修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人生をゲームとして考え過ごしてみると、生きる事が楽しくなったりする。

「人生はゲームのようなものだ」と
私は、そう思っているのですが
そんな事を言うと
「不謹慎だ!」なんて言われたりします。w

「人生は遊びじゃない!真面目に生きろ!」って
言いたいんだと思うのですが
私は、至って真面目なんですよね~
私程、真剣に生きている人もなかなかいないと
自負しております。w
選択した言葉が遊びっぽく連想させるんでしょうが
スポーツだって格闘技だってゲームですしね。




私が、どうして人生がゲームの
ようなものだと思うのか?は
心の成長に伴い、生きるステージが
明らかに変わると感じるからです。

まぁ~私だけなのかも?しれませんが
物事の見え方、聞こえ方、感じ方が
ステージが変わると
以前の感覚と全く異なるのです。

毎日、同じ家で過ごしているのに
その感じ方も変わる。
家族との会話も、職場での会話も
その感じ方が全く違ってくるのです。
目に見る景色や空気の味
聞こえる音や触る感触・・
飲み物や食べ物の味まで変わります。



今までと同じものを見て
感じて触っているのに
全く異なる感覚を得ると
今までの現実は
全て自分が創り出していたんだと
そう実感できます。

私の場合、食べ物の味が変わった時
思ったんです・・
今までどれだけ穢れたんだ!と・・w

美味しいモノも美味しいと感じない・・
しかも、自分でその事に気づく事も出来ない・・
旨い!と思っていた食べ物が
実は、もっと旨かったんです!
なんと不幸な事でしょう~・・w


恐らくですが
利他的な心を育む為に様々な道があり
人それぞれ、自身のステージの段階も違うのでしょう。



誰しも人生のスタートラインは同じで
ただただ己の我欲を満たす事ばかり考えます。
我欲に忠実な心の状態で人生が始まるわけです。

何でも、自分の思い通りにしたくて
そうならないと、ムカつき怒り出す・・
幼稚園児のような状態です。

日々を過ごす中で様々な経験を経て
ただただ我欲を満たす事ばかりで
過ごしていては、自分が
苦しいだけだという事に気付くのです。

そして、利他的な心が芽生え始めるのですが
利他的な心を成長させる為の
段階というステージが人それぞれあるのだと
私はそう思っています。


私の場合、一発目は
自分自身が目前の現実を創り出していると
そう確信した時です。

それまでは、理不尽な現実を憎み
日々否定批判を繰り返し
ちょっとした事でムカつき
時にブチ切れる・・
そんな過ごし方をしていたのですが
自分が嫌だと感じている出来事は
全て、自分自身がそう思っているだけなんだ!と
そう気づいた時、目の前の世界が変わった事を
記憶しています。

それまでは、幼稚園児の心のまま
過ごしていたんですよね~w

他にも色々あるんですが
分かりやすい所で
心深く感謝すれば幸せになれる事を知った時とかも
大きく現実が変わりました。

なんだかんだと、結構そんな体験を
繰り返しているんですが
逆を言えば、それだけ自分が
穢れまくっていたって事なんでしょうね。w




私は、自らの体験から、「生きる」とは
毎日がゲームのようなもので
自己の心の進化に伴い
過ごすステージが移り変わっていると
そう確信しているんです。


例えば、今まで、自分に向けられる
他人からの不快な言葉も
全く不快では、なくなってしまえば
自分が抱く感情は全く違ってきますよね。

ゲームで言えば
今まで、対戦で苦労していたキャラが
自分の進化に伴い、ザコキャラに変わる・・
先に進む為に、苦労する場所も
自分の進化に伴い
難なく進む事ができる・・
と、言った感じでしょうか?w

それを、繰り返す事で
どんどん自分が進化して行き
新しい次のステージが始まるのです。
その瞬間、同じ毎日のはずなのに
全てに対して感じ方がまったく違ってくる・・

しかし・・更なる強力な敵や
難問難題が与えられw
そこをクリアする為に
更に己を進化させる必要がある。

きっちり進化しクリアすれば
また新たなステージが始まる。
そして、更に強力な敵や
難問難題が与えられる・・

いや~「生きる」とは
実に楽しい事ですよね!





私は、何度も自分のステージが
移り変わって行く感覚があるので
人生とは、自分を進化させるゲームのようだなぁ~
なんて、思ってしまいます。

下らない事で
怒りをぶちまけている人を見ると
心が幼稚だと思ってしまうのは
幼い頃から、生きるステージが
全く変わっていないんだな~と
そう思ってしまいますし
人それぞれ、生きるステージが
異なっているので
複数の人が同時に同じものを見ても
人それぞれ、見え方が違うのでしょう。

同じ出来事に直面しても
怒る人、笑う人、喜ぶ人、悲しむ人が
いるわけです。

でも、社会の秩序を保つ為に
人々を同じ「社会の枠」にハメようとする。
まぁ~大自然の法則上無理なので
色んな所で歪がでるんですけどね。

その歪みも人生ゲーム上の仕組みだと思えば
なかなか楽しく過ごせます。
だって、色々なイベントがあるから
己が成長できるわけですし
何でも自分の思い通りになってしまう
人生など、ぬるゲーと同じで
つまらないですよね。
なので、私たちは常に
様々な害悪を生み出すように
創られて生まれているんです。

