修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

物事の括りを外した判断をした方が過ごしやすい・・

私は、長年「ボランティア活動」を
お勧めしているのですが
その理由は、自分の「善意」の行動で
周りに迷惑をかける事があるのを
体験をして欲しいからです。

価値観など人それぞれなので
当たり前の事なのですが
長年「正しい事」を擦り込まれた
教育を受けてしまうと
柔軟な思考が失われてしまうのです。

これに気付かされる体験をすると
自分自身の浅はかさを知ることが出来るし
普段から理解に乏しい生き方をしている事にも気づけます。

そして、善悪の判断に振り回されなくなるんですよね~
ここ重要なポイントなんです。







私は、旅館経営者の知人が数名いるのですが
以前、介護のデイサービスを受け入れてくれないか?と
聞いてみたことがあります。

皆さん、難色を示されたのですが
嫌々受け入れてくれると言ってくれた旅館もありました。
まぁ~嫌々なので、迷惑をかけられないなぁ~
と思いやめておきましたが
よくよく考えると、「癒し」の場所に
要介護者は、ないよなぁ~と・・・その時は
私の価値観のみで軽く考えていた自分に反省しました。

その後、「癒し」に気を使って経営している旅館が多いので
温泉旅館=癒しというイメージで
具体的にどんな癒しを提供しているのか
色々とお伺いするケースも増えました。

その中で
「当館は、要介護者も障碍者もお断りしてます!」
と、自信満々にキッパリ言う方もいましたね~

理由は「癒し」なんです。
例えば、普段、両親の介護者で疲れ果て
自分への褒美で旅館に来ているのに
要介護者がお客様できていたら
その方は癒されるのでしょうか?
自責の念に捕らわれる方もいるでしょう。

障碍者の方も同じです。
お客様の中に障碍者の方がいれば
周りのお客様は気を遣うでしょう。
果たしてそんな状態は「癒し」と言えるのでしょうか?

と、そう仰っていました。
社会に何と言われようと、これは当館の死活問題になるそうです。
女子トイレに男子を入れろ!と言っているようなものだと・・
受け入れるなら、障碍者専用とか要介護者専用旅館とかにする必要がある・・
と、仰っていました。

私は、その旅館の経営方針をはっきり言葉にするあたり
凄いなぁ~なんて思いました。
多くは、思っていても言葉にしませんしね。w
根が正直な方なんでしょう。
はっきり言葉にする事により
社員にも経営方針が浸透しますしね。

温泉旅館の大浴場の管理は
素人が思っているより衛星管理が大変そうです。
要介護者を受け入れたら
湯舟にウ〇コが浮いていたなんて話も聞きますし・・
そんな話を聞くと、ウ〇コは気づけても
シッコは気づけないので
大浴場でシッコする奴もいるだろうなぁ~
なんて、思ってしまいます。
そんな想像をしたら、もう大衆大浴場なんて入れないですよね。w
旅館も各部屋に露天風呂が必要な時代なんでしょうかね?










私は、障碍をもった方々の知人や友人も結構いるのですが
先日、障碍者の方とスーパーに買い物に行きました。
なかなかおもろい奴なんです。

私が車を運転して向かい
障碍者専用駐車スペースに駐車しようとしたのですが
ちょっと離れた所に停めてくれと言われ
???なぜ?と聞いたら
どうせ空いていないし、離れた所で空いているスペースなら
車椅子の出し入れもしやすいし周りに迷惑もかけないしね・・と言われました。

そのまま離れた所に車を停めて
とぼとぼお店に向かったのですが
スーパーの入り口付近にある障碍専用駐車スペースは
確かに埋まってました。若い夫婦が占領していましたね~
私は知らなかったのですが、ベビーカーも車椅子と同等の扱いなんですね?
その光景を見て、ちょっとモンモンとしてしまいました。
いや、障碍者優先じゃないの?と・・w
色々とベビカーが、問題になったりするのはこんな感覚なのか?
と、思ったりもしたのですが
まぁ~当の本人は、どこ吹く風?って感じです。
え?私の感覚おかしいの??


買い物を終えて帰宅し
なぜか、その事が腑に落ちず、障碍者の人たちも大変だなぁ~
なんて、言葉にしたら本人から
自分の考え方を話してくれました。
色々と話をして、ちょっと感動してしまったのですが
簡単にまとめて、ご紹介したいと思います。

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私は、健常者の助けを得ないと生きて行けない
国の制度や周りの方々の助けがあって初めて生きて行けるので
私の生活を支えてくれる社会や人々には感謝しかありません。

私たちの社会は、多くの健常者で成り立っているので
色々と苦労が絶えないのですが
でも私は、障碍者に優しい社会など求めていません。

私だって、社会や健常者の方々の役に立ちたいのです。

障碍者がいるだけで、健常者の方々は、気を遣ってくれます。
私のせいで、リラックスしたいと時に気を遣わせてしまったのでは?
と、そんな事を思ったりもします。
優しくされると自分の存在自体が
周りに迷惑をかけているような気がして
自分なんていない方がいいのでは?と何度もそう思いました。
そんな心苦しい思いをしていても、周りの方々が励ましてくれる。

私には、死ぬ勇気もありませんし、
とはいえ支えて貰うだけの人生を過ごしたくないのです。
なので、私にとって障碍者に優しい社会など必要ありません。
だって、私を支えてくれるのは、健常者の人たちなので
健常者の方々が過ごしやすい社会の方が大切でしょ?

