修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

「親ガチャ」について

「親ガチャ論争」なんてニュースを
目にするようになりましたね。

「親ガチャ」についての
記事をリクエスト頂いたので
私なりの考え方を記してみたいと思います。




とは言え、「親ガチャ」について
そんなに思う事はないですね~
虐待などの問題もあり
子供は親を選べないので
人生は「運」次第って事なんでしょうが
私に言わせれば、幸せか?不幸か?という所を
人生というスパンで考えれば全ての人が平等なんで
何度ガチャしても、
中身は全部同じなんですけどね~
どうしても、快楽が満たされるか?否か?で考えるので
「親ガチャ」なんて言葉が広まるんでしょう。

「他人の畑が良く見える」という事でしょうかね?
我欲まみれで過ごしていれば
「両親」をとっ替えたいと思うのも致し方ないでしょう。
あぁ~上級国民として生まれたかった~!
と、そう思ってしまうのも人の性ですしね。

強欲であればあるほど、どうしても
今の自分に無いモノを求め続けてしまうのは
人間として正常な姿でしょう。

不謹慎ではなく、ある程度、幸せだって事です。










私はガキの頃、性風俗業界で
働いた経験があるので
一般人が蔑むような環境で
生まれ育った人たちをたくさん知っています。

おそらく、それを知っていたら
「親ガチャ」なんて言葉を
軽々しく使えないんじゃないかな~
なんて思った次第です。







当時の私は、まだ10代の少年で
今思えば、社会の多くの人が蔑む場所に
自分の居場所があるのでは?と
そう感じていたんでしょう。
なので多くの人が蔑む「性風俗」で
働いたんだと思います。

そこでの経験は
当時の私の常識をぶっ壊すものだったのを
記憶していますし
その経験が、更に私の人格を
歪ませるきっかけにもなったんだろうと
そう思っています。w



その当時、性風俗業界で働く方々は
一般的な環境で育った人は少なく
施設育ちの人が多かったです。
893な父親を持った私でさえ
一般人に最も近かった。
なぜならば、私は両親に育てられたからです。
「両親」を理解できない人たちが
多かったですしね。

私は、中学を不登校ながらにも
計算はできましたし
ちゃんと字が書けました。
何より、母親にちゃんと食事を与えられて
育ちましたし
毎晩、風呂に入る事も出来ました。
衣食住に困った経験などなく
小学校時代は、友人や
兄と遊んだ記憶もあったので
上司に「お前が働く場所じゃない」と
言われた事を記憶しています。






普通の家庭で育った人なら
「両親」と言えば父親母親ですよね?
それが解らない人と接する機会など
なかなかないでしょう。
そんな人たちは
普通の企業で
なかなか働けませんからね。


人が生きる為の「衣食住」
この当たり前を普通に経験できないのが
私が知っている「両親」がいない人達です。


日本は豊かな国なので
両親がいない子供でも
児童養護施設で生きる事が出来ます。

今は、学校に通っていれば
施設で生活できるようですが
当時は、義務教育まででした。

当然、両親のいない中卒の子供など
雇ってくれる場所など限られており
今はどうなのか?知りませんが
当時は、タコ部屋と言って
奴隷のように扱われる職場しかなかったと
そんな話を直接聞いた記憶があります。
雇う側は、衣食住さえ与えれば
小遣い程度の賃金で働かせる事ができるので
重宝するわけです。


なので「両親がいない」という事は
中学校を卒業した時点で
社会での居場所を失う事になるのです。

当然、タコ部屋で奴隷のように扱われるより
犯罪を繰り返した方が良いでしょう。
少年院に入れば、何より「衣食住」付きですからね。
朝昼晩と食事が出来て、寝る場所があるのは
幸せな事なのです。


少年院で一生過ごす事はできないので
結果として
少年は、893になり
少女は、身体を売り
夜の業界で働くようになります。


自分の生きる場所が
そこにしかないわけですからね。
と言うか、下手な福祉団体に関わるより
その場所の方が、裕福な生活が出来るのです。

福祉団体に関わって
両親に育てられた人たちから
「常識」を押し付けられる苦悩の中で
微々たる賃金で細々と暮らすより
「常識」の当てはまらない環境で育った
同じような境遇の仲間と共に
贅沢な暮らしができた方がいいわけです。


