現代の我々国民がご先祖様の徳を食いつぶし
社会が混沌とし始めたのは
我々日本人が「敬神生活の綱領」を忘れてしまったから
と言うより、学んでいないから、だとそう思っています。
戦後教育で日本神道を学ばなくなってしまいましたからね~
日本神道は日本人の心なんですが
その心を失ってしまったわけです。
まぁ~生活が豊かになればなるほど利己的に生きるのが
人の性なので、これはこれで仕方ないでしょう。
それは悪い事ではなく
経験として必要な事だとも思います。
その結果、「国益」=「国民の快楽」となり
ご先祖様が抱いてきた思いと真逆の思いを抱きながら
我が国は進んでいるので
そりゃ~国がどんどん衰退しても仕方ないと
そう思っています。
私は、バブルを体験した世代ですが
バブル崩壊後も、今よりは過ごしやすく
日に日に、過ごしにくくなってきている事を
肌で感じています。
そんな人も多いでしょうね。
今の社会の現状を
マスコミがひたすら政府や政治家の
せいにしていますが
私個人としては、利己的な思いで
過ごす人が、増え続けている結果だと
そう思っています。
自分は社会の為に何一つせず
不都合を感じる度に政府や政治家のせいにする
人間には、なりたくないものですね。
企業でも、利他的な企業理念を掲げ
それをしっかり実践している会社は
業績を伸ばし発展し続けていますが
素晴らしい理念をただ掲げているだけで
「ビジネス=金儲け」とし
利己的な思いで経営している企業は
10年そこそこで、ゾンビ化するか倒産して行きます。
それが、大自然の法則だからです。
国の運営も全く同じ法則の中にあり
国を運営する目的が利他的なモノでない限り
国が滅びに向かうのは、至極当然の結果なのですが
政府が他国の為にお金を使えば、国民に叩かれる始末・・・
これも、「国益=国民の快楽」だからです。
残念な事に、国の運営そのものを変えない限り
我が国、日本が今以上発展する事はなく
どんどんとゾンビ化して行くでしょうね。
とは言え、国民ひとり一人の思いが利他的なものに変われば
国も発展の方向に向かうのが、大自然の法則です。
なので、今こそ日本の心である日本神道の復活だ!
と、そう思っているわけです。w
私たち日本人は、ご先祖様から受け継いだ
血肉に刻まれた経験値までは失っていないので
なんだかんだと、殆どの日本人が初詣に神社へ足を運んでいますし
今ならまだ間に合うのでは?と、そんな期待をしております。
世界の色々な所でJAPANESEブームが起きているという
報道を目にする事が増えてきたのですが
その根本には、「日本の心」である「利他的な心」が
創り出した結果だと、私は、そう思っています。
いや~ご先祖様様ですよね。
先祖供養をすると救われるなんて教えは
抹消して、ご先祖様への感謝を捧げる先祖供養を
励んでもらいたい所です。
先日のエントリーに記しましたが
「欲」は物事の本質を見えなくしています。
逆を言えば、「利他的な思い」が
物事の本質を明確にしているのです。
従って、「日本の心」は物事の本質を明確にし続け
様々な問題を、冷静に対処できる能力を
生み出しているという事になります。
日本人が「日本の心」を取り戻せば
国が発展する事は、大自然の法則上、間違いないでしょう。
そして、その「日本の心」は
2000年続いている「日本神道」そのものであり
「敬神生活の綱領」が全てだと、そう思っています。
自然現象そのものを神として崇め祀り
何一つ否定批判せず、全てを認め、受け入れ
そして、目前の現実から学び続けるという教えが
現在の日本を豊かな国に発展させてきたのでしょう。
「神」とは、なんだ?
「自然現象そのものだ!」
とする、考え方は素晴らしい~ではありませんか!
我々人間は、どうあがいても大自然の法則上でしか
生きる事が出来ない事実を
決して忘れないのが、「日本の心」というやつです。
「敬神生活の綱領」を実践すると
自分自身の人生にも多大なる恩恵を
受ける事が出来ます。
理由は簡単です。
毎日を過ごす上で、目的がなければ
必ず、煩悩に流されるからです。
快楽を満たす為だけに過ごしていれば
物事の本質が見えなくなり
不平不満が増え続けるのが
大自然の法則なのです。
逆に、利他的な思いで過ごしていれば
物事の本質が手に取るように明確になり
様々な問題を対処できる能力が
自然に身について行くわけです。
我々のご先祖様はこの仕組みを知っていたのだと
日本神道に触れれば触れるほど
私は、そう思ってしまうのです。
私自身、我々のご先祖様が築き上げた
「日本の心」の実践のおかげで
死ぬほど苦しんだ霊的苦痛から解放され
この世界は初めから素晴らしいものである事を学びました。
若かりし頃は、色々な宗教に
首を突っ込みましたが
「感謝」すれば、いいだけだった事を知った時は
「欲」で、何も見えなくなっていた自分を痛感したのです。w
「敬神生活の綱領」とは
私たち日本人が、生きる為の指針のようなものです。
我々のご先祖様のように
多くの人が「敬神生活の綱領」を実践すれば
社会や国、世界が発展して行くと思います。
「敬神生活の綱領」
一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
神社本庁のホームページにも記してあります。
神社本庁のご案内 | 神社本庁
神社によって、綱領の文言が違ったり
「敬神生活の信条」を付け加えたりしていますが
内容自体は、概ね同じです。
私は、長年密教の修行をしてきましたが
霊障が治まるどころか酷くなり、もう無理だな~と
諦めていた時に、日本神道との出会いがありました。
そして、この実践綱領のおかげで、救われました。
たったこれだけの事で全ての苦悩から解放され
目前の現実が、どんどんと好転して行くのです。
それまで、利他的な思いは欠如していましたし
利他的な思いで行動した事もありませんでしたからね~
そもそも、実践綱領をするだけで
苦悩から解放されるとは、思ってもいないので
はじめは、真剣に取り組む事もしてませんでしたしね~
なんとなく「実践しよう~!」くらいで
気付けば忘れていました。w
この先の人生をどうやって過ごして行けばよいのか?
