世界中で「多様化」という言葉が
使われるようになりましたね。
違いを認め、尊重しろ・・
という事なんでしょうが
「多様性」も「ダイバーシティ」も
「マイノリティ」も
全く違う言葉が、ごっちゃになっていますよね。
なので、人によって解釈が異なり
色々な人が色々な事を言っているので
「多様性」について
私の考え方を教えて欲しいという
質問を頂きました。
なので、私も色々な意見に混ざりw
私なりの考え方を記してみたいと思います。
私は「多様性の時代」という言葉に対して
正直な所「今更、何言ってんの?」と
感じています。w
だって、私たちは、多種多様な自然界の中で
毎日を過ごしていますしね。
私は、色々な滝場で滝に打たれる
修行をしているのですが
滝場によって、水や大地、空気が
すべて異なります。
北海道と沖縄では、全く気候が異なり
その土地で育つ植物や動物も異なります。
静岡県は、海に面していますが
長野県は、山々に囲まれています。
都会では、自家用車を持っていなくても
便利に過ごす事は出来ますが
私が住んでいる村では、車がなくては
不便で仕方ありません。
同じ鰻でも
浜名湖畔で食べる鰻と
諏訪湖畔で食べる鰻の味は、全く違います。
そもそも、私たちは初めから
多種多様に満ち溢れた世界で
毎日を過ごしているわけです。
そんな話じゃね~!って
言われそうですが・・w
同じ「鰻」でも育った環境によって味が異なるように
「人間」も同じように育った環境によって
異なるのが、大自然の法則であり
その違いを認め、尊重する事に対して
何をいまさら?と、そう思ってしまうのです。
この大自然の中で過ごしている以上
自分との違いを、認め、尊重する事が出来なければ
ストレスを溜めまくって過ごす事になりますしね。
まぁ~ストレスを溜めまくっている方々が
言い始めた事のように思いますけど・・w
なので「私たちは、自然界で生きている」
これを、知っていれば
「多様性」なんて言葉は社会の運営に対して
必要ないと私は、そう思うのですが
恐らくは、大多数の人が
自分が自然界で生きている事を忘れて
人がつくったルールの中で生活しているんでしょう。
「多様性」この言葉ちょっと厄介ですよね。
「多様性」を認めない人に
「多様性の時代だ!」と
ダメ出しする人がいたりして・・w
「多様性を認めない」という個性を
認めて尊重する事は「多様性」じゃない・・w
なので、そもそも言葉の選択が
間違っているんじゃないのか?
と、そう思ってしまうのですが
日本の場合、逆に「多様性」という言葉が
「多様化」による社会の混乱から
守ってくれるのかも?とも思ったりします。
「ダイバーシティ」という言葉は
性別、人種、障害者など
個性の違いを尊重し積極的に企業に取り入れる
考え方として、使われていますが
これを「多様化」と表現してしまうと
個性の違いを拒絶する事も「多様化」の一つと
なってしまうからです。
そもそも人類の歴史は
私たちの生活を豊かにするために
多様性を排除し続けてきました。
出来る限り、便利でスムーズに
社会を運営するためでしょう。
魚沼産のお米も
米農家の方々が作ったお米を
全て混ぜて、味を統一して販売します。
同じ田んぼで作った魚沼産の米のみで食べると
ビックリするほど美味しく食べられるのに
わざわざ味を落して、便利を優先するわけです。
美味しい魚沼産の米と
不味い魚沼産の米があると
ブランドとして成り立ちませんしね。
我々の社会は