893や性風俗を蔑むような人たちが
両親のいない子供を
保護してくれるはずがないですし
自分に都合の良い「常識」を
押し付ける人たちが
自分に「良心」を向けてくれるわけがない・・
自分を理解などしてくれるわけもない・・
信じたら、騙される・・
と、そう感じているのです。


自分を理解してくれない
大人のいる所になんて
自分の居場所があるわけがないのに
その事を理解できないまま
居場所のない空間に押し込む
大人は、結構多いんですよね~


まぁ~「親ガチャ」なんて
言葉を抵抗なく使える人達は
そんな類の人達でしょうね。



「親」を知らない子供は
生まれた時から「常識」の枠から
外れているのに
「常識」を社会に強要され続ける事で
心が歪んでしまうのです。

ちょっと目を離せば
犯罪に手を染めるような子供を
いったい誰が面倒みてくれます?

そもそも「犯罪」は「悪い事」とする大人と
「犯罪」は「生きる為」という子供のギャップが
埋まるわけがないのです。

「盗みは犯罪だ!」と叱るだけで
彼ら彼女らの衣食住の面倒を見るわけでもない。
大人の都合を押し付けられているだけだと
そう感じてしまうのも無理はないのです。













身体を売る女性を汚い・不潔と
思う人は、多いでしょう。

でも売春が犯罪だという事を
知らずに育つ環境もあるんです。
里親に売春を強要されるなんて
話を何度も聞きましたしね。


里親に性的行為を対価に
衣食住を与えられ育った少女は
それが、当たり前の事だと思っています。
里親に憎しみの感情など抱きませんし
性交を強要する里親に感謝さえします。
「両親」を知らないからです。
「衣食住」に困っている子供が
「衣食住」与えてくれる大人に
感謝するわけです。


でも、そんな事実が露呈すれば
児童養護施設に保護されます。
社会では、それが「良い事」だからです。

保護された本人は、何が何だか分からないまま
義務教育が終われば、放り出される場所に入れられて
自分の居場所を社会に奪われる事になります。

そして、保護施設の方々は
「良い事をしている」とそう思っています。
社会的判断も同じでしょう。

「両親」を知らない子供の気持ちが
理解できないから仕方ない事なのでしょうが
両親のいない子供から信頼を
失っている事さえも気づけないのは
ちょっと不憫に思います。



なので、私は
性風俗で働く女性の気持ちを
理解できない人が多いのは
育った環境が大きく違うからだと
そう思っています。

まぁ~
色んな人が働いていましたけどね。
ただの明るいSEX好きな人もいましたし・・w


ただ、生きた環境が違えば
社会的善意が「害悪」にしか
思えない人達が沢山いるという事です。

私は、多くの人に
その事に気付いて欲しいと
昔は、そう思っていましたが
この世の構造上、無理だと
そう思うようになりました。

なので、相手の苦悩を
共に背負う気持ちがないのなら
つまらない善意を向けない方がいいと
そう思っています。




「親ガチャ」という言葉は
親がいる事が前提になりますが
「親がいる」という事は
少なくとも親の愛情を
受け取った経験があるという事でしょう。


両親がいない人からすれば
「親ガチャ」もくそもないんです。
「親」という存在を
理解できないわけですからね。


「親」がいないという事は
誰かに愛情を向けられた
経験がないという事になります。

大人が、そんな子供に向けるのは
「善意」という名の下の「常識」であり
「愛情」ではないんです。
どうしたって、血のつながりのある子供のように
接する事なんて無理ですしね。

児童福祉施設も基本的に
自立支援しているだけなので
親と同等の愛情を受け取る事などありません。

私は両親に育てられたので
100%理解できない世界になりますが
そんな人たちを見ていて思ったのは
親の愛情を知らずに育つと
自分の存在に意味を見出せなくなるんだと
そう思いました。

自分を理解できない大人たちに
社会の常識を押しつけられ
その常識が全くわからない自分は
辛くて苦しくて仕方なく
本当に自分は生きていていいのか?
解らなくなるわけです。

よくよく考えれば
私たちの社会は、人には「親」がいる事を
前提として成り立っていますしね。
なので「親」いない子供たちは
自分の居場所がない社会で生きているわけです。


私が、そう感じたきっかけは
あるソープ嬢
「お客にSEXを求められる事が嬉しい」と
そう言っていたからです。

その時は、私もガキだったので
ただのSEX大好き女か?と
思ったのですが
そうではなかったんです。

親の愛情を受け取る経験がないと
誰にも必要とされずに
過ごし続ける事になります。
なので・・
お客に自分の存在価値を
認められる事が嬉しいのです。



そんな気持ちを蔑んで
不潔だと踏み躙っていいんですかね?

