修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人は「ゆるす事」で幸せになれる

私は、多くに不満を抱き
多くに怒りを感じ
多くを憎み
多くを否定し批判した結果
自らの心を崩壊させた経験があります。

人として狂っていた時期があったのです。

自分自身の肉体を
自分自身でコントロールする事も出来ず
俗に言う憑依現象を繰り返し
多くの人に迷惑をかけてきましたね~・・

そして、多くの人に
迷惑をかけているにも関わらず
それを自分の体質のせいにして
自己を正当化していたのです。
身体の自由が効かないんだから仕方ないじゃないか!
じゃぁどうすればいいんだ!
と、迷惑をかけている人の事など全く考えず
自分の正しさを主張する
社会に不要な、ゴミ人間だったのです。

あげくの果てには霊能者という
特別な存在なんだと
自分に言い聞かせ
自己顕示欲丸出しで過ごした
黒歴史もあります。w

自分自身を省みる事から
逃げていただけなのですが
その事実さえ気づけなかった・・

全てを否定して過ごした経験値が
血肉に刻まれているので
自分を正当化する思考が
無意識に作動してしまうのです。


いや~最低最悪な人間でしたね~w



嫌な現実を悉く否定し
自分自身を省みる事をしなくても
なんだかんだと贅沢な暮らしもできました。
快楽を満たす事はできたのです。

ただ、幸せだったか?と言えば
そうでは、なかったような気がします。
否定批判を繰り返して過ごしているので
常に自分の居場所がないと
そう感じていましたし
何より理不尽な嫌な出来事が
連続して起きるのです。

冤罪で逮捕されたり
口座を凍結されたりと
散々な目に何度もあいましたね~w

己の我欲か強すぎて
ムカついてばかりいましたね。
幸せとは、ムカつく出来事が無い状態なので
幸せだったはずがないのです。

理不尽な嫌な出来事が繰り返され
どんどん、霊的苦痛が酷くなる・・・
お金を稼ぐ事で現実逃避し
それでも、己を省みる事はしない。

死ぬまでこの苦痛と付き合っていくのか?と
そう思っていた時期もあったのですが
どんどん酷くなるにつれ
その苦痛に耐えきれなくなりました。
死ぬまで続くなど、拷問されながら
生きていると同義だったのです。

己を蝕む、肉体的そして精神的苦痛が
酷くなればなるほど
「死にたい」とそう思う感情が強くなるのですが
「死にたい」と思った瞬間
肉体に激痛が走り、発狂するわけです。
あまりにも激痛で
よく気絶しましたね~w

当時は、自殺ニュースなど見ると
羨ましく思った事を記憶しています。
なので、自殺を否定する人たちに対して
鬼畜の所業だ!と思っていました。

結果として狂ったように修行し始めたのですが
霊的苦痛が無くなる事はなく
どんどん酷くなっていったのです。

色々な人について修行法を学び
修行中は、すこし楽になるので
麻薬のように修行中毒になってゆきました。
何年もそんな事を続けていると
何の解決になっていない事に気付き
スピ的世界に疑心暗鬼になりました。

そのウチ、自分が心霊商法という
犯罪行為に手を貸している事に気付き
1人で修行するようになりました。

1人で修行する事により
自分自身が変わって行ったような気がします。
その行為は
自分自身との対話になるからです。


昔から否定批判しながら過ごした
経験が良かったのか?w
スピ的世界を一つひとつ否定し
検証してくようになり
スピ的世界や宗教などは
嘘や方便、誤魔化しや偽善ばかりだと
そう思うようになり
私自身、その嘘やまやかしを利用して
現実逃避を繰り返してきた事に気付きました。

要するに自分の思い通りにならない現実に対し
自分以外を「悪」として決めつけ
自分の欲求を満たしたかっただけだったのです。
思い通りにならない現実に対し
都合よく「霊的苦痛」という
医科学では証明できないアイテムを手に入れ
それを自分に正当化する為に使っていたのです。

スピ的現象は
医科学で証明できない・・
即ち、自己主張がまかり通る世界なのです。
自分が「正しい」と言えば
正しくなる世界なので
自分自身を省みる事の出来ない人が集まり
お互いに傷を舐め合う事で
癒されるわけです。

私は、スピ的世界を否定する事により
自分の逃げ場所を失った結果
やっと自分の人生を
自分で歩めるようになったような気がしました。
大人になっても赤子の心のままだった事に
気付かされたのです。


「自分の人生を自分で歩む」という事は
自分の心を成長させる事なのですが
その為には、自己改善を繰り返さなくてはなりません。

自己改善する為には自分を省みる事が必要で
自己反省の繰り返しになります。

反省すればするほど「ゆるす」事柄が増え続けて行きました。
そして、「ゆるす」事柄が増えれば増えるほど
心が軽くなって行く体験をしました。







人が争うのは己の我欲が原因であり
利己的な思考が怒りの感情を生み出します。

「ゆるせない事」は
「ゆるす心」を育む為に存在していると
私は、そう感じています。

なぜならば、自分が「ゆるせない事」を
一つひとつ精査してゆくと
ただ単に自分の思い通りにならない事から生まれる
自分自身の感情に過ぎないのが
「ゆるせない事」であり
自分の思い通りにしたい我欲に気付くと
簡単にゆるすことが出来て
視野が広くなり、心が成長する実感があるからです。

