憤りは感じないんですよね~


そう考えると
そんな些細な事でムカついている
俺の心って、ちっちゃいな・・
とか、思いません?
で、心の広い人は
「あぁ~誰も怪我をしなくて
良かった・・良かった・・」
と、そう思っているんですよね。

不快に感じる事が少なければ少ないほど
人生は豊かになりはずです。

目前の出来事は
自分の心のエネルギーに対して
忠実に引き起こされるので
自分が何に対して不快に感じているのか?を
知っておく必要があるのです。

不快感は、己の我欲が生み出しているので
自分の中にある我欲を知れば知る程
自分の出来事と、自分の心が
連動している事に気付けるはずです。


逆を言えば、己の我欲を知ろうとせず
己を正当化しているが為に
嫌な出来事が増え続けるわけです。

なので、己の不快感は
自分の人生を豊かにする
とても重要な感情になるのです。







④相手を批判するのではなく
自分はどうすれば良いのか?を考える。


誰しも他人に対して、ムカついたり
不快に感じる事は多々あると思います。

しかし、ムカついて終わりであれば
そこに成長はなく、子供の心のままで居る事になります。

心の成長がなければ、嫌な出来事が増えるのが
大自然の法則なので、不快に感じた出来事を
己の心の成長につねがる必要があります。



例えば、ムカつく事をする人、言う人
その言動には、理由があります。
どんな言動にも必ず動機がありますしね。

その動機を知り
その後の自分はどう行動すべきか考えるのです。
それを、怠ると
自分の価値観をただ相手に押し付けるだけになり
相手も自分の価値観を押し付けてくるので
結果として、争う事になるでしょう。

三者的にその様子を見れば
子供の喧嘩と同じなんですよね~w

嫌な人、ムカつく人は
自己の心の成長の為に存在しているので
ただただ、ムカつき、嫌悪しいているだけでは
自分にとっての、そんな人が増え続けるだけなのです。
結果として、社会やこの世を否定批判するようになります。

私も若かりし頃
世の中を全否定していましたが
心が幼稚過ぎた結果だっと気づかされましたよ。w

なので、嫌な相手は
どうして、そんな事をするのか?言うのか?
その動機を知り、その不快感を無くす為に
自分は、どうすれば良いのか?を考え行動するのです。

まぁ~そんな事を考えているだけで
不快感はなくなるんですけどね。











⑤徳を積む

前々回の記事で書きましたが
人生において徳を積む事はとても重要です。

ハッキリ言って
辛く苦しい人生になるのは
徳がないからです。

徳を積まずに
目前の苦悩から脱却する事など
絶対に出来ない世界で
私たちは過ごしているのです。


徳を積む為には
自分以外を知る必要があります。
知る事が出来なければ与える事が出来ないわけです。


例えば、お世話になった方に
高級牛肉を購入し感謝の贈り物をしても
その方が、肉を食べない人だったら
喜んで頂く事はできません。
生ものを貰って迷惑かもしれない・・

また、被災地支援の募金窓口へ募金しても
そのお金が、ちゃんと被災地支援に使われなかったら
ただの募金詐欺に合っただけとなります。


ようするに、徳を積む為には「知る」必要があり
そして「知る」事で、自分の視野が広くなります。

嫌な出来事、辛く苦しい出来事は
己の我欲が原因で起きますが
その我欲は、自分の視野を非常に狭くします。

なぜならば、我欲を満たす為の情報しか
得ようとしませんし
自分に都合の悪い情報は無視するし
他人が必要だと思う情報など
興味もないわけです。
そんな過ごし方で、自分の視野が広がるわけがありません。

そして、視野が狭いが為に
嫌な出来事に対しての解決策が見つからず
毎日が辛く苦しいモノになるわけです。

まぁ~往々にして
愚痴ってばかりか
否定批判ばかりの人生になるでしょうね。


逆に視野が広くなれば
自分がどうしてこんなに嫌な思いをしているか?に
気付く事が出来るのです。


毎日流されて過ごしていれば
自己の快楽を求めてしまうのが人というモノです。
即ち、己の我欲を満たす為の情報しか
得ようとしていないわけです。

徳のある人と、徳のない人の人生が
明らかに異なるのは、この為です。






私の場合は、他にも色々と取り組んでいるのですが
①~⑤の取り組みをしていれば
人生が豊かになるはずです。


興味のある方は、実践してみてください~