個々の個性をひとまとめにして
効率化をはかり
生産性を向上させてきた歴史があります。
そんな社会で個々の個性にいちいち対応していれば
当然、生産能力が低下するでしょう。
大幅な利益を計上している企業であれば
そこに投資する事で取り組めるでしょうが
そうでない企業は、混乱を招く事になり
業績が悪化する企業も出てくるはずです。
そもそも、企業には
それぞれ経営目的があります。
その経営目的に沿わない人は
やっぱ受け入れられないですよね。
取引先に旅館経営をされている方が
いらっしゃるのですが
バリヤフリーにしろ、とか
要介護者を受け入れるように
福祉団体から言われるそうです。
その旅館は多くの方に
「癒し」を提供する為に
経営しているのに
要介護者が出入りすると
「癒し」にならないという訳です。
最近では介護疲れを癒す為に
訪れるお客様も多く
介護を思い出させるわけにいかないそうです。
大浴場で要介護者が
お漏らしでもしたら最悪だよ~
旅館の醍醐味でもある大浴場に
入った瞬間、ウ〇コの臭いがしたらと
想像するだけでぞっとする・・
「あそこの旅館の大浴場はウ〇コの臭いがする!」
なんて口コミに書かれたら倒産してしまう!と
おっしゃっていました。
そもそも「ダイバーシティ」は
働き方改革についての言葉なのに
「ダイバーシティ」と「多様化」が
ごっちゃになり
そんな経営方針の旅館は
「多様化」に対応しない旅館と言われ
社会から「悪」認定されてしまう・・と
嘆いていました。
旅館を経営する目的を失うくらいなら
いっその事、廃業した方がいいそうです。
私は、経営難に陥った会社の
立て直しをお手伝いする事が
よくあるのですが
お手伝いする条件は
「社会に貢献する会社にする事」
なんです。
企業が経営難に陥る原因は
社会に貢献できていないからですしね。
しかし、今までお金儲けの為だけに
会社を経営していた結果
業績が悪化しているので
そこで働いている人たちも
自分達が稼ぐ為に働いていたわけです。
要するに経営者が
自分の事しか考えていないので
そこで働く人たちも
自分最優先思考の人達が
集まってしまうわけです。
なので当然、経営方針が変われば
従業員の不平不満が増え続けるわけです。
結果として、社会に貢献したいと
思えない人たちは退社する事になるのですが
殆どの人が辞めてしまいます。
そして、企業理念と
同じ方向に進める人を
新たに雇い、業績が回復していきます。
私は、この体験を何度もしているので
「ダイバーシティ」を企業に取り入れるのは
ちょっと危険だなぁ~と思っています。
「海」に行きたい人と
「山」に行きたい人とが
意見が一致するわけがありませんし
それを、企業の中に取り込んで
相手を尊重し合う事で
新たなるモノが生み出されるかもしれませんが
混乱する事の方が多いと思ってしまうのです。
最低でも企業としての
方向性くらいは一致していないと
最悪な結果になるでしょう~ね。
まぁ~「ダイバーシティ」に対しての
私の知識不足かもしれませんけどね。
と、いう訳でなかなか難しい問題ですよね。
私たちの社会はルールによって
秩序が保たれているので
無意識に「多様化」をルール化してしまう
人が多いのも事実でしょう。
ルールはあくまでもルールであり
人が作ったものなのですが
ルールを守らないのは「悪」とする為
社会の流れに沿わないのは
「悪」認定されてしまうわけです。
コロナのワクチン接種もそうですよね?