当時を思い出すと
感情が込み上げて
ちょっと涙が出ます・・w

この感情は、性風俗嬢やAV女優と
結婚する男性の気持ちに近いんですかね?

多分、その女性を性的対象として見ていなくて
本当の「愛情」に近くなるんだと思います。
「愛おしい」という気持ちが強くなり
守る対象として
男性ホルモンが刺激されるんでしょう。w




現代社会では、職場の女性にSEXを求めれば
セクハラで訴えられますよね~

我々の社会では
性風俗で働く人たちの価値観は
「非常識」なんでしょう。


ソープランドでは
実際に売春行為をしていて
警察もそれを大々的に取り締まらない
理由を知っていますか?

取締りを強化すればするほど
性犯罪が増えるからです。

実際に常連客は
学生時代にどこにでもいる
「こいつ一生、童貞じゃね?」
と、思うような男性ばかりでした。

男としての生理現象の
捌け口は、必要ですしね。
その捌け口がなければ
性犯罪を引き起こしてしまうのも
道理でしょう。
人間として三大欲求は
簡単に制御できませんしね。

なので、一般女性は
性風俗で働く女性の恩恵を
知らず知らずに受けているんです。

蔑むんじゃなくて
感謝の対象ですよね?w

社会常識では「犯罪」は罪であり
償わなければならない・・
「犯罪だ!」「違法だ!」と
騒ぎ立てる人がたくさん居ますが
法律だけで社会の秩序は保てないんですよね~
そもそも、私たちの利己的な都合で
法律はつくられていますしね。

暴力団新法で893排除が進んだ結果
外国人の犯罪があちこちで増え続ける・・・
結局、「正義」を振りかざせば
振りかざすほど、自分たちが困るわけです。

我欲を受け付けられている私たちには
なんでも簡単に「ゆるす」事は出来ませんが
人生の中で、少しでも「ゆるす心」を
増やしていきたいものです。















麻薬中毒になり逮捕される女性も
何人かいました。
というか、結構いましたね~


薬代を稼ぐ為に性風俗
働くようになるのですが
でも、そんな女性は
だいたい貢ぐ男がいるんですよね~

普通に育った人たちは
自分を薬漬けにしてソープで働かせて
貢がせる男なんて最低だ!と、そう思うでしょう。

身近にそんな女性がいれば
なんとか、その男と別れさせようとするのが
一般的な考え方ですかね?

でも、性風俗の職場では
そんな事はせず
ソープで自分の女を働かせる男性は
超WELLCOMなんです。
高額な紹介料まで払っちゃいます。


私も当時はガキだったので
最低な男だ!なんて思いましたよ。
それが、自分の価値観の押し付けだなんて
微塵も思いませんでしたね。



普通は、ソープで働いてまで
男に貢ぐ女性を
どうしてそんな事をするのか?
全く理解できないでしょう。

私もそうですが、普通は両親がいて
少なくとも、そこには
自分の居場所がありましたからね。

私の場合、その場所を嫌悪していたので
そこから逃げ出しましたが
少なくとも、そこにいる事を
両親から許されていました。


親と暮らす場所にいる事を許されている
なんて普通、こんな考え方しませんよね?w

でも、両親がいなければ
そんな考え方になるんです。
「自分が居る事を許される場所」
それが、自分の居場所なんです。


人間の脳は常に「共感」を
求めているらしいのですが
「自分の居場所がない」という事は
常に「共感」を得られない状態になります。
私には、想像しかできませんが
かなりの苦痛だと思いません?

人と人とはエネルギー交換しているので
常に人と接していないと
人間は、生きて行けないと
私は、そう感じてます。
千日回峰という修行法があるので
人と接しないで生きられるのは
3年くらいが限界なんでしょうかね?


