修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

やはり、人は幼少時から『感謝』を学ぶべきである

先日、子供の教育に悩んでいるという相談を頂きました。
子供が病んでいるとか虐めにあっているとかではなく
今の社会の教育に疑問を抱いているという事です。

前安倍首相が教育の中で
『道徳』に力を入れていましたが
私自身も、そこが一番重要だと
そう思っています。
なぜならば心のエネルギーが
出来事を引き起こすからです。

なので、我が子には
『道徳』すなわち『徳を積む』事を
教える必要があると、そう思いますし
『徳を積む』心を抱かせるために
『感謝』を教える必要もあるでしょう。

人の生きる道は
全て『感謝の心』から始まっているような
気がしますしね。




私は『感謝』する事ができるだけ
幸せになれると言い続けているのですが
『感謝』などなかなかできるものではない
と、そうも思います。

私自身、『感謝』できる人間になりたい!
と、いくらそう思っていても
感謝などできなかったからです。

今は、まぁ~そこそこ
『感謝』できるようになったと
自負しているのですが
そこそこ『感謝』できるようになるまで
結構大変だったのです。

昔の私は社会に与えられている物事にも気づけず
与えられるのが当たり前人間でしたしね。w

両親に育てられるのも当たり前
学校に行くのも当たり前
病院があるのも当たり前
お金を出せばモノが買えるのも当たり前
働いてお金が貰えるのも当たり前
衣食住が出来るのも当たり前
車や電車があるのは便利だお思ったことなどなく
それらはみな、当たり前の事であり
感謝の対象ではなかったのです。

なので、両親にムカつき
学校の教師にムカつき
病院での医師の対応にムカつき
買い物をすれば、店員の対応にムカつき
同級生、同僚、上司にムカつき
役所の対応にムカつき
電車が遅れればムカき
TVのニュースにムカつき
コメンテーターにムカつき
日々、ムカつく事ばかりの人生でした。

もっとお金が欲しい!
もっと美味しいものが食べたい!
もっといい家に住みたい!
もっといい車に乗りたい!
愚かにもそんな事ばかり考えながら
ただひたすら快楽を求め続けていたのです。

振り返れば、とても残念な人間でしたね。w


でも、『感謝』できない自分に気づき
嘘偽りで上辺だけの『感謝』を
繰り返し、繰り返し、何年も繰り返し
毎日、感謝の詞を唱え続け
なんとなく体に馴染んできた感じでしょうか?

私の場合、もともと
『感謝の心』が欠如していたので
どうしたら『感謝』できるのか?本当に悩みましたね~
両親も不徳が多く、『感謝』など皆無の性格でしたし
私自身も、その血を引き継いでいましたしね。

人により不徳の量が異なるので
『感謝』できるようになる大変さも
個人差があるでしょうね。



ただ、幼少時代から
『感謝』する教育をされていれば
私自身の人生も違ったものになってたのかもしれません。
今の人生に不満はありませんけどね。


そう考えると
子供の教育で大切なのは
『感謝』を教える事のように思うのです。
利他的な心は
自分の中にある才能を開花させますしね。






正月に息子と色々話す機会があり
中学校は、行く振りをして
よくさぼったと言っていました。

私は行きたくないのなら
行かなくていいと言っていたのですが
母に怒られるので、そうしていた・・とw

なぜ?行きたくなかったのか?と聞いたら
学校に行く意味が解らなかったし
それを教師に聞いても
『義務教育だから』と・・
なぜ?義務教育が必要なのか?と
聞けば、『社会に出た時に必要だ』と言われ
具体的にどう必要になるのか?と聞けば
『社会に出ればわかる!』と
そう言われたそうです。
””あぁ~そうか
教師は社会で働いたことがないので
今の授業が社会にどう必要なのか
はじめからわからないんだ・・
解らない事をごまかしやがって!クソだな!””
と、そう思って行く気がしなかったそうです。


で、中学に行かず
高校中退だと偽って
バイトしていたと言っていました。

私も不登校児だったので
こんな所まで似るんだなぁ~
血による経験値の引継ぎを実感しました。

私の時代は、教師の言う事は絶対で
教師が答えられないような質問をすれば
ボコボコに殴られたので
ガキなんで学ぶ事ができない学校なんて
行く意味がないと
そう思って行かなかったんですけどね。



とは言え
確かに社会で働いた事のない
学校教師が教えられることは
限られているのも事実であり
その辺は、今の時代に沿わないのかもしれませんね。
勉強する意味を教えられない教師に
当たる生徒は、ちょっと可哀そうですよね。

私自身も元々学校教育に
疑問を抱いていたので
元安倍首相の教育改革には
注目していたんですが
結局、K国主導の日教組
打ち勝つことはできなかったようで
ちょっと残念です。