そうでなくては
利他的な心を学ぶ事が出来ないからでしょう。




人生をゲームと考えると
自分自身に起きる「苦悩」は
乗り越えるべき課題となります。

ようするに
その「苦悩」というイベントを
クリアする為に
自分自身を進化させる必要があるわけです。

具体的には、「心を成長させる」事で
「苦悩」を乗り越える必要があるという事です。


例えば、コロナの規制で
商売に行き詰り、日々の生活もままならなくなった・・
そんな「苦悩」に直面したとします。

この「苦悩」は
自分の人生というゲームの中で
クリアしないといけないイベントなのです。

クリアしないといけないイベントなので
「政府は何をやっているんだ!怒!」
と、不満をいくらぶちまけた所で
どうにもならないわけです。

大自然から与えられた課題(イベント)を
クリアする為に試行錯誤する必要があるのです。


訳のわからない政府のコロナ対策に腹を立て
怒りと憎しみの感情でもんもんとしていても
自分に与えられたイベントを、自己の心の成長により
クリアするゲーム(人生)なので
「怒り」に固執している以上
今のステージから出られません。

今のステージから出られないという事は
直面している「苦悩」から
解放されないという事になります。

クリアしないといけないイベントなので
死ぬまで付きまとってくるんですよね~w

いくら無かった事にしよとしても
絶対になくならないんです。
ゲームなら死んでもやり直せますが
この人生ゲームは死んだら終わり・・
しかも、クリアできないままのイベントは
自分の子孫が受け継いでいくんです。w

なので、人生と言うゲームは
真剣に取り組んだ方が良いと思います。w



憎しみは、人生を崩壊させると言いますが
そもそも、自己を成長させる切っ掛けというイベントを
憎しみにより真逆の感情を抱いてしまえば
人生というゲームそのものが
成り立たなくなるって事なんでしょうね。



私がまだ、ボランティアを始めて
数年しかたっていない頃は
血に刻まれた経験値に
かなり振りまわされていました。

なんだかんだとブチ切れるんです。w
で、ブチ切れた後に反省するんです。

「キレる→反省する」を
繰り返すと、「反省する」という経験値が
己の血肉に刻まれます。
それを繰り返していると
だんだん、穏やかな性格になってくるんですよね~

でも、たまにブチギレしてた時は
すかさず反省して
相手は、ゲームのキャラなんだから
キレても仕方ないだろ!俺!
なに感情的になっちゃってるわけ?
なんて、思うようにしていました。w


ようするに自分に不快な事をする相手が
現れるイベントが始まっているんです。
なので、そのイベントをクリアしないといけないわけで
自分に不快な事をするキャラなので
そのせっかくのキャラに対して
怒りにまかせてブチギレする行為は
せっかくのイベントが台無しなんです。w

ゲームのように
無かった事にして同じイベントを
やり直し出来ないので
かなり、真剣に取り組む必要があります。

なので、このフツフツと騒ぐ血に逆らって
どうやってクリアすればいいのか?
必死に考えましたね~w

まず、不快感を抱かせる、このキャラは
自分に何を気づかせようとしているのか?
と、考えるわけです。

自分の日々の言動を省みて
何か気づかなければならない事があるはずだ!
と、そう考えて
必死にクリアする己の課題を探すのです。
己の課題とは、己の心を成長させる事です。

ほとんどのイベントが自分の下らない
我欲のせいで起きています。w
なので、己の我欲に気付き、利他的な思いで
接するようにすると
概ねイベントがクリアできます。

クリアした時というのは
己の至らない心に気付き改善した時です。
私は、身体が軽くなる体感があるので
すぐに解ります。

ゲームで言えば、アバターが光に包まれて
自分がバージョンアップした状態ですかね?w


これを繰り返していると
ステージが変わるんです。
ダンジョンで言えば、階層が変わる感じでしょうか。

ステージが変わると今までと同じ言動でも
結果が大きく異なるので
注意深く現実を見ているとよく解ると思います。


猛暑を通り過ぎて激熱のステージなら
コップに入った水は蒸発しますが
寒冷地を通り過ぎて、激寒のステージなら
コップに入った水は、凍ってしまいます。

そんな感じで、自分のいるステージによって
同じ事をしても結果が異なるんですよね~

なので、同じ事をしても
人によって結果が異なるのは
当たり前の事だと、私はそう思っています。



自分が嫌だと思う出来事に直面した時は
全てイベントが始まったんだ!と
そう思うようにして
一つひとつをクリアしていくと
100%己の心は成長して行きます。

今まで、不快に感じていた相手も
可愛く感じるようになるんですよね~
己の我欲を自分にぶつけてくる人は
ただ単に心が幼いだけですしね。


日々を過ごしていれば
誰でも嫌な相手と接する機会があるかと思います。
ネットや報道を見て
気に入らない人、ムカつく人もいるでしょう。

そんな人たちは
自己の心を成長させる為につくられた
キャラだと思うと良いでしょうね。

と言うか私は今でも、そうしています。

おお~!イベントが始まった!
と、そう思うと
なんだかワクワクしますしね。w

不快に感じる相手はキャラなので
その相手を変えようとしても無駄ですし
変わるべきは、自分だと
そう思うようになり
不快に感じる事が減って行くんです。

不快に感じる事がなくなるという事は
それは、とっても幸せな事ですよね。

しかも負の感情を抱かなくなるので
心身が蝕まれなくなり健康になります。
健康に毎日を過ごす事が出来れば
それだけでも、幸せな事ですよね?

毎日を楽しみながら幸せになれるなら
やっぱ人生はゲームだと思うべきでしょ!w