修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

人の心が生み出すエネルギーが社会を創っている

以前から、人の心が生み出すエネルギーは強大だと
そんな事を言い続けているんですが
「強大」と言っても
何が?どう?「強大」なの?
って、話になりますよね。

今更ながら、そう思ったわけです。


で、「強大」とか「強烈」とか
そんな表現が正しいか?わかりませんが
人の心のエネルギーは
「月」までも届くと感じております。

そうやって表見すると
「強い力」と思ってしまうでしょうが
私の中では、「距離」の概念のないエネルギーと
そう感じているんです。
ひょっとしたら距離との関係はあるのかも?しれませんが
私には、それを感じ取る事ができません。

人が生み出すエネルギーの中には
「距離」の影響を受けるものもありますが
そうでないエネルギーもあり
どちらかと言うと
「距離」の影響を受けない
エネルギーの方が
人やモノとの「縁」出来事との「縁」の影響を
受けやすいのではないか?と
そう感じています。


何を根拠に?と言われると
「私の感覚が根拠」・・となり
まぁ~その事を私個人の力では
証明できないでしょう~ね。w



昔の私は
人の心のエネルギーについて
理解が足りなかったせいで
よく除霊行為をしたんですが
遠隔でも行っていました。

で、海外にいる人でも
除霊は可能で
恐らく、存在を認識さえできれば
地球外でも可能だと思っています。
(試したことはありませんけど。w)

除霊するためには、認識できるか?否か?
が重要なのですが、エネルギー自体に
「距離」は関係ないので
人の心が生み出すエネルギーは
世界中に影響を与えている。
もっと言えば、宇宙にも影響を与えている
という事になるでしょう。


ここで大切なのは
認識しているか?否か?という事で
認識していれば、その対象に
自分のエネルギーが届くわけで
認識している対象に対して
自分の心のエネルギーが
自分や自分以外に
なんらかの影響を与えている。
また、認識した時点で
その相手からも何かを与えられている。

まぁ~認識していなくても
影響を与える心のエネルギーも
存在するのですが
認識していた方が
強く?影響を与えるという事です。


私が、人の氏名を観るだけで
その人の事が大まかに分かるのも
氏名の文字からその人のエネルギーを
感じ取っているからです。

ようするに
氏名を書いた文字が
アメリカにあろうが
北極にあろうが
瞬時にその人と繋がる事ができるわけです。


ただし、「認識」する必要があり
その氏名を書いた文字を観るまでの
過程も重要なのです。

よく、お付き合いしている彼氏の名前を
観て欲しいと言われるのですが
私は、その彼氏に会った事がなくても
氏名でそれなりに感じ取ることが出来ます。
氏名の本人である彼氏は、その彼女が認識しており
その彼女は、私が認識している。

彼氏→彼女→私→彼女→彼氏
というエネルギーのやり取りが存在しているのです。
彼氏は、自分の知らない所で
私のエネルギーを受け取っており
その影響を受けているのです。


有名人なんかは、自分の知らない他人に
多くの人のエネルギーを向けられることになるので
他人の影響を強く受けているという事になります。


という訳で
自分の心のエネルギーは
自分の知らない所で他人に影響を与え
また、その逆もあり
自分の知らない所で
他人の影響を受けているわけです。


人間であれば、どんな人も
利己的な思考で言動を繰り返すので
基本的に負のエネルギーの方が多い為
負のエネルギーを自分の知らない所で
常時受け取っている事になります。
なので、多くに感謝し
多くの人に感謝されるように
過ごさなければ
その負のエネルギーが中和されず
人が生み出す負のエネルギーによって
心身ともに蝕まれてゆく・・

私は、この仕組みが
人の苦悩の原因だと思っているので
「徳を積め!」と
常々告げていわけです。








なぜ?こんな話をするのか?は
自分の存在が常に世界へ影響を与えている事を
知ってほしいと、そう思っているからです。


誰しも感情が生み出すエネルギーは
自分や他人に何らかの影響を与えるので
自分が負の感情を抱く度に
少なからず、他人にも悪影響を与えています。
しかも、世界中の他人へ・・・


現代では、他人に無関心でも
生きて行ける社会となりましたが
他人に無関心=利己主義と考えると
無関心でいればいるほど
負の感情が多いという事になり
世界が混沌としてゆく事になります。

なぜならば、大自然
私たちに利他的な心を育ませようと
様々な事象を引き起こしており
利他的な心のエネルギーが減れば減るほど
負の感情のエネルギーが増えれば増えるほど
世の中に「苦悩」を作り出すからです。