政府は、接種を強要していないのですが
社会では「多様化」を謳っていながら
ワクチンを打たない人を「悪」認定する。w
私たち人間の視点で言えば
1つの「良い事」に対して
同時に「悪い事」が起きるのが大自然の法則です。
なので、どんな事でも
良い面と悪い面が同時に生まれるので
一方だけを見て決めつける事はできないでしょう。
でも、「善」を主体に社会の秩序は
保たれており、「悪」を認めて受け入れれば
社会の秩序は崩壊してしまうのです。
要するに、現代の我々の社会は
「善」を主体に創られている為
常に「悪」を生み出し続けている状態から
逃れられないのです。
そして、その善悪の判断は
常にマジョリティー側の人が
決定するしかないのです。
それが我々の過ごす人間社会構造でしょう。
社会を豊かにするために
社会的少数者を無視し続けたのも
その一つでしょう。
我欲を満たす為には
必ず代償を支払う事になるのが
大自然の法則なので
その代償に社会的少数者が
犠牲になっているわけです。
民主主義という社会の仕組みは
社会的少数者を排除し続けているのに
「多様化」の実現は
民主主義の排除につながるのでは?とか
思ってしまいます。w
そもそも、それが社会の構造なので
はじめから「多様化」を良い事と
しなければ、いいと思うんですが
誰しも自分を「悪人」にしたくないので
無意識に「良い事」に拘ってしまい
多数派の意見が「善」となってしまうわけです。
私に言わせれば
自分と異なる個性を尊重するのは
人として当然の事なのですが
そう思わない人が多いので
「多様化」などという言葉が
独り歩きしているんでしょう。
個人的には、認めて尊重するだけに
留めておいて欲しいですね。
民主主義国家では、それを
受け入れると混乱しますし・・
まぁ~豊かな社会になったという事です。
私自身、社会的少数者で
マイノリティーグループに属していると
そう思っているのですが
やはり、社会に属せないでいる事は
辛く苦しい事だと思います。
例えば、嫌な事から逃げる為に
腹痛を装っていた人がいるとします。
私には、明確に仮病だと解るので
当然、厳しく接します。
でも、周りから見れば
体調の悪い人に冷たく
接している人に見える為
私自身が周りから責められるわけです。
子供ながらに結構、心を痛めるんですよね~w
でも、その辛く苦しい思いは
社会に自分を受け入れて欲しい!と
そう思うから生まれる感情なんです。
これは私の体験談なのですが
私の場合、どうやっても
私の感性は、他人と共有できないんですよね~
いまだに不憫を感じる事は多々あるのですが
これは、どうしようもない事です。
どうしようもないのなら、自分から
自分を受け入れてくれない今の社会を
認め受け入れるしかないのです。
そんな社会で毎日を過ごしていますしね。
実際に、そう思うようになっただけで
心がかなり軽くなったことを記憶しています。
現実として社会的少数者も社会の恩恵を
多大に受けまくって過ごしていますしね。
そう思うようになったおかげで
私は、そこに感謝するようになりました。
そして、その結果、利他的な思いが生まれ始めたのです。
マイノリティー的扱いを社会から受けながらも
社会に貢献したいとそう思うようになり
実際に行動する事で、幸せを実感できるようになりました。
私は、障害を抱えて
辛く苦しい現実に直面している方からの
相談をよく頂くのですが
自分にとって不都合な社会を認める事で
その苦悩から解放された方が
とても多くいらっしゃいます。
結局は、目前の現実をどう受け止めるか?
なんでしょうね。
まぁ~心を成長させる為に現実がありますしね。
目前の現実に満足し
幸せを感じる事が出来れば
その時点で、誰でも幸せなんです。
「目の前の現実は、何も変わっていないのに
今の私は、とても幸せです!」
という、お礼のメールも良く頂きますしね。
私は、社会が自分を尊重してくれなかったから
人として、とても大切な事を学べたとそう感じています。
なので、マジョリティー側の方々が
マイノリティーを尊重するのではなく
マイノリティー側の方々が
マジョリティー的社会を尊重し
認めた方が、幸せになれると
私は、そう確信しているんです。
なので、私の考え方は
一般的な「多様化」の考え方の真逆ですかね?w
何度もこのブログに記しているのですが
人の苦悩には、意味があるので
安易になくそうとすれば
不幸が増えるとそう思っているんです。w
私が思うに
この世の中は、私たちの心を成長させる為に
存在しているので
結局は「多様化」にしろ
「ダイバーシティ」にしろ
それが必要だと思う動機
次第だと思うんですよね~
動機を「善」で隠してしまうと
おかしな方向に進んでしまうんです。
なので、「多様化」を推進したい人は
そうすればいいと思いますが
安易にそれを「善」だとするのではなく
同時に「悪」が生まれている事を察すると
この世の理の片鱗を知る事ができるかも?w
文部科学省が世界の流れに沿って
「文化的多様性に関する世界宣言」
なんてしてましたね。
個人的には、これを機会に
そろそろ「民主主義」思想から
脱却したい所です。w
頭脳明晰で利他的な思いの強い
少数派の方々が導いた方が
世界は発展すると思うんですよね~
この先は「多様化」や
「ダイバーシティ」に向かって進み
多くの人が混乱に巻き込まれ
同時に多くの人の心が成長して行くような気がしています。