修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

宗教2世の苦悩

長年、相談ボランティアをしていると
色々な方から相談を頂くのですが
最近話題になっている
宗教2世、3世の方々の相談も多く受けます。
殆どが創価学会ですねどね。

そんな宗教2世の悩みを解決するのは
本当に難しい事だと感じています。


結局、本人の脱会の意思が重要になるのですが
どっぷり宗教に浸かっている両親との
縁を切る事などなかなか出来ないですし
別に両親を嫌いになったわけもない。
嫌なのは、宗教活動だけだからです。


統一教会で言えば
脱会する=サタンに支配された。
という扱いにされますし
創価学会で言えば
脱会する=禍が起きる・・
今の生活は信仰があるおかげで
成り立っており信仰をやめれば
今の生活が成り立たなくなる・・となり
我が子が脱会する事で
今の生活が成り立たなくなると
そう信じている人も多いのです。
その為、両親からすれば
脱会する=親子の縁を切る
まで、発展してしまう事もある。


2世の人からすれば
脱会したいだけであり
親子の縁を切りたいわけではなく
とは言え、両親からすれば
脱会は、それくらい大きな意味を持つ人もいる。




創価学会の場合、他の宗教は認めないので
先祖代々奉られていた祠を処分する家も多い。

先祖代々奉られた祠の多くは
自然の恵みに感謝を捧げる為に奉られており
それを処分するという事は
感謝しなくなったという事になります。

その結果、障りを引き起こし
色々な禍を子孫に引き起こす場合もある。

祠を処分した事で
神様の障りがあると霊能者に指摘されて
困り果てている2世の方からの
相談を何度も頂いた事があります。

学会信者の両親はそんな言葉を信じないので
奉り直す事も出来ない・・

結構、悲惨な障りだったりするんです。

まぁ~奉り直さなくても
日々感謝を捧げればいいのですが
そうは言っても、感謝を捧げる場所がないと
忘れちゃうんです。

創価学会の家庭で
他の神様を奉るなんて許されないので
なかなか難しい所です。









人間には色々な我欲があり
その我欲が満たされないと苦しくなる。
私たちは、そう創られて生まれてきます。

求めるのをやめれば
苦しくなくなるのですが
人間の構造上
簡単にそんな事が出来るほど
単純な事でもない。



宗教にドハマリする人の多くは
宗教の場こそが自分の居場所となっている事が多い。
我々の社会に居場所がないと
無意識にそう感じているのです。

私も宗教にどっぷり浸かっていた頃は
宗教の世界が、自分の居場所でした。
皆で生活する通常の社会に
自分の居場所を感じられなかったのです。

なぜ?そうなったかは
今思えば、とても簡単な事で
他人を理解しようとしなかったからです。

自分をわかって欲しいと
そう思っていたのに
自分から他人を理解しようとしていなかった。

自分が嫌だと思う事をする人に対して
どうして、そんな事をするのか?を
全く考えず、ただそんな相手を「悪」とし
し拒絶していたのです。

自分の価値観のみで
善悪を判断し、当然自分が正しいので
自分以外の価値観を「悪」とする。

その結果、自分を
理解してくれない人は「悪」となり
周りを見渡せば自分と異なる価値観ばかりで
自分の周りは「悪」だらけ。
社会全体を否定するようになり
全てを受け入れてくれる宗教が
自分の居場所になるわけです。

まぁ~自分と同じ価値観の人など
この世に存在できないので
自分と異なる価値観を「悪」としていれば
自分の周りが「悪」だらけになるのは
当たり前の事なんですが
自分勝手な性格のせいで
その事に全く気づけななかったのです。




統一教会で給与の殆どを献金
それが社会問題になっています。
月3万で生活をし
残りをすべて献金するなど
頭がおかしいのか?なんて
思ってしまう人の方が多いでしょう。

でも、本人からすれば
統一教会こそが唯一の自分の居場所なのです。
社会に自分の居場所を感じられず
社会を「悪」としていて
そこから自分を守る必要がある。
自分で稼いだ給与をすべて自分で使うより
殆どを献金した方が過ごしやすいのです。
社会に自分を順応させない事で
自分自身を守っているわけです。

