修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

憎しみが血に刻まれると面倒なことになる

ロvsウ戦争で多くの方が亡くなり
とても悲しい気持ちになるのですが
やはり家族を失った方々は
心にとても大きな傷を負う事になると思うのです。

そこに憎しみの感情が己の血肉に刻まれると
子々孫々とその経験値は受け継がれてゆき
その経験値を受け継いだ子孫は
自分の思い通りにならないちょっとした事で
強い怒りの感情が込み上げてくるようになる。


私が、せっせと色んな方に
「徳積み」をおすすめしているのに
その真逆である憎しみの連鎖が広がって行くと
こんな事しても無駄なのかなぁ~・・
なんて、思ってしまうのです。





私が相談事を受けている中では
精神を病んでいる方々が
とても多いのですが
今の時代、10人に1人は
精神病だと言われております。
しかし、私の体感では
もっと多いのではないか?と
そう感じています。


私は、人の精神が病むきっかけは
「感謝できない」・・
これに尽きるとそう思っています。
私自身もそうでしたしね~

「感謝できない」がゆえに
あれこれ不満を抱くようになり
その時に生み出される
負の感情のエネルギーにより
自分自身が蝕まれてゆく・・

まぁ~色々と便利な社会になって
感謝できない人が増えるのは
当然の事であり
その為に、精神を病む人が増え続けていると
そう思っているのです。



「感謝できない」に「利己的な我欲」が
重なると、精神が病んでしまうわけです。
自分の思い通りにしたい!という我欲であったり
他人から認められたい!という我欲であったり
そんな我欲が強ければ強いほど
心が蝕まれてゆく・・・

ただ、自分が利己的な我欲に
振り回されるのは「血」に刻まれた
経験値の影響によるものが多いので
そう簡単に精神病は改善せず
何年も患っていしまう場合も多い。

「血」による経験値を
上書きする新たな経験が必要不可欠だと
いう事です。



誰しも少なからず、「憎しみ」の経験値が
血肉に刻まれているのですが
「憎しみ」が強く血に刻まれている人は
厄介なんですよね~

「自分以外が悪」という経験値が
強く血に刻まれているので
極端に自己を正当化してしまいます。
しかも、無意識に・・
その為、自己を省みる事が全くできなくなるので
他人を責める感情に振り回されてしまいます。

しかも周りから「自分=悪」とされると
逆キレするか、心を壊してしまいます。

「自分=正義」感が強いので
それを立証する言動を常に繰り返します。
頭の回転の速い人なんかは
常に言い訳を探していますね。
その上で「悪」探しを繰り返してしまうのです。
誰しもそんな人と関わり合いたくないので
周りから避けられてしまうのですが
「自分=正義」を避ける行為は「悪」となり
ターゲットとして、ロックオンされる・・
そんな事を繰り返せば
周りから集中砲火を浴びる事になるのですが
それは、「虐め」と認識し自らは「被害者」となる。
最後まで「自分=正義」なのです。

そして、「自分正義」を立証する快楽に溺れるので
常に「ざまぁ~快楽」を求めてしまうのです。

悪人が苦しむ姿を見てスッキリするのは
少なからず、誰しも抱く感情でしょう。

水戸黄門の時代劇を見て
スッキリする感覚なので
誰しも、少しは抱く感情ですし
人の性のようなモノでしょうね。

悪を成敗する映画やドラマ、アニメは
多いですしヒットしますよね?
どんな人にも「自分正義」が刻まれているからです。
もっと言えば、どれだけ美しい言葉を並べようが
人間の本質はゲスいんです。w

よくよく考えてみると
悪人を成敗してスッキリするという事は
他人が苦しむ姿を見て
快楽を感じているわけなので
ゲスな人間が抱く感情なんですよね~


アニメや映画やドラマの世界ならまだしも
強い「憎しみ」が血に刻まれていると
リアルで「ざまぁ~」を求めてしまうので
常に「悪」探しをするようになったら
自己改善に尽力するようオススメします。