生きる目的がないのであれば、この「敬神生活の綱領」を実践すれば
どんどんと、人生が切り開いて行くと思います。
「神を祀る」という宗教的な行為に抵抗がある方は
「神=自然」と受け止めると良いと思います。
もともと、日本神道は自然現象そのものが
神々がしている事と解釈していますしね。
一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
自然界の恩恵があって、我々は衣食住に困る事無く過ごせる事に感謝し
我々のご先祖様が、豊かな日本を創り上げたおかげで
自分達の、今の自分の生活がある事に感謝し
上辺だけの感謝ではなく、その感謝を形に表す事。
感謝を形にする事は、日本の風習では
神社の祭祀に参加したり、自宅に神棚を祀ったりするのですが
方法は、何でも良いと思います。
個人的には、自宅に神棚を祀り
毎日手を合わせる習慣をつけると良いと思っています。
毎日手を合わせる事で
感謝する事を忘れないようになりますからね~
この習慣がないと感謝の気持ちが薄れてしまうんです。
深く感謝できるようになると
間違いなく人生が好転するのでオススメです。
深く感謝できると、社会に貢献したくて仕方なくなります。
誰かのお世話になると、お礼がしたくなりますよね。
そんな気持ちが込み上げてくるので
そこを目指して頑張りましょう!
日本人の凄い所は「愛」「慈悲」ではなく
「感謝」なんですよね~
煩悩まみれの人間という存在は
一生かけても、愛と慈悲の境地にたどり着くのは難しく
そんな壮大なテーマに向かうと
私のように迷ってしまう人が多いと思うのです。
「愛」って何ですか?
「慈悲」って何ですか?
と聞かれて応えられる人なんているんでしょうかね?
自分が理解できないモノに向かうのは
簡単な事ではないと思いますし
誤った解釈で、自分の人生を壊してしまうかもしれない。
そう考えると「感謝」を忘れず過ごす事の方が
自分の人生を清く明るく、歩んで行けるように思うのです。
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
自分の今の生活は、世の中での多くの関りで成り立っており
自分自身も社会の一員として役目を担い
社会の為、他人の為に奉仕する事が必要不可欠です。
それが出来なければ、社会は成り立たず、自分の生活を脅かす事になるからです。
また、そんな思いが無いまま過ごしていると
社会から排除されるような出来事に直面する事になるでしょう。
社会のルールは、あくまでも人間に都合の良いルールに過ぎないので
私たちが逆らえない大自然のルールに基づいて過ごし
何一つ否定批判することなく、目前の出来事から多くを学び取り
多くの人の心の成長を促しながら、世の中を作り固め成す事。
一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
「大御心」は天皇陛下と訳す事が多いのですが
正直、「なんで?」と思ってしまいます。
国家「君が代」の「君」も天皇陛下の訳す事があり
天皇制を利用しようとした人が言い出したのか?
逆に天皇制を否定する為に言い出したのか?って思ってしまいます。
だって、どう考えても不自然な解釈ですよね?
そもそも、天皇陛下が、そんな解釈をして欲しいと思うわけがありませんし。
私は「大御心=大自然の意思」「君が代=人々の代」として受け止めています。
私たちは、大自然の中で生活しており、また大自然の一部であります。
従って、大自然に対して、嘘偽りなど通用するわけもなく
自分自身の言動の結果は、目前の現実として大自然より指導して頂いているわけです。
目前に起きる出来事が、大自然の意思という事になります。
従って、どんな現実であろうと、否定批判することなく
その出来事に親しみを感じ、また感謝し、自らの生きる糧とします。
そして、常に出来事から学び、国の発展や世界の共存共栄に尽くし、日々祈りを捧げる事。
私は「敬神生活の綱領」をこんな感じで解釈しております。
まぁ~日々感謝し、社会に貢献しろ!という事です。
この先の未来の為に、実践綱領に励みましょう!