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と、こんな感じの事を言っていました。

本人にとっては障碍者専用駐車スペースも
健常者の方々に使ってもらった方がいいらしい・・
別にスーパーは逃げないし
離れた所に停めればいいだけなので何も問題ないそうです。
自分を支えてくれる、健常者の方々を優先して欲しいそうです。

ネットや報道で「障碍者に優しい社会を!」なんて
運動をしている方々の姿を目にする事が増えましたが
真逆の事を言う障碍者の人もいるんだなぁ~なんて思った次第です。


まぁ~こんな言葉を聞くと
本人に尽くしたくなりますよね。
「嫌かもしれんが、世話を焼かせろ!そして頼れ!
お前のためじゃなく、俺のためにやるんだから気にするな!」
と言っておきました。w


障碍者の方々にも色んな人がいて
価値観も人それぞれだという事です。


飲食店などで障碍者の方の入店を断ると
障碍者の人が、その怒りをSNSに投稿し
対象のお店がネットで叩かれたりする時代ですよね。
お店に入れなのは差別だ!と憤慨する人もいます。
障碍者に優しい社会でなければならないと
真剣にそう思い活動している方もたくさんいます。
DSGsが始まって、拍車がかかっているようにも感じます。

でも、障碍者の中には
健常者優先の社会を大切に思っている人もいますし
気を使い優しく接することで、心が傷つく人もいる事を
心のどこかにとめておいて貰えると嬉しいです。




私の場合、目と耳が半分やられていますが
これと言って、普段の生活に支障を感じません。
まぁ~慣れですけどね。
多少、周りに迷惑をかけているとは思いますが
とはいえ、他人の支えが必要なほどではないのです。
それ以外は、ちょっと感覚がおかしいだけでw
めっちゃ健康ですしね。

ただ、普通に生活をしている人より
精神が病んでいる人や、障碍を持った方と接する機会は多くあります。
で、今回の出来事で
もっと理解する努力をした方がいいなぁ~なんて感じました。
とはいえ、自分は健常者枠なので
障碍を持った方の事を完全理解する事は出来ないでしょう。
同じ体験なんて出来ませんしね。

多くの方々の価値観を学んでゆくと
自己反省がついて回るのですが
やはり、その後に自分の視野が広くなり
心が軽くなっている事を感じます。

社会にはルールが必要で
そのルールが邪魔をして自分の視野を狭くしますが
それも、少しずつほぐれてゆきます。





先日、とある会社の研修で
意識改革のお話をしている時に
「他人の価値観を知る必要性をもっと詳しく話してほしい」
と言われました。

私の言葉が足らなかったのでしょう。

仕組みとしてはとても簡単なのです。
「自分」という生き物は
「自分以外」との関わりの中でしか生きられない。

従って、多くの自分以外を知っていった方が
毎日が過ごしやすくなるのは当然の事です。
なので、他人と自分の違いを多く知った方が良いでしょう。

しかし、誰しも現実を自分の思い通りにしたいと
そう思っています。
自分の思い通りにならない出来事に対して
怒りの感情を抱いたりもします。
また、なんでも自分の思い通りにしたい!という我欲は
自分以外を知る事の妨げになります。
自分の欲求を満たさない事柄に興味を抱かなくなるからです。

その為、「自分」と「自分以外」との関わりを
無視して過ごすため
嫌な出来事が増えて行きます。

まぁ~自分以外とのかかわりの中でしか
生きることが出来ない世界で
自分以外の存在について深く知ろうとしなければ
そうなるのは、当たり前の事なんですが
この仕組みに気付いていない人がめっちゃ多いんです。

ただただ、自分主体の善悪の判断をし
自己の欲望のみを満たそうと
過ごしていると
自分の存在する意義さえ見失ってしまうでしょう。
自殺者が増え続けているのは
その為であり
また「他」を知ろうとしない人が
増え続けているためなんでしょう。

善悪の判断は自分に都合が良いか悪いかなので
価値感の異なる相手からすれば
自分の「善」が相手の「悪」になったりしますしね。



健康ブームにより
食べ物に気を遣う人が増えていますが
医学博士の先生曰く
病気を引っ越す一番の原因の食べ物は
「水」だそうです。

人は、生活の利便性の為に
様々な物事をグループ化しますが
一言で「水」と言っても
色々な「水」があるという事です。


物事の判断を楽にする為に
様々な物事をグループ化する
必要はあるのですが
状況に合わせながら時には
細分化する事も大切なんでしょう。



私の場合、「人」は大きく分けて
2種類存在していると感じています。
男女まとめての区別で2種類です。

同じ物体を見て、心地よいと感じる人と
不快に感じる人の違いのような区別です。

これも、長年検証しているのですが
間違いないと自分ではそう思っています。
多分、肉体の細胞から違っていると感じます。

肉体の細胞が異なるので
当然、感覚も異なるでしょう。
従って価値観も当然異なります。

なので私の中で、人との接し方も
大きく分けて2種類あります。


コンピューターの「0」「1」の世界と同じだなぁ~
なんて思っていますし
2種類の人種が関りながら世界が発展していくのか?と
そう考えると、なかなか面白い仕組みなので
最近は、さらに深い検証にハマってます。w



やっぱ、他人の価値観もそうですが
物事を枠にはめて考えず
枠を外して考えた方が
新たな発見が色々ありますし
人生が楽しくなりますよね~

日本人という括りにしても
色々な日本人がいますし
中国人も色々な人がいるでしょう。

自分を否定する相手も
その相手の全てを拒絶してしまいがちですが
実際は、自分を否定する所が
嫌なだけですしね。
よくよく観察すると素晴らしい一面も
あったりするはずですし
自分の求めるモノが変われば
その相手に対して感じ方も変わるでしょう。

我欲が強いと
自分の欲望を阻害する対象を
括って拒絶してしまうので
その辺は、注意した方がいいと思うのです。



私たちは、なかなか面白い生き物ですし
この世界の仕組みも面白い。
人生とは、なかなか楽しいものです。