「血」に刻まれた「憎しみ」は
マジで厄介なんですよね~
K国は、昔から日本を敵視していますが
これも、多くのK国の方々に
憎しみが血に刻まれているからだと
私は、そう感じています。

私は、在日K国人の友人が多いのですが
そんな経験値が血肉に
刻まれている人が多いんです。
なので、性格が激しい人が多いですね。
嫌がらせをさせたら世界一だと
K国民である事に辟易している方もいますが
私に言わせれば、本人の問題ではなく
先祖から引き継いだ経験値によるものなんです。
国の歴史で何があったのか?わかりませんが
日本のように島国ではないので
少なくとも日本よりは民族間の争いが
絶えなかったようにも思います。
また、日本に移住した先祖は
日本人による差別を体験している人も多く
その子孫となると
差別された経験値を受け継いでいしまうので
致し方ないのかもしれません。


C国人にも多く見られるので
大陸の歴史に何かあるのかも?しれませんが
日本でも、増えてきているように感じるのです。



ネット上のやりとりを見ても
民進党の与党批判を見ても
なんだか「悪」探しが
どんどん増してきている感じがするので
そのうち、日本もK国と同じ状態に陥るのでは?
ふっとそんな事を想像し
「恐ろしい!」と、思ってしまったりします。

でも、どう考えてもその方向に進んでるんですよね~
精神を病む人が増え続け
政府やマスコミを批判するだけで
自分の理想の未来へ進もうと何も行動しない
「自分の思い通りにしたい!」という
理想を抱いているだけなんでしょう~
自分ではない誰かがやる事だと思っているんでしょうね。

実際に行動してみると
批判するだけじゃどうにもならない事に
気づけるんですけどね~
人に備わっている「自分正義」本能が炸裂すると
その辺も、どうにもならんのでしょう。
私自身もそんな感じでしたしw


それに加わって「憎しみ」経験が
「血」に刻まれてゆくと
更に、どうにもならなくなってくる・・



基本的に強い「憎しみ」の感情は
自らを崩壊させるだけではなく
子孫へも苦悩をまき散らしてゆくのですが
厄介なのは、ダメだと解っていても
暴言を吐いたり、キレたりする・・
自分の感情を抑える事が出来ない所です。

自分の悪態を自分の意志で止める事が出来ない・・

私が知っている
唯一のそれを止める方法は
徳を積む事なのですが
「自分正義」感覚が強すぎて
他人に尽くす事より
「悪」を成敗するという感覚で
他人を責める方を優先してしまう。

要するに、他人の嫌な部分ばかり気になって
他人への善意を毛嫌いしてしまうのです。

自分が他人に尽くすことが出来ないので
そんな行動をする人たちに
ムカついたり、気持ち悪いと
思ったりしてしまうのです。
「自分正義」感が強いので
他人の価値観を受け入れる事ができず
無意識に自分が否定されたと
そう感じてしまうのです。


世の中が、そんな人で溢れたら
マジでやばいですよね~・・・
私も、そんな一人だったんで
どうしたらいいかなぁ~??
なんて、思ってしまう訳です。



で昔から、色々と試しているんです。

いくら私が「徳を積む」事で
苦悩から解放されると言ったところで
ダイエットや筋トレと同じように
なんだかんだと結果を出すまで
大変なんですよね~

少し徳を積んだからと言って
すぐに現実が好転するわけもなく
やはり、継続する必要があるわけです。

なんてって人間には
我欲が備わっているので
メリットを感じなければ
なかなか継続できないのです。

私のように懺悔から始める事でも
継続できますが
懺悔するには、生きているだけで
多くの罪を負う仕組みを
知る必要がありますし
世の中に「感謝」できなければ
そう思う事など、なかなかできないでしょう。

