修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分を正しくする為には、どうしても『悪』が必要なのである

自分が悪人だと思っている人は
なかなかいないでしょう~

誰しも自分の価値観で
自分は正しいと思っている・・
そう思っていなければ
社会の一員として過ごす事が難しいから
だと、私はそう思っています。


ただ、我々が生活する大自然の中では
善も悪もなく、正しいも間違いもないので
社会で生活するうえで
色々と葛藤する事になるわけです。

自分を正しくするためには
どうしても、それに相対する『悪』が必要です。
『悪』がなければ、自分が正しくいられないのです。

ようするに『正義』は『悪』の存在がなければ
成り立たないという事です。


私たちは、自己の価値観の中で
自分を正しくするわけですが
それは、自己の価値観の中で
常に『悪』を生み出していると考えた方が
いいのではないか?

自分が正しい存在ならば
自分の価値観に沿わない価値観を
無意識に『悪』としているのではないか?
そこで『悪』とされた側は
自分を『悪』とする相手を『悪』とする。
すなわち、『悪』とした相手からみれば
自分が『悪』となる・・

自分が正しいのであれば
自分を『悪』とする相手を許容できないので
争いが起きる・・

と、まぁ~こんな仕組みが存在していると
私は、そう思っているんです。






人が10人集まると
そのうちの一人が集団行動において
必ず足を引っ張るんですが
その一人を排除しても
新しく、足を引っ張る一人が生まれてしまう。

チームをつくれば
必ず、その仕組みに直面するはずです。

この仕組みは、『ゆるす心』を育むために
存在していると、私はそう思っているのですが
ひょっとしたら、自分を正しくするために
無意識に周りが『悪』を生み出しているのでは?
と、そう感じたりしています。



学生時代、クラスの中で
一人や二人はクズっぷりを
発揮している人がいたと思います。

ダメ人間、クズ人間と
皆が皆、心の中で無意識に
レッテルを張ってしまうような人です。

まぁ~私なんかは、その一人だったのですがw
当時を思い返すと
周りから、クズ人間に追いやられていた感覚があります。

どう考えても、周りは私を受け入れられなかっただろうし
私自身も、周りを受け入れられなかったんです。
理不尽だ!なんて思っていましたね~w


でも、『悪』がいないと
自分を正しくできないからだと
そう思えば、納得できるんです。


正月に息子が帰省して
小学校時代いじめられたと言っていました。
恥ずかしい話、はじめて知ったのですが
恐らく村民集団は、都会生まれの人間が怖かったのでしょう。
我が息子なので、おそらく周りを見下していたでしょうし。w
言葉にしなくても、心の中で『田舎者が!』くらいに
思っていたと思うのです。



そして、周りは
田舎生まれを肯定するために
都会生まれの人間を『悪認定』する必要があるわけです。
おそらくそんな感じだったのでは?
という話をしておきました。

実際に都会から田舎暮らしに憧れて引っ越し
周りの人達から避けられてしまい
耐えられなくなり都会に戻るというケースはとても多いのです。


私は、村に住んでいますが
分譲地だったので、ご近所は、みなさん余所者なので
まだ、よかったと思います。
ただ、20年経っても『余所者』ですけどね。w


田舎暮らしに憧れて移住を考えている方は
TVで見るほどイイものではなく
住民の中に溶け込むには
なかなか大変だと思った方が良いでしょう。
村で都会からの移住を斡旋しておきながら
いざ住んでみるとなかなか厳しい現実に直面するんです。


長野はとても暖かい人が多いのですが
都会の考え方を持ち込まれて
今の生活が変わってしまう事を怖がる人も多いのです。
今の生活に満足していれば『変化』を恐れるのは当然ですよね。

なので、田舎暮らしを検討しているのであれば
『変化』を恐れている人が多いので
周りの人たちは、『田舎暮らしの達人』であり
田舎暮らしを教授してくれる師匠くらいに思って
接した方が良いでしょうね。

誰しも自分を下に見られらくないので
初めから上に見てあげればうまくいくんです。





話がそれてしまいましたが
人には、『悪』が必要なので
他人を理解しようと努力せず
己の我欲を満たす事だけで過ごしていると
確実に周りから『悪』認定されてしまうという事です。

そもそも善悪など
自分都合で何とでもなるので
『悪』などいくらでも生み出せてしまいますしね。


『必要悪』なんて言葉がありますが
私に言わせれば、至る所で『悪』が必要なんだと
そう思っています。



人気の出るゲームでは
必ず『敵』が存在しますよね。
『敵』を『悪』として滅するから
満たされるわけです。

人気の出る映画やドラマでも
かならずクズ人間が存在します。
『悪』がいない物語では満たされないからです。


『悪』が勝利する映画があったとすると
不快で仕方ないでしょうしね。
ミッドウェイでしたっけ?
真珠湾攻撃の映画を日本人が見ると
不快な気持ちになるでしょうし
そもそも、そんな映画見たいと思いませんよね?

やはり、自分にとって
『悪』とする対象が必要であり
それを滅する事で快楽が満たされるのが
私たち人間の性なんでしょう。


で、悪を駆逐して、満たされるのは
常に自分を正しくする欲求があるからであり
現実世界では、なかなか満たされない欲求なんです。


世界平和や環境問題
いじめ問題や自殺問題
色々と『悪』をなくそうと活動するのも
人間がそう創られているからだと
私は、そう感じています。


と言うか
これが人間の本性なんですよね~


まぁ~『ゆるす心』を育むために
必要な大自然の法則なんでしょう。





RIZIN八百長問題が
いまだに報道されていますが
シバターは、見た感じ
とてもいい人だと思っています。

社会には、クズ人間が必要だという事を知っていて
あえてクズ人間を演じてますね。
その代償として、しっかり稼げるんで
なかなか止められなくなってる感じでしょうか?w

へずまりゅうも
似たような事をしはじめましたね。


人間の負の感情を甘く見ると
恐ろしい禍が降りかかるので
ちょっと心配ですが
でも、令和の時代には
ヒール役を買って出る人が
もっといた方が、社会が落ち着くように感じてます。


そういった意味で考えると
シバターもへずまりゅうも『正義』ですよね?w

まぁ~『悪』は自分が生み出しているだけなんで
その『悪』を、自分で『善』にする事も可能だって事です。



この世の中って、なかなか面白いし
飽きないですよね~www