多額の献金をすれば、賞賛され
自分を認め受け入れてもらえる。
また、自分を必要としてくれます。

自分の中で、社会が「悪」となっているので
一般的な考え方は、「悪」に染まってしまう
と解釈する部分もあり
そんな周りの人たちの言葉は
悪魔の囁きに聞こえるので
話が全く通じない。

自分を認めてくれる人たちと
自分を拒絶する人たちで比べれば
どっちの言う事をきくのか?
言わずと知れた事でしょう。


根本に他人の価値観を
理解しようとしない自分があるので
そうなってしまうのです。

自分を省みる事をせず
自分以外の価値観を悪とし
同じ価値観を持つ者が
集まる環境にいれば
そこから出られなくなってしまう。

そして、社会奉仕などの活動をし
社会の「悪」を浄化しようとする。
実際に、自分の事ばかりで
社会の為に!と
活動している人は少ないので
本人からすれば、自分が「善」で
周りが「悪」となるでしょう。
そして、より一層、信仰が深まるわけです。


実際に大きな組織の新興宗教
献金によって学校を創ったり
福祉施設を創ったりしていますよね。
なので、献金したお金が
そうやって使われている事で
良い事をしていると実感できるのです。

ただ、己の快楽を満たす為だけに
過ごしている人たちと
私たちは違うんだ!という気持ちになる。

税金だって同じように
使われているのですが
社会には自分の居場所を感じていないので
その部分を見る事が出来ず実感もない。

社会に必要な整ったインフラ環境あるおかげで
今の自分の生活は、成り立っているのですが
社会に自分の居場所がないと感じている為
なかなか、そこに気づけないのです。

「あって当たり前」という慣れが
自分の視野を狭くしてしまいますしね。




私は、社会を憎んでいた頃があり
そんな時に新興宗教の場で言われたのです。
「貴方は間違っていない
間違っているのは世の中なのです!」と・・
その言葉で心が軽くなった事を記憶しています。

まぁ~「自分を理解して欲しい」という
欲求が一時的に満たされ
快楽を得ただけなんですがw
救われた気持ちになるんですよね~

でも、結局は、どこの宗教にも
納得できない所が多々あり
多くの新興宗教や様々な宗派を梯子しました。

素晴らしいと感じる教義もたくさんありました。
でも、実態はほとんどが
我欲に埋もれた信仰ばかりで
結果として、一人で修行するよになったのです。

宗教三昧の日々を過ごした結果
宗教という自分の居場所を
失う事になったのです。

現実社会に居場所もなく
宗教にも居場所を失った事で
自分を変えるしかなくなり
多くを学びましたね~w






私は、宗教2世、3世と言われる方から
相談を頂くと
自分の足で自分の人生を
歩む事をオススメしています。

人生は己の心を磨くためにある事を
大前提とし、そこに向かって
日々を過ごしていれば
辛く苦しい現実も
己の為に起きている事に気づけますしね。


宗教団体では
信仰をやめる事で禍が起きると
そう脅されるので
それを恐れている人が多いのですが
実に馬鹿馬鹿しい事だと思っています。

そんな事を恐れていたら
自己の心は、いつまで経っても
成長できませんしね。
そもそも、自分自身で
乗り越えられない苦悩など
存在しないのが大自然の法則です。
ならば、乗り越えようと
チャレンジすればいいのです。