なので、自分一人だと
なかなか出来ないのか?と
そう思い、数人で実践してみてはどうか?
と、思いやってみると
やはり、「憎しみ」が「血」に
刻まれている人は、継続できないんです。

まぁ~私自身がもう少し
こまめにチェックして
しっかりとフォローした方が
良かったかな?と
反省点もありますが
「他人に尽くす」とう行為も
元々、不徳が多い人は
その行為で、相手を不快にさせたりするんですよね~
まぁ~それも想定内であり
そんな経験も大切だと予め伝えてはいるものの
継続する為には、その嫌な思いをした
経験が障害になるんです。
せっかく、相手の為にと思ってやっているのに
その相手から不快感を向けられると
やはり、辛いですし継続するのは嫌ですよね?

なかなか、難しい所ですが
逆に不徳の少ない人は
なんだかんだと、発見があり
しっかりと前進できるんです。
なので、継続もできるんですよね~

具体的に何処に違いがあるのか?と言いますと
不徳の多い人の場合は
そもそも、相手の気持ちになって
物事を考える経験が少ないので
相手の為にしている事でも
善意の押し付けになってしまうんです。

必死にダイエットしている人に
ケーキを買ってきて「どうぞ!食べて下さい~!」とか
待ち合わせがあるので、あえて遅くまで仕事をしているのに
「その仕事、私がやっておくから先に帰っていいよ!」と
しつこく迫ったりとか
嫌な出来事があって、誰とも話したくない人に
「どうしたの?大丈夫?」と何度も声をかけたりとか・・
善意の押し付け、オンパレードになってしまうのです。

「徳を積む」という本質は
「自分の為に相手に尽くす」ので
自分の為にやっている事なんですが
でも、その行為で相手を不快にしてしまっては
「不徳を積む」事になってしまうのです。

自分が徳を積む事を最優先で
相手の事を全く考えず接すれば
相手が不快になるのは当然なのですが
自分優先思考で固まっているので
どうして、相手が不快になっているのか?
理解が追い付かず
「貴方の為にしている事なのに!怒!」と
ムカついた態度を取ってしまったりする・・


その結果、初めから「徳が積めていないのに」
「徳を積んでも嫌な思いをする」と思い込み
こんな思いをするのなら、もう「徳積み」はしたくない!と
そう思ってしまうのです。
その行為で「不徳を積んでいる」事さえ
気づけず「徳を積んだ」と思ってしまう・・




逆に、「徳積み」である程度の
結果を得る事が出来た人の場合は・・
母親の為にできる事として
帰宅時に買って帰るモノはないか?と
聞いてみたり、家事を手伝ってみたりしたら
普段から自分の為に、色々と大変な事を
してくれていた事に気づけた!
それだけじゃなく
母親がメッチャ優しくなった!
なので、自分が変われば
相手も変わる事が体験でできました!
とか・・

他にも、介護のボランティアに参加して
要介護の家族を持っている人の苦労を知り
自分の両親が健康な事に、ありがたいなぁ~
と、思えるようになったら
なんか、口うるさい両親にムカつくことが
なくなりました!
あと、自分が五体満足だという事も
幸せな事だと思えるようになりました!
と、言っている人もいました。

新たなる経験により
新たなる発見があり
新たなる自分に成長した・・
という、良い例なんですが
まぁ~その逆パターンもあるという事です。

実際に何かと心が病んでいる人は
この逆パターンにはまる事が多いのかなぁ~?
なんて事を、学んだ経験をしたのですが
もう少し事前準備や
経過チェックや、そのフォローに
力を入れるようにして
現在も、迷走中です~w




と、そんなこんなで
「血肉に刻まれた経験値」による悪影響は
なかなかどおして、厄介で手強いなぁ~
なんて、思っております。

でも、手強いので
色々とチャレンジし続けることが出来て
そこには、色々な発見があり
それはそれで、楽しかったりもします。

時に挫けそうになる事もありますが
そんな自分をも楽しむようにしています。w