両親がいない人に比べれば
私の経験など可愛いものですが
十分、精神を壊すきっかけになるでしょう。
物事を正常に判断できなくなるわけです。

私も、壊れた精神が引き起こす肉体的苦悩を
かなり体験してきたので
そこから解放されたくて
麻薬に手を出す気持ちも理解できます。


要するに、自分が利用されている事など
初めから知った上で
自分を薬漬けにした男に貢ぐわけです。
その男を失う事は
自分の居場所を失う事になるからです。
そこに恐怖を感じているのです。

それを知っていて
その男と別れろ!なんて言える人は
犯罪に手を染める女性を心から愛し
居場所を与える事が出来る人くらいでしょう。

居場所を与える事もせず
無責任に「そんな男と別れろ!」なんて
お店が言えるわけもないのです。
そんな事を言えば
「敵」認定されてしまいますしね。
本人の気持ちを理解しているからこそ
軽々しく口に出来る言葉ではないのです。

でも、もっと他にいい男はいないのか?
くらいは、皆が思っていましたが
そんな女性は、自分を利用する男に
何度も惚れてしまうんです。
自分に優しくしてくれる男や
尽くしてくれる男では
自分の存在価値を満たされないからです。


当時の私はガキでしたね~
そんな環境で働いていたので
「社会の常識」を憎んでいました。
「常識」を押し付ける大人を
憎悪していましたね~

「当たり前だ!」
「常識だ!」
「そんな事も解らないのか!」
なんて、そんな事を言われれば
「解らないのはどっちだ!バカヤロー!」
って、思ってしまうわけです。w

社会の「常識」って
そこに当てはまる環境があって
初めて、成り立つって事を
殆どの人が知らないんです。



当時の私は
普通の生活をしている人達には
全く解らない世界なので仕方ない
なんて思う知識もないし
自分の心に微塵も余裕はありませんでしたね。

おかげで、どんどん壊れていきましたけどね。w

でも、店の社長から言われた言葉は
今でも、よく覚えています。
「そんなに社会が憎いのなら
社会を変える為に生きればいい!」
と、そう言われたのです。

その時は、目から鱗でした。

それ以降、社会を変える為に
どうすればいいのか?
考えるようになりました。

社会の仕組みを知れば知る程
怒りの感情が増え続け
更に壊れて行きましたが・・w



まぁ~そんな経験をした結果
「親ガチャ」って言葉は
「親」がいる所から始まっている時点で
幸せな事だなぁ~なんて思うのです。

本当に「親」がいない人たちは
「親」の意味を知らないんで
そんな言葉を想像することさえ
出来ないでしょうしね。

まぁ~親代わりの人がいた人は
違うのかもしれませんが・・

生まれた時から親がいない子供は
ドラマや漫画にあるような
簡単な事ではありませんし
私には、想像しかできない
世界だという事は知っています。











人は、自分の価値観で物事を判断して
日々、生活をしています。

当然の事なんですが
「社会」という集団生活において
他人の価値観を知る事は
自分の人生を豊かにしてくれます。

価値観の違う人達が集まって
生活するのが「社会」だからです。

自分と異なる他人の価値観を
知る事が出来ないだけで
負の感情を抱きまくる事になり
ストレス溜め放題となりますしね。

また、自分の善意が
害悪になる相手がいる事を
知る事も出来ます。


とは言え、自分と異なる経験をしている人の
その全てを理解する事は不可能です。
でも、他人を100%理解する事など
出来ないのですが
相手の立場になって接し
相手の立場を考える事は出来ます。

そして、その行為が
自分の視野を広くして
自分の人生を豊かにしてくれるでしょう。

物理的に負の感情のエネルギーを
生み出さなくなるので
アンラッキーな出来事が減りますし
ラッキーな出来事が増えるのです。






私たちは、快楽を求める社会で生きているので
「快楽を満たす事(求める事)」=「常識」の社会で
過ごしている事になります。

その常識は、「生きる」事を
最優先にしている人たちからすれば
「害悪」でしかない事もあるでしょう。


なので「常識」という当たり前を
見つめ直すだけで
自分の視野が広がると思うんですよね~

私は、人が蔑む世界に飛び込んで
普通の人が知らない事を
沢山学んだような気がしています。


ハチマキをして半被を着た格好で
客の呼び込みをしながら
目の前を通る、同級生の妹に声をかけて
「二度と声を掛けないでください。」と
優しくお願いされた時はショックでしたけどね。w