そういう意味では
ホリエモン大学に続き
どんどん新しい形の学校が増え
それを国が支援しまくると
いいのになぁ~
なんて思っています。

結局は、政府に不満を抱いて終わりではなく
国民が政府を動きやすくする方が
社会は発展するんでしょうね。


ホリエモンの宇宙事業にも
国が投資すべきですし
確か、自民党はその辺を公約に掲げてましたね。
まぁ~国民が猛反発して
足を引っ張るでしょうけどね。

ホリエモンは、刑務所に入って
かなり価値観が変わったように感じるので
私も刑務所に入るともっと変われるのかなぁ~?
なんて、思ったりしちゃいます。w

彼が、やっている事を見ると
今の日本に必要だと感じることを
優先的に実行していますしね。











またしても話がそれましたが
幼少時代から『感謝』を教育されると
人生が、大きく変わると
私は、そう思っています。

戦前の日本には、日本神道による
『感謝』という習慣があったのですが
政教分離で、『感謝』を
教育から外されてしまいましたしね。

個人的には日本神道は宗教ではなく
『道徳』だと思っているので
国が『道徳事業』として神道
教育に復活させればいいのになぁ~
なんて思ったりもしています。
まぁ~これも猛反発するK国工作員
たくさんいそうですし
マスコミもそっち側の報道をするはずなんで
なかなか厳しいでしょうけどね。

昔、椿大神社の先代宮司
首相が靖国神社に参拝しないのは
首相が『国』の意味を理解していないからだ!
そんな『国』が発展するわけがない!
と、言っていましたが
日本を支え戦死した英霊に
首相が『感謝』の参拝をしないのは
やっぱ、あかんですよね~


そうやって色々と考えると
国の運営は国民が主導でする必要があるのかな?
とか思ったりもします。
結果として、人々の利他的な心が
芽生える事になりますしね。

この先、コロナで疲弊した社会を
私たちは、どう行動するか?を考え実行する
必要があるのですが
頭では、ああしたらいい~こういたらいい~と
色々な案がでたりしても
実際には時とともに流され
行動する事などできない人がほとんどでしょう。


だって、みんな楽したいですしね~w
また、「そんな事、よく解らない!」
って人も多いでしょうし。


で!国とか社会とかではなく
大自然の中での位置づけで
人という自分の存在を考えると
私たちは、利他的な心を育むために
存在しているので
やはり、利他的な心で過ごすためには
まずは『感謝』する事なのかな?
とか、思ってしまうんです。


何度もここに記してきたことですが
なぜ『感謝』が必要なのか?は
『感謝』すると
『感謝』した対象に尽くしたくなるからです。

『感謝』する事が増えれば増えるほど
尽くしたくなる事が増えるという事です。
今の自分の生活に『感謝』していれば
そのお礼がしたくなり
社会に貢献したくなるわけです。

そんな人が増えれば増えるほど
社会が豊かになるでしょうしね。


尽くしたくなる事が増えるという事は
自分の中に利他的な感情が増えるという事なので
大自然のルールに従った生き方となります。

また、人の苦悩は、利他的な心へと
促すために存在しているので
利他的な心が増えれば増えるほど
自分自身の苦悩も減ってゆくという事です。

なので、そこを目指のが人生なのだと
私は、そう思っています。

仮に日本経済が破綻し
国民の生活が苦しくなったとしても
利他的な心があれば、幸せでいられるんですよね~

だって、自己の快楽を求めていない状態ですし
自分が今生きている事に感謝できていれば
不便になり贅沢な暮らしが出来なくても
絶望を感じることはないでしょうしね。
逆に苦しい状況をなんとかしようと
多くの人の為に頑張れるでしょう。

そんな人生も素敵だと思います。





という訳で
今の子供たちの教育には
『感謝』を教える事が大切だと思っています。
我が子には、教えたい事ですね。
『感謝』できないと100%
不平不満ばかりの人生になりますし
そんな人生は、不幸な人生でしょう。




自分自身が『感謝』できなければ
我が子と共に『感謝』を学ぶのも良いでしょう。



戦後教育から『感謝』を学んでいないという事は
『感謝』できない人たちで社会が形成されており
その中で『感謝』を学ぶ事は大変です。
だって、『感謝しない事』が当たり前の社会ですからね。

私の経験では、結構白い目で見られましたね~
不自然な『感謝』を続ける事になるんです。w
でも、続けて良かったと今はそう思っています。

『感謝』できない事は
とても不幸な事だと知る事が出来ましたし
『感謝』できることが幸せなのだ
という事も知る事が出来たからです。