恐らく、コロナにしても
ロvsウの戦争にしても
世界が便利に発展した事により
人の心から利他的な思いが減ってきたからだと
私は、そう感じています。




私自身、超絶利己主義人間だった頃
自分と関わらない他人に対してかなり無関心でした。
ウクライナの戦争被害報道を見ても
自分には関係ない事だと
そんな視点で見ていたでしょう。

戦争被害を受けている方々の映像を見ても
自分の心が苦しくなることもなく
日本での事でなくて良かった・・と
その程度の認識をしたと思います。

そして、ウクライナの方々の
苦悩や悲しみを映像で見て
同じように心を痛めている人を見れば
気持ち悪い奴だ!と、そう感じた事でしょう。
自分自身に利他的な心がないので
利他的な心を持つ人たちの
価値観を理解することが出来ず
そして、自分が否定されたと
無意識にそう感じてしまうからです。


また、私の場合は利己主義が過剰すぎたので
自分正義に心が支配されており
「悪」認定した相手が苦しむ姿に
ついつい優越感に浸るようになる。

なので、ロシアが苦しむ事になれば
「ざまぁ~」感覚で
見下すことが出来て
自己の快楽を満たせる為
そんな事をついつい期待してしまう・・・


今思えば
かなりのクズ人間だったなぁ~
なんて思います。




まぁ~自分の利己的思考が
悉く、他人の価値観を否定するので
致し方ない事なんですが
恐らく、そんな思考の人のエネルギーが
社会を壊しているのでしょう。

社会は、人が創っているので
人が壊れれば、同時に社会も壊れますしね。
利己的な人が増えれば
人の争いも増え
社会的苦悩が増え続けるという事です。

素晴らしい政策を掲げ
それを実行しようとしても
社会に負の感情のエネルギーが
多ければ、行使する事は難しい・・


私も、社会を壊す側の一人だったのに
社会を否定批判しまくっていましたね~
政治家や役人、マスコミなど
否定批判しまくっていました。
報道で、自分と異なる意見を言う人に
対しても、「そんな思想を社会に巻き散らすな!」
なんてムカついたりしていました。
自分が社会を壊している一人なので
自分で社会を壊して
気に入らないMAXだったのですが
その事実に気づけなかったのです。w


おかげさまで今では
そんな仕組みを知ったので
どうすれば利他的な心が
増えるのか?と
そんな頃ばかり考えて
実践するようになりましたね~

日本もアメリカのように
人口の6割が
ボランティア活動を
経験する国だったら
今以上に強国になるのになぁ~
なんて、思ったりします。



とは言え、人間は負の感情を抱く生き物なので
それを無くす事はできない・・・
大自然の法則上、必要不可欠な
エネルギーですしね。
ただ、社会が発展すればするほど
人は「感謝」出来なくなりますし
他人と直接関わらなくても
生きて行ける社会で過ごしていれば
利他的な心に必要性を感じなくなる。
そして負の感情が増え続けて行く・・
なかなか難しい所です。
誰しもクソ虫的一面を持っているという事です。
私の場合、クソ虫的一面が多すぎでしたけどね。w

なので、どうあがいても
負の感情のエネルギーを
相殺するために「感謝」の念を抱く必要がある。
「懺悔」でもいいですけどね。

心深く「感謝」または「懺悔」できれば
世の中に貢献しなければ!という思いを抱くようになり
他人に無関心ではいられなくなるので
一石二鳥ですしね。


しかし、「感謝」など簡単にできる事ではなく
「感謝」できるようになる為には
利己的思考を減らす必要があり
利己的思考を減らすためには
それなりの苦悩が必要なんです。

なので、恐らくこの先も
様々な「苦悩」を大自然から
与えられるはずなので
せめて、どんな「苦悩」でも
乗り越える事が出来るよう
自らを鍛える必要があるのでは?

なんて、思ったりしています。



私は、多くの方々の相談を受けながら
多くの「苦悩」について
検証し続けてきましたが
同じ出来事が起きても
「苦悩」と感じる人もいれば
そうでない人もいる。
一度、乗り越えてしまった「苦悩」は
同じ出来事が起きても
「苦悩」では、なくなったりもする。

「苦悩」とは
自分の思い通りにならない事に対して
「苦悩」と感じ
自分の思い通りにしたい!という
欲望の強さによって
その苦しみや痛みは異なり
結局は、自分が「苦しい」と思うから
「苦悩」なんですよね~


そう考えると
利己的な我欲を減らし
利他的な我欲を増やす事で
今より、もっと過ごしやすい世の中になるのでは?と
私は、そう感じたりしています。