苦悩の中で八方塞がりになるのは
ただ単に、至らない自分に
気づけないだけなのです。

嫌な出来事を
自分以外のせいにしているから
その出口が見つからないだけです。
出口は自分の中にありますしね。
しかも、その出口のヒントが
苦悩の中にある。

己の苦難から脱する為のヒントを
自分で排除しているので
八方塞がりになるのも当然です。

一つひとつの苦悩を
しっかりと受け止め
自己の成長につなげて行けば
そうそう大きな苦悩に
直面する事はありません。

一つ一つの苦悩に対して
自己改善をしていかないから
大きな苦悩に直面するだけなのです。

ちょっとした苦悩で
成長が見られなければ
似たような苦悩を
どんどん大きくなり
突きつけてくるのが大自然の法則です。

従って、ちょっとした苦悩の度に
自己改善できれば
大きな苦難に直面する事はないのです。

「なんで、同じような嫌な事が
何度も起きるんだ?」
なんて、感じた事ありませんか?
それは、早く気づいて自己改善しろ!
というシグナルです。

自分が変われば
自己のエネルギーも変わり
目前の現実も変わるのが
大自然の法則なので
しっかりと自己改善できれば
嫌な出来事の連鎖も止まります。



まぁ~言葉で言うのは簡単ですが
実際に行動するのは難しいかもしれません。

行動に移せない理由は
色々とありますが
一番多いのは、理解不足ですかね?

物事の本質を見極める事が大切でしょう。

例えば、宗教団体を脱会する事で
両親に縁を切ると言われたなら
なぜ?そんな事を言うのか?を
知る必要があります。

往々にして自己の価値観を
我が子に押付けているだけでしょう。
本当に我が子の幸せを願うなら
我が子の価値観を尊重すべきなのですが
信仰をやめる事で
辛く苦しい人生を歩む事になると
そう信じていれば
我が子に辛い人生を歩んで欲しくないと
そう願うのも親心なのです。

まずは、宗教にドハマリしている
両親の気持ちを理解する事から
始めると良いかもしれません。

自分の価値観と異なる価値観を拒絶すれば
結果として、嫌な出来事が起きるので
両親の信仰を否定する事は
宗教にハマる人達と同じなのです。

まずは、自分と異なる価値観を
受け入れる事から始めると良いでしょう。
宗教にハマってしまう経験をしているだけの事なのです。
その上で、自分が何を
選択するかを決めて行動すればいいでしょう。

私なら、自分の幸せは
自分の人生の中で見つけたい!
と、はっきり言い放ちますけどね。



例え、両親から縁を切ると言われても
我が子が離れる事で
信仰について考えを改めるかもしれません。
いくら言葉で縁を切ると言われても
血の繋がりは無くならないので
自分がちゃんと両親を想いやればいい事だとも思います。

相手が縁を切ると言うから
自分も縁を切るなんて子供じみた
考えは捨てるべきでしょう。

ただの価値観の相違なので
相手の価値観を認めて
受け入れる事が大切だと思います。


ネットや報道なんかを見ていると
上辺だけを見て自分の気持ちをぶつける人が増え
同時に、その言葉で傷つく人も増えている。
傷ついた人が傷つけた人を口撃し
そんな堂々巡り・・
実に不毛な事だと思うのですが
物事の本質を理解するように努めないと
そうなってしまうんですよね~

ひろゆき氏がネットやTVなので
よく使われるのは物事の本質を
ずらすのが上手い人だからでしょう。

それにより社会が混乱し、少しずつ
物事を上辺だけで判断している
自分に気づける人が増えるわけです。

これも大自然が引き起こしている事なので
まさしく、そんな自分と異なる価値観を
しっかりと認める思いが大切な時代が
来ているように感じます。






自分の生い立ちは
自分で決める事は出来ないし
両親を自分で選ぶ事も出来ません。

しかし、生まれ与えられた環境を
良かったと思うか
不幸だと思うかは自分次第です。

私自身、自分の体質を恨み
そんな体で生まれた環境を憎みましたが
今は、逆に感謝しています。

結局、誰しもが素晴らしい
未来を与えられて生まれてきているのだと
私はそう思っています。
ただ、それに気づけない人が
とても多いのだと・・

宗教2世として生まれた事も
そこで、何かを学ぶ必要があるわけで
その中での苦悩を
自らの成長につなげる事が
できればいいんですけどね。

乗り越えた時に初めて
その意味に気づけるので
なかなか大変な事ですけどね。




人間の構造上難しい事だと思いますが
大切なのは「悪」を生み出さない事だと思っています。
「悪」は、理解不足で生み出されますからね~
逆を言えば、理解を深めれば
「悪」などなくなるという事です。

あとは、「全てに感謝し世に尽くす」
これを忘れす行動すれば
日々を楽しく、有意義な人生を過ごせるでしょう。





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