「ゆるせない」感情や出来事は
ただ単に私たちの心を成長させる為の
仕組みの一つに過ぎないのだと
そう思えてならないからです。




「人間ひとりでは生きて行けない」
という言葉を耳にした事があるかと思いますが
その意味は、とても深いものだと
私はそう感じています。

いくら巨万の富を手に入れても
いくら多くの人に凄い!と畏敬の念を向けられても
自己顕示欲という快楽が満たされるだけに過ぎず
幸せになれるわけではないからです。


地位や名誉、巨万の富を手に入れた時
医師から余命半年宣告されたら
その当人は、不幸だと思うでしょう。

やはり、人生を楽しむ事ができなければ
幸せになれないのです。

自分の人生を楽しむ為には
自分に関わる人たちとの関係がとても重要です。
「人間ひとりでは生きて行けない」からです。

今の自分の生活は、多くの人との関係で成り立っています。
自分一人で、電気も作れない
ガスも作れない・・ガソリンだって
家も建てられないし、車も作れない・・
そこを無視して過ごし続けると
私のように、この世から阻害されて行くでしょう。

まぁ~冷静になって考えれば
当たり前の事なのですが
私は、長い間その当たり前な事に気付けませんでした。
他人を思いやる心が欠落し
我欲を満たす事しか考えていなかったのです。

家を建てる人も、車を作る人も
お金貰ってるんだからいいじゃないか!
感謝する必要なんてない!
くらいに思っていたのです。

そして自分の思い通りにならない事に対し
怒りを感じ、否定批判し、社会を
この世を、恨み、憎んでいたのです。

社会から多くの恩恵を受けているにも関わらず
その社会を支える多くの人達を
否定し批判し続けていたのです。
もう、心が幼稚過ぎますよね~
自分を正当化する為に、気に入らない事を
探し「悪」を生み出し続けて過ごしていたわけですから・・
しかも、その事実に全く自分で気づいていない。



私は、その事実に気付いた時
他人の過ちをゆるせるようになりました。
当然ですよね~
私自身が過ちだらけの生き方をしてきたんですから。w

「ゆるす事」を学んだ経験のひとつです。

その後は、他人に対して嫌悪する機会が減りました。
すると、どうでしょう~!
毎日が過ごし易くなったのです。

人間関係が拗れる事もなくなりました。
まぁ~拗れても気にならなかったんですがw
そして、学んだのです。
人間関係がうまく行かなければ
幸せになれないという事を・・・

即ち「ゆるす事」で
人は、幸せになれるのです。


現代のペットブームも
人が「ゆるす」経験が必要だから起きている現象だと
私は、そう思っています。
飼い犬、飼い猫には
なんだかんだとゆるしてしまいますしね。
不平不満の感情が多い人に限って
ペットを飼って癒されたい欲求が強いのです。
それは、人間として生きる為には
「ゆるす」感情が必要だからでしょう。

逆を言えば、今のペットブームは
それだけ他人に対して不平不満の感情を
抱いている人が多いという事になります。

社会が豊かになったので
「日本をもっと豊かにしたい!」
そんな利他的な欲求を抱く人が減ったせいでしょうね。
結果として、利己的な欲求を満たそうと
毎日を過ごしてしまい
不平不満が増え続けるわけです。



自分の思い通りにならない他人と過ごす事は
なんだかんだと疲れるので、仕方のない事なのでしょうが
そもそも自分と他人は価値観が異なるのに
自分の思い通りいしたいと思うから疲れるんです。



ペットだって、自分の思い通りにしてくれないのですが
それでも癒されるのは、初めから自分の思い通りにしたいと
そう思っていないからなんですよね~
猫が壁や家具をボロボロにしても
犬が、ソファーでお漏らししても
ゆるしてしまうのは、そう言うものだと思っているからでしょう。

会社の応接間のソファーに向かって
立ちションすれば、掃除する人は怒るでしょう~
そんな事をしないのが人間だと思っているからです。
なので認知症になり
所かまわず糞尿をされると
ストレスが溜まりまくるわけです。

人間関係で疲れてしまうのは
言葉も通じるし、自制できる生き物なので
自分の思い通りに出来る相手だと
無意識にそう認識しているせいでしょう。

そもそも、それが大きな過ちなんですけどね。
価値観が違う者同士で、自分の思い通りにして欲しいと
思う事態が、エゴの押し付けであり
傲慢に他ならないのですが
ルールで成り立つ社会の秩序がその考え方を阻害してしまう。

そもそも、そのルールの基準が
我々の快楽を満たす為に創られているので
ルールに基づいた正義を振りかざせば
己が蝕まれる事になるんですけどね~

私のように、自分の思い通りにならない相手に対して
怒りや憎しみの感情を抱くと
不幸が押し寄せてくるので要注意です。w



私は、この世の中は
「ゆるす」事のできる事象しか起きていないと
そう思っています。

ゆるせない出来事など存在せず
ゆるせないのは、自分の中で
そんな感情が生み出されているだけなのです。
自分次第という事になります。

ゆるせない感情が生み出されるのは
心が成長していないだけなので
心を成長させれば、ゆるせるようになる。

多くをゆるせるようになれば
幸せな毎日を過ごす事が出来る。
嫌な出来事がなくなるからです。

ゆるせるようになる為には
この世の理を学べばよいのです。

どんな現実も自分が抱いてきた感情のエネルギーが
創り出しているだけなので
その仕組みを知る体験ができれば
幸せになる為の人生が始まるでしょう。

自分が普段抱いている感情と
目前に起きている現実を結び付けるだけです。
目前の現実と自己の感情の積み重ねの
結びつきに気付けるはずです。